Ending of Chapter1 これから始まる
「ああ、それなら気にする必要はないよ、よくあることだ」
翌朝になって壁に空いた大穴と割れた窓ガラスの件を報告したクオンたちだったが、一笑にふした七星はそう答えた。
「おおかたマシロとカイセが喧嘩したんだろうね。他にも所々穴が空いてたり壊れてたりしているところがあったりするだろう?」
「あー、言われてみれば…」
そういえばこれまでにも何ヶ所か似たような風穴を見たことがある。クオンもナユタも心当たりがあったようだ。
「ここではもう皆慣れっ子だから誰も気にしてはいないんだけどね。まあ、一応事実確認は必要か……おっ、噂をすればだね」
「失礼する」
七星が告げてすぐに、凛々しい黒髪の女性が隊長室へと足を踏み入れた。
ただ、いつもの彼女と違い、どこか調子の悪そうな顔に見えたのはナユタだけなのだろうか。
「おはようございます、マシロさん」
「ああ」
「おはようございます、神納木さん」
「……ああ」
手早く挨拶を済ませ、そして、煩わしそうに挨拶を済ませた彼女はどうやらまだ全員集まっていないことを確認すると再び廊下へと出て行こうとする。
「ストップ、マシロ」
「何だ?」
歩みを止められた彼女は少し怪訝そうな顔を浮かべて、止めた張本人の方へ向き直る。
引き止められる覚えも心当たりもないといった様子だった。
「昨晩は、カイセと一悶着あったのかい?」
引き止めたときのマシロの目つきが怖かったので七星はすぐに本題だけを尋ねることにした。
本当なら一言二言雑談を交えたいところだが、こと神納木マシロに関してはあまりにリスクが高い。
「昨晩…?いや、私は昨晩は自室で休んでいたからな。何も問題は起こしていない」
「本当に?」
「私がわざわざ嘘をつく理由がどこにある?」
本当に心当たりがないのか執拗に聞き返されたマシロはやや不機嫌そうにしていた。
「…いや、知らないなら別にいいんだけどね。引き止めて悪かったよ」
何か当てが外れたように微妙な表情を浮かべる七星。
それもそのはず、本当に彼女が関係ないとするならば、いよいよ夜な夜な誰か、もしくは何かが侵入してきたということになってしまう。
ここに誰とも分からない不審な者や危険な者を近づかせるわけにはいかなかった。
「いや、私もすまなかった。どうにも最近寝つきが悪くてな…また、全員集まった頃に戻る」
「あ、今日は特に連絡事項とかないからもう来なくて大丈夫だよ」
「…了解した」
隊長室から出て行ったマシロはふらふらとした足取りで自室へと戻っていく。
結局今日一日、これ以降に彼女の姿を見た者はいなかった。
「何か調子悪そうだったな」
「そうなんでしょうか、まだ違いがよく分からないのですが…」
「何か挨拶から適当な感じだっただろ?」
「…私にはいつもあんな感じです」
「あ、そう…」
ナユタだけなのだろうか。どうにも彼女の様子が気になって仕方がなかったのは。
七星にも尋ねようと思ったのだが、何やらぶつぶつと思案している様子だったので、尋ねるのをやめた。
「…私ってやっぱり神納木さんに嫌われてます?」
「…俺に言われても分からん」
悲しそうにクオンに尋ねられたナユタもこの問いに関しては答えなど持ち合わせてはいない。どう返答しても波風が立ちそうなので自ずとどっちとも取れないようにしていた。
「朝から騒がしいな、ここは」
3人が控える隊長室へと響く第4の声。そこに現れたのは三乙女カイセだった。
「おやようございます、三乙女さん」
「上の名前で呼ぶなっつってんだろ」
こんな感じのもはやいつも通りのやり取りを終えて、しかし、その後一応軽く挨拶をかわしたカイセはちらちらと室内を見回した。
そして、何かを確認すると自身の後頭部をわしゃわしゃしながら振り返って出て行こうとする。
「ストップ、カイセ」
「何だ?」
引き止めたときのカイセの表情に理由が分かっていそうな雰囲気を感じた七星は単刀直入に聞くことにした。
「君、昨晩マシロと何かあったのかい?マシロは何もなかったと言っていたんだけど」
「何もなかった?」
「うん」
「神納木がそう言ったのか?」
ナユタがクオンが、もしかすると七星も、ここまで動揺した様子のカイセを見るのは初めてだった。
「そうだけど、何かあったのかい?」
「……いや、別に大したことはなかった」
「何かはあった、ということでいいんだね?」
目を細める。
三乙女カイセは嘘をつかない人間だ。今ここにいる6人の中で最も付き合いの長い七星はよく知っている。
彼がないと言えばないし、あると言えばある。
