Chapter2.0.1 定義
「ということで、言ってた来客は少し用事ができたとかでまだ来ないそうだよ」
隊長室に呼び出された三乙女カイセ、クオン=クライスッェフ、暁ナユタの3名は呆れた様子で笑っている氷上七星の声を聞いていた。
カイセはいつものように不機嫌そうに眉を潜めたままだったが、クオンとナユタは正直話を聞いている調子ではなかった。
日々訓練とナユタとの特訓の後も自分を追い込み続けるクオンを放っておけなかったナユタは、渋々彼女のそれに全部付き合ってみたところもうヘトヘトである。クオンも同じくヘトヘトである。
「あ、用件はそれだけだからもう解散していいよ」
聞くとカイセは1人真っ直ぐに隊長室から出て行った。いつもより一層不機嫌そうに見えたのは誰の気のせいでもない。
カイセはハッキリ言ってその来客のことが好きではないので別に来なくてもいいとは思っているのだが、来ると言っておいて何週間も来ないその来客の常識のなさにたいそう苛立っていた。
「あちゃー、カイセは結構頭にきてるね」
七星にはどうやらそれが伝わっているようで、苦笑いを浮かべている。
「君たち2人はどうしたんだい、えらく疲れているようだけど?」
「いや、まあ、クオンがですね…」
ことの成り行きをかくかくしかじかと説明すると、七星は笑った。
「ははは、まあね、前向きに成長しようとすることは何にせよいいことだとは思うけどね。
しかし、無茶をうまく止めるのも指導者としての義務ではないのかい?」
「それはそうなんですが…」
バツが悪そうにクオンの方をちらっと見やるナユタだったが、どうにも愚直なクオンを止めることができない。というよりできていない。
「隊長代理も部屋にこもってばかりいないで外で身体を動かしてはどうですか?」
突然これまで黙って聞いていたクオンがそんなことを言い出した。
「おや、自分が責められていると思うと次は僕を口撃してくるのかい?」
「別に…そういうわけではありませんが…」
どうやらそういうわけっぽかった。
確かにクオンからしてみれば周囲との力の差を埋めるため倍以上の努力をしているわけで、それを否定されるのは少し気分が悪い。
「…まあ、本当に言いたいところは大部分端折ることになるけどね、常時君たちがその状態だと有事の際に困るんだよ。分かっていて欲しいかな」
「それは…すいません…」
しょんぼりと肩を落としたクオンは失礼しますと先に1人で外へと出て行った。
「まったく…怠慢だよ、君も」
「すいません…」
ため息とともに矛先はナユタへと向いた。
「自分の体調の管理くらいはできてほしいものだよ。今日は調子が悪くて死んでしまいましたがまかり通る世の中なんだからね」
面目なさそうにしているナユタを見ていると、だんだん落ち着いてきた七星はひとつ咳払いをした。
「まあ、ここしばらくはあまり大掛かりな動きはないけれど、いつまでも穏やかなわけではないからね。
彼女もそうだけど君も無理はしないように、分かったね?」
「はい」
ナユタを退室させた後、七星は誰もいない隊長室でひとり空を見上げる。
「……僕だって」
それは心の底から滲み出た声のようで。
「出られるものなら出たいものだよ」
未だどこにも届かない願いだった。
◆
「はぁ……」
廊下でひとり、クオン=クライスッェフはため息をついた。
武器を部屋に置き、浴場へと向かっている。服の中はというとただでさえ訓練後だった上に、暑い隊長室に召集されていたので汗でぐっしょりだ。
しかし、彼女にため息をつかせるのはそのことではない。
彼女自身自惚れているわけではないが、ナユタの指導のもと実力が上がってきているのは分かっていた。
主に戦闘行動時に考えることが増えた。雑念とかそういうことではなく、余裕を持つことができている。
ただ彼女を焦らせるのは、死んだはずのラファエルの言葉。
「『また第二、第三の私が現れる』…か」
もし再びあの天使が姿を見せたとき、自分は独りで太刀打ちできるのか。きっとできない現実が、そして自分が心折られた相手を難なく片付けることができるものが存在することが彼女を焦らせていた。
しかし、彼女はまた七星の言うことも当然理解している。ここ数日落ち着いているとはいえ、またいつ早々のようなことが起きるかは分からない。
いつでも動けるように備えておくことが防衛隊員である彼女の責務だ。
「はぁ……」
故に彼女はまたひとつため息をついた。
