15.予期せぬ味方
剣士が突き出した剣と、隊長の斧の軌道上に、一閃の銀色の光が走り抜けたのだ。その光は、騎士の剣を弾き、隊長の斧の魔力を打ち消し、そのまま岩棚のすぐ横の岩壁に深々と突き刺さった。
それは、巨大な鉄の槍だった。
二人の男は突然の事態に動きを止め、周囲を見渡した。可奈も、驚愕のあまり目を開けた。
「何者だ!」と隊長が叫ぶ。
岩棚の遥か上、闇色の山肌に立つ、一人の騎士の姿があった。夕闇の光を浴びた淡い金髪が、風にたなびいている。彼の身を包む甲冑は、光を吸い込むような深い闇色の黒。それは、王国の威圧感を象徴する、王国騎士団の甲冑の色そのものだった。そして、その手に握られたロングソードは、月明かりのように静かに輝いていた。
シグリッド・ロンバルノ・ブローマン。可奈を追い、そして真実を追う、王国騎士団の副騎士団長だった。
隊長格の男が、その黒い甲冑と、氷のように冷たい視線を見て、顔を引き攣らせた。
公爵家の精鋭にとって、「黒騎士」は騎士団員全員を指す言葉だが、その中でも一際異彩を放つ存在を知っていた。
「その甲冑の色……そして、その冷徹な風格! まさか、氷の黒騎士……!!」
シグリッドのクールな声が、山脈に響き渡る。
「ふむ。この場で、王国騎士団の管轄外の者に手を出すとは……。不届き千万だ。直ちに武器を捨て、投降しろ。私が相手になろう。言っておくが容赦はしないぞ」
隊長は一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直した。
「ちぃっ! 恐れるな! 奴は一人だ! やれっ!」
剣士が、低い体勢からシグリッド目掛けて一気に斬りかかった。隊長も魔力斧を構え、側面から挟み撃ちを仕掛ける。
だが、シグリッドの動きは、可奈が見てきたどんな格闘家、剣士よりも非現実的に速かった。
隊長と剣士の二人が、シグリッドに到達する、その直前。
シグリッドは右手のロングソードを、まるで水面に線を引くように、水平に一閃した。その動作は、躊躇いも迷いもなく、美しく、そして呆気ないほどだった。
剣士は、自らの剣を握ったまま、上半身と下半身がズレるようにして、その場に崩れ落ちた。即死だった。
隊長格の男は、シグリッドの信じられない剣速に、斧を振り下ろすことすらできなかった。彼はシグリッドに背を向けたまま、喉元から血を噴き出し、ガクリと膝をついた。魔力が消えた斧が、カラカラと岩場を転がった。
可奈は、ただ息を呑んでその光景を見ていた。彼女が命がけで一人ずつ倒していった精鋭部隊の二人を、シグリッドは一瞬で、まるで紙細工のように切り捨てたのだ。
シグリッドは、返り血一つ浴びることなく、冷たい目で可奈を見下ろした。
「これで、敵は全て排除した。君の追跡ごっこは、ここで終わりだ」
敵が去った後、可奈は激しい呼吸を繰り返しながら、ぐらつく足でよろめいた。全身の筋肉が痙攣し、限界を超えていた。
「うう……」
可奈は、自分の右足首が異様に腫れ上がっているのを見て、思わず顔を歪めた。戦闘中に踏み込んだ岩が滑り、捻挫していたのだ。立ち上がろうとした瞬間、激しい痛みが走り、彼女はその場に崩れ落ちる。
シグリッドは、無関心に倒れた敵の死体を見下ろした後、可奈の前に歩み寄った。可奈は、ここで捕まると覚悟し、睨みつける。
「何を、するつもり……」
シグリッドは、可奈の質問を無視し、冷たい視線で捻挫した足首を一瞥した。
「その足では、一歩たりとも進めまい」
彼の口調は、感情の欠片もなく、ただ事実を述べているだけだった。可奈は歯を食いしばる。彼に助けられるなど、屈辱でしかなかった。
「……放っておいて! 捕まえるなら、ここで……」
「馬鹿げたことを言うな」
シグリッドは吐き捨てるように言った。
「君をここで捕らえても、『本命』を取り逃がすだけだ。今は、君の身柄よりも、真実を追うことに価値がある」
彼はそう言い放つと、剣を鞘に収め、くるりと背を向けた。そして、一切の躊躇なく、可奈に背中を向ける。
「立て。私は君をリセフィア帝国へ連れて行く。それが、君が冤罪を晴らす唯一の道だ」
可奈は驚愕に目を見開いた。追跡者であったはずの男が、自分を「帝国へ連れて行く」と言っている。
「……何を、言っているの?」
シグリッドは、振り返りもせず答えた。
「聞こえなかったか。力を貸せ。君が持つ『賢者の遺産』と、君の**『無魔力体質』の特異性』**について話してもらおう。いいか、私と共に隣国のリセフィア帝国へ向かう。真の元凶がそこにいる」
可奈は、自分の状況を理解するのに数秒を要した。この男は、自分を捕らえるのではなく、共闘を求めているのだ。
「だが、その足では無理だ」
シグリッドは淡々と述べ、可奈の前にしゃがみ込む。
「背負う。ここで時間を食うのは無意味だ」
可奈は一瞬、拒否しようとしたが、山脈の夜の冷気と、足首の激しい痛み、そして何より、この男が彼女の冤罪を信じ、命懸けの道を選んだという事実に、彼女の抵抗心は削がれた。
可奈は、シグリッドの広くて硬い背中に身を預けた。黒い甲冑の冷たい感触が、彼女の熱を持った肌に伝わる。
「……わかったわ。協力する」
可奈は絞り出すような声で言った。「ただし、私は絶対にあなたの駒にはならない。あなたの目的を達成したら、私は私の道を行く」
シグリッドは、何も答えなかった。ただ、可奈をしっかりと背負い直し、再び**「闇の道」**の奥深くへと、静かに歩き始めた。彼の背中は、月明かりを浴びて、どこまでも孤高な影を落としていた。




