第102話 赤い霧と、魔将の降臨
「魔石もいっぱいだし、トカゲ肉も山盛りよ! 私たちのアイテムボックス、もうホクホクね!」
「これだけの大収穫なら、どんな都市でも豪遊できるほどの資産になるな。レベルアップも果たしたし、予想以上の成果だ。よし、湿地帯のさらに奥、最深部へ向かうぞ。きっと、このエリアの頂点に立つ大ボスがいるはずだ」
「任せて! どんなギミックを持ったボスが来ようと、今の私の回避ビルドと、ナオトの錬金術のコンボなら赤子扱いよ! ……って、あれ? ねえナオト、なんだか急に周りが暗くなってきてない?」
「俺もさっきから気になってはいた。霧が異常に濃くなってるんだ。いや、濃くなってるだけじゃない。色が……変わってきてるぞ?」
「本当だわ。真っ白だった霧が、なんだか薄暗いピンク色っていうか……どんどん赤黒い色に変わってきてる。夕焼け? でも、時間はまだ真昼のはずよね?」
「……夕焼けの光なんかじゃない。俺のスキルが大気中の成分異常を明確に示している。周囲の水分量が急激に減少して、代わりに未知の魔力素粒子が充満し始めているんだ。これはただの天候変化じゃない、なんらかのフィールド・エフェクトだ!」
「フィールド・エフェクトって、ボス専用の戦闘エリアみたいなもの? だったら、いよいよお出ましってことね! 大剣の準備はバッチリよ!」
「この霧……錬金術で干渉できないぞ!?」
「うっ! この霧、すごく鉄臭いっていうか……血の匂いがするわ! それに、なんだか息を吸うだけで肺がピリピリして……!」
「微弱なスリップダメージを伴う瘴気の領域か! 俺の作った浄化マスクのフィルターを通しても、完全には毒素を無効化できていない! それに、これはただの毒じゃないようだ。大気中に霧状になった血液そのものが混ざっている!」
「血の霧? 気持ち悪っ! ……って、きゃあっ!? な、なんなのこれ!」
「どうしたミオ!? 敵が現れたのか!?」
「違うわ! 直感回避のスキルが、突然ものすごい勢いでアラートを鳴らし始めたの! 視界が真っ赤に点滅して、危険信号が出っぱなしよ! でも、どこから攻撃が来るのか全然分からない!」
「攻撃の予兆なんかじゃない。この赤い霧という空間そのものを、お前のスキルが致死の攻撃判定として認識しているんだ。このエリア全体が即死級のトラップゾーンになっている!」
「そんなの反則じゃない! 避ける場所がないわよ! ああっ、アラートの点滅がさらに激しくなってきた! 真正面! 真正面の霧の奥から、とんでもない何かが来るわ!」
「俺の索敵スキルにも強烈な反応が出た! だが……魔力波形がバグっているのか!? 周囲の赤い霧と魔力が同化していて、本体の座標が特定できない!」
「ほう。我が鮮血の領域に満ちる死の気配を、ただの人間が肌で感じ取るとは。面白いスキルを持っているではないか、小娘」
突如として、赤黒い霧の奥から、男の低く優雅な声が響き渡った。
「誰よ! 姿を見せなさい!」
「足音がしない。この泥の湿地帯で、泥を跳ね上げる音も、足が沈む音も全くしないぞ。まるで重力が存在していないみたいだ」
「焦ることはない。私はすでに君たちの目の前にいるのだから」
濃密な血の霧が左右に静かに割れ、そこから一人の男が姿を現した。漆黒の軍服に、背中に畳まれた蝙蝠のような皮膜の翼。そして額から生えた、ねじれた二本の角。
「あいつ、見覚えがあるぞ。旧王立銀行の地下金庫で会った……!」
「あっ! 魔王軍の就職面接とか言って、私たちを人間牧場の管理人にスカウトしようとしてきたブラック企業の幹部! 魔将ヴァルドレッド!」
「お久しぶりですね、ナオト君、ミオ君。あの時は内定辞退の挙句、ひどい土煙と石鹸水を浴びせられましたが……こうしてまた再会できたことを嬉しく思いますよ」
「あの時のリクルーターがこの湿地帯の大ボスだったってわけ!? 飛竜の血を全部吸い尽くしたのはあんたでしょ! 趣味の悪いことするわね!」
