77話 『タスクフォース』
虚栄じみて細く高い新モーリス高層市庁舎が、歪んだ朝陽に照らされている。
その屋上から遠く、遠く地平線の先を見つめる二人。
船の汽笛は数少なく、喧騒に至ってはほとんど聞こえない。潮風がビルディングの間を吹き抜ける音のほうが大きいほど。
眠らぬ金の街が、眠っていた。
「コカカー……聞いたかよ、大荒原で正面衝突らしいぜ。
本当、ろくでもねェ……なァ、長もそう思うだろ」
いかにも筋肉質な体系をトレンチコートで包んだ中年が、しゃがれた声を発した。
隣に立つ細身の老長魂族は、白く長い顎鬚を弄り回しながらそれに頷く。
「その通りじゃラマモン、命の為に命を賭けるなぞ、まっこと下らぬ、嘆かわしきことなり。
超魂族と下僕どもにしろ、ルクスコリ軍にしろ、所詮は蛮族よの。
さっさと停戦して、儂の街で金を落としてもらわんとのう」
「おゥ、世の中、忠義より信用よ信用、現世利益求めねェ奴は何やらせたってダメ」
「うむうむ、なによりそこよな、金が入ってこんのは最高につまらぬ」
長らく冷戦状態だったシュバルド魔王国とルクスコリ共和国が物理的な争いを再開してはや三年。
一応ルクスコリに所属してはいるが独自の政治体系を持つうえ、シュバルドとの交流もあるモーリス市にとっては、あらゆる意味でマイナスしかない戦い。
なにしろルクスコリが勝って勢力を伸ばせば自治権が危うくなり、シュバルドが勝ったら勝ったで非常に高い確率であちらに併合される。
悪魔ラマモンと彼のあるじ、モーリス市長ドミニクが毎朝こうして市庁舎屋上で不平不満を呟くのも、無理もない。
そもそも、彼らは政治的立場を別にしても戦いを嫌う。
イデオロギーが固まってない相手であればこそ、金と歓楽の力で堕落させ、支配することができるゆえに。
加えてモーリスは観光地であり、別大陸の窓口であり、利権をこよなく愛する商人の街。
成り立ちからして最低限の平和があればこその勢力である。
造船所のいくつかが活発な程度では、対価として到底割に合わない。
「ですなァ……アア、始まったみてェだ。頼むぜ、共倒れになってくれや」
振動と空間の歪みを察知したラマモンが黄水晶の虹彩を細めた。
市長ドミニクは無言で紙巻きに火を点し、平和な煙を吸い込んだ。
彼らが今できるのは、静観し、不平を呟き、広がってしまったスラムを封鎖することだけだ。
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魔法で大地が燃え、砲撃で大気が裂け、地平線の先が不吉な色に染まる。
翼竜が空を舞い、対空砲が翼を撃ち抜く。
紫の雲を吐いて高速飛行する飛行機械のクリスタル燃料エンジンを、腐食の印が刻まれた投槍が破壊する。
戦車と騎兵が正面衝突し、勝った戦車に化学エネルギー弾が吸い込まれる。
陸上戦艦が砲撃し、固定障壁がそれを受ける。
また別方向で、ひときわ大きな罵声と振動。歩く丘さながらの恐るべき巨獣と歩行機械の乱闘!
世界が揺れていた。少なくとも、当事者達にとっては。
無理もない。ルクスコリとシュバルドの国境を中心として広がる大荒原内のごく一部、広く見積もって直径五十マイルもない領域内で、二国の主戦力が陣をしき争っているのだ。
人数だけで見ても十万を超え、擬似悪魔兵や使役された魔物が解き放たれている事を考慮すれば、あらゆる場所で戦っているといってよい。
もちろん、そんなことをすれば無駄に犠牲者が増える。
だが、しかし、蛮行を止めるものなど居ない。
モーリス市をはじめとする自治都市の武力が、現状の百倍以上あればあるいは違ったかもしれないが。
なにしろ、その一角は神代からのバトルフィールドであり、ルクスコリとシュバルド双方にとって特別な意味を持つ。
特にルクスコリにとっては、数千年の昔に超魂族に挑み、初めて撃退した後の伝説的ルクスコリ王生誕の地であり、国境の起源。
……だからこそ“大魔王”アンドレアスは堂々と軍勢を終結させ、共和国軍も受けて立ったのだ。
もっとも、今となっては大荒原で戦う事それ自体が、民衆を納得させるための理由付けに近くなっているのも確か。
実際、ルクスコリの目的はアンドレアスの暗殺による有利な終戦であり、シュバルドの、正確にはアンドレアスの目的も大荒原やルクスコリの支配ではない。
そして、ザリザリザリ……
「あーあー、状況を頼む、リソースの余裕がない」
全てが魔法建材で構成された、急ごしらえの壁が音を……いや、喋った!
