Chapter2.0.4 開門
ヘマをした。一抹の不安は胸に抱いていた。確かな筋から得た確かな情報もしっかりと頭に入っていた。あからさまな証拠を提示されそれをじっくりと見聞し、それでもなお、そこまでしたにもかかわらずなお、この事態を防ぐことができなかった。
失格だ。終わっている。どこで間違えてしまったのか。絶対の安心と安全が確約されていなければならなかったのだ。
受けた依頼はそれだった。その護衛対象から目を離してもいい。常に共に行動する必要はない。全ての動向を把握しなくてもいい。ただ一点だけが守られるなら、対象はどんな状態になろうが良かった。怪我をしようが、風邪をひこうが、五感を失おうが、身体を欠損しようが、死のうがなんでもよかった。
それなのに、その一点を守ることができなかった。長らくの放逐と、甘えと、怠慢と。挙げはじめればキリがない。ただどうしても、それでも彼には彼女を殺めることはできなかった。咎めることはできなかった。止めることができなかった。
向かう先が地獄だとしっていたらどんな手を使ってでも止めただろうに。完璧だった彼にとって唯一その予知だけができなかった。
後悔してももう遅い。今さら焦ってももう遅い。うるさいほどに心臓がドクンドクンとかき鳴らされる。この心臓はもはや自分のものではない。身体中を血が巡る。落ち着かなければ、一体どんな罠があるか、刺客が来るか分からない。冷静さを欠いた者、運のなかった者から脱落するのが戦場だ。
しかしここは戦場であって敗走は認められない。今の彼には、風利フーリにはその選択は認められない。あってはならない。許されない。彼女を護衛することは、彼が禊ぐための最後の大仕事だ。
奪還しなければならない。文字通り奪い還すのだ。世界が自分を見たらとんでもない大悪党だと思うだろうか。生憎彼に周りの目や反応など気にするようなチャチな神経はない。世界に対して恨みなどない。劇的だろうが、平凡だろうが、自分の人生を恨んだことはない。それを与えた今の世界を憎んだこともない。彼はそんな感情は抱かない。
しかしもし、願うなら、叶うなら、風利フーリは一つだけどうしても許されない理不尽を知っている。
エレナ=ヴィッケンシュタインという女がいる。彼女は才気に溢れている。エネルギーに溢れている。何でも叶えられるような冗談みたいな力も持っている。
もしもこの世界をやり直すことができるなら、彼女にはただの一つも与えないでほしい。才気もエネルギーも力も生まれも何もかも。
そうすることで初めて彼女は育ちから逃れられる。あの地獄から逃れられる。
簡潔に言おう。彼女がヴィッケンシュタイン財閥の四女でなければ、クロエ=ヴィッケンシュタインという狂気の妹でさえなければ、彼女は真っ当に生きることができたのだ。
依頼内容:
その命が続く限り、エレナ=ヴィッケンシュタインとクロエ=ヴィッケンシュタインを近づけてはならない
ーーーーーーーーーー失敗
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「…何ですか、これは」
日が差した。鬱蒼と茂った原生林を抜け途端に日の光を遮るものが一つとして失くなった。
一瞬目が眩んだ先にあったのは幻覚か。幻覚でも何でもない。再び目を擦って見ても悠然と佇んでいた。
「分からない…」
クオンもナユタも、もちろんエレナもフーリも誰としても目の前に佇む何かが何であるかが分からなかった。
「いや、これは…」
続く答えも出なかった。
何とも形容し難いその物体はただ見上げるほど大きく、しかし首を痛めるほどではない。
ずっと左右にまで続いているが、切れ目を見つけるまでには数歩の移動でこと足りる。
「…四角いですわね」
そう、端的に言えば四角。それも一辺の狂いもない正方形の面が周囲をグルリと回って四つ。佇むそれは立方体をした物体だ。