結局クオン=クライスッェフという人間はどこまでいっても自分勝手なのである。
しかして、誰一人死なせたくないという感情にも一切の嘘偽りはない。
結局それも自分のためだということは彼女もとうに理解しているが、それでもその高尚な目的に、いつまでも実力が伴わない現状が彼女を鬱屈とさせているのだ。
「あら、クオンちゃん、どうしましたの?」
ガチャリと脱衣所の扉を開けたところ、浴場から上がり、着替えを済ませたエレナがクオンと鉢合わせる形になった。
そのブロンドの髪からは水滴がまだ滴っている。
「…浴場でよく会いますね」
クオンはとりあえず思ったことをそのまま言葉に出す。
「確かに、そうね……で、何かありましたの、ため息ばかりついて?」
「……聞いていたのですか?」
「きっとあんなに大きなため息なら皆聞こえていると思いますわ」
エレナのいうことは正しく、遮蔽物のない音の反響が起こりやすい廊下故にえ彼女のため息はたいへん大きく響いていた。
「何か迷いごとがあるならばお友達の私が聞いて差し上げますわよ」
エッヘンと胸を張るエレナである。
クオンはどうするか幾ばくか思案した。
エレナはナユタ以外の全員と違って割と細かい事情まで自分のことを知っている。
とはいえこれはあくまでも自分1人の問題であって、あまり他人が関与してどうこうなる問題には思えなかった。
しかし、彼女に最終的に話すことを決断させたのは、エレナに泣き喚かれては困るという、過去の恐怖に根差していた。
「実は……」
かくかくしかじかとことの顛末を説明した。
ラファエルという天使に因縁をかけられていることはどうやら初耳であったようで、少し驚いているようだった。
「ふむふむ、そういうことでしたら…」
エレナは今考えているのだ。お友達として、クオンにかけてあげることができる言葉とは何かを。
「私にはよく分かりませんわ」
しかし、何も思い浮かばなかった。何とかしてあげたいという気持ちはあるものの、エレナはクオンに何をしてあげることもできない。
そして、その逆もまた。
「…そうですか」
少しでも期待していたクオンはしょんぼりと肩を落とした。
その後は何でもない世間話をして、エレナは外へ、クオンは中へそれぞれの途についたのだ。
ーーーエレナ=ヴィッケンシュタインは他人の気持ちを理解することができない。
「うーん」
エレナは考えていた。
クオンと別れた後もエレナはクオンのことを考えていた。
どうして彼女が悩んでいるのかをエレナは理解することができない。
常に彼女はそうだった。いつの日からか他人の気持ちを慮ろうと、理解しようとすれば思考にノイズが走ったように理解が及ばない。知らない間に彼女はそういう人間になっていた。
「痛っ!?」
突然迸る頭痛が彼女を襲った。
何だろう。ずっと今まで何度も何度も何度も何度も味わってきたような痛みだ。それでも今まで味わったことのない痛みのように勝手に納得してしまう。
「あれ、何をしていたのでしたっけ?」
頭がスッキリとしたエレナは真っ直ぐに自室へと帰ることにした。
「あら、あれは…」
しかし、彼女の歩みの先には一人の女が立っていた。
窓辺から月を見上げる彼女の様子はどこか儚げで、迂闊に触れれば、消えてしまいそうだった。
「ん、ヴィッケンシュタインか……」
突然何かの気配を察知したのかその女はエレナを見据えた。どこにも先程までの儚さを抱いてはいない、一層凛々しい佇まいだった。
「こんばんわ、マシロ。こんなところで何をして?」
言われたマシロは黙っていた。黙っていたというよりは、どこか意識が別の方面へと集中しているようで、声が届いていないようだ。
ふとした時には質問に答えるでもなく、強く目頭を押さえていた。
「すまない、ええと、何だったか…」
「こんなところで何を?」
「ああ、そうか…」
目元から手を離したマシロは腰に提げた刀をギュッと押さえながら一歩前進、エレナに近づいた。
「まあ、そうだな。別に何をしていたわけでもない。ただ部屋にこもっていても眠れそうにないしな。少し気分を変えようと思っていただけだ」
「マシロ…あなた…」
月明かりに照らされたマシロは普段よりも目つきが悪い。それもそのはずで彼女の両目の下はやや黒みがかっているように見えた。
「そう、気分転換だよ。だからこうやって…」
「……」
ズシンとマシロがもう一歩、エレナへと近づく。
目と鼻の先、紙一重、彼女の純黒の髪が彼女のブロンドの髪が、互いの鼻先をくすぐる距離。
