Chapter1.1.1 革命
「ん〜、熱いなぁ〜と思ったらお兄さんの仕業かぁ〜」
一歩、また一歩、暁ナユタは進むのだ。
一足進めば草は燃え、歩いた道が灰塵と化す。
「そんな辛そうな感じになっちゃってさぁ〜、お兄さんにとってこのお姉さんって何でもないでしょぉ〜」
身体が燃える、全身から焔が立つ。
自分にとって彼女が何であるかなど関係はない。
その少女が言う通り彼にとってまだ彼女は何者でもない。
それでも……
「悪いこと言わないからさぁ〜、お兄さんも無理するのはやめなよぉ〜、生かしてあげるからさぁ〜」
それでも何者でもなかった、何者でもなかった自分を当たり前のように助けてくれた、そんな彼女がいたから。
「……しつこいなぁ〜、いい加減止まらないと…」
暁ナユタは止まるわけにはいかないのだ。
「……ぁぁぁぁあああ!!」
彼にはもう小細工をする時間など残されていなかった。振り抜けば拳の届くそのギリギリの距離で、少女と彼女の間に割り込むように。
しかして、少女の方へと向かって振りかぶった拳を、炎を纏ったその拳を叩き込む。
「ほら、やっぱりダメじゃん」
ポスっと何か小突いたような、そんな間抜けな音だけが響く。
彼のふるった渾身の一撃は、彼女に届くことはなかった。
「暁さん……!」
ああ、後ろで崩れた彼女が叫んでいる。
彼の身体の感覚が、先ほどまでの浮遊感が嘘のように消えてハッキリと蘇る。
身体がだるい、動かない。そして何より燃えるように熱い。
「くそっ……」
放った拳は途中で勢いを失い、少女に片手で制された。今なお彼の拳は少女の手の内に。
「…うん、でもお兄さん、せっかく私がかけてあげた最後の情けも無碍にするなんて悲しいよぉ〜。これじゃぁ〜、お兄さんも殺さないとだねぇ〜」
ナユタの身体の力が抜ける。右の拳は少女の手の中。そこだけを支えに、しかし、身体は地へと落ちる。
対する少女は全く変わらないその笑顔と口調のままナユタを追い詰める。
(………違う)
これは違う。
クオン=クライスツェフは分かっていた。この少女は今確実に自分に狙いを定めているのだ。彼をいたぶることが自分にとって最大の攻撃だと、少女はすべてわかっているのだ。
「それぇ〜」
「ぐっ……!」
バキッと鈍い音が鳴る。少女はもう動けないナユタを蹴り飛ばし、引き寄せては殴り。
「ほんっと、イライラするよねぇ〜。私とぉ〜、お姉さんの邪魔ばっかりしてさぁ〜」
もう血だらけで意識も朦朧としてきた。それでも彼は。
「っ……!な〜に、その目はぁ〜。まだ足りないのかなぁ〜」
睨みつける、確固とした意志を持ってナユタはまだ倒れるわけにはいかないのだ。
「……いいや、お兄さんしつこすぎて飽きちゃったから、こいつとでも遊んでてよぉ〜」
ズシンッ
少女が指を鳴らすとどこからともなく大地が揺れる。
「じゃ、ばいば〜い」
いつまでもこの惨状に似合わないその間の抜けた声で彼を蹴り飛ばす。
(………まだ…)
ズシンッ
大きく飛ばされた彼は周囲を見やる。2人がいったいどこにいるのか。
目視はできる、が届かない。そんな底意地の悪いところで彼は倒れていた。
(まだ諦めるわけには……)
ズシンッ……
最後の最後まで自分を奮い立たせガバッと顔を上げる。
「………は?」
そういえば地鳴りだけが響いていた。
少女は何かをまた呼び出したのだろう。
ただそれだけにしか思っていなかった。思えば考える余裕など彼にはなかったのだ。
顔を上げた先にそびえ立つ、二足歩行の巨大生物に。
「……くそっ」
立ち上がることのできない彼はもう何度目かも分からない悪態をつくことしかできなかった。
「……あれぇ?おかしいなぁ…まぁ、いいかぁ〜。とりあえずやっちゃってぇ〜っと」
明らかに違う。少女にとっての想定外があったのだろうか。
しかし、彼女はグルンと身体を回してしばらくぶりにクオンと相対する。
