幕間10 『ふたつの悪意』
ザリザリザリ……
「****!! ――*+*+**――\e――――Qy@――******.**――more――――」
ルクスコリ共和国とシュバルド王国が血で血を洗う戦闘を繰り広げる大荒原から、二百マイルほど距離を置いた山中。
その上空に、夜の化身じみた偉丈夫がいた。
まったく重さを持たない、あるいは空中に床でもあるかのように安定した浮遊は、古代超魂族である彼が現世から受ける影響の薄さを示す。
実際、現代において“大魔王”と呼ばれている彼、シュバルド王国首長アンドレアス・エルネストの霊的実体は、薄まった星の帳から力を集めて原初の在り方へと戻りつつあった。
「主様、主様」
「懸念事項がいくつかあります、アンドレアス様」
……と、古代システム星語を操るアンドレアスの背後から声。
ひとつは涼やかな少女を想起させるもので、もう一つは合成じみて平坦な男のもの。
しかし、決して不意に出現したわけではない。
単に彼のしもべである二人の大悪魔、ガストルトとデグレニャが、十フィートを超える長身に伝統的なシュバルド王の戦闘衣である守護マントを纏った巨体の陰になっていただけだ。
「唐突にどうした? 輸送艇エアフォルク喪失はともかく、いまのところ本筋の計画は余の想定内で進行しておるぞ。
可能なら影武者とショーゲツ達にも本当の世界を見せてやりたかったが、うむ、仕方あるまい」
ゆっくりと振り向くアンドレアス。
どろりと濁った血液のような夕日のため表情は定かでないが、声の調子から多少の困惑が見てとれた。
それは決して飛行能力の低いガストルトが、鞄の姿になったデグレニャを燃料不要のジェットパック代わりに背負い、微妙にサボっているからではない。
現在までの情報に完全な想定外はなかったのだ、つまりここにきて追加の何かが起こっている。
「内患が一つ」
「外患が一つ」
一人の影から二つの声。
「まずは内患からだ」
「はい主様。戦域を離脱したナタナエル准将が前線航空基地に戻らず、との連絡がジグムント元帥より入りました。
彼のプテロン・ソリオン航空隊も同行しているそうだ、そうです」
「……アレは確か長魂族だったか」
「そのはずです。なんらかのアクシデントにより主様の大荒原不在に気づいてしまったものかと。
以前より不信感を滲ませている事がありましたし、想定内といえば想定内ですが、何もこんな時に」
「問題ない。ジグムントが例の件を伝えているならば、だが」
「はい。ナタナエルは隊を率いてこちらに向かってきているそうです……きている? あ」
「つまり、そういうことであるなデグレニャ。問題ないどころか理想であろう?
何のために余がプテロン・ソリオンを配備したと思っておる。来るまで放置でよい、次は外患だ」
こちらは、やや深刻そうだ。
彼としもべは以心伝心であり、会話や使い魔回路を解さずともある程度の情報を読み取れる。
あえて後回しにしたのは、考える時間を取りたかったからだ。
だが、発言は予想を超えていた。
「つい先ほど、“聖女”の解析攻撃を受けました。急いで灼きましたが、座標を同定されたかと」
「な、なに!?」
有り得ない。アンドレアスが顔をしかめる。
ウィルスじみて感染し、情報を収集する聖光粒子を対策するため、彼は様々な婉曲的手段を介した。
“勇者”との戦闘中に呼び戻す事を、前もって決まっていたにもかかわらず二人の大悪魔に伝えなかったのもその一環だ。
それなのに、どうして?
彼の疑問を代弁するかのように、デグレニャが口を挟む。
「おいガト、道中で除染したろ? なんで今更」
そうだ。“聖女”は当然に脅威だが、少なくとも、ここまでの性能ではなかった。
かといって、索敵のためだけに後戻り不能な正体を現すとは考えづらい。
となれば……
儀式の最終調整を行いつつも、アンドレアスは考える。
ガストルトは言葉を続けた。
「推測になりますが、アンドレアス様の儀式により薄くなった“帳”の影響で、霊的情報集積体である聖光の脅威が高まっていると思われます。
我々のパワーソースが増え、感知しやすくなった事も一因やもしれません」
「うぬう……まったく想定しておらんかったわけではない、が、この距離で直にとは」
「迎撃は如何いたしましょう?」
「…………いや、必要なし。帳の解放を優先する、手伝え。
この辺りは転移のアンカーを打ち込めぬから、奴らは空路であろう。
到着までに第一儀式が済めばよし、そうでなければナタナエルの航空隊を利用する」
「はっ」
「了解、主様」
「――*****――**――――*****/*――@evk――***――――――**-***-****――――*/*――******――……………………」
世界への侵食は続く。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
VRRRRRRRRRRRRR!
