Chapter2.0.3 誘引
「ふんふふーん」
あたり一面真っ黒焦げ。その中心で鼻歌を歌いながらエレナは佇んでいた。
四方の生命を根こそぎ死へと至らしめた彼女の戦闘はいかに激烈なものだったのかと、誰もがその思考回路を連結させるだろう。
しかし、彼女がこの地に降り立ったときにはもうこうなっていた。進軍する獣の群れの真ん中に一筋の雷撃が叩き込まれた結果、一面は焦土と化し、炭の如く獣たちの身体はボロボロと崩れ落ちたのだ。
「やっぱり髪の毛がこうなっちゃうのが嫌なところよね」
逆立った髪の毛を気にしながらも彼女は待っていた。もうすぐそれが見られる。彼女はその光景を見るためにわざわざここで待機しているのだ。
「わー、きれい」
いっそ子供のようなその感想。あまりに稚拙で、あまりに幼稚で、あまりに浅い。それ故に最もよくそれを表現していた。
それは幻想的な光景だった。
100を超える神獣の死骸が、もうその原形は留めていないのだが、消滅していく。
真っ黒な焦土から無数の光の粒子が空へと昇っていくのだ。
もう何度も見た光景のはずであるのに、毎度の如く彼女の心を奪う。
全ての光の粒子が目の前から姿を消しても、しばらく彼女は呆けたままだった。
ピピピ…
「…あれ?」
こんなところでいったい何をしているんだろう。彼女はふとそう思った。
3人を置いて来てしまっているのだ。フーリがいるからきっと大丈夫だろうとは思っている彼女だが、それでもやはり心配である。
「早く戻った方が…」
ガサガサッ…
「はぁ…」
どうやらわずかに生き残りがいたようだ。
手早く済ませてしまおう。
せっかく元に戻りつつあった髪の毛を再び逆立てて、ため息混じりな彼女は雷光を走らせた。
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「お前、結構討ち漏らしてるよな…」
「真面目にやっていたのですか?」
ゼーゼーと肩で息をしながら文句を垂れる2人、いや、かなり真っ当な主張をしている2人にフーリは可愛げも何もなく、ただ小憎たらしくテヘッと舌を出した。
「いやー、小生の思っていたより数が多かったですぜ。まあ、でもほら、そこそこ数は減らせてたから何とかなったんじゃん?」
「こいつ…」
「暁さん、私もちょっとカチンときてしまっているかもしれません」
彼の索敵が正しいとすればエレナが向かった群れが100とそこら。そしてまた彼が言うにはその半分ほどの規模の群れが迫っていたそうだ。
それにしてはナユタとクオンの相対した神獣の数が多い。報告のために律儀に数えていたクオンでも20を超えている。
ナユタも合わせればその数はおよそ群れ全体に匹敵するような。
そこらでクオンは首を振った。考えるのを放棄した。
「小生これでも頑張ったんだぜ。序盤は絶好調だったんだけど、時間が経つにつれて、ああ、これ、しんどいなーって」
「やっぱりサボってたのか、お前は」
「決してサボってはない。最善は尽くしていないだけだ」
「いっしょだ、そんなもん!」
息ピッタリの2人漫談に若干フーリに対して抱いていた憤りも何処へやら。クオンは苦笑いを浮かべるしかなくなっていた。
「だいたい自信満々で出て行ってただろーが!」
「いやいや、自信はなかったけどね。2人のためにね…」
ふざけたような男は絶好調だった。巧みに自分の感情をコントロールし、のらりくらりと口撃を躱す。
「それに小生、一番弱いって言ったじゃん。そりゃこうなるでしょ」
「だったら初めから3人で固まってた方が良かっただろ」
「いいの?」
突然フーリの表情が変わる。何か真剣に訴えかけるようなその表情に、対するナユタを通り越し、クオンは一歩後退した。
「お前のそれに関係あるのか?」
「…言えない」
2人とも真剣だ。その真剣な理由にも、その真剣な雰囲気にも、クオンは割り込むことはできない。
彼女は未だにそうであることを認められていない。それまではその会話に入る余地はない。
「はぁ、ったく、お前を信じたのが間違いだった…」
やれやれと呆れたように、いや、ナユタは完全に呆れていた。