そして、神納木マシロの提げた刀には彼女の指がかかり、その刀身の根本が月明かりを反射する。
「………ふっ」
カシャンッとその刀身が鞘へと完全に戻された。
マシロのふした一笑とその音だけが廊下をこだまする。
「お前は、気楽なものだな」
「気楽?」
一歩後退したマシロは言った。
「お前のように生きることができるなら誰もが気楽だろう」
「私のように?」
「ああ」
どうしたことかマシロはエレナの横を通り過ぎる。まだエレナはマシロの話を聞きたい。聞いている途中だというのに。
「何も恐れていないのだからな」
神納木マシロはその場を去った。
ーーーエレナ=ヴィッケンシュタインは他人を恐れない。
「あら、今度はカイセが…」
エレナは寝床につこうとしたがあまりにも目が冴えてしまったため、結局また部屋から出てあたりをウロウロしていた。
「何だ、お前か…」
「むっ、何ですの、私では何か問題がありまして?」
「…別に」
カイセはとても面倒くさそうにしていた。後頭部に手をやり、若干かきながらも彼は彼女の次の言葉を待っていた。
「カイセはこんな夜更けに何を?」
「…別に、大した用はない」
もう時間は流れ、時刻は日付の変更を過ぎていた。マシロと話していた時が昨日で、今が今日なのだ。
「……お前、さっさと自分の部屋に帰れ」
「どうして?」
カイセはいつも通りに不機嫌そうなその顔を一層しかめた。
「…ガキが出歩くような時間じゃない」
「なっ!?」
カイセはうんざりしたようなため息をついた。
言われたエレナは非常に腹を立てている様子でムキーッと地団駄を踏んでいる。
「また私のことを子ども扱いして!」
「…いや、ガキだろうがお前は」
「失礼な、私はもう17歳、立派に任務もこなす淑女ですわ」
自身の胸を自信満々にトンと叩いたエレナは鼻を高々と伸ばして大きくその叩いた胸を張った。
「…お前の保護者は何をしてやがる」
「むっ…フーリくんは私の保護者ではありません。私がフーリくんをお世話してあげているのですわ」
かなり小声でこぼした言葉だったがエレナには筒抜けであったようで、再びカイセは食ってかかられる。
「もういいから早く帰れ」
「あなたに指図されることではありませんわ」
どこまでも唯我独尊、忠告を聞き入れないエレナにいい加減カイセの苛立ちと焦りが如実につのる。
「いいから早く帰れ!もうすぐアイツが…」
「ひっ!!」
突然声を荒げられたエレナはこれまでの不遜な態度は何処へやら、怯えたような声を出し、軽く足を震わせながら一歩二歩と後ずさった。
その眼には着実に涙が溜められていく。
「うっ…うっ……うぅ…」
「ちっ……くそったれが…」
三乙女カイセはすぐにその場を離れる。
エレナに関して全責任は自分にあることは分かっているし、言い逃れをするつもりもない。
しかし、こうなってしまっては彼に彼女をどうこうする手立てはない。
きっとどこかの保護者面したふざけたような男が事態を収拾するだろうという確信もあり、彼は彼女を放置することを決めた。
何よりも彼がこの場をすぐにでも離れなければ、彼女とその保護者を、つまりはエレナ=ヴィッケンシュタインと風利フーリを必ず巻き込んでしまう。
彼にとっても彼女にとってもそれだけは絶対に避けなければならない事態だった。
「うわーーーーーーーーん」
その場を駆け出した彼の後ろで泣き崩れた彼女だけが残された。
その頭上には雷撃が迸り、今にも木造の廊下を焦がし尽くそうと帯電を繰り返している。
しかしこの場に限ってはどうやらカイセの行動は最適解を引き当てたようだ。
カイセの行動は、彼も彼女も彼女も彼も、全員が唯一助かる道だったのだ。
「お嬢!!」
「うわーーーーーーーーん、フーリくーーーん!!」
「ぐえっ!?」
止まらない雷撃を引き連れた彼女を包み込む、保護者担当苦労人、風利フーリの登場で、この廊下での全ての出来事に終止符が打たれたのだ。
「…悪かった」
翌朝、カイセはエレナに謝罪をした。
寛大でしょうと言いたげにエレナはすぐに彼を許した。
しかしながら、何故だかカイセの身体についた傷痕が、昨晩よりも多くなっていたことには、まだ誰も気付くことができなかった。
ーーーエレナ=ヴィッケンシュタインは他人の言うことを聞かない。
ーーーエレナ=ヴィッケンシュタインは怒りの感情にのみ敏感である。
ーーーエレナ=ヴィッケンシュタインは風利フーリがいなければ、とうの昔に壊れている。




