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24.それぞれの情報収集

シグリッドが行商人として市場へ出てから数時間。可奈は、獣人種の労働者や流れ者が集う宿屋の薄暗い食堂の隅に座っていた。


彼女の任務は、シグリッドの指示通り、「行商人の妹」として振る舞いながら、王太子殺害の真犯人に繋がる**『不審な動き』の噂**を拾い集めることだ。


可奈の面前には、宿屋の簡素な昼食、硬いパンと薄いポテトのシチューが置かれている。彼女は食事に手を付けず、背後で交わされる獣人たちの会話に耳を澄ませていた。


獣人種の言語、ガウル語が耳に飛び込んでくる。彼らの会話の半分は、帝国の厳しい労働環境や低賃金、そして王室に対する遠回しな不満だった。


(兄様が言った通り、ここでは王家への不満が公然と語られている…)


可奈は、この宿屋の主人が目を光らせていることを感じていた。異種族である自分たちが何を話すのか、常に警戒されている。可奈は、シチューをゆっくりとかき混ぜ、時折悲しげに窓の外を見つめる仕草を見せた。旅で疲弊し、心細い行商人の妹。その演技は完璧だった。


午後二時頃、一人の大柄な豚獣人(オーク)と、痩せた犬獣人(コボルト)が席に着いた。彼らは酔っているようで、会話が徐々に大きくなる。可奈は慎重に、彼らの会話の波間に漂う情報に意識を集中させた。


オーク:「チッ、公爵家の奴らめ。また賃金を下げやがった。オルバインの鉱山は、もう骨の髄まで吸い尽くされるぞ」


コボルト:「静かにしろ!壁に耳ありだ。…だが、あの事件の後は特にひどい。王太子様が殺されてから、街の警備は厳しくなるし、公爵様はますます力を増している」


オーク:「王太子様が公爵様に邪魔だったのは、誰もが知っていることだ。だが、本当に暗殺したのは誰だ?どうせ、あの新顔の女騎士…」


可奈の心臓が強く跳ねた。「新顔の女騎士」――それは、自分、可奈のことだ。


コボルト:「いや、噂では、公爵家の城に最近、**『妙な魔術師』**が出入りしているらしいぞ。騎士でもなく、学者の格好でもない。全身を黒いローブで覆って、夜中に出入りしていると…」


オーク:「魔術師?何のためにだ。公爵家は剣の家柄だろう」


コボルト:「知らねえよ。だが、警備の犬たちが、そいつに妙に気を遣っていると聞いた。まるで、**王太子事件の『片付け』**に来た奴みたいに…」


可奈は急いで、懐に隠していたメモと鉛筆を取り出した。誰にも見られないよう、シチューの染みのように見える小さな文字で、メモの端に書き込む。


「公爵家」

「最近、妙な魔術師が夜中に出入り」

「王太子事件の『片付け』」


「…ふぅ」可奈は深く息を吐き、静かにメモを仕舞った。得られた情報は断片的だが、「公爵家」と「暗殺事件」が、**『妙な魔術師』**という新たな登場人物によって結びついた。


彼女の潜入生活は始まったばかりだ。そして、危険な糸口を、早くも手繰り寄せ始めていた。



 ◇



シグリッドは、古びた幌馬車から荷物を降ろす行商人の装束に身を包んでいた。質素だが上質な服、そして腰には小さな剣を携えている。彼の外見は、ローゼンガルテ王国特有の美しい金髪と青い瞳を隠しようがないが、その冷徹な視線と身のこなしは、彼が単なる行商人ではないことを示唆していた。


彼の任務は、公爵家が裏で牛耳るオルバインの経済圏に触れ、王太子殺害事件の『片付け』が、具体的にどのような形で進められているかの兆候を掴むことだ。


1.市場の観察と接触


シグリッドは、オルバインの主要な市場で、宝石の原石と香辛料を並べた。彼の目的は売買ではなく、高位の商人と接触し、彼らの間の「不自然な流れ」を感じ取ることだった。


(この街の商業区は活気に満ちている。だが、その活気の源は、特定の公爵家系商会に集中している…)