「ひっでーなー、小生は信じてそっちに流したのに」
「お前…確信犯じゃないか」
「いやいや、冗談冗談」
いよいよいつものニヤニヤ顔に戻ったふざけたような男だ。もうこれでこの話についてはお終いなのだろう。
「…そういや、お嬢は?」
「そういえば、まだ帰って来ていないですね…」
忘れてはならないのは彼も彼女も今の今まで戦闘行為に没入していたのだ。どれだけ相手が強かろうが弱かろうが、少なかろうが多かろうが、それは命をかけた行いである。
特に彼女は戦闘中の視野が極端に狭い。死にたくないし、一緒に戦う彼を死なせたくない彼女にとってエレナの存在はその一時完全に意識の彼方へサヨナラしていた。
「…まさか、何かあったんーーー」
「フーリくーーーん、クオンちゃーーーん、ナユタくーーーん、どこーーー?」
「……」
結果的に何かがあったことには間違いは無いが、ただただ森の中で迷っていたようだ。
「あ、いたいた」
声のする方へと足を運んだフーリはそのままエレナを連れて帰って来た。
連れられてきたエレナの髪は未だに電気を帯びている。
「まあ、何はともあれ全員揃ったからよしとするか…」
ため息をつきながらではあるものの、全員の無事と任務の成功を確認したナユタは安堵した。ついたため息は決して安堵のため息では無いが。
「あ、じゃあ、私は隊長代理に連絡しますね」
慣れない手つきで無線機を操作するクオンは少し4人の輪から外れた。
「お嬢にしては帰ってくるのが遅かったじゃないっすか。何かあったんすか?」
フーリが尋ねるとエレナは少し考え込む様子だった。
「実はね…」
「実は?」
「何かがいたの」
「何か?」
エレナの口から出たのはこれ以上ないほど漠然とした答え。誰にも何のことかは分からない。
「アタシの周りをウロウロしてる何かがいてね。それを追いかけてたら迷っちゃったの。結局見つからなかったし…」
「……なるほど」
風利フーリの雰囲気が変わったことに、いったいどうして他人が気付けようか。
静かに彼はどうしても避けられない戦いに身を投じる覚悟を固めねばならない。
「報告終わりました」
「ご苦労様、クオンちゃん」
離れていたクオンがトテトテと小走りで戻ってくる。戻ってきた彼女はそのまま七星から預かった言伝を伝えた。
「体力には余裕がありそうだからそのまま探索を続けろ、とのことです」
結局はやることは変わらない。間にトラブルが割り込んだだけで、目指す先はここからさらに北へ。
未だに4人ともが未確認のその領域へと足を踏み入れることになる。
「ここから北って言ってもなぁ…」
見渡す限りの木、木、木。そしてその一本一本が異常な成長を見せていた。
明らかに植生が違う。すなわち住み着く生物も何もかもが違うということで、未知の外敵との開戦につながる恐れもある。できることなら慎重に、なるべく周囲の警戒を怠らず。
「さあ、早速突撃しますわよ!クオンちゃんも」
誰かがひっそりと願っていたその計画も一瞬で水泡に帰す。エレナ=ヴィッケンシュタインはグイグイとクオンの腕を引っ張って、勝手にそこへと足を踏み入れた。
「ちょっと、待ってください、エレナ。ここは慎重に…」
「大丈夫ですわ、私がいますもの!」
定期的に傲岸不遜になる彼女はクオンの忠告も他所に前進を続ける。
「うわー、これはとっとと追いかけないとまずいなー」
生い茂る木々の中では多少離れただけでも姿が見えなくなる。巨木に囲まれた暗がりではなおのことだった。
「はあ、仕方がないか…」
平和な秘密裏の探索を夢見ていたナユタも観念したようだ。もとより一般的な探索なんてものをこの面子に求めることが間違っていたのだ。
恐らくクオンが原因で神獣の群れに囲まれた。フーリのせいで無駄に疲れた。エレナのせいで定石を外れた。
それが何だと言うのだろう。それでもこういうのは西部では味わえなかったのだ。こういうのはこういうので実は楽しいものではないかと少しだけナユタは笑っていた。
「…寒くないですか?」
「…寒いわね」
「寒いっすねー」
「寒いな…」
晩夏を過ぎ初秋へと向かうこの季節において、日に日に気温は下がっていく。北へと向かえば向かうほど標高はじわりじわりと上がっていき、寒さは一段と増す。
