Chapter2.0.5 視線が2つ
「…っつ〜〜」
何が起こったのかを即座に理解できるほど、暁ナユタは成熟していない。強打した背中をさすり、痛みに悶えながらも立ち上がる。
周囲を見回してもここは奈落の底と言うわけではない。
人の生活の跡が極小ながらも見受けられる。久しぶりに見た電灯が今彼のいるその場所を天井から照らしていた。
自分が本当にそこから落ちて来たのかも分からないほどそんな痕跡は見当たらない。
「ここは…」
ようやくと落ち着いて来た頭に思考を巡らせる。
あの灰色の立方体についての調査途上であったはずだ。エレナを追いかけて足を踏み入れ、もたついているクオンとフーリに振り返ったときに地面が割れた。
「廊下?」
何はどうであれ内部への侵入には成功したと言える。潜入に成功したのか罠に誘い込まれたのかは定かではない。
おそらく罠である。バレた可能性が高い。よって潜入ではなく侵入。しかし、そうであるならばびくついて行動する必要もなくなるため、ナユタにとっては気が楽であった。
「…あいつらは?」
記憶を探ればおそらくクオンとフーリは無事だろう。もはや建物であることの分かった立方体であるがその中に彼女らは入っていない。フーリの大声とクオンの呼び声が耳にへばりついている。
そうすると後はエレナである。もしも一緒に落ちたのならば近くにいるはずだ。探して合流することが先決だろう。
「いったいどこに…」
そうエレナと離れた位置にいたわけではない。一緒に落ちたのであればすぐに見つかるはずだ。
歩き回れば調査と並行できるので一石二鳥。どこまでも前向きに捉えることにしよう。
「…そうだ、通信は…」
繋がらない。そういえば外でもクオンが本部と繋ごうと試みたが全くもって繋がらなかったはずだ。それは内部でも違わなかった。
(とりあえず合流と脱出だな)
幾重にも直角に交差する廊下を慎重に選びながらエレナとの合流を急ぐ。連絡が取れない以上自分の足で捜索せねばならないし、ここから脱出路も確保しなければならない。
進んでは戻り、違う廊下を選び、また進んでは戻る。しかし、いつまで経ってもエレナは見つからなかった。行き止まる、行き詰まる、引き返す。もはやただ廊下を散策するだけでは合流も脱出も不可能だと悟った。
そもそもあのお嬢様がおとなしく廊下で1人待っていられるとも思えない。
以上のことからこの場所に住まう何かに見つかる可能性、出くわす可能性が上がってしまうことは否めないものの、時折姿を見せる扉からその内側へと足を踏み入れていかなければならない。
鬼が出るか蛇が出るか、鬼が出るか仏が出るか、意を決する。幸いなことに風利フーリのせいで準備運動は万端だ。
されど慎重に、決しておごらず、いつでも静かに物音を立てないように、まず最初に見当たった扉に手をかける。
そっと耳を当ててみたところで何の音も聞こえない。常人並の聴力など防音性の高い壁の前では何の役にも立たないが、一つ気持ちを落ち着けるためにその動きをとった。
(……よし!)
意を決して扉を開け放った。
「何だ…これは…」
そこには誰かがいたわけではない。
見たことのない筒状の物に見たことのない液体が充満している。見たことのない機械仕掛けの何かが聞いたことのない音を立てて確かに動いている。
北部出身の彼は機械に疎い。
中央では山小屋のような場所での隔離とマンツーマン指導。朝からしごかれ、夜には眠る。
西部では辺境が主な活動領域であったためになお縁遠い。
「さっぱり分からん」
つまり彼にはこの機械群がなぜ、何を、どういった手段で行なっているのかの全てがわからなかった。出てくる感想などこの程度のことだ。
見渡すと筒状の物は何本も等間隔に羅列され、その全てがもれなく中の液体が泡立つボコボコとした音を奏でている。床一面にはそこから伸びたコードのようなものが足の踏み場もないほどにびっしりと張り巡らされていた。
「……気味が悪いな、ここは」
しかし、探索と捜索と脱出を兼ねている以上はそう文句ばかりも言っていられない。踏み入れてから全く動いていなかった足を動かす。脱出路、この場所、エレナ、どれでもいいからそのどれかについての手がかりが必要だ。
「これは安易に触らない方がいいか」
彼はめっぽう慎重だった。慎重に足を運び、丁寧にコードを避けながら、機械に関する好奇心と猜疑心を丁重に振り解いていた。
どれだけ周囲を警戒しても誰の存在も確認できない。気配も感じない。ここまで慎重に行動し、そしてそれは正しい判断だった。
しかし次の一歩が命取りだった。どれだけ彼が注意を走らせても不可避の網が張り巡らされていた。
ーーー侵入者発見、応援要請ーーー
警報が鳴り響いた。ひどく無機質な壁は固く正確に音を反射する。周囲を照らしていた明かりが緊急を示すかのように赤く点滅する。
(バレた!?)
