幕間08 『先の先へ』
シュバルド王国首都ハイゼア、シルムシュテルン広場。
演説を終えた“大魔王”アンドレアス・エルネストは詰め掛けた民衆に手を振ったのち、威厳ある足取りで専用のクリスタル燃料車に乗り込んだ。
背後では熱狂が続いている。
城へ向かって移動する専用車に同乗する護衛は側近一人のみで、随伴も無しという笊じみたセキュリティ。
だが、決して不精や人員不足ではない。
アンドレアスに限らず、シュバルドの首長は国内行事に顔を出す際、護衛を必要最小限しかとらないのが慣例だ。
今でこそ政治的能力や人望“も”求められるが、王の称号それ自体が最強の証明であるのは古代と変わらない。
特に事件もなく城内首長執務室に帰還したアンドレアスは、珍しく笑みを浮かべながらひとり呟いた。
「時は、満ちた」
彼が“大魔王”と呼ばれるようになってはや四十数年。
超魂族の長い歴史からすればごく僅かなものだが、蟲毒のごとくに喰らい合うシュバルド王の在位期間としては極めて長い。
彼は超魂族を含む高次霊的種族の誇りと楽園を取り戻すため、首長となるずっと前から合法非合法問わず準備をしてきた。
いくつもの秘儀を再現し、貪欲に機械工学と次元論を学び、殺し、懐柔し、操り、示す。
過程で近代ルクスコリ最大最悪の罪人、稀代の天才形質学者ベルトランを拾えたのは僥倖であった。
彼と彼の信奉者、そして彼が盗み出した封印されし先代勇者の魂魄が無ければ、計画は百、いや二百年は遅れていたであろう。
ともかく仕込みは終わり、後は実行のみ。
シュバルドとルクスコリの主戦力が衝突するバトルフィールドの中でこそ、アンドレアスの儀式は完成する。
戦いそのもので勝つならそれはそれで最高だが、必要というわけではない。
ベルトランと共同開発し、ルクスコリ共和国の各所に埋め込まれた魔力吸収放射ポイント、併せて打ち込んだ境界を開くためのアンカー、ルクスコリの空に展開した“何もしない”極大結界、戦場で発生する集合魂魄の力。
……そして、当然、アンドレアス自身の力。
世界を、時代を取り戻す。
カリカリカリ、複合魔力暗号化された通信機が起動する。
ウィンドウには“元帥”の表示。
「どうだ、ジグムント」
「目主統警簡節速集奇地物いずれも滞りなく。我が軍は件のオペレーションに向け、完璧に仕上がっております」
「うむ」
「アンドレアス様、その……」
「必要なし。決行の際は余も出る」
「は」
「以上だ、次は現場で」
カチリ、ある意味で最も重要な通信が終了。
ここまで来たなら、後戻りも失敗も決して許されぬ。
静かに息を吐いて思考を再度整理したアンドレアスは、椅子に深く座ったまま、背後に控えるブラウンヘアのミリタリースーツ青年を手招きした。
なんということもない仕草だが、十フィートもの身長と艶やかな濡羽色の髪に後押しされて表現しがたい威厳と魅力を発している。
少なくとも、青年には決して逆らえないものだ。
青年が能面じみた顔に僅かだけ喜色を滲ませて主に近付き、子が親にするかのように寄り添う。
アンドレアスの異常長身相応に太く長く力強く、しかし滑らかな象牙色の指が、青年の喉を撫でた。
不可思議に煌めくタイガーアイの瞳を細め、猫じみた掠れ声を漏らす青年。
だが、彼はすぐに己を取り戻す。まだ仕事場だからだ。
「っ、アンドレアス様?」
「ガストルト」
「ハイ」
青年、つまりアンドレアスの側近にして大悪魔のガストルトは、携えていた鞄を主に差し出した。
一般的なものとほぼ同じような大きさで、背面に二つ目の口が浮いた奇妙な黒鞄。
アンドレアスはそれを膝の上に乗せて開き、おもむろに手を突っ込んで中をかき回した。
鞄が、生き物のようにびくんと跳ねる。
「ミ゛ゃあ゛!? ぁ、ぬ、主様、ちょ、今はまず……じゃね、ですか」
……喋った!
鞄はもう一人の側近、大悪魔デグレニャだ!
