17,気持ち
劇場では既に1曲目のワルツが終わりに近付いていた。あともう1曲あるのでその間に控え室でイトに身なりを整えてもらう。
淡いレモンイエローのワンピースに、緑色の髪飾り。主張を激しくし過ぎない方が良い。好みの問題、というのと貴族パーティーのドレスくらい豪華だと下品な印象を受けるということがあるので前世でも装飾は最小限にしている人が多かった。
そしてオーケストラの演奏が終了した。この後幕が一時的に降りて、その間に舞台入れ替えをする。下位貴族の中では未だに悪評塗れの私でも、オーケストラを組んでいる高位貴族の令嬢とはそれなりに良い関係を築いている。主に私の友人のお陰で。
「頑張ってください」との応援を受けて一台のグランドピアノに向かう。少し鍵盤をなぞって重さを確認。私がピアノ椅子に腰掛けるとブザーが鳴って幕が上がる。
1曲目は月光の第一楽章。右手はギスの音から。決して早いテンポではないので落ち着いて。
この曲は伯爵令嬢ジュリエッタに宛てた情熱的な恋の曲とも言われているが、正直言って全くわからない。のでその名前の通り、夜の湖に反射する幻想的な月の光というものをイメージした。
この世界にあった曲でもないので自分が作ったことにしなければならない。
作者のベートーヴェンは最終的に失恋しているわけだから曲の経緯をそのまま使うのはやめた方が絶対良い。
幻想的な月をイメージしていると、ある場所を思い出す。
王家所有の別荘。
あそこには大きめの池があり、夜になると月や星の光を反射して水面がキラキラ輝いているように見える。
池の中心にあるガゼボ、オールが起こす小さな波の音。途中で船が逆さになって2人で池に落ちたこともあった。その時も夏で良かったと皆で笑い合った。
楽しい思い出がたくさんある。暗い曲調ではあるし、苦しいを表現してくれるような曲でもある。実際私も練習中もそう思っていた。
でも、今日、控え室で考えてみたらあの日のことも、その前のことも、これから起こることも私にとって全部大事な思い出だって気付いた。表現とか全部決めて練習していたけれどアドリブで攻めようって今までのことは忘れることにした。
自然と口角が上がり、指が勝手にメロディを奏でる。
目を閉じると瞼の奥には当時の私達が映っていた。学園に入る前の私達が。
観客がいることも忘れて夢中で弾いた。最後の一音を引き終わると一瞬の沈黙ののちに割れんばかりの拍手が響いた。劇場全体が揺れているような感覚がする。
でもまだ終わってはいない。
同じく作曲者はベートーヴェン。歓喜の歌だ。この曲はドイツの詩人、シラーの「歓喜に寄せて」という詩をもとにベートーヴェンが書き加えたことで完成した曲。
この曲でベートーヴェンは友人や愛する人がいるのがどれだけ素晴らしいことかというのを伝えたかったのではないかと言われている。
現在は自由や平和といった意味合いで演奏されることが多いらしい。あっちの世界では。
暗い曲調に自分の明るい思い出を乗せた月光。そして大切な人がいる喜びの想いを乗せる歓喜の歌。何となくでこの曲順にしたが逆にしなくて良かった。
この曲は音の大小が激しく3音以上の和音で動くことが多い。粒の大きさが揃うように意識しないとメロディラインが崩壊する。
弾いている間、生まれてから今までのことがまるで1冊のアルバム写真のように流れ込んでいた。
熱中症であっさり死んで、こっちの世界に来た。エルシーを治して、友人もできて、自分を慕ってくれる精霊もいる。争いごとにも巻き込まれたがエイ兄さまや頼もしい友人のお陰で解決できた。
呪いがどうとかそんなものもあるけれど何か、わからないけど近いうちに解決できる気がする。全く根拠などはないが、何故かそんな気がする。
回想をしていると、いつの間にかラストのフレーズに入っていた。個人的に一番盛り上がるし一番好き。月光同様、同じようなフレーズが複数回ある中で、ラストのこの部分がメインと言っても過言ではない。
ピアノの前で猛練習した完璧な礼をすると、今度こそ会場が揺れた。
晩年、耳が聞こえなくなったベートーヴェンが感じられた賞賛の揺れと思うと何だか感慨深い。ゆっくりと降りていく幕の中、満面の笑みで拍手をしてくれているエイ兄さまや王子組が見えた。
あれだけあの手紙で不安がっていたにも関わらず、ここまで演奏に影響が出なかったのは驚きだ。今までで一番の演奏だったと自負できる。
シルス様の結婚式ではもっと完成度を上げて、これ以上の演奏をしたい。
私は拍手が鳴り止むまで舞台に立っていた。
今回の登場人物
・エリーゼ・ガーナメント(12歳)




