Chapter2.0.6 膂力部門暫定トップ2
「どうしたら…」
クオン=クライスツェフは誰もいない大地でポツリと呟いた。
暁ナユタとエレナ=ヴィッケンシュタインを呑み込んだ建物はその入り口は完全に封鎖され、再び元の立方体に戻ってしまった。
一瞬のことだった。2人を呑み込むともう用済みとばかりに閉じられた。
後ろに立っていたはずの風利フーリが何かを叫ぶと自分を突き飛ばし、すんでのところで中へと飛び込んだ。
慌てて起き上がるともうどこが開いていたのかも分からないまでに元通り。彼女が中へと入る手立ては完全に失われてしまった。
いつぞやの記憶が甦る。いや、別に忘れていたわけではない。甦るというのは間違いだった。それでも自分がいくらか前向きに生きているうちに隅へと追いやっていた記憶が鮮明になる。
仲間と逸れることが、1人になることが、1人だけ安全な場所にいることが、こうも怖いことだとは長らく忘れていた。
「落ち着いて…落ち着いて…」
言い聞かせるように何度も口に出して繰り返す。愛用の大槌をギュッと握りしめて立ち上がる。
座り込んでいる場合ではないのだ。あの時とはまるで状況が違う。万が一など万が一にも起こり得ないような、そんな3人だということを頭に叩き込む。
「…よし」
動悸が収まると彼女は一目散に駆け出した。みるみると元いた位置からは離れていく。
有事である。そして今ここで自分に、クオン=クライスツェフにできることは何ひとつない。
それならば自分以外の力を借りるしか方法はない。今できるのはそれだけのことだ。
ガサッ…
「何?」
茂みが揺れる。決してクオンが揺らしたわけではない。
野生動物の可能性だってある。ただそれにしては…。
背筋を這う気色悪さがある。誰かからの、何かからの視線が突き刺さる。
クオンがうっかり足を止めてしまったのは完全に遮られた原生林の中だった。
「誰かいるんですか?」
なるだけ響くように、そして感情が伝わらないように努めて冷静に真っ直ぐな声を張り上げた。反響する声に応えるものはいない。
ガサガサッ…
代わりにまたどこかの茂みが揺れる音が聞こえる。揺れた方をバッと振り向いたところで、やはりそこには誰もいない。
「隠れているのは分かっています!」
一際大きな声で語りかける。それを認識してかどうなのか、ガサガサと揺れる茂みの音が、もはや隠す気もないほどにクオンの周辺を周り始めた。
クオンは一気に臨戦態勢を整える。どこにでも動けるように腰を落とし、大槌を構えてギュッと握りしめた。もちろんどこから何をされてもいいように警戒は怠らない。
ガサガサガサガサガサッ
途端に音が止まった。木々を揺らす風も、擦れる草葉も不思議とその音を止める。気味の悪い静寂がクオンの足を力ませる。
「があぁぁぁぁぁ!!」
ついに茂みの一角から明確な殺意と敵意を持った何かが飛びかかる。
「そこっ!!」
死角のように思われたその一点。クオンの大槌がから最も遠いその一点を確実に狙ったそれ。
しかし、クオンにそんなものは関係ない。捻られた上体を大槌ごと振り回す。飛びかかってきた何かに命中する寸前だった。
「え…」
クオンは振り抜けなかった。本当に当たる寸前で力が抜けたように大槌は奇妙な弧を描く。急なそれに身体は持っていかれそうになり、バランスを崩した。
「があぁぁぁっ」
「いっ…!?」
飛びかかってきたそれはクオンの細腕に噛みつく。痛みと飛びかかられた衝撃で体勢を崩したクオンは倒れ込んだ。
しかし、それでも噛みついたそれは決して離れずクオンに覆い被さる。
「このっ…離れてください!」
自由なもう片方の手でそれの顔を引き剥がし、自由な両足でそれの身体を蹴り飛ばす。
「ぐっ…」
