76話 『空の色』
数日前より続く天候不順で、ルクスの空は帳のように垂れこめ、灰色に染まっていた。
陽光を注ぐべきソレイエルの瞳は人々の目から隠れ、夜は星も見えない。
だが昨日今日と雨は降っていないし、降る気配もない。
本来なら薄曇り程度と認識される天候が、シュバルドの結界によって濁った空と重なることで重苦しく感じさせているのだ。
結界の発生が確認されてから二年を超えているにもかかわらず、植物の成長やリュミエラのパワーソース回復に影響が出ていないあたり、本当に見た目だけなのだろう。
民衆の不安を煽っている時点で、完全な無害というわけでもないのだが。
「……んん、も、朝か」
床と壁を覆う保護材により、およそヒトの住居とは思えない殺風景な一室の片隅に敷かれた耐熱毛布を蹴り上げ、リュミエラは起き上った。
白い肌と深紅の鱗に付着した薬臭い灰がさらさらと滑り落ちる。
小さな窓からは殆ど光が入ってこないが、時刻ぐらいは本能で把握できるため問題はない。
身体から灰を払い落し、口を濯ぎ、脱ぎ捨てられたいつもの赤黒い上下を拾って焼き清め、着なおした。
そうこうしているうち、毛布を失ったもう一人が目を覚ます。
「ふぇー、さむ」
「おはよサンカント」
「うん、おはよ、すっげおなかすいた」
「あ……また、ごめんね、お昼奢るから」
知っている。サンカントの過剰な空腹の原因はリュミエラにある。
彼女は朝の挨拶の一種となりつつある謝罪を呟き、怪人少年の上半身に腕を回した。
通常、彼女は他人と床を共にする事はできない。幼少期の時点で父母が添い寝を諦めるほどだ。
なにしろ、睡眠中の体温が通常の生物を熱死させうるほど高いことに加え、昂揚などで感情が制御不能になると、活性化した偽りの聖女が周囲を焼き焦がしてしまう。
二人が近くにいられるのは、サンカント側が改造に由来する自己修復能力を備えた強靭な肉体で耐えているからだ。
元々の燃費の悪さに熱傷の高速修復にかかるコストが加わった彼は、毎朝余分に腹を減らしていた。
“サンキエム”曰く食費が増える以外の問題は無いようだが、リュミエラとしてはやはり多少の引け目を感じる。
かといって、特に用事でもない限り、今更離れて休むなど双方考えられない。難儀なものだ。
「だからさリュミエラさん、俺が好きでやってんだし気にすんなよ」
「あたしのプライドの問題、黙って奢られなさい」
「うーい」
戦時中につき不穏ではあるが、いつも通りの聖堂騎士団宿舎の朝。
身支度を終えたサンカントがカットしていないバゲットをバリバリ齧っている。それも普段通り。
日の出にはもう少し、食堂や工作部が開くにはさらにもう少しかかる。
リュミエラはだらしなく欠伸をしつつ、冷えた果汁の詰まったブリックパックを開封した。
……その時。
「外、騒がしくねえか」
三本目のバゲットをギザギザの牙が並ぶ口に押し込んだサンカントが、金と黒が特徴的な瞳を半閉じにして首をひねった。
先代勇者コードの一部により反響定位を使いこなす怪人少年は、だいぶ鋭敏な方のリュミエラと比べても極めて耳が良い。
「あたしの耳じゃそんなでもないし、夜も明けるんだし大したことでも、まあ気になるなら出て、ん?」
一応、といった感じで“鱗”を嵌め込んだフードマントを纏い、竜牙剣を掴んで警戒するリュミエラ。
サンカントは小さな窓を開けようとした。
ジジジジジ、ジジジ。
「ん」
「なんだろ」
耐熱ポーチが振動した。サンカントのジャケットも。
貸与されている携帯通信機だ。
かかってくる可能性それ自体は、工作部の面々、バスチアンほか数人の水晶集め関連の知人、馴染みの店や施設などそれなりにはある。
あるが、こんな時間に?
二人はほぼ同時に掌サイズの黒い直方体を掴み、振動とビープ音を止めた。
「こちらリュミエラ、ん、副隊長こんな時間に、あ、はい、いいえ、どうされました、ハァ……
いえ行くのは行きますが…………え、今ですか、すぐに、行けばわかる? 来てから? はい、そりゃそうですけど、ええ? 出てみろ?」
「サンカントです、はい……はい?