侵入者というのは果たして自分を指しているのか。
ここで自分では無いと考えるのはさすがに虫が良すぎるように思う。
しかしそう考えてしまうほどナユタに心当たりのカケラもなかったのだ。
ーーー侵入者発見、侵入者発見、侵入者発見ーーー
繰り返される警報が彼を焦燥の中へと叩き落とす。一刻も早くこの場から立ち去らねばならない。
扉へ向けて駆け出そうとしたとき、異変に気付いた。あたりに林立していた筒状のものが急に音を荒立てる。
「今度はなんだ!?」
いよいよ言葉として口から溢れる。
何かしくじったかと、誤ったのかと思考を巡らせようが何にも至らない。自分で言うのも何だが割と完璧に行動していたはずだ。
ーーー侵入者発見、充填完了、防衛機構起動ーーー
もう手を伸ばせば扉まで、すんでのところでその警報が響く。
勢いよく天井から降ってきたガードに完全に扉を塞がれてしまった。それも2、3あった全ての扉がだ。
つまるところ彼はこのだだっ広いぶち抜かれた部屋に閉じ込められてしまったのだ。
(ぶち破るか?…ダメだ、この材質は壁と一緒)
ここまで来ればもう手段は選んでいられない。どう暴れようがバレているのはバレているし、おそらく行動も捕捉されている。
いっそ開き直ろうとも思ったが、どこにも出口はない、そして彼の力ではびくともしない壁が立ち塞ぐ。
ーーーガガガガガガ
誰かに何かを知らせるような警報ではない。何かが動き出すような音が室内から響く。
しかし、その発信源はひとつではない。どこかからもまた同じような音が、それも気づけばそこら中から奇妙な音が輪唱を始めた。
「……何が起こってる」
冷静になる。顔を上げる。ただそれだけで今何が起こっているのかは分かった。
閉じられていた筒状のものが開いていく。それも大量に林立していたその全てが。
ーーー侵入者ヲ確認、侵入者ヲ確認ーーー
煙と共に中から出てきた奇怪な何かはそう告げた。
筒状の何かから出てきたそれは人間のようにも、そうでないようにも見える。四肢が存在し、二足歩行で歩き、目のようなものが確かにナユタを見つめている。
ただし、その質感は決して人間のそれではなく、照り映える銀色に覆われ、目のようなものは明らかに光を帯びていた。
ーーー迎撃開始、迎撃開始ーーー
「!?」
何十体といたその機械仕掛けの何かが一斉にナユタへと焦点を向ける。
当たり前のように腕を振り、足を振り、走り出す。
予想はしていたナユタは真っ先に向かってきたそれに向かって拳を放った。
「硬っ…!?」
拳は弾かれた。崩れた態勢に相手の腕部が迫る。
「ぐっ……ぇ…」
対照的にそれが振るった腕は、拳はナユタの腹を直撃し、彼を彼方後方へ吹き飛ばした。
「げほっ…ごほっ……」
再び強打した背中を気にしながらも咳き込んで立ち上がる。
なんだかんだで腹に一発拳をもらったのは久しぶりだった。血反吐は吐き捨てて依然として迫り来る脅威に冷や汗をかいた。
(普通に殴るだけじゃ硬すぎる)
一応普通の人間よりは頑強な肉体を持ってはいる彼ですら、その機械仕掛けの何かには、ただ殴るだけでは傷一つつけることができなかった。
(言ってもこの硬さって…)
例えるならその硬さはいつも相手にしている神獣の外皮のそれに近い、というかほとんど同じだ。
「温存なんてしてらんないか…」
いつまで続くか分からないこの状況に、あまり気は進まないがギアを上げることにする。叩いてダメなら別の方法を試す以外にない。
「【燃えろ…ベリアル】」
静かに告げる。またやってしまった。外し忘れた手袋が灰になる。
体温がみるみる上がるようで、それでも身体の熱はどんどんなくなっていくようで。
桃色に揺れる瞳は真っ直ぐに迫る群体を見つめている。
ーーー異常熱源検知、異常熱源検知ーーー
室内にこだまする警報などもはや彼にとって、気にかけるものではない。ただ目の前の敵にのみ神経を注ぐ。
燃える拳を握りしめ、まずは一体。軽く小突く。
相変わらず硬いが感触はさっきよりは悪くない。しかし、止めるにはいささか火力不足。
「この辺か…」
火力を上げる。掌からたつ炎がやや大きく。
ーーー熱源脅威上昇、熱源脅威上昇ーーー
もう遅い。再び振われた機械仕掛けの腕部。そう同じ手を易々とは食らわない。
右にひらりと躱すと伸びきった腕部を掴んでやる。
ガシャンと金属が落下した音が響いた。