いくつものエンジン音が響き、沈んだ陽光の残滓で赤黒い雲が割れる。
暗い紫のクリスタル燃焼光を後に引いて、黒褐色流線型の飛行機械編隊が低空に出現した。
直径数マイルの楕円を描き巡回するように舞う甲冑じみたその数、なんと四十機。
そして薄暗い中よく見ると、一機だけ姿が異なる……いや、それは飛行機械ではない。
シュバルドの紋章が刻まれし航空アーマーを纏ったシュバルド軍人だ!
彼こそがシュバルド空軍の強力な特定兵器にして重鎮、ナタナエル准将。
彼は支配者階級たる超魂族ではないが、シュバルド空軍に誇りを持っていないわけではない。
いくつかの不満はあるが、裏切る気など毛頭ない。
ただ単に、大荒原の戦いから行方知れずとなった“大魔王”を捜索しようとしているだけだ。
少なくとも、名目上は。
「王…………」
飛行兜の下で、ナタナエルが呟く。
彼の航空アーマーは通常の飛行機械のおよそ半分、全幅全長共に十七フィートほどであり航続距離に難があるが、極めて加速力が高く小回りも効き、ホバリングが可能なタイプだ。
長魂族ならではの風元素に対する親和性を活かし、物理操作と魔力操作を並行して行う事で通常の飛行機械の数倍の戦闘能力と安全率を持つ。
利便性の高いオートモードを内蔵した新型機、プテロン・ソリオンⅡを駆る部下達がやや離れて見守る中、ナタナエルは空中に佇む王の前で停止した。
アーマー背面に突き出た紫に輝く二束のエキゾーストマニホールドは、さながら神々しい翼。
「アンドレアス様、ようやく見つけましたぞ。
飛行中につきアーマーとヘルムを脱げない無礼、お許しくだされ」
「楽にせよナタナエル。用件を言え」
“大魔王”は突然に現れたナタナエル達に動揺する事もなく、悠然と返した。
古代の血脈特有の、艶かしさと威厳が同居する老成した男の声。
「…………私は、行方不明となった主君を探していただけにございます。
ご無事で何より、いえ、何故?」
「ご苦労。確かに余は無事である。しかし、その質問には答えられんな」
音もなく、風も起こさず、アンドレアスが空を歩いてナタナエルに近付く。
航空アーマーには様々な兵装が仕込まれており、偉大な超魂族といえど危険なのだが、上に立つものの余裕か、はたまた他の事情か“大魔王”はまったくの自然体だ。
側近の大悪魔ガストルトも、四肢のジェットパックを起動してこそいるが、タイガーアイの虹彩でじっと主を見つめたままその場を動かず。
「はっ? あ、いえ、しかし、っ!」
ゴウン! 反射的に、ナタナエルはジェット噴射で半マイルほど距離を取った。
特定兵器としての直感が、ひとまず彼の命を救う。
時空を歪めるかのような速度で踏み出した“大魔王”アンドレアスの虹色の巨拳、混沌掌が空間を掻き混ぜた。
不意討ちをかわされたアンドレアスだが、濡れ羽色の長髪をなびかせてアルカイクに微笑むのみ。
続く言葉にも、さして落胆や敵意は見られない。
「流石だ空軍准将。よく鍛えられておる」
「何故、何故ですかアンドレアス様! 私は」
困惑するナタナエル。怯えと戦士の習慣が忠誠を僅かに上回り、航空アーマー内蔵兵器が己の主君へと向く。
だが、それでも、アンドレアスは。
「いいや、余は貴様に思うところも、恨みも無いぞ。全くな。
しかも航空部隊を連れてきてくれたのだから、感謝するしかないではないか。
まことの世に貴様がにあわぬのは、少々残念だがの」
「げ、元帥に報告しますぞ、アンドレアス様!」
悲痛めいて叫び、低速飛行状態の僚機と本部に通信を送る。
本部からの反応は無い。なんらかのジャミング。
しかし、流石にナタナエルが視認可能な範囲の部下達には通じたようだ。
いかに“大魔王”としもべが強くとも、四方八方に飛ぶ三十九機の新型を逃がさないのは不可能。
ここでの情報は伝わる事になる。はず。
「好きにするがよかろう」
やはり、アンドレアスは動かない。
「は、はあ?」
そこで、ナタナエルは違和感に気づく。
三十九機のプテロン・ソリオンⅡが、彼の命令を聞いて引き返すどころか、編隊を組み直して優雅に飛行している。
直前まであった返しの通信も途絶えた。
……その時!
「ぐ、おアアアァア!?!?」
焼けるようなアーマー操作用神経系の痛みと小爆発が、何かに突き飛ばされたナタナエルを襲った。KABOOM!
