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18.潜入その1

「この格好で、数日は過ごすことになる」


冷徹な騎士団副団長から、一介の行商人に一変したシグリッドは、無感情な声で可奈に告げた。彼の声は甲冑を纏っていた時よりも低く、警戒心を含んだ響きがあった。


「では、あたしはシグリッドさんを旦那様と呼びます」


シグリッドにそう告げた可奈だったが、シグリッドはここで思いがけないことを言い出した。


「待て。兄妹として振る舞うよりももっといい設定がある。君は、私の**『妻』**として振る舞え」


「はぁ? 妻ぁ?」


可奈は思わず聞き返したが、シグリッドは一切表情を変えない。


「妹だとすると私と君は似ていない。だから商人の護衛として、貧しい妻を連れてきたという設定でいく。最も疑われにくい設定だ。君の素性はこの国では純粋な異邦人としてしか見られない。その容貌を、ただの貧しい旅人の妻として片付けるのが最も早い」


(妻って……この冷血漢の)

可奈は納得がいかなかったが、今は彼の指示に従うしかなかった。


部下を遠方へ配置し、可奈と二人きりになったシグリッドは、林の木の幹に寄りかかり、低い声で問いかけた。


「君は、私を、王太子暗殺の真犯人を追う騎士だと思っているか?」


「違うんですか?」


「真犯人は、リセフィア帝国の公爵家を装った者たちだ。それは間違いない」


シグリッドの冷たい瞳の中に、初めて微かな炎のようなものが灯った気がした。


「だが、王国の騎士団の追跡隊が、なぜ王太子暗殺の『目撃者』である君を執拗に追うのか。それは、君が**『王国の真実』**を偶然にも知っているからだ」


「王国の真実?」


「王太子アルスは、リセフィア帝国との開戦を強く望んでいた。彼はそのために、**『賢者の遺産』**をこの国境地帯で手に入れようと画策していた。それを阻むために、リセフィア公爵家が動いた。ここまでは、誰もが知り得る表面上の事実だ」


シグリッドは可奈を真っ直ぐに見つめる。


「しかし、王城の内部には、リセフィア帝国と通じている**『内通者』がいる。王太子暗殺の情報を流し、君を犯人だと誤認させた黒幕だ。そして、その黒幕は、王国の高位貴族の一員……『本物』の悪役令嬢**に他ならない」


可奈の心臓が激しく脈打った。


「じゃあ、あなたはどうしてあたしを……」


「私は王国の騎士として、この内通者……『本物の悪役令嬢』を炙り出し、王国の秩序を回復させる義務がある。そのためには、君の持つ『賢者の遺産』と、君という存在が必要だ。君は、王国の内通者が最も警戒している、**『異世界からの変数』**だからだ」


夜明け前、シグリッドと可奈は、広大なリセフィア帝国の帝都ダグノスの巨大な城門にたどり着いた。


城門は、ローゼンガルテ王国のどの都市よりも大きく、白く、華麗な装飾が施されている。衛兵たちは、どこか傲慢な空気を漂わせ、入城する商人や旅人を冷たい目で見下ろしていた。


シグリッドは、顔をフードで隠し、貧しい妻を労わるように、可奈の腰にそっと手を回した。可奈は反射的にその手を払いのけようとしたが、シグリッドの鋭い視線に、すぐに芝居を続行した。


(うっ……冷たい手。でも、これが『夫婦』の芝居なのね)


衛兵の一人が、シグリッドの前に立ち塞がった。


「止まれ。何者だ」


「地方から来た行商人だ。この妻が病を患っていてな、帝都の薬を買いに来た」


シグリッドの声は、普段の硬質な調子から一変し、疲弊した商人のそれになっていた。その演技力に、可奈は驚きを隠せない。


衛兵は可奈の顔を覗き込み、その地味な服装と、腫れた足首を見て、鼻で笑った。


「ふん。みすぼらしい。とっとと入れ。だが、帝都で騒ぎを起こすなよ」


門をくぐった可奈は、ダグノスの街の圧倒的な光景に目を奪われた。建物は、白と金で統一され、華麗な装飾が施されている。それは、富が凝縮された、まさに**『帝都』**の名に相応しい光景だった。


しかし、その華やかさの裏で、可奈は冷たい視線を感じた。


(この街……王国のどこよりも、監視の目が多いわ)


彼女の危機察知能力が、帝都の表の顔の裏に潜む、張り詰めた緊張感を警告していた。


シグリッドは、可奈の手を握り、人混みを避けながら、都市の西側にある貧民街へと向かった。


「我々の潜伏場所は、このアジトだ」


彼が案内したのは、建物の隙間に隠された、古びた地下室だった。内部は清潔に保たれており、寝台と、最低限の生活用品が用意されていた。


「私が不在の間、ここを離れるな。君は、この帝都ではあまりにも目立ちすぎる」


可奈は、地下室の簡素なベッドに座り込んだ。


「わかってます。で、これからどうするんですか? あなたの言う『本命』……内通者って、誰なんですか?」


シグリッドは、一呼吸置いた後、冷たい目で可奈に言った。


「それは、私がこの帝都で情報を集めた後でしか断定できない。だが、ターゲットは絞れている」


彼は腰をかがめ、可奈の目線に合わせて囁く。


「一つだけ、君に任せたいことがある。君の持つ**『賢者の遺産』**、決して手放すな。そして、その箱が誰に反応するか、常に注意を払え。それが、我々を勝利に導く、唯一の『鍵』だ」

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