73話 『Rip van Winkle』
「う゛えぇ、ふ、フー、ひどいめにあった、と、あれ?」
調子を確かめるようにゆっくりと立ち上がったリュミエラは、不思議そうに首をかしげ、呟いた。
直前まで様々なスペクトルの激しい光を発しながら薄紅色の液体を大量に吐き、漏らし、瀉していたとは到底思えない透き通った声があたりに反響する。
リュミエラはそろりと足を踏み出してみた。
カラン、と金属質な音。
少なくとも、身体はきちんと動く。
「確かサンカントとルキエル火山に行って、火口に落ちて、星の子のミームを聞いて、んで、んんん」
唸りながら周囲を見回すも、全く覚えの無い謎の空間だ。
陽光を主要なパワーソースとする偽りの聖女の本能により、かろうじて地下であることが分かる。
大小様々な赤みがかった結晶体と、元の形が判別できないほどに破損した様々な機材が床に散らばって煙を吹いている。
よく見ると、瓦礫と結晶体に混ざって愛用の竜牙剣が転がっていた。
リュミエラは慌てて“牙”を拾い上げ、左手の鉤爪を器用に使って太い三角形の刃にへばりついた結晶体を削ぎ落とした。
逞しく、優しく、手に馴染む……それはいいが、どうしてこんなところに?
とにかく、情報が足りない。
なにやら上のほうから喧騒が響いているが、細かく聞き分けられるほどではなかった。
この場所がどこであるか不明なことに加えて裸ときては、様子を見に行くことも難しい。
仕方なく、消耗と倫理両面で気が進まない複合放射線によるクレヤボヤンスを行おうと、偽りの聖女に集中しかけたところで、物陰から聞き慣れた呻き声が聞こえた。サンカントだ。
なぜ倒れているのかよく分からないが、ありがたい。
安堵の溜め息をついたリュミエラは、怪人少年のもとへ向かった。
むろん、起こす前にジャケットを奪い取り、腰に巻くのも忘れない。
「うお、おお、おおお、本当に、本当にリュミエラさん!?
な、俺わかる? わかるよな? へはは、よかった、良かったぜ、でさ、な、身体平気か、痛いところとかねえ?
えっと、えっとな、俺、俺さ、戻んなかったらどうしようかと思って、でもな、でも…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
突き倒すほどの勢いで飛びついてきたサンカントは、只事ではない様子で話し始めた。
心配してくれていたこと自体は痛いほどわかるが、どうにも要領を得ない。
「えーっと、ごめん? あたしはまあ、たぶん大丈夫だしそんな涙目にならなくても、んで何があったのか説明してほしいとかさ、あと、ここどこ……」
「なんだよ、とにかくな、えっと、大好き、あのな、ずっと待ってたんだ俺、だから…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「あーもう! わかった、わかったから、現状の説明をねえ」
やはり、おかしい。
延々と、かつ一方的に繰り返される発言内容だけでも、認識の重大な齟齬が推測される。
リュミエラはひんやりとして重く強靭な肉を感じつつ、眠りにつく直前の状況を思い出そうと試みた。
叩き落され、咽喉に呑まれ、マグマ溜まりを崩し、旧きミームを聞く。
悦ばしい変異を呼び起こす、地の底と空が混ざり合う記憶、星の……違う!
(己の正気の向こうを見よ。真なる力は狂気の内に)
そうだ、己だ。ルキエル火山のマグマに残ったミームの残滓は、きっかけだ。
取り込むことで完成するのではない。
火山の記憶が持つ実際の機能は、触媒に近い。
受け継がれたミームは元々“牙”と彼女の中にあったものだ。
竜殺しの騎士団長、ロドリグが有名な喉の大鱗ではなく“牙”を持ち帰った理由も、成人の儀式で己に継がせ、しかし積極的には使わせなかった理由もわかる。
偉大な父は、いつかこうなる事を予測していたに違いない。
そして、いや、それはいい、起源を求めるのは後でいい。
必要なのは、あの時、あの後なにが起こったかだ。
地上の喧騒が激しくなっている。
サンカントは相変わらず抱きついたまま喋り続けている。愛しい。
だが、いま相手をする余裕はない。
記憶、記録を、取り出さなければ。
サンカントも、クロマクも、戦っていた。自分は?
