幕間09 『ベルトラン』
「こちらをご覧ください、先生。ふわぁー」
鞄から枯葉色のファイルを取り出した研究白衣姿の若い女が、マナー悪くデスクに寄りかかる。
一本に束ねられた枝毛だらけの焦げ茶髪が、部屋の主たる猫背の長身男、“先生”のこけた頬を掠めた。
男はそれを気にするでもなく、受け取ったファイルを開く。
中は、白い紙が灰色に見えるほどに文字の詰まった数枚の書類。
「……面白いサンプルだ。しかしだねセズ、君は派遣屋に下働きを融通してもらう、との条件で予算をプールしていたのではなかったか?」
「ええ、その通りです。お上の連中はこっちの住環境など気にもしちゃいない。
彼女は解決のため、私が派遣屋から購入したものです。
ちょっとばかり興味深かったもので、先生に顔見せする前に簡単なデータ取りを行いました」
「結果が、これかね。なぬ、顔見せとな?」
“先生”は怪訝そうに女を見上げた。
半ば打ち捨てられたルクス祝福研究所第八研究室のスタッフは現在、彼とセズの二人しか居ない。
そして、今も室内には二人。
「いいえ、三人です先生」
縁無し眼鏡の下の深いくまが刻まれた目元を細めて、研究員セズが笑う。
指差した先をよく見ると、いったいどこから現れたのか、一人の少女が佇んでいた。ずっと前から居たかのように。
どこにでもいるブラウンの髪、醜くはないが特別美しくもない顔の造作、年齢を考慮してなおずいぶんと貧相な身体つき。
確かに、目立たない。
「お、驚かせるでないセズ!」
「気のせいですよ先生、彼女は私と一緒に入室し、ただ立っていただけです。
もちろん、身を潜めているということもなければ、そのような技術も持っていません」
「特性が常に発揮されている、とな?」
「そうなりますね、ただし、ファイルにも記述した通り、彼女は祝福、つまり先生が言うところの固有形質を持っておりません。
正確には、彼女は魔力生態系の生物でありがなら、何も持っていない。
細胞の一つ一つに至るまで魔力が存在せず、魂魄は意識のみによる……この世を生きる者には、存在感がなく、また胡乱に見えることでしょうね。
彼女はその不吉さと聡明さから迫害され、売られてシルヴェストルからルクスまで流れてきたようです」
「ほお」
「さあ、先生に挨拶なさい。これからは私達が、貴女の家族であり、上司となります」
ドアの横に控えていたツナギ姿の少女が、枯れた老婆を彷彿とさせる幽玄な歩きでデスクに近づき、ぺこりとお辞儀をする。
「こんにちは、ソリテイルと申します。掃除、洗濯、ヒト式簿記ができます。
よろしくお願いします、ベルトラン博士」
異様に薄い存在感と抑揚のない声が合わさった、やる気があるのかないのかわからない簡素な挨拶。
だが、“先生”は僅かな違和感を覚えた。
「うむ……うむ?」
「よくできましたソリテイルちゃん。では、明日から働いてもらいます」
「………………はい」
ソリテイルは、酷使により若さに似合わぬ不健康さを滲ませている研究者の顔をじっと見た。
ベルトランも少女を見返した。
少女の表情に変化はなく、虹彩は何の変哲もない赤みがかかったブラウン。
「いや待てセズ、雑用として消費するのは中止だ」
「先生?」
「ソリテイル、孤独とかいう変な名前を与えられたお前!
お前は何か隠している、いや、何か知りたいことがあるな」
研究疲れからの混乱のせいか、あるいは偏屈な同族を求める本能のせいだろうか?
