言葉の波
女の幸せは、どういう男と結婚するかで大きく左右される。
それは亡くなった祖母の言葉だった。
おばあちゃん、もうそういう時代じゃないのよ。と彼女は心の中で思うのだが、完全否定も出来ない自分がいた。
落葉樹の葉が落ち、裸になった木々が並んでいても寂しい気分にならないほど、お洒落なお店があちらこちらにある通りを歩き、彼女は待ち合わせのカフェに着いた。
そのカフェの外観は蔦で覆われており、この近辺では人気の有名店で、外からでも人の声が聞こえてくるぐらい、広い店内は人で賑わっていた。
早めに着いたと連絡があった通り、友人のあきなは先に来ていて、このお店自慢のカフェラテを飲んでいた。
お互いに顔を合わせると笑顔になり、久しぶり、と軽く挨拶を交わした。
それを合図にそこからはもう止まらず、マシンガントークだった。
この前に行ったネイルサロンの話、
会社で起こった不思議な怪談話、
中学時代の先生の癖の話などと多岐にわたり、
2人はよく笑いながら喋った。
頭の中の言葉をポイポイと出し、話があっちこっちへと飛んでも、1ヶ月前と同じ話題を話しても気にしなかった。
注文したランチプレートを綺麗に食べながら喋るのは、なんか曲芸みたいだった。
そして、あっという間に1時間が経った頃だった。
特に前触れもなく、紹介したい男の話になった。
「そうそうそう、紹介したい人の写真、今探すね。」と言い、スマホを下までスクロールをして、
「あれっ?あっ、違っ、はい!この人!」と友人はスマホを見せてきた。
その姿が水戸黄門が慌てて、紋所を出すように見え、彼女は心の中でクスッと笑った。
彼女はスマホを受け取り、男の全身が写った写真を見た。
第一印象として、彼女の好きなタイプの感じではなかったが、悪い感じもしなかった。女子受けがよく、モテそうな雰囲気が漂っていた。
そして、友人のどう?という質問に、彼女はいいんじゃない?と上から目線で言った。
写真1枚で判断どうこうではないのだ。もし好みだったとしても、実際、会ってみないと何も分からない。
そして、友人は男についての軽い情報を話した。
男は29歳で、1個上だった。仕事はITエンジニアで、カメラが趣味らしいと。
友人は彼女の写真を先に男に見せていた。
勿論、彼女の了解は取っていた。
そしたら、男の方から是非会いたいという話があった事を友人は彼女に伝えた。
彼女はその言葉を聞き慣れていた。
じゃあ、彼の連絡先ねと、彼女は友人に教えてもらった。そして、彼にも教えておくねと。
彼はいい人だから、いい人だからと友人は会話中、何度も言ったが、具体的ないい人エピソードは何一つも出てこなかった。
結局、紹介された男の内情の多くは、謎が多く残ったままだった。
その後、2人は追加注文をし、またあれこれと話をした。
婚約中のあきなの旦那となる彼氏の話やハネムーンの予定も聞いた。結婚の予定を控えた友人は終始、幸せそうだった。
そんな自慢話ととれる話を聞いて、嫌な気分になる人もいると思うが、彼女は古くからの友人の幸せを願い、幸せを貰った気分だった。
そして、終始笑い話をして、またすぐ会おうと約束をし、2人は別れた。楽しく、有意義な時間だったと彼女は思った。
その後、彼女は1人になるとカフェから近くの大きな本屋に行き、まずトイレに入って、誰にも見られないように素早く歯磨きをした。
それから、小説のコーナーに行き、今月発売したお気に入りの作家の本を購入し、あと適当に短編集も1冊買ってみた。
本を読む時間はめっきり減った。他に手軽な娯楽が沢山増え、本を読む時間を他に使うようになってからは短編ぐらいが丁度良かった。
短編集のタイトルは「産声」だった。
彼女は友人たちに何らかの影響を受けて、その本を手に取ったのではないかと心理的な面で思ってしまった。