何度か蹴っているうちにそれはクオンから一時離れた。口から血をぼたぼたと垂らしながら腹を押さえている。
「はぁはぁ…人間のくせに、随分と獣のようなまねをしますね…」
食いちぎられて血が出る片腕を庇いながらクオンは苦悶の表情を浮かべた。
「…あなたはいったい誰なんです?…どうして…」
「……」
語りかけるクオンに対して目の前のそれは無言を貫く。口から垂れる血を腕で拭うと、キッとその長髪の隙間からクオンを睨みつけるのだ。
「どうして…エレナと同じ顔を?」
「っ…!があぁぁぁぁぁ!」
一瞬硬直した彼女だったが、怒ったように再び飛びかかって来る。
顔形はエレナ=ヴィッケンシュタインと瓜二つ、長いブロンドの髪はややくすんでおり、傷んであちこちに跳ねていた。格好もエレナのそれとは比べ物にならない程に見窄らしく、布切れ一枚与えられた奴隷のようだった。
さすがに真正面からの強襲を避けられないほど、クオンは甘くない。大きく横に動くと彼女はザザッと地面に転げた。
「うぅ〜……」
力無くよろよろと立ち上がる彼女をクオンは憐れんだ。誰が見ても彼女は惨めでしかなかった。人間であるはずなのに獣のように動いており、人間であるが故によく見ればその身体は至る所がボロボロだった。
そんな彼女がクオンの友達と全く同じと言っていい姿形をしている。
「…あなたが何なのかはよく分かりませんが、もうやめてください」
クオンは彼女と争いたくなかった。その見た目、見てくれもさることながら、理由の分からない強襲、現時点で実力の差も天と地ほどある。なんなら彼女はその異常な行動以外はそのまま人間だった。
その時は間違いなく彼女は人間だった。
「………!」
彼女は突然身体をビクつかせたと思うと、ガタガタと震えてしゃがみ込んだのだ。
「うぅ…!」
頭を抱えて蹲る。明らかに彼女に異常が起こっている。警戒を怠れないクオンは身構えたまま見ていることしかできなかった。
「うあぁぁぁぁぁ!!」
「なっ……!?」
再び飛び上がった彼女は意味のない大声をあげながらクオンへと突撃してきた。
速すぎた。これまでと格段に違う速度だった。
クオンはやむを得ず大槌を振るう。クオンの中で彼女の危険度が一瞬にして迎撃対象まで跳ね上がった。
「ぁぁぁぁぁぁぁ!!」
しかし、彼女はクオンの振るった大槌のはるか上を、それ以上にクオン自身のはるか上を飛び越えて、脇目も振らずに駆け抜けていった。
「いったい何が…」
彼女が向かった方向は件の建物がある方向と合致していた。脇目も降らず、一心不乱に駆け抜けた彼女の姿が目視できなくなるまでにそう時間はかからなかった。
「……」
一瞬追いかけようか悩んだクオンであったが、今彼女の優先順位は低い。今しなければならないことは、本部に連絡を入れること、そして援軍を要請することだ。
「っ…!」
我に帰ると噛みちぎられたクオンの腕は思っているよりもずっとひどい状態だった。血の濁流が今も指先を伝って地面へと注がれている。
人間本気で噛み付けばここまでのことができるのかと、苦笑したクオンは血を止めるのを諦めた。
どこまで戻れば通信が復活するのかは分からないが、できるだけ早く。自分のことなど気にしなくても問題ない。
気がつけば原生林のエリアを抜けていた。目線を上げると塔がしっかりとクオンの視界に入る。
ここまで来れば、あるいは。クオンは使い慣れない旧式の通信機を操作する。
「隊長代理!!」
通じた。
『そこまで大きい声を出さなくても通じているよ…何かトラブルかい?』
さすがに話しがはやかった。七星からしてみれば質の悪い音声越しにでも分かるほどクオンが切羽詰まっていることが確認できた訳であるが。
『いや、僕に何が起こったのかを今説明しなくていい。君は今どこにいるんだい?』