「……うん、やっぱりもうダメだね、お姉さん。ここまで私の予想通りに進まないんだもん。……早く殺さないと」
「……めて」
彼女が呟いた。
クオン=クライスツェフは真面目な人間である。心優しく、仲間思いで上下関係を大切にし、しかし、間違いは間違いと毅然と正すことのできる、そんな人間である。
少なくとも彼女自身はそう思っている。
「……やめて」
彼女は今、何を見ているのか。向かい合う少女を自分を殺すと言い張った少女を見ているのか。
ーーーー違う。
彼女が今見ているのは彼なのだ。自分の命の危機など二の次なのだ。
涙が溢れるその目が見つめるのは暁ナユタ。
そして、姿形は人間だ。ただその大きさが足、腕の一本一本がこの森にそびえる巨木のそれ。決して生物として成り立つはずのない鋼鉄のような身体。
見上げても、見上げたりないその巨体がゆっくりとその腕を高く高く掲げていく。
その下にいる彼は動けないのだ。何度も何度も自分を守るために死力を尽くしたのだ。
ーーーー他の人間と同じように。
(……もう)
ダメだ。
もうこれ以上自分の目の前で仲間が死んでいくことを、そんな惨劇を目にすることなど。
ましてや、自分を守るためにその命を散らしていくなど、耐えられるはずがない。
「……もう…」
もう助からない。もう彼は助からない。
彼女に築かれた世界は彼女のために築かれた世界で、それはあまりに残酷で。
何の意外性もなく、平坦で、予定調和に流れていて。
彼女にとって優しすぎる世界だ。
「……もう…やめてーーーー!!」
そんな世界から目を背けて、クオン=クライスツェフは叫ぶのだ。恥も外聞なく、ただ感情に流されるままに、敵が目の前で自分を殺そうと手を伸ばしていても。
それでも彼女は死なない自分とこれから死ぬ彼を嘆く。
ここに自分を助けてくれる神など存在しない。自分を、彼を助けてくれる人間などいはしない。
故に、
「…うるせー声でピーピー泣いてんじゃねーよ」
一転した。
「情けないぞ、暁。それでも私と張り合った男か?」
彼女の世界が崩れ落ちる音がした。
◆
三乙女カイセは間に立つ。暁ナユタと腕を振り上げた巨体の間に立つ。
「……カイセ?」
風に揺れる銀髪、包帯でぐるぐる巻きの腕、不機嫌そうな顔で立つその姿。今にも途切れそうだったナユタの意識はすんでのところで繋ぎ止められた。
「………」
カイセはナユタを一瞥する。一言も発さずに振り返り、再び相対するのは敵だ。
(……何て面をしてやがる)
死の淵にいるナユタの表情により一層彼はその顔を不機嫌そうに。
されど今はどうでもいい。まだ死んでいないだけマシだ。
もう一人女が向こうで泣いていたが、神納木マシロが向こうにいる。安心ではないが安全だ。
どうやら目の前の巨体は自分に拳を振り下ろす、そのつもりでいるようだ。
ゴオオオオーーー
そんな風を唸らせる騒音とともに真っ直ぐ拳が向かってくる。その見た目だけはたいそうな拳が。
仕方がない、気は向かないが本当に仕方がない。
あの巨体に意思など存在するのかは定かではないが、殴りかかってきたのは向こうだ。
そうであるならば、三乙女カイセは殴り返さなければならない。
真に誰かを攻撃するならば、自分がやり返される覚悟があることを問わねばならない。
三乙女カイセは剣を持たない。もちろん大槌も斧も鎌も槍も、鞭でもブーメランでもおよそ武器と呼べるものを持たない。
三乙女カイセは炎を出せない。もちろん風も起こせず、雷を走らせることもできず、氷を張ることもできず、水を放つこともできない。およそ攻撃に使える特殊な力など与えられていない。
だから、三乙女カイセはただ単純に、向かってくる拳に、
「あああぁぁぁぁぁ!!」
彼のその決して力強くは見えない包帯だらけのその腕を拳を、真っ向からぶつけることしかできないのだ。
ゴォォオオオ!!