後日、その短編を全部読んだが、思っていたものとは違い、あまり好みではなかった。
彼女は本屋を出た。そして、スマホを見ると、先程、あきなから紹介してもらった男からもう連絡が来ていた。
彼女は軽く文面を見てから、返事をせず、スマホをコートのポケットに仕舞った。
彼女は考えていた。私と相性がいい人なんて、そう簡単に見つかる訳はないと。
だから、結婚相手はしっかり探した方がいい。
だから、出来るだけチャンスは掴んだ方がいい。
だけど、そうしているうちに、時間が過ぎ、段々とハードルが高くなっていく。ある程度の妥協も必要な事は分かっているのだ。
彼女は夕方に予約していた歯医者に行った。数ヶ月に一回、歯のクリーニングをしていた。
待合室は混んでおり、そこでさっき買った本をパラパラと読んで時間を潰した。
しばらくすると、診察室から子供の泣き声が聞こえてきて、彼女は本を閉じ、スマホを手にとった。
ここで男に返信をしようかと思ったが、まだ乗り気になれず、夜でいいやと思った。
クリーニングが終わり、彼女は歯医者を出た。
そして、スーパーに寄って帰ろうと思い、歩き出した時に、後ろから男に声を掛けられた。
いきなりの声掛けに彼女は驚き、ビクッと肩を上に上げ、素早く振り向いた。
声を掛けてきたのは、70代ぐらいに見えるおじいさんだった。
立派な白髭を蓄えていたが、身なりはちゃんとしていた。
黒のハットを被り、黒のツイードジャケットの下に、柄物のオレンジ色のシャツを着ていた。
彼女はその服装を見た瞬間、普通の人ではないなと思い、体が固まり、恐怖を感じた。
「あぁ、いきなり声をかけてすみませんね。」とおじいさんは優しく野太い声で言った。
彼女は何も言わず、軽く頷いた。
「あの、これ落としましたよ?」とおじいさんは言った。おじいさんの手には、ハンカチがあった。
彼女はそれを受け取ろうとし、手を伸ばしたが、
「あっ、これはわたしのじゃないです。」と言った。
「あぁ、そうですか、てっきり、、失礼しました。」とおじいさんは笑いながら言った。
確かに、深い紺色であるという点では、今彼女の持っているハンカチと同じだった。だが、そのハンカチにはいくつものカボチャらしき絵が薄く描かれているのが目にとれた。歯医者に来た誰かが落としたのかもしれないと彼女は思った。
2人の間に微妙な空気が流れた後、彼女は軽い会釈をし、足早にその場を去った。
彼女は部屋に戻った。
部屋の明かりをつけ、カーテンを閉め、着ていたものを脱ぎ、テキパキと家事をこなした。帰宅してすぐ、ゴロゴロするが苦手だった。
ささっとご飯を作り、食べて、お風呂に入った。
お風呂から上がると、またテキパキと日課をこなした。
とりあえず、やる事を済ますと、彼女はスマホを手に取り、今一度、友人に今日のお礼の返事を送った。そして、紹介された男にも、勢い任せで簡単な返事をした。
すると、男からは数分足らずですぐ返信が来た。
すぐ返信が来ると、その後無視する訳にもいかないと思い、また返信をした。
それが何度か続くと、そのキャッチボールを彼女は面倒に思った。
速く届くボールを受け取り、時間を置いて、放物線を描くように投げ返した。
恋の駆け引きは苦手なのよ、なんて歌詞の曲があったよなと思い出した。
そして、男の返信の早さに、彼女は会う前から、ちょっと違うなと思ってしまっていた。
ある所で区切りが付くと、もう寝るね。と連絡をし、パソコンで配信動画を見てから、ベッドに入った。
今よりもっと若い頃は異性との連絡の取り合いも、もっとワクワクしていた記憶を思い出した。
今はテンプレのような内容のやり取りで、新鮮味もなく、心の揺れ動きもなかった。
そう考えると、どこか虚しく思え、考えるのをやめてしまった。
もう何も考えたくない、彼女は目を閉じ、静かに眠りについた。
彼女は夢を見ていた。
ここは何処だ?