はい、リュミエラさんなら居るぜ、うん、はい、通信中で、そうマリエットさんっぽいけど、代わる……なくていいですか、はい。
たいちょーはどこから、あれ、ルクス? 改フォルティ基地なんじゃ、昨日? 話が見えね、は、行く、行きます」
ほぼ同時にかかってきた通信が、ほぼ同時に切れる。
「えーっと、出勤らしい?」
「説明、足んねえよ隊長……」
二人は顔を見合わせて首をひねったが、ともかく準備して玄関ドアを開けた。
開放廊下から、陰鬱に淀んだ都会の夜明けが。
いや、違う!
「は」
「ア゛?」
空が青みがかった色に染まっている。
青は青でも晴れてはいないし、深い雲の鈍色でもない。
夜空の青黒さとも、シュバルドの結界や汚れた空気による濁りとも違う、混ざった塗料が滴り落ちるかのような、戯画じみたグラデーション。
何故、気付かなかった?
窓を透明度の低い耐熱性のものに入れ替えたから? 違う。
実際の光量が、変わっていないからだ。
何らか、おそらくシュバルドの、さらに発展したまやかし。
“少し騒がしい”が、“騒がしい”になりつつある。
工作部へと急ぐ。
再び、通信機が鳴っている。
移動しながら取る。
「こちらリュミエラ…………」
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空の変化から十数日。
刻一刻と急変する情報の渦で首都ルクス、いや、ルクスコリ共和国全域が混乱していた。
塗料じみて歪んだ空は、その後の調査で以前の結界のような全域ではなく、ルクスほか数ヶ所の地域でのみ起こっていることが判明している。
リュミエラは変化の当日にファルギ村の父ロドリグと連絡を取ったが、村周辺と火山上空は普段通りで、森の一部が染まっていたということだ。
法則性があるのか、どの程度有害なのかは不明のままで、元に戻る気配もない。
しかし、情勢は空の色などにかまっていられなくなりつつあった。
「あら?」
コン、コン。
一仕事終えて工作部に戻ってきたリュミエラは、会議室の扉をノックした。
呼んでおいて、まるで反応がない。再度ノック。
コン、コン。
ない。
「隊長、エリク隊長……おーい? 隊長?」
反応がない。
ガン! ガン!
ようやく、声が返ってきた。
「……………………む? ああすまん、入ってくれ」
普段応接間として使われているだけあって、やたらと豪勢な会議室の椅子に深く腰掛けたエリクが、リュミエラを出迎える。
珍しく、事務や連絡のための工作部スタッフがいない。“勇者”エリクただ一人。
テーブルの上に広げられた大きな地図と手元のファイルを交互に見ながら唸っていた。
「八番砲塔の充填、終わりましたよ隊長。あと結晶体にもフルで突っ込んだんで、五十発ぐらいは撃てると思いますが。
で、あたしが不在中の八番砲塔、またバスチアンさんにお願いするんですか?
こないだ飲みに行った時、奥さんの愚痴がすんげーってくだまいてたんですけど……」
「お疲れさん、それで、む、ああ、バスチアン氏いやマドロスさんには諦めてもらうしかないだろ。
最悪、僕が直接補償する必要もあるかもだ。
人員に余裕がないというか、各砲塔のシフト考えたら引っ張ってこれるのが居ないんだよ、技師と射撃兼任できる氏が追加で入ればギリギリで八番を止めずにすむ。
充填分が切れるまでだが、まあどうにかこうにか」
「え、隊長、こないだは別の人いたじゃない?