「ちょっと報告を…」
慣れない手つきでガサガサと無線機を操るクオンだが、しばらくすると浮かない表情をした。
「…繋がりません」
「また壊したんすか、クオン嬢」
「違います!」
無線もなぜか繋がらない。そもそもここは一体なんなのだろう。ここら一帯だけにただ一つ佇む立方体が異質な空気を放つ。少し周りを見渡しても、原生林に囲まれた中まるでこの物体のためにあつらえたかのようにポカンと空いた空間だった。
「そもそもこれは何だ?」
そうして最初のクオンの問いかけに戻る。これがいったいぜんたい何であって、何のために存在するものなのかということだ。
「灰色で、たぶん立方体で、でも入り口や出口になりそうなものはない…と」
フーリが軽く調査したところをまとめたようだ。
凹凸などどこにも見当たらない。ただ若干ザラザラとした材質でできた無骨な立方体は、その用途が見受けられるヒントの一欠片もなかった。
「…これはたぶん…」
「何か知ってるのか?」
クオンが何かを呟いた。
「いえ、その、直接触れたことは無いのですが、この色と特徴が最近中央で使われ始めた素材に似てまして…」
クオンはこれそのものかそれに類する何かを見たことがあるようだ。
「西部では?」
「いや、見たことない」
「なるほど…」
西部にいたナユタは見たことがなかった。そもそも中央のそれも中枢にパイプのあったクオンと違い、ナユタは西部のそれもどちらかと言えば辺境配属だ。
仮に西都の方では使われていても見たことは無いだろう。
「北部は昔ながらの木造建築だから分からないわね」
「そっすね」
北部は予算も人員もないので穴だらけの木造建築である。そもそもクオンもナユタも北部に来てから建物という建物を駅舎と本拠地以外見ていないのだがそれはいかに。
「というか無線が繋がらないっていうのはしれっと大問題じゃないのか?」
フーリの軽口で瞬く間に流されていたがハッキリ言って死活問題だ。連絡手段が無ければおちおち離れて探索もできない。
「はい。これについて隊長代理に報告と判断を仰ぎたかったのですが…」
「うーん、俺はいったん無線の繋がるところまで戻った方がいいと思う」
ナユタはそう言った。断言した。
現地の人員だけで、しかもたった4人しかいない中で未知へと挑むのは得策ではない。正直悪い思い出しかないことを少ない思い出の中から引っ張り出した。
「何言ってるの、ナユタくん。ここは正面突破に限るわ!」
エレナはそう言った。断言した。
せっかく見つけたにもかかわらず一度後退するなどエレナ=ヴィッケンシュタインの頭にはない。前進あるのみなのだ。
「さ、クオンちゃん、レッツゴー!」
「引っ張らないでくださいってば」
ぐいぐいクオンの腕を引っ張って物体に近づくエレナだったが、途端に引き返す。
「ところでどうしたらいいのかしら?」
どうやら何の計画もないまま本当に正面から挑もうとしていたようだ。
「ねぇ、フーリくん?」
「……」
しばらくの間黙りこくっていたフーリをしばらくぶりに全員が見る。
何かぶつぶつ呟いて考え事をしているようでエレナの声すら無視していた。耳に入っていないのかもしれない。
「フーリくん!!」
「うわ、びっくりした…何すか、お嬢?」
「これからどうしたらいいと思う?」
「小生に聞きます、それ?」
考え込んでいるような様子だったが何も考えていなかったのだろうか。あっけらかんと言い放つ。
いつものようにふざけたような調子も健在だった。
「つまりフーリくんは私と同じ意見ということですわね」
「いや、何を聞いたらそうなるんすか…」
ともかくこれで状況は2対2、互角の様相を呈したこの場において全権を委任されている人物とは誰だ。
エレナ=ヴィッケンシュタインである。
「というわけで探索よ!」