彼が手を触れた場所から先が、本体と離れて落下した。落ちて砕けたガラクタと未だ存命の機械仕掛けを繋いでいたものは彼の掌の中で真っ赤に光るとすぐに消えて無くなった。
個体は溶けて液体に、液体は蒸発して気体に。
そんな概念を超越する熱がもしもこの世界にあったなら、それだけで世界のあり方は全く変わってしまうだろう。彼が今しがた行ったのはそういうことだ。
「ちょっと強すぎたか…うん、でも今日は調子がいい」
燃え盛る手をグーパーと握っては開き、再び握りしめる。
思いっきり拳を振りかぶると片腕を失い、狼狽している機械仕掛けに叩き込んだ。
ーーー警告、破損箇所、甚大、被害……ーーー
拳を受けた機械仕掛けは燃える。真紅の炎が燃え上がると、それは真っ黒な残骸と灰になって崩れた。
ーーー脅威極大、全機体迎撃開始ーーー
どこからともなく、近いような遠いような、部屋全体のような一部であるような、そんな音声が響く。
ナユタの周囲を取り囲んでいた無数の機械仕掛けたちが一斉に照準を彼に定めた。
ーーー迎撃開始、迎撃開始、迎撃開始ーーー
暁ナユタは本日絶好調。
神獣よりも戦いやすい敵なんてものはどれだけ数がいようとも、躱して、殴って、燃やして、吹き飛ばして。
気がつけば真っ黒になったガラクタの山の上に1人で立っていた。未だ炎は灯り続けている。
□■□■□■□■□■□■□■□■
「うひひひひひひひひ」
どこかの建物のどこかのある一室からそんな気色の悪い笑いが起こる。その笑いの主の眼前には無数のモニターが並んでおり、そこには違う部屋の惨状が映し出されていた。
「うひひひひ…何ー、これー?」
笑いながらその女性は訳の分からない機械を操作する。拡大されたモニターには何某かの値のグラフと、真っ黒なガラクタの上で休憩している暁ナユタが映っていた。
「オレのおもちゃが全部ボロボロ。何しても動かないし。それに、それにそれにそれに、そんなことよりー、うひひひひひひひ…」
恍惚というのが正しいのか、堪えきれなくなったように再び彼女は笑い始めた。
「うひひ、あー、これが人でなしってやつかー…人でなし、人でなし、人でなし。うひひひ」
ぶつぶつ呟きながら、しばし目を閉じて頭をぐりぐりとした彼女は笑って目を開ける。
「うひひ、もったいないなー、こんなところでいるくらいならなー……欲しいなー、欲しいな、欲しいな、欲しいなー」
「もう情報はもらっているのだ。えーっと、暁ナユタ、暁ナユタ、暁ナユタ……うひひひ」
いても立ってもいられなくなった彼女は彼に会うために部屋を飛び出す。
一刻でも早く。彼女の好奇心と探究心、興奮が身体を突き動かす。
「あれ、どこいくの、アルクお姉ちゃん?」
彼女の身体がピタリと止まった。恍惚とした表情が嘘のように顔から抜け落ち、無へと帰る。
彼女が飛び出した先には女が1人立っていた。自分と同じブロンドの髪。傷んで後ろで雑破に一括りにした自分と違い、艶のあるそれを靡かせている。
「オレのおもちゃがさ…」
困ったように彼女は言葉を吐いた。早くしなければ彼が別の場所へと言ってしまう。追跡すること自体は可能だが、一刻も早く会いたい。
しかし、目の前の女から、妹から、クロエ=ヴィッケンシュタインから許可が出なければ動けない。バッタリと出会してしまった以上、運がなかったとしか言いようがない。
「ふーん、そんなことは後でいいじゃん」
「…そうだな」
許可が出なかった。姉であるアルク=ヴィッケンシュタインは妹であるクロエ=ヴィッケンシュタインの許しが降りなかったため、おとなしく部屋に戻ろうと決めた。
「待って、お姉ちゃん」
「…何?」
また再び引き止められる。彼女に正対するように強引に身体の向きを変えた。
「お姉ちゃんも知ってるでしょ?せっかくだし私たちで迎えに行こうよ」
「…クロエがそう言うならいいよ」
「やったー、さすがお姉ちゃん」
「はは…」
再び笑った彼女は、何もかもが違った。恍惚としていたはずの彼女の顔は乾いた笑みを浮かべるのみで、笑みが浮かんでいるはずなのに表情は死んでいた。
「あー、楽しみだなー。ふふふ、やっと会える。大好きな大好きな私の、私だけの妹に」
かわいそうだとか、気の毒だとか、かつてはどうだったかは知らないが、もう彼女は思わない。恨むのならこんな異常者の妹に生まれてしまった自分を恨めと、心の底からそう思う。