「趣味が悪いとは心外な。私は食事を楽しんでいただけ。あの飛竜も、巨大なワニも、私の喉を潤すためのささやかなワイングラスに過ぎなかった。だが、彼らの血はあまりにも獣臭く、ひどい泥の味がする。到底、私の舌を満足させるものではなかったよ」
「魔将ヴァルドレッド、か。ミオ! 鑑定のスキルを使って、あいつのステータスを確認してみる。少し待っててくれ。以前は測定不能だったが、レベルが上がった今の俺なら、あいつのレベルと弱点が読み取れるはずだ」
「お願いナオト! 私はあいつの動きから目を離さないようにするわ! 敵対判定をガッチリ固定するから、今のうちに分析して!」
「よし、鑑定スキル発動。対象は魔将ヴァルドレッド。……おい、なんだこれ。頭の中に流れ込んでくる情報が……文字化けしてる!?」
「文字化け!? どういうことよ! レベルはいくつなの!?」
「読めない! 推定レベルの項目がERRORって表示されてやがる! まただ! ステータス値もすべて測定不能! 俺のスキルで測れない領域にいる!」
「はっはっは。面白いスキルを持っているな、錬金術師の少年。だが、私の深淵なる魂の器を、そのような矮小なスキルで測れるはずもなかろう。私は超越した存在なのだから」
「だからって勝てないと決まったわけじゃないわ! HPゲージがあるなら、ゼロになるまで殴り続けるだけよ!」
「威勢がいいな、布切れ一枚の女戦士よ。しかし、君たちのその自信、あながち滑稽ではない。なぜなら私は君たちのことを、ずっと観察していたのだからな」
「観察してただと? この赤い霧の中からか?」
「左様。君たちは実に見事だった。環境のペナルティを物ともせず、泥の獣どもを蹴散らし、死線の果てに経験を食らい、自らの魂の格を急激に引き上げていくその姿。まさに、極上のブドウが樽の中で芳醇なワインへと熟成されていく過程を見ているようだった」
「ワインですって? 私たちを飲み物扱いしてるわけ?」
「その通り。私はね、強く、気高く、そして莫大な経験値を溜め込んだ魂の血ほど、美味なるものはないと知っている。君たちが先ほどのエリート部隊を無傷で殲滅し、レベルという名の器を満たしたその瞬間……君たちの血の香りは私の食欲をこれ以上ないほどに刺激したのだよ」
「俺たちが経験値を稼いで、ステータスが最高潮に達するタイミングをわざと見計らっていたのか!? 俺たちを極上の餌として育てるために!」
「ご理解いただけて光栄だ。君たちは今、これまでの過酷な旅路の中で、最も美味しく、最も栄養に満ちた完熟の果実となった。魔王軍への就職を蹴ったことは惜しいが、その分、君たちの血肉は私の素晴らしい糧となるだろう。だからこそ、私は自ら収穫に赴いたのだ。その見事に育った魂と血の最後の一滴まで、私が残さず飲み干してあげよう」
「ふざけんな。俺たちが稼いだ経験値も、この完璧なビルドも、全部お前のディナーのためだとでも言いたいのか!」
「ふふん、笑わせるわね! 私たちをただの果実だと思ってるなら、大間違いよ! 私たちは、どんな理不尽なボスもぶっ倒す最強のプレイヤーなんだから! あんたの方こそ、私たちの経験値になってもらうわよ!」
「ミオの言う通りだ。鑑定スキルがエラーを吐いていようが、俺のスキルとミオの直感回避のコンボなら、魔将だろうが絶対に倒してみせる」
「おお、素晴らしい。その絶望を知らぬ強気な瞳、まさに極上のスパイスだ。自らが無敵であると信じて疑わない者ほど、その幻想が砕け散った時の血の味は、甘く、そして深い絶望の味がするのだよ。さあ、晩餐会の始まりだ。君たちの浅はかな万能感が私の前で何秒持つか……たっぷりと楽しませてもらおう」
「ごちゃごちゃとうるさい吸血鬼ね! その余裕ぶった顔、すぐに歪めてやるんだから! ナオト、サポートお願い! 一気に懐へ飛び込むわ!」
「ああ、分かった! 行くぞ、ミオ!」
「ええ! 覚悟しなさい、魔将ヴァルドレッド! 回避盾の力、とくと味わいなさいな!」
二人は赤い霧の中で静かに微笑む魔将へと同時に飛びかかっていった。




