13.要塞都市ヴァルハイトと隠者ロザリンド
鉄の山脈を越える獣道を二日かけて踏破した可奈は、疲労困憊の末に、目的の要塞都市ヴァルハイトへとたどり着いた。
ヴァルハイトは、アルスタームのような華やかさとは無縁の、武骨で厳めしい街だった。リセフィア帝国との国境に位置するこの都市は、巨大な石壁と、常に警戒心をむき出しにした衛兵たちに守られている。
街全体がグレーの石造りで、建物は低く、窓は小さく作られており、まるで巨大な軍事基地のようだ。道行く人々も、商人よりも兵士や傭兵が多く、誰もが剣や斧といった武器を身につけている。空気は張り詰め、一触即発の緊張感が漂っていた。
(これが国境の街……ネリヴェルやアルスタームとは全然違うわね。こんなところで騒ぎを起こしたら、問答無用で捕まるに決まってる)
可奈は、道中で購入した茶色の帽子とストールで顔を隠し、背中に隠した小さな革製の箱をしっかりと抱え直した。彼女は目立つことを避け、壁に沿って静かに歩を進めた。
彼女の当面の目的はただ一つ、イアンから託された荷物を、「星見台」にいる隠者ロザリンドに届けることだ。
可奈は、近くで休憩していた傭兵らしき男に、声を潜めて尋ねてみた。
「あの、すみません。この街に、『星見台』ってありませんか?」
男は、可奈を一瞥し、鼻で笑った。
「星見台? お嬢ちゃん、ここは物見台と砲台しかない街だ。そんな優雅なもんがあると思うのか?」
「で、でも、街で一番高い場所にある、古びた建物だと聞いたんですが……」
「一番高い場所? ああ……それなら**『昔の天文台跡』**のことかもしれねぇな。もう何十年も使われていない、山脈に向かって突き出した塔だよ。兵舎の裏の、誰も行かない寂れた場所だ」
男は、面倒くさそうに方向を示した。可奈は、短く礼を言い、その寂れた方角へと急いだ。
言われた通り、兵舎の裏を抜けると、道は急速に荒れ、石畳は土砂に埋もれかけていた。そして、開けた山肌の先に、古びた円形の石造りの塔が立っているのが見えた。それが、間違いなく星見台だった。
塔は半分崩壊しており、苔むして蔦が絡みつき、もはや廃墟にしか見えない。誰かがいる気配は全くない。
(隠者って言うくらいだもの、こんな場所よね。でも、本当に人がいるのかしら?)
可奈は、革製の箱を胸に抱き、警戒しながら塔の入り口を探した。入り口は、倒れた石材に隠れて見えなかったが、可奈がその石材を組み合わせてできた隙間から中を覗き込むと、奥から微かに香炉の匂いと、水の流れる音が聞こえた。
可奈は、意を決して狭い隙間から塔の内部へと滑り込んだ。
内部は、外見からは想像できないほど整理されていた。崩れた天井から差し込む光が、中央に置かれた小さな祭壇のようなテーブルを照らしている。テーブルの上には、複数の水晶や、羊皮紙が広げられていた。
そして、その祭壇の前に、一人の女性が立っていた。
彼女こそが、隠者ロザリンドだった。年齢は可奈とシグリッドの中間くらいに見えるが、正確にはわからない。深い紺色のローブに身を包み、そのローブのフードで顔の半分を隠している。しかし、そのフードの奥から覗く瞳は、まるで夜空の星を映したように深く澄み切っていた。彼女の肌は青白く、まるで光を浴びたことのない者のようだった。
ロザリンドは、可奈が入ってきたことに微動だにせず、静かに言った。
「ようこそ、運命に導かれし者。やはり、あなたが来るのを待っていましたよ。賢者の遺産を持った旅人さん」
可奈は、その言葉を聞き、身が竦むのを感じた。
「あ、あなたが……ロザリンドさん? 私、アルスタームのイアンさんに頼まれて、これを……」
可奈は、革製の小さな箱を差し出した。
ロザリンドは、その箱を一瞥したが、すぐに可奈の顔に戻した。
「ああ、その箱は、私のところに来るべきもの。ですが、すぐに渡す必要はありませんよ。その箱は、今、あなたという存在が持つべき、唯一の鍵ですから」
「鍵……?」
「その箱は、リセフィアと騎士団が欲しがるほどの**『力』を秘めていますが、同時に、あなた自身が持つ『異世界の力』**と深く共鳴している。そうでなければ、あなた以外の誰も、この箱を爆発させずに持ち運ぶことなどできはしない」
ロザリンドの言葉は、可奈がレンタル装備を拒絶された現象と繋がった。
「ということは……私が武具を装備できなかったのも、この箱と関係があるってこと?」
「おそらくは。あなたは、この世界とは異なる**『法則』に縛られている。そして、この箱もまた、この世界の法則を逸脱した存在。同質の存在だからこそ、あなたは箱を運べるのです。そして、この箱はあなたにとって『真犯人を追い詰めるための、最高の餌』**となる」
ロザリンドはそう言うと、祭壇の横にある小さな袋を手に取り、可奈に差し出した。
「報酬です。金貨二十枚。これだけあれば、しばらくは食料と宿に困ることはないでしょう」
可奈は、そのずっしりとした重みに驚き、初めてまともな金銭を手にしたことに安堵した。
「ありがとうございます。イアンさんは、あなたに箱を渡せば報酬が手に入ると……」
「私は、あなたに次の道を示すためにここにいる。真犯人の手がかりは、このヴァルハイト周辺にあります。そして、それを追うあなたは、間違いなくこの国、そして大陸の運命を左右することになる」
ロザリンドは、再び可奈の瞳の奥を見つめた。
「ですが、覚えておきなさい。あなたを追う騎士、シグリッド・ロンバルノ・ブローマンは、あなたにとって**『運命の対』となるでしょう。追う者と追われる者、騎士と逃亡者。その関係は、すぐに変わる。彼は、あなたの行動を止めたいのではなく、『真実』**をあなたから見つけたいだけなのです」
可奈は、ロザリンドの言葉に、シグリッドとの激しい戦闘と、その後の彼の疑惑に満ちた瞳を思い出した。
「運命の対……」
「さあ、急ぎなさい。あなたの持つ箱が、すでにこの街の**『ある人物』**を引き寄せています。彼らは、リセフィア公爵家の追っ手。真犯人の手がかりを追う前に、あなた自身の身が危ない」
ロザリンドの警告を受け、可奈は一瞬にして緊張を取り戻した。
「わかりました。こうなったらやるしかないわ! 真犯人の手がかりを探して、身の潔白を証明する!」
可奈は、金貨と、そしてまだ手放すことのできない「賢者の遺産」の箱を抱え、急いで星見台を後にした。要塞都市ヴァルハイトでの追跡行が、今、幕を開けた。