「塔の前です」
『塔…ああ、トワの…』
ボソッと呟いた七星の声は、クオンにはノイズとしてしか届いていない。
『ちょうどその辺りに別件でいるはずだよ。僕から連絡を入れてみるから、君は探してみてくれないかい?』
分かりましたと通信を切ったクオンはより塔の近くへと移動するとあらんばかりに声を張り上げた。
「三乙女さん!三乙女さん!どこですか!」
こだまするクオンの声は途切れることはなくひたすらにカイセを呼び続ける。
クオンはこれ以上なく焦っていた。ナユタ、フーリ、エレナ、万が一も起こりそうにはないが、自分が共に行動をしていただけで万が一は起こり得る。速やかに救出しなければ手遅れになってしまうかもしれない。
「…うるせー、聞こえてる」
クオンの呼び声に応えるように不機嫌そうな顔をしたカイセが林立する木の間から現れた。
「三乙女さん…」
よし行ける。自分では無理でも三乙女カイセがいるならば、クオンはそこまで考えていた。
「で、どういう状態だ?」
「すいません、一刻を争うかもしれません。向かいながらで良いでしょうか」
有無を言わさぬ勢いでカイセについてくるように言っていた。無礼かもしれないとも考えたがクオンは相当に焦っている。悠長にしている時間はないのだ。
「………」
「それでですね…あれ、三乙女さん?」
走りながら横を付いてきているカイセにナユタたちに起こった事態を細かく説明していたクオンだが、カイセがどうにも自分の方をじっと見ていることに気づく。
「痛っ…ちょっ、何するんですか!」
グワっと近づいたカイセはクオンの腕を掴み上げるとマジマジと見つめた。そのまま引っ張られたクオンは走るのをやめ、立ち止まる。
「……何だ、この腕は?」
カイセの表情がいつもの三倍ましほどで不機嫌そうになった。未だに血の止まらない腕を隠し続けていたクオンであったが、さすがにバレないはずもない。
「す、すいません、敵と遭遇して…不覚をとりました…」
カイセの剣幕に押されたクオンは反射的に謝る。どうやら今から自分は怒られるのだろう。当たり前と言えば当たり前だ。戦場でヘマをする人間ほど鬱陶しい者はない。自分だって当たり前のようにそう思うのだから。
「……見せろ」
「え、はい…」
不機嫌そうな顔は変わらなかったが、態度が少し軟化したように思われる。
そんなことを微妙に感じながらも言われた通りに袖を捲って患部を見せることにした。赤黒く染まった窪みからは心臓が脈打つたびに血が溢れるようだ。
「……お前、もう帰れ」
しばらく患部を眺めたカイセはそう一言吐き捨てた。
「な、どうしてですか。確かに一度は不覚をとりましたが二度はやらせません!」
腕も問題なく動かせる、と無理に曲げ伸ばしして動かして見せる。もちろん痛みは走るがそれを外側に出してはいけない。
「……そういうことを言ってるんじゃない」
「じゃあ、いったいどうして!」
「こういうことを黙っているような奴とは組めない」
不思議と響く声だった。声を荒げられたわけではない。いつもより大きな声を出されたわけでもない。ただいつもと違ったのはカイセが間髪入れずに答えたことだ。
「自分の状態が理解できていない」
「できています…いるつもりです」
「本当か?」
真っ直ぐに、銀の髪の隙間からただただ真っ直ぐに見つめる。
「腕は…痛みはあります。血も止まりません。処置も何もしていません……でも普段通りに動かせます。それは嘘ではありません…」
「……お前はそれを言わない」
「え?」
カイセは何かゴソゴソとポケットを漁ると中から何故か包帯が出てきた。
「お前が説明する状態の中にお前の状態が入っていない」
カイセは自分の両腕にも巻いているからか、慣れた手つきでクオンの腕の処置を始めた。