ヒト型の仮想肉体と魂の姿に加えて、鞄じみた第三の実体を備える彼女は、城内や公式の場では基本的に持ち運ばれている。
もちろん、収納部位は通常の鞄として使える。偽装に抜かりはない。
「あ、えと、もがっ、あっ、い、あ゛、ギシャー!」
「冗談だ、少し、ほんの少しばかり気晴らしをな」
威嚇する鞄に噛まれる寸前、口から手を引き抜いたアンドレアスは、象牙色の指にべったりと付着した薄い蛍光色の魔力を舐め取った。
咀嚼対象を失った牙の隙間から濁ったエメラルドの瞳が覗き、きょろきょろと動く。
「ふわぁ、知ってますし、怒ってもおりません主様。
はい、しかし気晴らしより休むべきかと……ガトもだぜ」
「明日休む気でなければ、このような事はせぬ」
「みゃー……」
ガストルトは執務室でじゃれ合う主と盟友を咎めるでもなく、静かに眺めていた。
時間は貴重だ。あらゆる意味において。
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ベルトラン地下研究所本部付属、秘密工廠。
低い機械音が響き、禍々しい非人道生体パーツや正体不明の精密部品が作業用ソリオンと洗脳技術者により製造されていく。
シュバルド軍、あるいはアンドレアスにとって必要だが、生産工程や材料を表に出せない特殊な製品の代理工場だ。
出来上がりは正規の工廠に送られ、そこで各種兵器に組み込まれる。
そんな地下工場の管制室で、焦げ茶のサイドテールと、目の下に深く刻まれたくまが特徴的な白衣の女が工程監視モニタに顔を向け、ぶつぶつと呟いていた。怪人セジエム。
よく見れば、金色の虹彩の焦点が微妙に合っていない。事務的にしか工程を見ていない。
彼女は、割り振られた仕事を妥当な程度にこなしながら考えに耽っていた。
「枯れる、花の、色……白い、鶴が、量子魔力の、魂魄情報、並列処理…………アカーシャ、帳、ううん、王様……足りないのは。
吸収放射ポイントの配置と、ルクスコリ内の、現実の壁に打ったアンカーを、博士をして危険、いや、しかし。
だめだ、演算領域の不足が、どーしましょったらどう、しようも、ぬぬぬ……やっぱりあれを、だが……
うん!? どうした」
思考の図書館から半強制的に引き戻されたセジエムの世界に、色が戻った。
改造により強化された頭脳と魂魄が素早く状況をチェックし、異常なしを再確認。
チリリリリ、チリリリリ、備え付けられた喇叭状の通信機が鳴っている。
「こちらセジエム、ああ博士、いかがなされました」
「例の日程が確定したそうだ、うむ、アンドレアス様とシュバルドのな。
うむ、原料投入を停止してコマンドと交代しろ、待て、投入のみだぞ、ラインは現在乗っとる分を完成させてからだ」
「最終出荷に立ち会わなくて良いので?」
「かまわん、どうせ門を取っ払えばこっちと接続ポイントは無い。
それとだ、特殊培養槽が完成したぞ」
「了解」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
白色のケミカルな照明に照らされたベルトラン地下研究所の通路を、白衣姿の二人が歩く。
怪人セジエムと、長身でやや髑髏じみた容貌の形質学者ベルトラン。
昇降機に乗り、更に下へ。
ガシン、シュー……
扉が開く。
円筒形の培養層が複雑に繋がり、迷路のような構造になっている石室。
地下およそ千フィート、最下層も最下層の一角、万能ビオス細胞培養室だ。
年中全く同じ温度に保たれているそこは、専用の管理ソリオンが数台歩き回っている他は無人で、ベルトランすらも定期チェックの他はあまり手を出さない。
既にシステムとして完成しており、下手に触れないほうが確実なのだ。
そんな培養室を“ついで”で確認した二人は、更に別の扉を開いた。
「博士」
「なにかねセジエム」
「私の提出した設計図とだいぶ異なるような気がするのですけど」
「ワシが改良を加えたからだ。この順路の増設でおよそ一割ほど処理効率が上昇する」
「コストと耐久面と安全性は」
「安全性はループ演算で問題が起こってないのだから心配するに及ばん。
耐久とコストは気にするでない、どのみちワシも演算領域が不足しつつあるのだ。
更にここをこう、発展させてだな……」