決して怪奇現象ではないし、施設内放送でもない。
恐るべき地元素操作技術で建造物に溶け込んだまま通信機を操作するのは、聖堂騎士団工作部隊長“大地の勇者”エリクと、“光の聖女”ジョゼ。
二人は戦闘の混乱に乗じてシュバルド第二前線基地に潜入していた。
ザリザリザリ……
(外部の戦況は一進一退、“幽体”は既に成層圏に到達。“魔王”攻撃にあわせて“R”と“A”の破壊予定。それよりも、セキュリティ観点から音声より文字通信の優先お願いしたい)
素早く返答が帰ってくる。基地の外壁に取り付き、外部情報の取り込みと基地内部への侵食を行っている怪人少年サンカント……の魂の同居人、“サンキエム”だ。
“彼女”はエリクとジョゼの使命を補助するため、正確には使命を終えた先で殺せるはずのもののために奮闘している。
大荒原に現れた“大魔王”アンドレアスの居所は、本人の堂々たる行動も相まってそこまで秘匿されてはいない。
シュバルド軍なら大体が知っているし、ルクスコリ側も精密さはともかく認識している。
だが反魔法結界の使い手にして、強大な超魂族の彼を倒すとなると話は別。
繊細かつ大胆な作戦が要求される。
“サンキエム”の力はその助けになるだろう。
「すまん無理だ、侵入の際に画面を損傷した。
それで基地内の視界は?」
(構造把握済につき道案内はします。ただし、回線を通して管理権を奪い取る事はできない。敵は不明な技能を用いて情報系統を掌握、隔離している。“魔王”ではない、“魔王”は演説の後基地内に戻っており、タイミングが合わない)
「ふむ……」
(全て処理して進めば問題ないですね、司令管制室を直接叩くのは必須でしょう)
「無茶を言う」
(それが可能だ、とあの子から聞いていますが)
「可能だが」
(頼もしい事で。しかし)
「どうした」
(手薄過ぎる、“魔王”が護衛をほとんどつけないのは既知といえ、前線基地のひとつが何故こんな、しかも……)
「いや、全体の指揮を取っているのは別の基地に居る将軍で、ここと関係ない。裏も取れている。
が、疑念はわかる、連中の本来の目的は何なのだ?」
(当方、判断に足る材料を持ちません。なお進行方向は……っ! 干渉が、馬っ……遮……)
「りょうか、うぬ!?」
(ザザザー…………乗り切りました……が、警戒の関係で反応薄くなると認識を)
ザリザリザリ……
「進みましょう、エリク」
「ジョゼ、お前は」
「うふふ」
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その頃、大荒原の片隅にある岩場にて。
偶然か、意図したものか、不思議と音の少ない空間。
戦場であることに変わりはないが、周囲と比較すればましなのは確か。
……と、岩陰で霞んだシルエットがちらりと動いた。
巨大な荷を背負った小柄な影と、小さな荷を背負った長い影。
いずれも二足歩行だ。
全身が古びた迷彩布で覆われており、所属や顔は判然としない。
「少将、ほんとにやるんですかぁ」
「シッ、今の俺は少将じゃねえぞロズ……あれだ、そういうことになっとる」
「なら静養しときましょうよー、怖ぁいお嫁さんに絞められちまいます」
「外出許可はあるし、ニックも置いてきたからよ、怪しまれる事もねえさ」
「矛盾を感知しましたー」
「じゃあお前は皆の無念を晴らしたくねえってのかよ、そも発案はお前だろうが」
「わたしは、奴が絶対に出てくるって、出て、ちくしょう、少将、わたしの、わたし……わたしだって、殺したい、ですが、わたしはサポートしかできねぇですから」
「俺がそう簡単に死ぬかバカ。将軍で、長魂族だぞ」
「うー、ご武運を。失敗したら悲しみますよ、三人ぐらい」
「しねえよ、お前こそヘマすんじゃねえ」
「そんなったら逃げまさー、っと、うっし起動」
小柄な影が、襤褸布で巻かれた巨大な荷物を岩と岩の隙間に下ろす。
カチ、カチカチ、戦場の振動にかき消される程度の微かな機械音が鳴る。
布の隙間から、十数本もの金属触角が伸びた。
「どうだ」
「はー重いだった、あいお待ちぉ、おー……司令部発を含む千九十三の波を感知、魔力波、電波、混合型……時間ねっから暗号めんどいのは除外ぃ……んあ?