「分かったよ、深くは聞かないさ。で、一部新しく壁が壊れていたそうなんだけど、心当たりはあるかい?」
「…ある」
彼があると言えばある。
嘘をついているのは神納木マシロの方だ。
「はぁ、あまり共同で使うものは壊さないでもらいたいんだけど…まぁ、分かったよ。
今日は特に連絡事項とかはないからもう来なくて大丈夫だよ」
「……分かった」
カイセは隊長室から出て行った。いつものように不機嫌そうな顔をしていた。
結局今日一日、これ以降彼の姿を見た者はいなかった。
「まあ、そういうことだから君たちももう今日は自由にしていていいよ。
北部に来てからドタバタ続きだったし、探検するなり何なりしてきたらどうだい?」
「いえ、これから暁さんに稽古をつけてもらうつもりです」
「そうなのかい?これはまた意外な人選だけど…まあ、頑張るといいよ」
部屋から出て行くクオンとナユタに手を振って送り出す。
また1人になった。室内の人を追い払ったのは彼自身なのだが。
「そうか、彼女は前に進むのか…」
昨日までの彼女と違う。その顔つきだけで彼にはそれが分かってしまった。彼女の生い立ちは知っている。彼女の経歴もデータとして受け取っていた。大きな彼女にとっての敗戦も乗り越えて、たとえ彼女が異常なだけだとしても。
彼女は前に進んでいる。他の皆はどうなのだろうか。
少なくともこの部屋に閉じこもったまま、ただ帰ってくる誰かを待つことしかできない、そんな彼はまだ一歩たりとも前に進めていないのだ。
◆
それから一週間ほどたっただろうか。
彼女と彼の毎日の訓練は特に何のトラブルもなく進んでいた。
「はぁ、はぁ、ありがとうございました」
「おつかれ」
この日も特に防衛任務がなかったため一日中、時には休憩を挟みながらも訓練をしていた。
結論を言ってしまえば彼女は完璧だった。
きっと毎日の鍛錬を怠らずにここまできたのだろう。体力も筋力も申し分なかった。
基礎能力だけを見た場合の話である。
「それでは今日は失礼します」
ペコリと頭を下げると、その大槌を引きずってトテトテと走って行った。
「俺も戻るか……」
ナユタは軽くストレッチを済ませると彼女の後を追うように自分の部屋へと戻って行った。
「あら、クオンちゃん。どうしたの、こんな時間に?」
自室に戻って大槌を置き、着替えを持ったクオンは大浴場前へと来ていた。
結局、北部戦線の本部内をあれから探索することになり、クオンとナユタは大浴場を見つけた。食堂も見つけた。
もともとは使っていなかったそうだが、隊員の数が増えたからと、主にエレナとフーリが文句を言いまくったところ、使用が許可されたようだ。
「私は少しサッパリしようかと…エレナも今からですか?」
見たところエレナにその痕跡はない。入るとすれば今からだろう。というかもうすぐ女性の入る時間帯も終わってしまうので、今入るしかない。
「ええっと…はは…私はまた後にしますわ」
曖昧な笑みを浮かべて、エレナは踵を返す。
途中まではゆっくりと歩いていたのだが、急に走り始めてどこかへ行ってしまった。
「…どうしたのでしょうか?」
しかし、クオンは深く考えずにそのまま浴場へと足を踏み入れた。そこには誰もおらず、完全な貸し切り状態。
静かな浴場で、クオンは優雅なひと時を過ごすのだった。
「よしっ…今ならクオンちゃんはいない」
走り始めたエレナはある部屋の前で足を止めた。
一つ、二つ、深呼吸をしてコンコンと扉を叩いた。
「……ん、エレナか、珍しいな」
エレナが叩いた扉の主はナユタだった。
叩かれた扉の主であるナユタは少し困惑していた。
一週間ほどの北部での生活の中で、エレナはほとんどフーリと共に行動している。何か用事がある時もどちらかと言えば呼び出されることが多く、しかも、自分の部屋まで、それも1人で彼女がやってくることなど想像できなかったからだ。
「ちょっと中に入れてもらえないかしら」
エレナが左右を警戒しながらそう告げた。
どうやら彼女は誰かにこの状況を見られることを望んでいないようだ。
「……どうぞ」
少々訝しんだナユタだが、相手はエレナである。
申し訳ないが彼女にどうこうされることも、何か一計を案じることもできるとは思えないし、突っぱねて泣き喚かれても命の危険が伴うためナユタは中へと招き入れた。
「お邪魔しますわ」
どうやらその程度の作法はあったらしく入る前に一礼をする。
とはいえ、1人でいることしか想定していない部屋なので、ナユタはとりあえずエレナを椅子に座らせて、自分はベットに腰掛けることにした。
「何か飲み物でもいるか?」
「いえ、長居をするつもりはありませんわ」
一応気をきかせてみたものの断られてしまった。