拳と拳がぶつかり合う轟音とその風圧にナユタは必死に地面にしがみつく。
ーーーーーーーー。
ある時突然轟音と風が止んだ。地にしがみついたナユタは開けていられなかったその目をゆっくりと開ける。
開けた先には包帯ごしからでもはっきりと分かるほど、血みどろになったナユタの腕が、しかし、しっかりと拳は握られたままで。
その奥では、身体中に入った亀裂から粉々に崩れていく巨体だけがこの世界から消えていく。
「………」
右腕から血がしたたったままのカイセだったが、そんなことも、消えていく巨体も、一切気にすることなく後ろで動けないナユタを担ぎ上げ、もう一方へと足を踏み出した。
神納木マシロは笑っていた。
彼女は楽しみだった。自分と一時とはいえ互角に張り合った、そんな男ともう一人曲がりなりにも悪魔の契約者との2人を追い詰めた、そんな敵がいるのだと。
それはさぞかし強敵で、それでいて、さぞ斬り伏せたときは気持ちがいいのだろうと。
それ故に今の彼女は大いに落胆していた。
それはもちろん2人が相手になっていたのだ。それなりのダメージが蓄積されているのもやむなしと言えるだろう。
しかし、見たところ目の前の少女には目立ったダメージはなかったはずだ。ともすれば戦った痕跡すらほとんどない。
これはどういうことだ。もう一度言うが神納木マシロは今大いに落胆している。
何だその冷や汗を浮かべ、怖気付いたような顔は。
たかだか腕の一本、自分に斬り落とされた程度でそんな顔をされては話にならなかった。
「……何、こいつら。お姉さん、私こんな化け物を後2匹も飼ってたなんて聞いてないんだけど」
いつもの抜けた口調はどこへいったのか、伸ばしていた左腕の肘から先がほとんどなくなり真っ赤な鮮血を撒き散らせている。
少女は見ていた。クオンがナユタと2人で行動していることを。
少女は見ていたその直前に4人で行動していたことを、その中に1人、規格外が存在していたことを。
そのためその1人には確実につぶすことができる戦力をぶつけたはずだ。だからその1人はここにはいない。
ただの悪魔の契約者とその覚醒前の2人を相手にして、ふんだんに数の利も使った。
抵抗されないように心も折った。必殺の対象は片方だけ。そう難しいことではなかったはずだ。
それならば……
(何で私が追い詰められているんだ!)
決してかくはずなどなかった冷や汗が頬を伝う。
そもそも何だ、この2人は。6人見た中で別格だったのは結局のところ3人。
しかし、この2人はその中でも異常だ。普通の異常な残りの4人と一線を画す度を越した異常。
こんなものがどうしてここに存在するのか。
「……神納木さん…」
後ろから消え入りそうな声が耳骨を震わせる。
ああ、何を泣いているのだ。こんな戦いの場でどうして涙が出るような感情になる。
「何も心配はない、落ち着け、クライスツェフ」
そうか、この感情は、この心を揺らす感応は。
(私はお前が嫌いなんだな)
嫌いだ、今泣いている彼女が、この女が嫌いだ。
ーーーー闇が。
この女を見ているとどうしても思い出すものがある。
ーーーー影が。
つまり、この女にわざと負けるような、
ーーーー暗黒が。
三乙女カイセが嫌いだ。
ーーーーー心の中を這い回る。
「……ははは」
神納木マシロは再び笑う。
ただ決定的に違う、瞳の中を黒々と濁らせた、顔にへばりつくようなその笑みで。
(クライスツェフのことは今はどうでもいいか…)
そうだ、そうなのだ。
彼女の戦う理由などはなから一つしか存在するはずもない。
(アイツに復讐するまでは……)
彼女の心は呼応する。
よくよく考えれば、目の前の標的は何やら情報通のようにも見える。