ともかく、ベルトランは目の前の存在が持つなんらかの飢餓を引き出そうとした。
「はい、いや、いいえ、博士」
少女ソリテイルの表情が、ここにきて初めて動く。
数日前、研究員セズが少女を買い取った時と比べても、なお大きく動いた。
湧き出す好奇心で爛々と輝く、知に飢えた瞳。
少女は更に一歩前に踏み出すと、ベルトランのデスクに手をかけた。
「ほほう?」
「何か、ではありません。何もかも、です!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
チリチリチリ、チュィイィン。
十数本の恐ろしげな違法アームを生やした機械手術台が、不安を煽る駆動音を発している。
だが真に禍々しきは、本来患者が乗るべき場所に束縛された全裸の男と、それを見下ろす二人の方だろう。
「ぼくは賄賂を渡してなんかいないよ、だから歌おうよ、光の祭典のソレルボレロを、ハイ、アッオッア゛ッバッエ゛ッア゛ッ……ア゛…………」
にやにやと笑いながら支離滅裂な発言を繰り返す男の頭頂部を守るものは何もない。
髪も、皮膚も、頭蓋骨も。
「いつもながら意識を残しての開頭はうるさくていかん」
「完全に眠らせてしまっては不都合があるのだし、仕方がないでしょう先生。
なお思考能力の抑制には成功した模様です」
「うむ助かる。
……さてとセズ君、生体における魂魄は中枢神経系と融合し、生命維持機能のおよそ二割、思考と記憶のおよそ六割に影響を与える。
よって、魂魄のみで稼働するアンデッド存在も、肉体のみで稼働する生体人形も世界の法則を逸脱してはおらんわけだな。
だが我々は更にその先を目指さねばならん」
「はい先生」
恐るべき光景を前にして、平然と談笑する中年の男女。
彼らにとっての倫理は、論理のできそこないでしかない。
と、部屋の隅で管式モニターを見つめていたもう一人の女が口を開いた。
手術台の前の二人同様の白衣にマスク姿だが、こちらはずいぶんと若く、意識しないと見失いそうなほどに存在感が薄い。
しかし、彼女の特殊な感覚こそが今回の実験の鍵だ。
「準備完了しました」
「そのまま進めろ、ソリテイル」
「了解しました。前回の検体より抜き取った固有形質領域のインストールを開始します。
なお、付随の意識ラインは破壊済みとなります」
ほぼ同時、一本の機械アームが細い先端を全裸男の前頭葉に突き刺した。
「―――コポッ」
男の声と視線の動きに加え、アームの駆動音までもが凍りついたように止まる。
しばしの間、室内には微かな電子音と呼吸音だけが流れた。
「接合に成功しました。検体の神経パルス、魔力網、血流それぞれ安定。
素晴らしい体験です、次の論文も万全ですね博士」
「うむ、うむ、だが意識が戻るまでは安心できんぞ」
「いいえ博士、忠実な下僕として生まれ変わった彼の意識は既に復旧しています。
単に命令を待っているのみ……そうですね、挨拶なさい」
立ち上がったソリテイルの、冷徹に響く声。
台座の上で束縛された男は目を開き、微笑んだ。
頭蓋の中身を曝したままで。
「ハイ、覚醒シマシタ。新シイ力デオ役ニ立チマス」
完全な成功。
しかし、これからの実験にはより注意深さが必要となるだろう。
彼は公的機関に所属しつつ知的好奇心を満たすことに限界を感じていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――――、――――、――、――――――により、ベルトラン・ル・ロアを除籍とする。なお起訴をはじめとした法的処理に関しては後日改めて行うものとする」
読み上げられるいくつもの細かな罪状と不正の形跡。
彼の手段を選ばぬ姿勢は、わずか二十数年の間に多くの学術的名誉を勝ち取ったが、いかんせんやりすぎた。
積み重なった各種の違反と嫉妬、そして監査。
彼はさる教職からの罷免で活躍の場を失い、ルクス祝福研究所からの除籍により研究の場をも失った。
いまや彼は軟禁され、いくつもの訴訟を受け、賠償金を支払わなければならぬ身だ。
しかし、研究者としては偉大でも、もとより人格面で悪評の高かった彼の学会追放は、一般の民衆にとってさして興味のあるニュースとはならなかった。
違反や不正を行った事例こそ馬鹿げた件数ではあるが、取り上げられた一つ一つはさして重大なものではない。
大きなゴシップになるのはせいぜい、同僚を実験台にしようとして寸前で逃げ出された逸話ぐらいだろうか。
……そう、彼の知識探求における真なる暗部、凄惨な非合法実験については、彼の助手や“実験”により思考を書き換えられた協力者により公的な監査から巧妙に隠されていたのだ!