まさか戦死なんてしてないでしょ、たまに偵察機や翼竜が来るぐらいなのに」
エリクのものよりややシンプルな椅子に腰掛けたリュミエラは眉を顰めた。
以前見た資料では、休眠していた二年半を含めてルクス内での軍事関係死者は二桁、それも防空体制が固まりきってない開戦初期に集中していたはず。
いくら様々な異変があるといっても、首都内での生死が報告されないほどの無法状態ではない。
「違う、生きているだとか死んでいるだとか、そういったことではない」
「はい?」
「前に南部大荒原にシュバルド軍が陣を敷いた話をしただろう、その対応関連で技師連中は無休だよ」
「あれ、結局のとこ囮かなにかって話じゃなかったんですか? 一昨日のニュースで……」
「いや待て、どこのニュースを見たか知らんが、囮どころか下手をしなくとも大規模攻撃の可能性が高い、複数の魔国特定兵器に加えて、再調査ではアンドレアスの存在も確認されている。
こっちも限界まで付近に戦力展開するしかない状況だ。
どうにか正面衝突は回避したいが無理かもしれんな、少なくとも戦闘なしでの調整が行われることはあるまい。
僕とジョゼも、アンドレアス対策に大荒原まで出ざるをえんだろう」
通常は生命力と隠密性を活かした各種工作、遊撃による支援などが主な任務のルクスコリ“勇者”と“聖女”だが、一つだけ例外がある。
シュバルドの首長である“魔王”が前線に現れた場合だ。
確認された時点で、対象の暗殺あるいは迎撃が最優先事項に変化する。
それは単なる慣例ではなく、“勇者に関する法律”と“ルクスコリ聖女法”に明記されている。
何故なら、かのベルトラン博士にすら詳細が暴けないほど厳密に秘匿された“勇者”製造技術や“聖女”の特性情報それ自体が、超魂族の王を倒すためのものであるからだ。
エリクとジョゼの使命といってよい。
上級水晶集めだけあって、それなりに法に詳しいリュミエラは露骨に顔をしかめた。
今更の話だが、彼女とサンカントは定められた手続きによって雇用された、“大地の勇者エリク”の部下である。
副隊長マリエット他工作部の面々に世話になってはいるが、“聖堂騎士団工作部隊長エリク”についているわけではない。
そして、勇者直属の部下というだけなら他にも数人存在するものの、戦闘員としての雇用は二人だけ。
……つまり、特別な事情がない限り“勇者”同様、前線に出なければならぬ。
少なくとも、ベルトラン怪人のサンカントは各種登録に関して工作部のつてを利用して書き換えているため、雇用契約解除による拒否もほぼ不可能だ。
リュミエラにしたところで突然不義理を働く気はない……ないのだが。
「うええ……大魔王、大魔王暗殺、ねえ……」
彼女は実際戦闘狂であり、戦場に出ること自体に怯えはしない。
むしろ、彼女の人生はその起源からして血塗られている。
とはいえ、倒したいのはベルトラン一味、更に限定するなら因縁のユニーク・ソリオン、カピテーヌだ。
アンドレアスをはじめとするシュバルド人は、ルクスコリ人として敵対はしているが最優先とは違う。
そちらと戦って死亡や再起不能になり、ベルトランを逃すのは最悪のシナリオ……が、今更どうしようもない事はわかっている。
エリクも当然、二人の心情を知っている。いるが、彼は“勇者”であり“隊長”であった。
彼は言った。リュミエラは遮って言葉を重ねた。
「すまん、懸念はわかる。が、必要で……だな……」
「あたしはこんなでも、サン=ウラガンの、父さんの名を継ぐものです。
国の危機に私情優先はさせませんよ」
しかし。
「ま、待て、最後まで聞け!」
難しい顔とともに吐いたリュミエラの決意は、慌てたエリクに遮られた。
「リュミエラさんとクロマク、それにサンカントが暗殺計画に重要なのは確かだ。
けど僕らと一緒に行動するわけじゃない、というよりもアンドレアスと戦う事はない」
「はい、は?」
「魔王アンドレアスを急襲するにあたって、排除しなければならない障害がいくつかある。
一つは当然シュバルド軍の航空部隊と機甲部隊で、これはルクスコリ軍と聖堂騎士団の各種部隊や特定兵器が相手をする。
現在進行形で大荒原手前に集結中なわけだな。
次に魔王の側近である大悪魔で、これは直接叩かないとどうにもならないゆえに、僕とジョゼが分断か処理。
最後に、魔王と直接コンタクトを取っているのが確認された特殊チーム、つまりベルトラン一味だ。
なお、この話は、今カルヴェ所長のところに居るサンカントにも伝え済み」
“勇者”エリクが、にやりと笑う。
リュミエラは目を見開き、なるほど、と頷いた。