そうなれば尋ねるしかあるまい。
「そういえば、貴様はメフィストフェレスを知っているか?」
何だこの女は。
ここまで雰囲気が、気配が、何から何まで掴めない存在は初めてだ。
少なくともこの少女にとってはそうだ。
どう答えるのが正解か、無数に思案する。
正直に言って、その答えは、少女は件の悪魔を知っている。
「いや、知らないなぁ〜」
少女の出した答えはそうだった。
少女は直感したのだ。今自分という存在が迫られている二択の中に、無事に助かる選択肢などなかったということに。
「そうか……」
軽くため息をつき、下を向く。
再びあげられた顔は、ドロドロの瞳とへばりついた笑みを取り戻しており、
「ならばもう聞くことはない…死ね」
あっさりと宣告する。
「そういえば…」
彼女はゆっくりと刀を鞘から抜く。
そこには未だ乾いていなかった少女の血が。
「お前の血の色は、随分と綺麗だったな」
彼女の口角が一気に吊り上がる。
逃げ出そうと、少女が決意するにはあまりにも遅く、わけも分からぬままに、気づけば血みどろになって倒れていた。
もうこの私は消えるのだろう。
そう全てを察した少女は最後の力で楔を打つ。
「…ねぇ、お姉さん。また周りに助けられてのうのうと生き残っちゃったんだね」
「………」
涙も枯れたクオンには果たして聞こえているのだろうか。
「でも…これで終わったと思うなよ。また第二、第三の私が現れる。その時がおまえの最期だと知るがいい」
「うるさいぞ」
ああ、化け物め。こんな時でも笑っている。
この私が最後に見るのが、この化け物の気色の悪い笑みだなんて、なんて運の悪いことだろうか。
マシロが刀を振り下ろし、少女はあっさりとその命を散らせた。
少女が絶命した。
長い夜がようやく終わる。
◆
「……つまり、今回の敵はクオンを狙って、ということですか」
誰もいない、自分しかいない。
そんな奇妙な状況にもいよいよ疑問を抱かなくなってしまった。
氷上七星は誰と話しているのだろうか。
「ああ、間違いないだろう。私が見ていた限りでも何もかもそう考えるのが妥当だ」
どうやら誰かと遠隔で話しているようだ。
「その理由は一体何とお考えで?」
氷上七星は敬語で話す。つまり彼よりも立場が上の人間である。
「…それは完全に間違いなく…いや、ここでは留めておこう。もうじき私もそちらに着く、話は実際に会ってからにしようではないか」
「はあ、分かりましたよ…まぁ、何というかやってくれましたね、あなたも」
彼は苦々しい顔をする。すると音声のみのやりとりでその顔を知ってか知らずか。
「ははは、何がだ?私は良い人材をそっちに送り込んだつもりだったのだがな」
仰々しい、不遜な態度が口調からにじみ出ていた。
「よくいう…何もこんな時期じゃなくたって……」
「そうでもしないと何も進まないだろう」
キッパリと話をここで続けるつもりはないとでも言うかのように終わらせる。
「とにかく、明日明後日頃にはそっちに到着する予定だ。全てはその時にな」
それだけ言い残して一方的に通話を切る。
もうかけ直しても彼女が反応を示すことはないだろう。
「何も進まない、ねえ…」
1人しかいない隊長室の天井をぼーっと見上げる。
古い天井だ、いつ抜けてきてもおかしくはないだろう。
「暁ナユタ、か……」
そうして呟いた彼の脳裏にしっかりと蘇るのはつい先日新たに仲間に加わった彼の姿、ではない。
今はここを開けている、もう長らく姿を見ることも叶っていない2人の女性。
隊長と副隊長の姿だった。
「……寒いな」
震える身体を温めよう。
彼はそうして帰ってくる部下達を待っていることしかできない。