そして何よりもここには日がとどかない。おびただしいほどの巨木が軒並日の光を遮り、陰気に湿った冷たい風の通り道と化していた。
「まぁ、冬場に比べたら全然マシっすけどねー」
「そうね、フーリくん」
そうして平気そうな2人を尻目に残りの2人は慣れない寒さに身体を強張らせていた。
中央は行き届いた整備や装備のために暑さも寒さも自由自在であったし、西部は西部で基本的に冬という概念が当てはまらない地域を拠点としていた。
「うー、中央の装備がどれだけ恵まれていたのかを身に染みる思いです…」
「ははは、まぁ、あそこは別格だからな…」
「北部って凄いですよね。防衛隊員が少ないのは分かりますけど、それ以外にも地下鉄も全自動車も走ってないですし、道もコンクリートで舗装されていないですし、それに高層の建物も見当たらないです」
「…西部でもなかなかここまでではなかったしな、中央ほどでもないけど」
このご時世に電気もろくに通っておらず、移動手段もままならない場所があったことが驚きである。どれほどの辺境でも、ナユタの言った限りでは最悪馬車が走っていた。
それすら存在しないというのは初めての経験だった。
中央にいたというクオンならなおのことだろう。
「ま、北部は予算ないからねー」
どこから聞いていたのか2人の会話にフーリが割り込んできた。
「どうしてです?ハッキリ言って中央よりも激務な気がするのですが…」
「そりゃ…小生らみたいな人でなしの溜まり場が発展されたら困るからじゃねーの?」
「……たぶん、それが正解だろうな」
フーリが提示してナユタが肯定する。
人でなしというのは、悪魔の契約者というのは、長らく差別と迫害の対象だ。
南部のことは知らないが、中央以外ではその傾向は鳴りを潜めているものの確実に存在する。そういう思想の中心地である中央ではその程度はより酷い…らしい。
何せバレる前日まで気の良かった西部の連中が、次の日には口を聞かなければ目も合わせない。
「まぁ、うまいことやってる同士諸君もわんさかいる中で俺たちにはそれができなかっただけだろうけどな」
少なくとも西部にはいた。決して馴染んではいなかった、性格も非常に難があった、がそれでも圧倒的な力と実績によって受け入れられていた。
自身が人でなしであり、普通の人間とは一線を画す存在であることを大っぴらに公言し、それでもなお確かな地位を築いていた。会ったことも目にしたこともないナユタの耳にさえ、決して遠くに興味を持つこともなかったナユタにさえ、その名声は聞き及んでいた。
「暁さんが北部に異動になった理由は何なんですか?」
「…何で急に?」
「いえ…よく考えてみても人格や素行面に何の問題も見当たりませんし、戦力と釣り合いが取れてないように感じまして…」
どれだけ考えたところでクオンには考えつかなかった。唯一散らついたのは全身を炎に焦がれながら死人の様に悠々と歩を進める姿だった。
増長された畏怖と恐怖の対象として余りあるその姿が彼を手放させたのだろうか。
「…別になんてことない。ただの規定違反と契約違反と…約束を破っただけだ」
苦い顔をした。触れられたくないわけではないが、自分からわざわざ触れたくないことだってこの世には存在する。
少しの後悔と秘密を濁らせたが、それでも彼はその理由を幾分も正直に伝えたのである。
「…違反…ですか……」
「幻滅した?」
ふむ、と少し考え込むクオンの顔が見えた。ナユタは気づけばそんなことを口走っていた。
「いえ、そんなことはないです…何も変わりません!私の方がきっともっと、本当は酷い…」
ここで彼の評価の一片でも零れ落ちていれば、それはそれは重大な何かを隠している彼にとってはありがたいことだっただろう。
身に余る評価などただ本人を苦しめるだけなのだ。それを覆さなければならないいつかを知っている彼にとってはなおのこと。
そんな過大な評価を受けることについて、最も嫌悪を覚えているはずの彼女はそれを同じく他人が思うことには全くの意識が働いていないのだ。
「ははは、そっか、それは良かった」