「それは…私個人のことなんて価値はありません。言う意味はないと思いました」
「お前にとってそうでも俺にとっては違う」
カイセは続ける。
「俺はそういう奴を信用できない」
キュッと強く包帯を結ぶとしゃがんでいたカイセは立ち上がった。
「……道だけ教えろ」
「…こっちです」
俯いたクオンは立ち上がるとか細い声で道を案内する。カイセを連れてようやくクオンは立方体の建物へと辿り着いたのだ。
「……もう帰っていい。お前は充分役立った」
「……!」
ここまで来てカイセはそう言った。心の底から、本心でそう言った。クオンはそこで少しだけ、三乙女カイセを理解した。
「…嫌です」
「あ?」
「帰りません、私も最後まで戦います」
クオンは顔を上げた。今度はクオンが真っ直ぐにカイセを見つめた。カイセは一瞬眉をピクリと動かしただけで、それ以外はいつもと変わらない。
「………」
はあ、とひとつため息をつく。カイセはクオンから目を逸らし、後頭部を掻いた。
いつまでもクオンに真っ直ぐに見つめられているからか、ひどく居心地が悪そうだった。
「……条件がある」
気づけばカイセはそう告げた。
すっと包帯でぐるぐる巻きされた手を動かすと、クオンの左腕を指差して止めた。
「そっちの腕は使うな…できるだろ」
「……はい!」
やはりこの人は、少し理解できた三乙女カイセは間違っていなかったようだ。
クオンは痛む左腕を押さえて引っ込める。
「……ん?」
カイセはそびえ立つ壁をコンコンと叩く。何箇所か同じ動きをしていたところでふと手を止めた。
何故だかは分からないが後ろに控えるクオンの顔を一瞥する。
「……お前」
「…?」
何か言い淀むように再び前を向いた。
同じところをあと数度コンコンと叩くと、別のところを叩き、再び戻ってくる。
「……はっ」
カイセは鼻を鳴らすように笑った。思えばクオンがカイセの笑っているところを見たのは初めてかも知れない。
暁ナユタも、風利フーリも、エレナ=ヴィッケンシュタインも、氷上七星でさえもそれは見たことがない。
カイセはその右腕を思いっきり振りかぶる。
「………」
一言も発さないまま振りかぶった右腕を突き出した。
ゴオと凄まじい衝撃が周囲へと飛ぶ。その恐ろしいまでの風圧と飛び散る土砂にクオンはたまらず目元を覆った。
ガラガラガラと何かが崩れる音がした。
衝撃が収まったのを見計らってクオンは目を覆っていた右腕を下ろす。
難攻不落の壁には大穴が空いていた。
「……すごい」
口からそのまま感想が漏れる。感想というか感嘆というか、開いた口から出てきた言葉だ。
「……おい」
「はい!」
「……先に行ってろ」
カイセはクオンを見ていた。いや、正確にはその後ろを。
「え……何もいませんが…」
気づいたクオンが振り返るがそこには今、誰もいない。何もない。
「いいから行け、時間がないんだろ」
間髪を入れなかった。確かに時間はない。一刻を争う状況になって、クオンが3人と別れてからもう4時間以上経過していた。誰も出てきていないということは、中で何かが起こっているのだ。
「…分かりました、先に行かせていただきます」
「……ああ」
クオンは一切振り向かずに一言告げて空いた大穴から中へと踏み込んだ。
カイセの右拳から滴る赤黒い液体は見て見ぬふりをした。
これは余談であるが、カイセが拳を振り抜いた箇所は、クオンがその大槌で叩いた箇所と寸分も違っていなかったそうだ。
「……」
息を吐いたカイセは右手を開いて左右に振った。血液が地面に飛び散るが知ったことではない。
「………」
誰もいない空間をギロッと睨みつけた。
「……何だ、お前は」
その問いの答えは、明確な攻撃として帰って来るのだった。