セジエムとベルトランの前に広がっているのは、壁の一面を神経のごとく複雑に覆う半透明の管。
内部は泡立ち、薄青い液状物質が流動している。
大量の、培養層のものとはわずかに質の異なるデザイナーズ・ビオス細胞だ。
「焦点は適合性と戻れるかどうか、ですか」
「ワシはともかく、完全にビオス細胞と馴染んだお前が適合しない事はありえぬだろう。
拒否反応が起こるなら、そもそも怪人化が成功しておらん。
それよりも、“今”やるのかね、セジエム」
「時間が、ないですから。むしろ遅いです。オペレーションに間に合わせる必要もありますし」
「カスタマイズとシュバルド軍の仕事で製造が遅れたのはワシも悪かったと」
「いえ、そのようなことは」
「ふむ?」
セジエムは暗い目で、おぞましくも芸術的な生体回路を見つめた。
性能テストとして入力された無為な計算を繰り返す青い渦は、彼女を魅了してやまない。
操作パネルのついたモニタには理解の難しい、しかし法則性のある文字列が高速で踊っている。
その横には、壁と同様のビオス細胞溶液が流れる青い回路に覆われた金属カプセル。
彼女は呻くように呟いた。
「今、どこにいる、サンキエム」
唐突に、三年前の屈辱的敗北がフラッシュバックする。
どう考えても、演算速度で負ける相手ではない、はずだった。
量子魔力回路の一部を逆利用したカウンターハッキングで050の支配権を奪い取られ、セジエム自身も安全装置なくば、間違いなく破壊されていた。
あの時、去り際に彼女の思考領域だけに刻まれた言葉は、今なお響く。
勇者コードの精神耐性をも貫通する、魂の傷にして呪いじみた囁き。
景色が歪む。
(貴方の優秀な頭脳は、とっても素敵でした)
「ハァ、ハァ、ハァ」
(オルヴォワル)
「ハァー、ハァー、ハァー」
「どうしたセジエム!」
「なんでも、ありません、博士。本当は、もっと早く完成させたかった。
博士に頼らず、組み上げるべきだ、博士は忙しいのに、私は無力だ」
ゴボッ、生体回路が泡立つ。
誘うように、挑発するように。
セジエムはふらりふらりと歩を進めた。
ベルトランはその長い腕で、セジエムの肩を掴んだ。
「バカめ」
「…………取り乱しました」
戦闘型でないとはいえ、常人をはるかに超える筋力と反応速度を持つ怪人研究者にとって、ベルトランの物理的な力に抗うなど赤子の手を捻るよりも簡単。
しかもセジエムは自由意志を持っている。
だが、それでも足は止まった。
細く硬く骨ばった狂形質学者の掌の感触が、急速に平静を取り戻させる。
目元を拭い、姿勢を正す。
「よろしい。我々の信条は何だ、セジエム」
「倫理を捨て、理性を得よ。情を捨て、情報を得よ」
「そうだ。乗り越えろ、過去は得るものだ、戻るものではない」
長年の酷使で落ち窪み、しかし精力的にぎらつく探求者の瞳。
起源のさらに先を求めるもの。
「はい」
「改めて聞こう。“今”やるかね?」
「はい、博士!」
怜悧な貌に戻ったセジエムが、操作パネルの前に立つ。
「知識の、世界のその先を」
「…………」
全ての設定を終え、カプセルに入る。起動。
ベルトランは静かに佇んでいる。
テスト演算を停止した回路から、青いビオス細胞溶液が沈むように抜けてゆく。
とくん、とくん、とくん、とくん。
カプセルの青も抜けてゆく。
とくん、とくん、とくん、とくん、とくん、ガチャリ。
カプセルの上部から溢れ出した青い粘液が壁の回路と同じ模様を描き、伸び広がり、天井に張り付き、再び縮んでカプセル内に。
こぽり、こぽり。
「知識の湖計画の成功体験を行いました、博士」
微かに泡立つような女の声。
カプセルのハッチが開く。
鮮烈な青が覗いた。
「グワーッハハハ! よくやったセジエム!」
ベルトランは髑髏のような容貌でカタカタと笑った。
セジエム、いや、セジエムであったものが現れ、白衣を羽織り直した。
首から下の肌全体に壁の回路と同じラインを描く鮮烈な青が走り、煌く巨大なサイドテールは、圧縮されたデザイナーズ・ビオス細胞。
それはもはや髪ではなく、演算装置にして細く強靭な触腕。
「今後ともよろしくお願いします、偉大な博士。
セジエムもとい、マインドレイク・セーズです」