彼、いや彼らの恐るべき所業と、ルクスコリ共和国管理下の様々な希少資料喪失が判明するには、数年後を待たねばならなかった。
そして彼は。
「時間です、博士」
涼やかで平坦なトーンの声が、どこからか聞こえる。
続いてパリパリパリ、という細かな振動音と共にルクス中央拘置所の魔法金属製格子が切断された。
一辺が二フィートほどの窓から現れた侵入者が、まどろみから目覚めた部屋の主にかしづく。
それはミリタリースーツじみた暗色ステルス装束に身を包んだ細身のヒト型存在で、背や腰をはじめとした身体各所に、見るものが見れば極めて特殊とわかる装備を備えていた。
彼女はベルトランの十年来の部下である非正規研究員ソリテイル。
極めて難しいミッションを成し遂げた彼女は、決して優秀な戦士というわけではない。
むしろ、この世のほとんどの生物が持って生まれるものを持たず、単純な戦闘的能力に関してはマイナスを抱えている。
だが、それ故に無機物に対する高い適正を持つことに加え、大抵の感知魔法や監視装置をすり抜けるのだ。
彼女の存在があるからこそ、ベルトランは大人しく捕まっていたといって過言ではない。
ともかく彼は拘置所から解き放たれ、同時に彼を抑制していた世間体という箍も外れた。
「セズ先生は既に資料を纏めルクスを脱出しています」
「うむ、勇者の櫃と聖女の杭の件は」
「櫃は入手・隔離共に済み。杭は現状不可能」
「よくやった。杭はまあ、無くて良い。不確定要素が多すぎる。
それよりソリテイル、右腕はどうしたかね」
「陽動の際に爆弾として消費しました。スペア腕は拠点の方に」
「ならばよし」
「では合流ポイントに向かいます。試製強力ジェットパック起動」
「うむ……は? う、おおおぉぉ――――」
VRRRR――BOOOM!!
クリスタル燃料の爆発的燃焼に起因した薄紫の光を発する二つの影が、首都ルクスの夜空に消えてゆく。
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最新式の生体改造カプセルの中で、ベルトランは覚醒した。
生きた情報処理システムである薄青い知性粘液に包まれた彼の長身には、今なお莫大な知識が流れ込み続けている。
極めて優秀な彼の思考領域は半無限の情報の流れを統括し、取り込む。
作業の合間合間に、若かりし頃の思い出が浮かんでは泡のように弾けて消える。
それは単なる走馬灯ではない。
肉体が若返り、活性化しつつある副作用として、過去が追いかけてくるのだ。
しかし、そんなことで揺らぐような軟弱な精神だったならば、彼はここに居ないだろう。
コポ、コポポッ…………
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無数の魔法回路と、メカニカル集積回路構造が組み合わさった文様が一面に広がる正方形の空間に、銀白色のサイバネティック女人像が降り立った。
狂形質学者ベルトラン第二のしもべにして機械仕掛けの大幹部、機体名“カピテーヌ”!