片方の翼がへし折られ、ボディにはメカニカルな白い金属鱗を持った、小型ドラゴンの鋭い牙がめり込んでいる!
力強くうねるメタリックな首の先には、ふわりとカールした優しげなブロンドと、茹で卵のように幼く透き通った肌が特徴的な少女の、合成魔物めいた下半身。
それは血ルビーの虹彩で挑発的にナタナエルを睥睨し、齧りつくドラゴンの口を除いた二種類の口で涼やかなハーモニーを奏でた。
「「いよっ、しばらくぶり准将。私はお前の事、そんなには嫌いじゃなかったけど仕事だしな」」
見た事がある。
それどころか、同じ作戦に参加した事もある。
ナタナエルの記憶では、この悪魔は仮想肉体、魂の姿どちらもエメラルドの瞳を持っていたが、恐らく同一人物であろう。
修練や戦闘スタイルの変更で魔力色が変わること自体は、それほど珍しくないのだから。
「ゴ、ガ、貴様、は、おア……デグレニャ……いや、その姿だとブラックバッグか?」
「「「大体あってるぜ」」
不快な金属破砕音が響く。バキ、メキメキ、バリ。
咀嚼されている。
火器すら必要ないとでも言いたげに、ドラゴンの首がアーマーを侵食してゆく。
砲門や魔力回路を起動しようとしても、背負った鞄から伸びるワイヤーに次々と破壊されてしまう。
それはいい。まあ、いい。どうせ生きて帰れない事は確かだ。
しかし、部下達の異常は?
「どうして、どうして皆、動かな、ゲボッ」
「「どうして、って准将。プテロン・ソリオンⅡにはソリオン・システムが使われてんだろ。
上位権限は誰が持ってンのかな?」」
「ぐご、んなもの、元帥殿を除けば俺に決まってる、う、が、クソ、ガホッ」
意識が薄れてゆく。悪魔の侵食が魂魄にまで達しようとしている。
「「キィハハハ! 残念、お前じゃねえし、元帥でもねえよ。
真の所有者は主の剣たるこの私、ブラックバッグだ、覚えとけ!」」
「…………」
ナタナエルはアーマーを破壊され、魂魄を食われた。
地上に墜ちた残骸が爆音と共に木々を数本なぎ倒す。
時を同じくして、突如システムに牙を向かれた三十九人のパイロットも死んだ。
ブラックバッグは長魚が泳ぐように夕闇の空を舞って引き返し、主アンドレアスに敬礼した。
いつの間にかジェットパック飛行を中断していたガストルトが、そこが定位置だとでもいいたげにドラゴンの首部分に腰かける。
「デグ、さっさと完全操作下に置け。ただのオートモードでは時間稼ぎにもならんだろう」
「「「わかってるって、航空戦監権限で起動ォ!」」」
ブラックバッグの名の由来、転送門を内包する背負い鞄から何十本ものアンテナが飛び出す。
強力な命令電波がソリオン・システムを書き換えてゆく!
アンドレアスは繊細な作業を続けつつも、満足げに微笑んだ。
「うむ、流石だ。それでは帳の儀式の続きを執り行う」
「「「はい主様。……アレ?」」」
「はいアンドレアス様。…………おいデグ、ソリオン・システムの操作を疎かにするな」
ふと、いくつかの要因からブラックバッグが首をかしげた。
遅れてガストルトとアンドレアスも。
恐るべき三人は不審げに上空を見上げた。
闇が深まりつつあるが、この場に光量の大小程度で視覚が弱まるような弱者は居らず、周囲の把握に障害はない。
新手はバージョンこそ違うが、プテロン・ソリオンであった。
通常機と比較して横幅が太く背部に手摺と機銃の付いた、機体ではなくパイロットが空中戦を行うタイプだ。
降下速度はかなりのもので、すぐに高度が並び、乗り手が明らかになる。
「余の偉業を見物にきたかベルトラン、と、セジエム、そこの怪人は確か100番、だったか?
来るなら来るで、連絡をよこしてくれてもよかろうに。
先の通信からこっち、量子化回路すらも断絶したものだから、特殊部隊か何かに処理されたかと思ったぞ」
現れたのは共同研究者であり、非合法な部下でもあるベルトラン一味。
極めて馴染み深い相手だ。
アンドレアスをして理解不能な知識欲に燃える、残虐な賢者。
にしても、今日はどうも様子がおかしい。
ただ、彼らは普段から理解しがたい言動や行動も多いのだ。
今回はそれが裏目に出て、警戒を僅かに遅らせた。
「「「主様、なんか変だぜ! 護衛がいつもと違うし、機械人形もいねえ、それに」」」
最初に気づいたのは、ブラックバッグだった。
シャキン! 鞄から引き出した機関砲を、白衣を纏う長身の骸骨めいたベルトラン博士に向けて構える。
ベルトランの表情に変化はない。
代わりに、サイドテールを揺らす女研究員と、少年の姿をした怪人が博士を庇うように動く。
「まあ、話を聞いてくだされ、アンドレアス様」
「よかろう」
「「「むぅー……」」」
「率直に言わせて頂くが、帳を破る儀式について、再考すべきだ。
ワシは確かに、帳を開けて別の時空より知識と戦力を得ることには協力しましたぞ。
しかし、全破壊して過去へ退行するとなると別だ、最初の契約とも食い違っとる!