あるぇ? 感知できてんのに合わせらんねーのが……オイこりゃ、しゃんとしろポンコツ、いや違う、新体系っか、んーんー、諦め。
位置情報をと、おけーどけー、いけます少将」
「うむ……すまん」
「任せなせ」
言うと、小柄な影は岩と装置の間に滑り込み、操作に集中しはじめた。
もはや岩の一部にしか見えない。そうなるよう準備してきた。
「待ってろよ、悪魔」
長い影が歩き出す。もはや後ろを見ることもない。
素早く、静かで、風と砂と一体化した長魂族の忍び足は、維持すればするほどに隠密能力を上げてゆく。
影が薄まり、砂塵と重なり、厚みが薄まり、高さをも失う。
最後まで迷彩マントの裾から覗いていた不思議な形状のクロスボウも、風との親和性が深まるにつれ、ゆらめく風に溶けて消えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「さて、タイミング合わせるとはいったもんの、どうしたものやら」
「クワー」
しもべに乗って成層圏を浮遊するリュミエラの呟きが、薄く冷たいオゾンとオドンに溶けてゆく。
獲物の隙を窺う彼女は、ある懸念から最後の一歩を踏み出せないでいた。
コンディションそのものは問題ない。
偽りの聖女のパワーソースは、常人なら有害ですらある濃い陽光と降り注ぐ宇宙線の恩恵を存分に受け、全開だ。
むしろ、地上よりも調子が良い。
足場のクロマクにしても、余裕は十分にあった。
リュミエラのように空からパワーソースを補給することこそできないが、翼開長百フィートを超える幽体ドラゴンの巨体には、前もって蓄えた瘴気と霊気が渦巻いている。
加えて、展開する影と氷と雲の混ざりあった防御物質は、元来虚空に溶け込み雲の上を漂う能力を持つのだ。
待つだけなら消費はあってないようなもの。
ものなのだが。
「あ゛ー、遅い」
“高空航空輸送艇処理作戦”にもとづいて大荒原上空へと出撃したリュミエラが二隻の位置を確認し、近い座標に待機をはじめてからかなりの時間が経つ。
地上と連動して叩くという話であったが、機械的に座標が送られてくるだけで、その頻度も上昇中よりかなり落ちている。
遥か上空に居る彼女からだと詳細までは不明とはいえ、戦闘が既に始まっている事ぐらいはわかる。
タイミング、とやらはどうなっているのか?
とはいえ先走って動くわけにもいかない。
なにしろ、リュミエラとクロマクが本気で動くと高温や劣化で通信機は確実に破損してしまう。
少なくとも具体的な指示を聞くまでは、待つしかない。
「にしても、地上から見るのと比べてでかいことでかいこと」
二機の輸送艇は一般的な戦闘機や飛行型魔物とは当然別物だが、なにしろ飛行物体としては並外れたサイズ。
ルクスコリの飛行戦力で最も大型の部類であるクロマクと比較しても、見かけ五倍以上はある。
船と飛行機械を歪にハイブリッドさせたような姿と、高い輸送能力を考えれば装甲や武装に過剰に怯える必要はない。
だが、耐久力が低いとは思えない。少なくとも成層圏での長期活動に耐える外殻とエンジンを持つのは確定。
待つことに飽きたリュミエラは、地上で考案した破壊手順を、現在目の前にある輸送艇と比較しつつイマジナリー・トレーニングをはじめた。
……その時!