「追加転移成功、システムオールグリーン」
周囲の安全と自身の動作確認、いくつかの面倒な転移装置のメンテナンスを終えたカピテーヌは、急いで部屋を出た。
カッカッカッカッカッ。
白色ケミカル照明が眩しい地下通路を、衝撃波を発さない程度に加減して駆ける彼女の顔は普段と変わらないが、彼女は焦っていた。
前回送られてきた通信の様子が尋常ではなかったからだ。
差し迫った何かが起こっている。あの時のように。
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「来たか! よし全員揃ったな!」
“本部”地下研究所の主、ベルトランが彼らしくない吼えるような声を張り上げた。
通常は各種製造物を使用した実験や怪人の訓練に使われる地下試験ホールに、ノーマル型ソリオンと奴隷研究員、休眠中の怪人を除いた地下研究所メンバーが集合している。
まず、直前にビオス細胞式知識の泉による改人化を終え、髑髏じみた容貌から幾分若返った青白い長身男、“マインドオーシャン”ベルトラン博士。
隣には、青くずっしりとしたサイドテールを生物のように靡かせる白衣の女改人、“大幹部”マインドレイク・セーズ。
その足元に、彼女のしもべである、奇怪なメタリック棒人形の仮想肉体を持つ機巧悪魔レクタニカ。
少年の姿をした勇者最終試験体百番“サン”が油断なく周囲をうかがい、勇者試験体九十番“ノノンテム”が椅子に座って舟をこいでいる。
他の怪人や博士から少し距離を置いて立つ腕が四本ある偉丈夫は、勇者試験体四十九番“カラントヌヴィエム”。
格納庫方面のドアの横には、一ダースの新型ソリオン・コマンドが微動だにせず並ぶ。
全員を一瞥したのち、ひとっ飛びでベルトランの隣に着地したカピテーヌは、表情の調整機能をオンにして顔を歪め、平坦な中に疑問形を内蔵したメカニカルボイスを呟いた。
「現在起こっている事象の説明を願います、博士」
「ケースEに該当する緊急事態だ、よって当該施設を放棄し、クライアントであるアンドレアス・エルネストとの契約解除を行う。
だが全てを持ってゆく時間が無い。人員、機材類とも取捨選択が必要だ」
「やはりアンドレアス様は帳を破る気でしたか」
「兆候はあったゆえ、何度か遠まわしに進言はしたのだがな。
なんにせよワシらがシュバルドの秘匿資料を求めていた以上、直近まで最良のクライアントであったことは確かだ。
今更言ってもどうにもならんわ」
「はい博士」
ベルトランとカピテーヌ以外のメンバーは、一言も喋らない。
セーズは事前に情報交換を終えていたし、他の連中に関しては命令を忠実に遂行するのみであるからだ。
「では放棄処理手順の最終確認のち実行に入る。
セーズはビオス細胞培養槽の解体、吸収と該当資料の内部データ化。
サン、休眠中の怪人の勇者コードを全て捕食、回収せよ。ノノンテム、補助に当たれ。
レクタニカ、通常兵器類と融合した後発進準備。ただし、飛行機械との親和性を考慮し、航空移動が可能な範囲に留めろ。余りはスクラップとせよ。
カラントヌヴィエム、ソリオン・コマンド六体と協力し、奴隷研究員とノーマル型ソリオンの廃棄処理を。施設自体の停止は他メンバーが出発してからだ。
残りのコマンドは格納庫外部ハッチ手前に移動し、直前まで待機。
直ちにかかれ!」
伝え終わった瞬間、皆が散ってゆく。
ホールにはベルトランとカピテーヌのみが残された。
「“シャトレーヌ”二号機を任せる」
「はい博士」
「…………が、その前にボディと核の換装、ベルトラン式人造魂球の再設定、オリジナル魂魄データとの融合を行う」
「了解しました。処理モードを例外設定に変更します」
「……ソリテイルよ」
「懐かしい呼び名です」
「かもしれんな」
「僅かに博士のものでない悲しみのパルスを感知しました」
「ふむ、セーズと累積情報の共有化を行った影響であろうな」
「セズ先生は博士に特別な感情を持っていたようです」
「知っておる」
「博士らしいと私は思います」
「次の機体は、ワシの最高傑作となろう」
「期待しています。ところで博士」
「どうしたね、ソリテイル」
「博士は、好奇心に何を捧げましたか」
「何もかも、だ」
「私もです。奇遇ですね」
一人と一機は、移動を始めた。