魂魄と“牙”に圧縮されていた情報を解凍し、統合し、最適化して、それから?
違う。
(己と共にある)
そうだ、あの時点では最適化を行っていない。地下では統合のみだ。
戻るために留保し、火道を、咽喉を駆け上がった。
とはいえ、確かに権能そのものは得た。力は扱えた。“牙”を握った。
“爪”と“牙”、超重元素レンファニウム、そしてリュミエラ自身に刻まれた偽りの聖女が巴に絡み合った本来の姿。
白昼夢の中で、地を踏みしめ、戦った。
邪魔なソリオンの機械甲冑を焼き、砕いて、逃げる仇敵に収束光線を撃ち込むも仕留め切れず、それから?
(クワー)
そうだ、呼んだクロマクはずいぶんと衰弱し、小さくなっていた。
下手をすると回復に年単位の時間を要するやもしれない。
確か、その後は眠い目を擦りながら、サンカントを探そうとして、異様な眠気と、赤い何かが。
(星の子)
そうだ、ルキエルでの記憶はそこで止まっている。
抑えていた最適化が始まって意識を失い、クロマクもあの状態ということは、サンカントが頑張ったのだろう。
なるほど、休眠中ずっと見守り続けていたのならば、この喜びよう自体は理解できる。
けれども、何故……
「なあリュミエラさん、な……ぐおお!? 待って、姉ちゃ、俺はまだ、ま、ぐあーッ!
…………ふうむ」
記憶の図書館に沈んでいたリュミエラの意識が、突然の叫びにより呼び戻される。
サンカントはいつの間にか、腰から腕をほどいて彼女の正面に坐り直していた。
虚無の穴じみて黒い虹彩の焦点が、金色の眼と合う。
しかし、その瞳に宿る光は真摯で無邪気な怪人少年のものではない。
狡猾な知性と鋼の理性、そして妙な性癖を持つ魂魄寄生者にして守護者、第二人格“サンキエム”!
竈の商人族らしい牙の覗く口元がアルカイクに歪み、普段のサンカントと全く違うトーンの声が漏れた。
“彼女”とリュミエラの付き合いはそこまで短くないし、結構な恩もあるのだが、色々と慣れない。
とはいえ、サンカントが正気を取り戻すまで当分かかりそうな以上、(心情的には別として)嬉しい入れ替わりだ。
「ねえサンキエム、いい加減に成仏するか転生するかしたら」
「姉に対して相変わらず無礼ですねー、せっかく状況説明しに出てきてあげたのに」
「そこから動くか、二人の時間に割り込んでくるのを止めてくれたら、いくらでも感謝するけど」
「それはそれ、これはこれです」
「メルド……まあ、ありがと、お願いするわ」
「へへ、少し長くなりますよ」
“サンキエム”はサンカントの顔で、憎らしいほど爽やかに笑った。
やはり、調子が狂う。
リュミエラは大きな溜め息をついた。
「まずここの座標ですが、首都ルクス中央神殿付属研究所横、Ⅳ型対空砲塔八番機の地下二十フィート地点にある特殊隔離室。
管理当番の技術者以外で通常時に訪れるのは、カルヴェ所長とサンカントと工作部の数人ほどでしたかね。
部屋と機材の役目は、Ⅳ型対空砲塔八番機と神殿側の同七番機に稼働エネルギーを供給することと、休眠中のリュミエラさんを安全に保持すること」
「ルクス内部か、よかった、って待って、その二つの要素が並列してるの意味わからないんだけど」
「最後まで話を聞く」
「……はい」
「何があったか、を先に言うべきでしたねえ。
ルキエル火山での戦闘は覚えていますか? 覚えていますね? よろしい。
サンカントと私が貴方を見つけたときには、既にコランダム様の透き通り赤みがかった結晶体に包まれて休眠に入っていました。