辺りは真っ暗で何も見えない。
彼女は姿勢を低くし、足で何かを探るようにして、ゆっくりと慎重に前へと進んだ。
だが、どこまで進んでも真っ暗だった。
本当に前に進めているのかもわからなかった。
そう思うと、次第に気持ちが焦り、怖くなってきた。
えっ、なんで?
ここどこ? ここどこ?と心の声で言った。
彼女はとにかく光を探し求めた。
さらに怖くなって来ると、
これは夢だと夢の中で気づいた。
そう理解できた途端、
早く目を覚ましたいという思いが溢れた。
夢だ!夢だ!目を覚ませ!目を覚ませ!と心の中で願った。
だが、その闇は彼女の両足をしっかり掴んで離さなかった。
すると、彼女はもっと怖くなり、
何かを叫ぼうと口を開いた。
そしたら、口から気泡がボワっと出てきた。
そして、ここは水の中だと思い、慌てて息を止めた。
息を止めると呼吸ができず、苦しかった。
彼女はそのままパニックに陥り、もがいた。
しばらくもがき続け、
息止めの限界に達したと思った時、
何故か、普通に鼻呼吸ができている事に気がついた。
その事に気がつくと、一安心と同時に自分が愚かに思えた。
そして、激しく脈を打っていた鼓動が落ち着いた所で、今度は口を小さく開けた。
そしたら、口からポコポコと気泡が出た。
その気泡は上へ上へと上がっていった。
その姿は暗闇の中なのだが、なぜかはっきりと見えた。
気泡の後を追うように見ていたら、その先にキラキラと光る水面が見えた。
ここは深い海の底だと彼女は思った。
そう思ったら、身体が一瞬、硬直した。
目線の先にあった気泡は速いスピードで彼女からどんどん離れていった。
またすぐに身体の自由が戻り、上を見上げたまま1歩後退りすると、今度は何かにつまずいて、膝を崩し、尻餅をついた。
そして、また口から気泡がゴボゴボと出た。
彼女は腰を押さえながら、つまずいた場所、つまずいた原因の方を見てみた。
その姿も何故かちゃんと見えた。
それは、とても大きく、真っ二つに割れたカボチャだった。
深い緑の皮があり、中は鮮やかなオレンジ色だった。
彼女はしばらくカボチャを眺めた。
カボチャの種は巨大だった。
そんな訳ないと思い、本当にカボチャなのかと凝視した。
姿、形はカボチャなのだが、深海生物にも見えない事はなかった。
なんなの!この夢!と、この状況に嫌気が差し、彼女は立ち上がろうとした時に、ジャラジャラと足元から音が聞こえた。
彼女は自分の両足を見てみると、右足首にさっきまで付いていなかったはずの、足枷が付いている事に気がついた。
はっと思い、その鎖に触れ、鎖を手繰り寄せると、
その足枷の先はカボチャに刺さり、繋がっていた。
それを見て、何故か彼女は笑ってしまった。
なんで?……と。
そして、目を覚ました。
彼女は汗だくだった。
スマートフォンで時刻を確認してから、ベッドから起き上がり、カーテンを開け、街の様子を眺めた。
彼女はちゃんとした光が見たかったのだ。
太陽は少し顔を出しており、静寂に包まれ、冷えた街を起こしている様子だった。
それをしばらく見て満足すると、彼女はベッドに戻り、腰を下ろした。
汗で冷えた体が寒かった。
彼女は目を閉じ、夢の細部を思い出そうとした。
深海にいた前に何処かにいて、何かを見ていたのだが、既にもうその記憶は消えてしまっていた。
思い出せるのは、深い海の底にあるカボチャぐらいだった。
そのシュールな姿が再び頭を過ぎると、彼女は笑みを浮かべた。
彼女は立ち上がり、インナーを着替え、二度寝する事なく、少し早いが朝の支度をし、毎日の日課としての顔の点検もした。そして、会社にいく準備をし、家を出た。
それから数日、彼女は平穏な日々を過ごした。
同じ時間に起き、同じ仕事をし、同じ時間に寝た。
食べた物だって、そう代わり映えはしなかった。
連絡先を交換した男とは明日、会う約束をしていた。