(ORAN開始せよ、う? 終了)
地上の“サンキエム”から開始の合図が届いた。
届いたが、何かがおかしい。おかしいが、構う余裕はない。
即座に使い魔回路を通して、しもべに思考を送った。
当然、作戦は決まっている!
「了解、行けクロマク! シャンジュ、エトワル!」
赤黒いフードマントをはためかせて叫んだリュミエラは、白い左手で握った竜牙剣、“牙”を天に掲げた。
同時に、真紅の鱗に覆われた右手の鉤爪で紅く透き通る“鱗”を固定し、仮面じみて顔に押し当てる。
全身から力強い古代ドラゴンのオーラ紋が立ち上る!
“牙”は透けるような肌に溶けるように吸い込まれ、“鱗”は目の部分に覗き穴がついて実際の仮面と化す。
陽炎のようにゆらめくシルバーブロンドは、シャープな兜さながらのシルエットを描いて後頭部を守る白銀の板に。
白熱して輝く右腕は骨格から変異し、鉤爪が伸び、艶やかな真紅の鱗に覆われて左のドラゴン状腕と同一に。
レンファニウムの左脚から展開された無数のワイヤーが、筋繊維のように周囲の侵食を開始。
上半身から広がる鱗と、下半身からのワイヤー装甲は腰のラインで衝突し、融合した。
更に変化は続く。
全身がガリガリと音すら立て一気に大型化しすると共に、尾骨が長大な真紅の鞭尾へ。四肢は槍を連想させる鋭さと長さ。
元より六フィート近い身体の足先まで達していたフードマントは、いまや腰にすら届かぬケープでしかない。
ワイヤー筋繊維に包まれた白銀の脚は、官能的なカーブを描き、踵からは危険な蹴爪。
両手の鉤爪は刃渡り四インチを超え、もはや短刀だ!
「グカァーッ!!」
ガコン、と仮面鱗が半月に開き、咆哮が迸る。
ドラゴンじみた大口には、竈の商人族怪人のサンカントに輪をかけて美しく鋭い牙が、生え揃っていた。
左の犬歯が口を閉じても覗くほどに長い。
元々の印象を僅かに残しながらも、ドラゴンさながらに釣りあがった瞳の虹彩は、やはりありとあらゆる光を飲み込む漆黒だった。
…………ここまでの変化に必要な時間、常人の瞬きにして僅か三回分!
「シュウゥゥゥ……」
もちろん、戦闘態勢に入ったのはリュミエラだけではない。
“少しは雲があっても不審でない高度”に潜んでいたクロマクは、不要な防御物質を弾き飛ばしながら不定形の翼を広げ、一気に上昇する。
オゾンとオドンの冷たい風が、戦闘用に変化した一人と一匹の身体を心地よく撫でた。
リュミエラの視線の先は、成層圏巡航用のエンジンから仄かな空色の排気を吐く二機の飛行輸送艇。
近いターゲットは二マイルほど先で、互いの速度と射程を考慮すれば、実質的に隣接だ。
隣接だからこそ、良い。
いかに変身と宇宙線で強化された偽りの聖女といえど、数百フィートもある飛行物体二機を同時に撃ち落すのは厳しい。
よって、片方に直接取り付いて無力化した上で、もう一方を収束光線で撃ち、移動能力を喪失させる。
あとは近寄って破壊すれば、任務完了だ。
太めの流線型をした暗色の船体は、もう目の前。
前もって映像を確認しているリュミエラは、“高空航空輸送艇R”と空軍挺“エアフォルク”の判別ができる。
シュバルド王国のマークが刻印され、突起物が少なくモダンな印象を受ける船体が“エアフォルク”。
所属を示す模様がなく、機銃や探知機の類で禍々しい船体が“R”だ。
リュミエラは一番目の獲物の翼に、伸び広がる樹の刻印を見た。
まずは、エアフォルク!