苦笑いのクオン、ため息をつくナユタ、もの思いにふけるフーリの前でそんな大声が響き渡るのだ。
「しかし、探索しようにもあの物体についての手がかりも足がかりもありません」
クオンの言い分はもっとものことである。手で触り、周囲を探り、目で識別したところで何の進歩もなかったこれについていったいどのようにすれば暴くことができるのか。
「そうなのよ、どうしましょう、フーリくん?」
「丸投げかよ…」
さらりとフーリに投げ出すエレナを見て、ナユタは嘆息した。追ってきた足跡も途切れ、見渡してもザラザラとした質感の灰色の物体に打開策など見出せない。
「お嬢がよく見たらいいんじゃないっすか?」
こちらも同じく丸投げか。結論のキャッチボールが始まったのかと思いきや。
「なるほど、それもそうね。ちょっと待ってて」
そう言ってエレナは人差し指を側頭部に当てるとぶつぶつと思案し始めたではないか。
「おい、あれでどうにかなるのか?」
たまらずナユタはフーリに問うた。
「たぶん…ただ…」
「ただ?」
「いや、何でもない。絶対手がかりは見つかるはず」
一見矛盾する発言、煮え切らない態度。自分が一番分かっている。焦っているのだろうか。散在している懸案事項が拭えない。最悪に近づいている予感が増していく。
「見つけたわ、よく見たら足跡がここまで続いてる」
「お、さすがお嬢、頼りになりますなー」
「ふふん、そうでしょー」
えへんと胸を張るエレナは得意げに見つけたという手がかりに向かって指を指す。
そして誰一人として彼女が見つけたという、今もそこにあるという手がかりを見つけられないでいた。
「ええと、エレナ?どこに足跡が残っているのでしょうか?」
「もう、クオンちゃんったら…踏んじゃってるわよ、足跡」
ビクッと身体を震わせたと思えば、咄嗟にクオンはその場から飛び退いた。今まで自分が立っていた場所を見る。
しかし、何もない。何の跡もない。土ではなくなった大地には抉れたような足跡などなく、泥の跡もない。
クオンの背中に一筋の汗が流れた。この人はいったい何を言っているのだろう。
「……で、お嬢。その足跡っていうのはどっちに?」
「ふふん、フーリくん、よくぞ聞いてくれました。ここからあそこに向かって伸びてるのよ!」
エレナが指を指す方向は件の物体。その一辺一面の中央だった。
「ふむふむ、なるほど」
頷くとフーリはクオンを連れてその指差された下へと向かう。しかしどれだけ近づこうとも何の変化もなく、ついには手で直に触れられるところまで到達してしまった。
「ふふん、褒め称えてくれたって構わないですわよ、皆さん。このエレナ=ヴィッケンシュタインの功績を…」
エレナは鼻高々と捲し上げているのだが、その方向にはナユタしかいない。2人はすでに調査に乗り出している。
「うーん、何にもなさげ…よし!」
フーリがなぜクオンを連れてきたのか、その答えが今から開示されるのだ。
「クオン嬢、思いっきりぶっ叩いちゃってくだせえ」
「え、私がですか!?」
「そりゃあもう、単純な膂力ならこの面子じゃクオン嬢しかいないっしょ」
グッと親指を突き立てられる。頼ってもらえるのは嬉しいが1人の女性として喜んでいいのかどうなのか、微妙な顔を浮かべながらも久しぶりの出番に力がこもる。
「それじゃあ少し離れていてくださいね…」
「了解」
ささっと後方へとフーリが下がったことを横目で確認し、クオンはこれまで半ば引きずっていた大槌を引き上げた。
「せーーーー」
大きく上体を捻る。両腕は大槌を支えるのみ。そこに余分な力などいらない。
ただただ全力全開に最大限振りかぶった。
「ーーーの!!!」
下半身で地面から自分が離れないように繋ぎ止める。上体から腕、大槌まで、全てが一体となって動き出す。
インパクトの瞬間、彼女は持ちうる力の全てを込めた。
ゴオオオオ!!!