「で、1人で来るなんて珍しいけど、いったいどういう要件なんだ?」
思い切って聞き出してみる。ハッキリ言って理由もわからないままこのお嬢様を自室に置いておくことは彼にとって恐怖でしかない。
「実はね、ナユタ君……」
勿体つけるように、意を決する瞬間を待つように、彼女は膝上に置いた手をぐっと握る。
ゴクリと待つナユタの喉をカラカラの口から出たなけなしの水分が通り抜けた。
「アタシ…クオンちゃんに嫌われちゃうかもしれないの!」
「は?」
盛大に調子を外されたナユタは腰掛けていたベットの縁から軽く尻を滑らせそうになった。
「ちょっと、アタシは真剣なのよ、これは本当に危機的状況なのよ」
今の彼女を見て誰が巨大財閥の令嬢と思うだろうか。
しかし、それよりもそんなことでわざわざ1人で来るなんてどうかしている。
ただただ不安な気持ちにさせられたナユタは心の中で悪態をついた。
「ええと、詳しく聞いても?」
そもそもそういうところはフーリに相談でもしてそうなものだが、どうして今自分になのだろうか。
「実は……」
彼女がいったい何をしでかしたのかをナユタはひたすら聞くことになった。
すると、なぜ自分に相談してきたのかの答えは見えてきたのだ。
「なるほど、つまりは俺とクオンの話を全部盗み聞きしていたと」
「うっ…まあ、その認識で間違いはないでしょう……でも、盗み聞くつもりなんてなかったの!」
勇んで声を上げるエレナだったが再びしょんぼりと肩を落とした。
「…でもクオンちゃん、そういうのはたぶんい嫌いそうじゃない?」
「あー、なるほどね」
どうやらこのお嬢様にも思ったより考えていることがあるようだ。
確かにクオンの性格を考えてみれば、自分の秘密を盗み聞きされていたとか、別にそれ以外でもそういう汚いことをするのは嫌いそうなものである。
「せっかくお友達になったのに嫌われてしまうのは嫌だわ……どうすればいいの、ナユタ君?」
つまりはなぜエレナがナユタの元へやってきたのかと言えば、フーリではダメだったからだろう。
フーリに相談してはクオンの秘密が漏れてしまう。だからそれを知っているナユタにしか相談できなかったのだ。
「まあ、正直に聞いてしまったことを謝るのが正解だと思うけど…できるだけ早い方がいいかもな」
「本当、正直に話しても嫌われない?」
「それは何とも言えないが…少なくとも話さずにバレたときが一番まずいと思う」
断言はできないが、おそらくクオンは話せばわかるタイプの人間だ。
そして断言できるのは、クオンは謝ればたいていのことは許してくれる人間だ。
「うん、それじゃあ明日謝ってみるわ。ありがとう、ナユタ君」
「おう、とはいえ意外だったな」
「何が?」
「エレナはもっと何も考えていないのかと思っていた」
ナユタはうっかり話の流れで思っていることを言ってしまった。
「ちょっと、それどういう意味なの?」
「いや、もっと子どもっぽいというか…」
ムキーッとまくし立てるエレナについついナユタはポロポロと失言を溢し続ける。
「む、カイセにもずっと子供扱いされているわ……アタシだって普段から色々考えているんだから!」
ぷいっとそっぽをむかれてしまった。
しかし、怒ってはいるようだがあの雷は発生していない。隊長室にいた時とは違って拗ねているだけなのだろうか。
最もエレナ=ヴィッケンシュタインはその精神面に異常が見られるので何が引き金になるのかは分からないが。
「悪かったって、それにしても盗み聞きなんてどこでしてたんだ?
そんなに大きい声でもなかったし、近くにはそんな場所はなかったと思うけど……」
ナユタは謝りながら彼女をなだめながら、しかし、疑問に思っていたことを尋ねた。
「えっ、もちろんだいぶん遅い時間だったから自室にいたけど……」
「……は?」
どうやら彼女の異常性は精神面にとどまることではなかったようだ。
Chapter1は序章です。
途中で一切筆が進まなくなり、挙げ句の果てに1年以上かかってしまいました。
どうせ誰も読んでいないので途中で書くのもやめようと思っていましたが、今年の5月、適当に画面をいじっているとアクセス数が見られることが判明。
実験的に何話か上げるとその都度誰かが読んでいる。
せっかくのこと、またChapter8くらいまでは大枠ができてしまっている、ということなので続き書きます。
できればChapter2からはペースを上げたいかな、無理かな、と考えたり。
このちょっと狂った方々のお話を誰かがまた読んでいただけると幸いです。
感謝の気持ちを表しつつ、一旦ここで締めをば。