彼が狙いをつけたのは、公爵家の紋章を控えめに掲げる**『黒翼商会』**の幹部だった。彼らの商館は市場のすぐ裏手に位置し、常に厳重な警備が敷かれている。


シグリッドは、黒翼商会の幹部である中年男、ギオルグに話しかけた。ギオルグは傲慢で、ローゼンガルテ出身者を軽蔑しているのが明らかだった。


「おや、ローゼンガルテの人間か。ここで何を売るというのだね?我々の取り扱う品とは比較にならんぞ」


シグリッドは表情一つ変えず、丁寧に返した。


「失礼を。私はただ、帝国との交易ルートを探しているだけの末端の商人にすぎません。黒翼商会の広大なネットワークに、我々のような小粒な商人が入り込む隙間はないでしょうか?」


彼は、相手の優越感を刺激し、情報を引き出す体勢に入った。


2.『急な人員整理』の裏側


ギオルグは鼻で笑った。


「馬鹿げた話だ。だが…最近、いくつか空きが出たのは事実だ。王太子殿下の事件以降、公爵家は『不純な分子』の排除を急いでいる。特に、王室の血筋に近しい者、あるいは王室に忠誠を誓っていた商人の整理が進んでいる」


シグリッドの耳がその言葉に強く反応する。これは可奈が宿屋で聞いた「片付け」と一致する情報だ。


「それは、公爵家が公正な経済活動を妨げているということでしょうか?」シグリッドは挑発的な質問を投げた。


ギオルグは顔色を変え、周囲を警戒した。


「静かに!口を慎め。公爵家が何をしているかは、私には知る由もない。だが、知っておけ。最近、**『妙な魔術の使い手』が、公爵家の命を受けて動いているという噂がある。彼らは、王室側の商人の資産を、『合法的な手続き』**で、あっという間に差し押さえに回している」


「魔術で、差し押さえ?」


「ああ。書類を、証拠を、そして証言を、**『不可視の力』**で操作しているらしい。誰も逆らえない。連中は、王太子事件の混乱に乗じて、王室派の経済基盤を完全に潰しにかかっているのだ」


3.最初の脅威との接触


シグリッドがさらに深く尋ねようとした、その時だった。


商館の裏口から、三人の強靭な肉体を持つ男たちが姿を現した。彼らは公爵家の私兵ではなく、シグリッドの直感では、どこかの暗殺組織に属する人間だと理解した。その中心に立つ男は、全身を黒い革鎧で包み、口元を布で隠していた。


その男の目は、シグリッドの腰の剣を捉え、静かに、しかし明確な殺意を放っていた。


黒鎧の男:「ギオルグ。そのローゼンガルテの行商人は、少しばかり口が過ぎるようだ。公爵家の商取引に水を差すのは、いかがなものか」


その声は低く、抑揚がない。シグリッドは、自身がターゲットに接触する前に、逆に目をつけられたことを悟った。


(速い…市場に潜伏していたか。いや、私が動いた瞬間に、誰かが連絡を入れた…公爵家の監視網は想像以上に張り巡らされている)


シグリッドは静かに荷物を片付け、ギオルグに一礼した。


「失礼いたしました。余計な口を挟みました。私は、ただの行商人ゆえ、これ以上、御商売の邪魔はいたしません」


シグリッドは、剣に手をかけることなく、ゆっくりと、しかし警戒を最大限に高めながらその場を離れた。彼は確信した。黒鎧の男たちが、彼を追っている。


(可奈の集めた『妙な魔術師』の噂。そして、私が掴んだ『魔術による資産差し押さえ』。この二つが繋がる…公爵家は、事件の収束と王室派の排除を、特殊な『実行部隊』に任せている)


宿へ戻る道すがら、シグリッドは決断を下した。まずは追手を巻かなければならない。彼の潜入生活は、情報収集を開始した途端、戦闘を伴うものへと変化した。

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