だいたい知と進歩に対する冒涜であろうに」
「またその話か、くどいぞベルトラン。余を含む超魂族の存亡がかかっている。
貴様といえどこれ以上妨害するならば容赦せん」
「ならば完全解放ではなく、エリアを限定すべきだ、ワシらの蓄えた情報が無駄になってしまう!
世界をまとめて書き換えるなど、焚書と何が違う!」
「新たな世を、真の世界をまた研究すればよいではないか、余に貴様らの禍々しい知的遊戯を禁じた覚えはない」
「ふざけるな、同意できるものかね!」
「…………そうか、極めて残念だ。
デグレニャ、ガストルト、儀式を急ぐぞ。ベルトラン共には飛行機械隊を向けろ」
アンドレアスはかつての同志に背を向け、空中を歩き始めた。
ベルトランは、幾分マシになったがいまだ髑髏じみている容貌を悲しそうに歪めた。
最終目的が異なるだけで、知識と強さに貪欲な研究者だったのは確かなのだ。
それだけに、これ以上の説得が無意味な事も知っている。
自身とて、殺されない限り探求を止める事など有り得ない。
アンドレアスも当然同様であろう。
その時。
「「「主様、飛行隊のコントロールが効かねえ!」」」
三重の罵声を響かせるブラックバッグ。
上位権者の指令が、支配下に置いたはずの飛行隊に届かない。馬鹿な。
BUZZZZZZZZZZZZZZZ!
大悪魔は高い演算能力でもって即座に状況判断し、三本の機関砲でベルトラン一味の足場となっている機体を撃った。
一瞬の後、風元素に包まれて足場飛行機械から飛び出した金髪の少年怪人、勇者最終試験体百番“サン”がまたたく星色の防御膜を展開し、圧布を引き裂くような濃密弾幕を逸らす。
今まで無言だった青い巨大サイドテールの女、改人マインドレイク・セーズが哄笑した。
「ハハ、勘違いしていますね、火工品の悪魔。ソリオン・システムを最終調整したのは、私と博士ですよ!
それに……あっ、まだ話が終わってな…………っ」
「主の邪魔をするな」
高笑いを遮る平坦だが深みのある声に合わせ、凄まじい速度で飛来した長柄マサカリが星色の防御膜を破り、セーズの胴体を両断!
マサカリは命中を外したブーメランじみて回転しながら戻り、シュバルド軍服を着込んだ青年の掌に掴み取られた。大悪魔ガストルト。
揺らめく黄金色のオーラを発するタイガーアイの瞳が、闇夜に際立つ……しかし。
「んんんん、はぁー、野蛮な古代種、最後まで聞いてください」
二つに折れて吹き飛ぶ女研究員の切断面それぞれから青色の触手が伸びて空中で結合、白衣すらも修繕しながら原型を取り戻す!
なんという奇怪な自己修復か。
改人マインドレイク・セーズの正体は、極限まで圧縮された群体知性!
足場に着地したセーズは、操作権限を奪い取った三十九機のプテロン・ソリオンⅡの攻撃対象を、意趣返しじみてアンドレアスに向ける。
むろん、魔王の腹心である大悪魔は黙って見ているような無能ではない。
「フォーイアーーッ!!」
大量の小型ロケット弾をバックパックから撒き散らし、飛行機械隊を薙ぎ払うブラックバッグ。
一方、ジェットパックを再起動したガストルトは、恐るべきパワーで怪人サンを防御壁ごと殴り飛ばし、薄青い粘液でぬめり輝くバイオの翼を広げたセーズと睨み合う。
はるか彼方の空から時折飛来する砲撃は別行動中のカピテーヌによるものだが、巻き込みを恐れているのか散発的で、易々とブラックバッグに防がれている。
いまのところ、決定的な事象が起こる気配はない。
アンドレアスの目的を主な原因とした、この場で全力を出せない理由を互いに抱えてしまっているからだ。
とはいえ、余波だけでも相当のもの。
破壊的な火薬と魔力の奔流が、曇った夜空を星の代わりに彩り、そして…………
瞬殺されたナタナエルですが、並みの怪人よりよほど強いです。相手が悪い。
予告からずいぶん遅れました事お詫びいたします。