凄まじい衝撃にフーリは目を開けていられない。
土埃が舞い、ナユタとエレナはその場所から音の発生源の情報を視認することが不可能となった。
「……ダメです…」
土埃が徐々に晴れる。
そこには当然クオンが立っていた。しかしどうだろう。見ると彼女はその手に持っていた大槌を地面に取り落とし、両の手を力なく開いて呆然と眺めている。
「びくともしません…」
そして彼女のありったけをぶつけられたその灰色の物体は、傷ひとつなく何の形状の変化も見せず、堂々と佇んでいた。
「クオン嬢でも破壊は無理か…」
「すいません、力になれず…」
項垂れるクオンはどうやら手が痺れているらしい。それもそうだ。あれだけの力を押し返されれば身体に異常は出て然るべきだろう。
「いんや、こっちこそ申し訳ない、それに…」
(クオン嬢で無理ならもうカイセの旦那しか無理だしな)
「それに…何ですか?」
「いんや、何でもない。ちょっと休んでていいから」
さて、どうするべきか。エレナが言うのであれば先の足跡の主は間違いなくここまでやって来て、ここで姿を消している。しかし、この物体の攻略法が見つからない。
(どうしたもんかね…やっぱり一旦戻るべきか…)
フーリの頭はすでに帰還することに意識を置いていた。
物理で壊すということができない。クオンができない以上ここにいる誰にもできないのだ。ならばもう取れる手段はない。
「ちょっと2人とも、私を置いて何を楽しそうなことをしているのです?」
「大丈夫か、クオン」
「私は…はい。しばらく休めば大丈夫です」
見ていただけ、見てもいなかった者もいるが、2人はやって来た。
「お嬢、さすがに手詰まりっすね。ここは一旦帰りますか」
「えー、どうにかならなかったの?」
不満げにエレナは問いただす。何が嫌なのかはよく分からないが、見たこともないものを見てテンションが上がっているのだろうか。なるほど、フーリが小学生並と言うまでのことはある。
「はい、探っても何もないし、ぶち壊そうにも固すぎて…」
「むー、本当に?適当に触ったら何とかなるんじゃないの?」
「いやいや、そんなわけ…」
『…認証。コード04。入場許可申請…受諾。開門』
エレナがえいっとその灰色に触れると突然似ても似つかわしくない電子音が響いた。
「え?」
「は?」
「ん?」
エレナ以外は何が起きたのかも分からない様子。しかし、その灰色は突如として中央に亀裂と呼ぶには綺麗すぎる筋が伸びる。
前面に張り出したかと思えば一気に左右へと開き、奥へと進む道となったのだ。
「………」
呆気にとられて微動だにできない3人。それを尻目にエレナは言った。
「ふ、ふふん、さすがは私皆がダメだと諦めても簡単に正解にたどり着くなんて、本当にさすがだわ!」
えらく胸を張って一通りふんぞり帰り終えると、エレナはばっと後ろで固まる3人へと振り向いた。
「さ、早く行きますわよ。ここまで来たら中まで探索しちゃいましょう!!」
誰の返事も聞かずにズケズケと足を踏み入れる。どうやら少ししたところから階段で地下へと繋がっているようだ。
「こら、1人で行くなって…」
真っ先に我に帰ったナユタが慌ててエレナを追いかけるためその物体の中に足を踏み入れる。
「あ、待ってください」
クオンがその後ろへ続こうと足を踏み入れようとしたが、なぜか、なぜだかふと足を止めた。なぜだろう。
「風利さん…?」
いつもすぐにエレナの後を追っているフーリが全く動かないからだろうか。
(何でお嬢が触れた途端開いたんだ?)
「追いかけないんですか?」
(コード04…?)
「風利さん!!」
全く返事のないフーリに語気を荒げた。心ここにあらずといった様子がひしひしと伝わっていた。
「え、ああ…何?」
「追いかけないんですか?」
「ん、ああ、2人とも入っちゃったのか…」
それならば追わねばならない。とは言っても追うほどの距離ではないのだ。こっちの2人と向こうの2人、距離にして言えば5から6歩。ただ外か内かの違いだ。
「お嬢今から…」
しかし、もしも風利フーリであるのならば、声などかけずに、すぐにでもエレナ=ヴィッケンシュタインを引っ張り戻さなければならなかった。
ただそれでも、彼が風利フーリであったから、それができなかった。
彼は彼女に情をかけるべきではなかった。
「お嬢!!!」
叫んだときには遅かった。
エレナ=ヴィッケンシュタインと暁ナユタがいたまさにその地面が突然にバックリと割れた。
「うわ……っ!」
「きゃーーー!?」
瞬く間に飲み込まれた2人は彼と彼女の視界から一瞬で姿を消す。後を追おうとしたときにはもう遅かった。
2人を飲み込んだはずの地面は再び閉ざされ二度と開くことはないだろう。
皮肉にもここにいる誰にも壊せないことは立証済みだった。
風利フーリは失敗したのだ。彼が再び彼女に会ったときには、きっと、たぶん、おそらく、絶対に、これまでの2人ではなくなってしまっていることだろう。