不幸中の幸いというべきか。
「サンカントは、“サンキエム”として情報戦の補助と対怪人警戒に動いてもらう。
大荒原周辺からシルヴェストル区にかけての地下に、ベルトランの本部基地が存在する可能性が高くなってきたため、そちらの捜索も兼ねてな。
まあ、無理はしないように言ってあるし、サンカントならともかく“サンキエム”は危なければ引くだろう。
アレと初めて会った時は驚いたぞ、うちのツチヤ並みかそれ以上の情報処理能力とは」
「考慮はすごくありがたいです、が、あれ、ならあたしは?」
「もちろん仕事はあるぞ、とびきり重要なのが。
正確には、リュミエラさんとクロマクでないとほぼ不可能だ」
「あーあーあーあーあー! 超高空輸送艇の!」
「うむ、忌々しい“高空航空輸送艇R”と“エアフォルク”はほぼ確実に、大荒原上空に現れる。
強化遠見レーダーの配備で、首都や重要拠点への自在な降下を抑制する事はできたが、高度がありすぎるうえ移動するため撃墜の段取りがつかなかった。
しかし、来る事がわかっていれば話は別だ、そうだろリュミエラさん」
「……当然、やる」
現状、ルクスコリの技術でシュバルドの新型高空輸送艇が対空する高さまで上昇する事はできない。技術では。
半霊体のボディを持ち、備蓄した魔力を用いて浮遊する幽体ドラゴンのクロマクなら可能だ。
ただし、クロマク単体では移動速度と攻撃射程から撃沈はやや厳しい。
そこでリュミエラの出番だ。
有害な光熱に対して完全な免疫を持つことに加え、陽光のエネルギーが回収できる限り呼吸が不要で低温にも耐性を持つ。
クロマクと共に、生身で新型高空輸送艇と対峙できる。
限界や高空での挙動は秘密裏に実験済みだ。
移動速度の問題も、一度射程内に入れば偽りの聖女の収束熱光線がある。
追跡ならともかく、特定地点上空への襲撃なら、落とせる。
おそらく、目前の機会を逃せば当分やってこない。
「うん、良し。今は解散。こっちのスケジュールが確定次第、再度集まって詰めだ」
「了解、隊長」
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ザリザリザリ……
オゾンとオドンが彼方に煌く。
薄い雲を見通すと、風とイオンの上にはソレイエルの瞳。
更に上に、小さくてその実大きな星々。
当然、例の不快な結界も、都会の濁った大気もない。美しい。
受け継いだ星の子のミームがざわめく。
細かなエキゾチック物質の混ざった冷たく薄い風が渦を巻き、吹き抜けてゆく。
通常の呼吸が可能な高度は既に抜け、代謝は偽りの聖女へと移行している。
クロマクに騎乗したリュミエラに、地上から座標情報が繰り返し送られてくるが、通信を返すことはできない。
察知される可能性があるからだ。
“R”の装備に関しては不明な点が多いが、シュバルド空軍所属の“エアフォルク”は間違いなく空軍機同等かそれ以上の探知能力を持つ。
時が来るまでの隠密は、雲とクロマクの展開する影状の防御物質が頼りだ。
高空なだけあって陽光から回収できるパワーソースが多いため、待機で活力が切れることはない。
タイミングだ、全てはタイミング。
送られてきた座標に合わせ、クロマクを更に少し上昇させる。
そろそろか。
「見えた」
一瞬雲間を抜けたリュミエラの瞳が、なんらかの対遠見フィールドに覆われた巨大な影を補足した。
彼女は特別な遠見ができるわけではないが、あらゆる光の波長を個別に認識可能なため、隠蔽する効果には極めて強い。
まだ、まだだ。地上と合わせる必要があるし、射程内には遠い。
慌てて高度を下げ、雲の覆いの庇護下に戻る。
時を待つ。
ザリザリザリ……
怪人図鑑そのさんじゅうさん
〔知識の泉計画試験体『マインドレイク・セーズ』〕
勇者試験体十六番、怪人セジエムが知識と力の更に先を求め、改造ビオス細胞で構成された巨大演算回路と融合した新世代怪人。
薬と短時間睡眠の影響による、顔色の悪さをはじめとした不健康な印象が一新され、非常に活動的になっているが、狂形質学者ベルトランを師として信奉しているところは変わらない。
怪人を超えた存在として改人を自称し、弾力性を備えた青く輝くサイドテールは非常に強力な武器だ。
・おおきさ
5フィート8インチ、410ポンド。
・装備
耐元素白衣
デザイナーズ・ビオス演算システム
・特殊魔法と能力
「精神耐性」
「思考力最大化」
「マインドレイク・スライム」
「ベルトラン改人基本セット」
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