人は早いと思うかもしれないのだが、彼女は早くはないと思っていた。
実際に会って、どういう人なのかをいち早く確認した方が、時間の無駄にはならないと思っていたからだ。
そんな中、平穏な日々を遮る電話がかかって来たのは、久しぶりに仕事が遅くに終わり、クタクタになった状態で玄関のドアを開け、部屋に入った時だった。
着信音が鳴り、スマホをカバンから取り出し、画面を見ると、着信は友人のあきなで、彼女は不吉な予感を感じとった。
こんな時間帯に電話が来るなんて、随分久しぶりだったからだ。
そして、電話に出た。
「さやか、遅くにごめん、、、。」と友人は開口一番、泣き声でそう言った。
どうしたの?と彼女は反射的に聞いた。
「彼と別れたの。」と友人は鼻をすすりながら言った。そして、電話の向こうで声を押し殺して泣いているのが分かった。
彼女は突然の報告に対して、言葉が出てこなかった。
あきなとあのカフェで会ってから、まだ1週間も経っていなかった。
そして、あの時のあきなは終始笑顔であり、幸せの最中にいたはずだった。
それを思い出すと、頭の中で整理が上手く出来なかった。
10秒ぐらいの無言が続いた。
電話越しで友人はずっと泣いていた。
よく状況が掴めないまま、
今から会いにいっていい?と彼女は聞いた。
「ごめん、来なくていいよ、大丈夫だから、、本当に大丈夫だから、、。だから、結婚式はないの、、ごめんね、またね、じゃあね。」と言われ、そのまま一方的に電話を切られた。
彼女は会いに行こうかと迷い、しばらく玄関で立ち尽くした。
彼女は疲れた頭を必死で回転させた。
彼氏の方がマリッジブルーになり、ただ大喧嘩しただけではないのか? 単純にそう考えた。だが勿論、真相はわからない。
どうすればいいのだろう?と考え、とりあえず、簡単なメッセージを送ってから、靴を脱いだ。
彼女はリビングに入っても、しばらく立っていた。
あきなの泣き声を聞いたのは10代の時以来だった。
あきなの泣いてる姿を思い出そうとしても、この前、会った時の笑顔が頭の中で思い浮かぶだけだった。
彼女はあきなに今すぐ会いにいき、優しく抱きしめるべきなのだろうか?と思ったが、考えれば、考えるほど、よくわからなくなっていた。
そしたら、あきなからメッセージが届き、
「またちゃんと話すね。いきなりごめんね。」とあった。
彼女は今度は文面で「今から会いにいってもいい?」と書いて送ったが、返信は早く、丁寧に断られた。
彼女はその夜、すぐには寝付けなかった。
穏やかな海は前触れもなく、いきなり荒れはじめた。
そして、彼女はその様子をどこから見ているのだろうか?と思ったのだった。
その次の朝、彼女はあきなに今晩会えるかどうか?と
連絡した。
あきなは、「昨日はごめんね。今日、会う約束の日でしょ?前日にあんな電話してごめんね。気が合うといいね。」と早朝にも関わらず、すぐ返信をして来た。
彼女は事前に、今日男と会う事を連絡していたのだ。
そして、友人はそんな日の前日に電話してごめんね。と何度も謝ってきた。
彼女は、まぁパスでいいかな。と返信したら、
あきなは「会ってきて!2人に悪いから!」と笑顔の絵文字をつけて、また返信してきた。
それで予定はそのまま、仕事終わりに男と会う事にした。
彼女はスマホをカバンにしまい、気持ちを切り替えようと、朝の支度を急いではじめた。
だが、その間ずっと、
女の幸せは、どういう男と結婚するかで大きく左右される。
祖母のその言葉がまた彼女の心の中で、
波のように寄せては返すのだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
第二話は一話より文字数が多くなってしまいました。いい区切りが見つからなかったもので……。すみません。
感想、評価を頂けると、嬉しいです。
ありがとうございました。