それでもナユタは笑っていた。今は別にそのままでもいいだろう。他人から尊敬されるというのはそこまで嫌いじゃない。
「私はちょっと荒れていた時期があったのですが、叔母様の誘いで北部に来ることになりました」
「!?」
「……?どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
彼女の言う叔母様とは、間違いでなければそういうことだ。下手をすれば今ここでこうしていることが全て…なんてこともある。
「風利さんたちは何か経緯があったのですか?」
「……ちょっと静かに」
フーリが人差し指をスッと自身の唇の前に立てた。
状況を察したクオンとナユタは一気に身構える。臨戦態勢を整えて、周囲に注意を向けた。
「…やっぱり何かいるわね」
「そっすね」
エレナとフーリはほとんどその補足を終えていた。もう一度、あとたった一度だけでも痕跡を見つければその補足は可能だろう。
対照的にクオンとナユタには分からなかった。依然としてどこにいるかも分からない未知に対して迎え撃てる姿勢を取ることしかできなかった。
ガサッ…
「そこっ……!」
雷撃がとぶ。茂みの奥から聞こえた微細な音をエレナの耳は聞き逃さなかった。
「ナイスです、お嬢!!」
雷音冷めやらな中フーリは一直線に駆け出した。
「誰だ!!」
茂みをかき分けると少し開けた場所へとすぐに到達する。ぬかるんだ地面が煩わしくも足を絡めとってきた。
「……いない」
間違えたのか、いや違う。確実に何かがいた痕跡がある。それにエレナとフーリが同時にそう感じたのであれば余程のことがない限り正しいはずだ。
目の前に残ったぬかるみの足跡がそれを物語っている。
「何かいましたか?」
後を追ってきたクオンたちと合流したが、その成果が全くないのはすぐに理解できたようだ。
「悪い、逃した」
申し訳なさそうに半笑いのフーリが告げる。
「もう、フーリくんったら仕方がないんだから」
エレナは何やら嬉しそうに笑っている。
「でも何かいた痕跡がそこにありますね。これは…」
ぬかるんだ地面にえぐれたような跡がさらに奥まで進んでいる。
「足跡、ですかね?」
「たぶんな。……四足歩行の何か、と考えるのが妥当か…」
よくよくナユタが足跡を観察すると、微妙に跡が違う。これが意味することの結論はそうだろう。
「とにかくこの足跡を追っていくわよ、クオンちゃん!」
「ちょっ、だから、引っ張らないでください」
グイグイとクオンの腕を引っ張ってエレナはその足跡が誘う方へとズケズケと進んでいく。
「ん?」
その様子を後ろからまじまじと見つめていたフーリは、足跡を追いながらも、周囲の警戒と調査を一切怠ってはいなかった。
口では面倒くさいだ何だと言っていながらも与えられた仕事の遂行に余念はない。
視界の端に何か、少しばかりしか届かない光を弾く何かの細長い物体が目に入った。
ただ歩いている常人がしかも屋外で、茂みの中で、決して見つけることなどできないはずのそれは、一本の髪の毛だった。
「これは…」
ひょいっとそれをつまみ上げるとあろうことかまじまじと観察し始める。
(金髪、長い…お嬢?いや、それはありえない)
「どうした?もう2人とも先に行ってるぞ」
立ち止まっているフーリを不思議に思ったナユタが声をかける。真剣な目つきそのもので何かを眺めていた。
「何だそれ、髪の毛?」
「ん?ああ、落ちてた」
「そんなもん拾ってどうするんだ?金髪だし、たぶんエレナのだろ?」
「いや、まあ…」
返答もおぼつかないほどに見入っているフーリに怪訝な顔をしたナユタは早く追いかけるように言いつけて、先に行ってしまった。
(根本が若干黒いか…)
そうして彼なりの考察を終わらせた後に、彼は一瞬逡巡した。その一瞬の逡巡の後、指先に掴んでいた髪の毛をそっと風に流した。
これでもう二度と出会うこともないだろう。ゆらゆらと流れて茂みの中へと消えていく。
「…追いかけるか」
もうすぐ消え入る後ろ姿と、まだまだ消えそうにない足跡を追って駆け出す。
長い戦いの序幕がいよいよ上がろうとしていた。