詳細不明の情報処理を行っているようでしたが、噴火の兆候じみて不穏な……後から考えれば、リュミエラさんが火口内の元素と地熱を吸収したせいで噴火が先延ばしにされたのを勘違いしたのですが、とにかくその時点では怪しかったため急いで山を降りファルギに戻りました。
後に色々、まあ結晶体の管理の面倒さですとか、クロマクの修復に処分場の瘴気が必要である等がありまして、ファルギから首都ルクスに運んで今に至る、そういうわけです。
神殿付属研究所でどういった調査が行われたかまでは詳しくありませんが、カルヴェ所長によればバイタルも安定しており、自然に目覚めるのを待つ方が安全確実ということでした。
で、先の質問に対する答えですが、休眠中のリュミエラさんを包む結晶体から、未分化元素を含有する放射エネルギーが著しい量発生してまして。
保管地点周辺の安全確保と資源の有効活用の観点から、回収したエネルギーを砲塔の動力や研究所のインフラ補助に使っていた、そういうわけです。
不可抗力とはいえ専用に調整した機材が破壊されてしまったので、今頃カルヴェ所長と、もしかしたら工作部のマリエット様あたりも大慌てでしょうね」
予想以上に大事になっていたらしいことにげんなりしながらもおとなしく説明を聞くリュミエラは、ふとあることに思い至った。
同時に、起こしたサンカントが激しく取り乱していた原因も。
「なるほどそういうことなら、けど機材弁償とか治療費とか考えたら憂鬱に……あれ、え、え?
待って、機材を専用に調整? 対空砲塔を動かす?
砲塔って前エリク隊長が言ってた偽りの聖女用の固有形質最適化レーザー砲よね?
確かあたしとサンカントがファルギに向かった時はまだ建造中で、いや、しかし、そんな。
そういえばクロマクはどうなって……」
“サンキエム”の、サンカントの両掌が、ぐいとリュミエラの肩を掴んだ。
じわりと力が込められる。
「クロマクはずっと前に修復が終わり、最終処分場の地下から工作部に戻っています。
相変わらずシュバルドとの戦争が続いていることもあって、結構な活躍ですよ。
使い魔回路に集中すれば、以前の力強さを取り戻していることがわかるでしょう」
「元気ならよかった、良かった? 良か……?」
おかしい、どう考えてもおかしい。
再構成にどれだけかかった?
火口に呑まれ、統合を行った際はそれほどかかっていない、そうでなくては戦闘に参加できてないのだから間違いない。
あの時は、何年分の記録だったか? 千? 二千か?
二千年のアウトラインを辿るのに……待て、長い方の、直前までの夢は。
最初の光景は、無数の星の子が。
「初代の、星の子が生まれて、どれだけ経っ、て、確か、四十、違う、五十億年?
統合の二千年分はあっという間に、なら、五十億……だめ、わかんない、けど」
リュミエラは数字の扱いが苦手である。
各種の軌道計算は偽りの聖女の本能で行っていたし、村の屋台で扱うメニューは常に一品であったし、細かな計算はファルギでは母アネットに、ルクスに出てからはサンカントに任せていたからだ。
しかし、イメージでわかる。
表面上のミーム統合と、根源まで遡る最適化にかかる時間の差は、おおざっぱにわかる。
二千と五十億は。
“サンキエム”は仰々しく言葉を紡いだ。
「…………リュミエラさんは、二年半と少しの間、休眠していました」
自分でも薄々判っていた。推測できていた。
とはいえ、直接言葉にされると反応する気力すらも湧いてこない。
だが、まあ。
「あ、うん、ありがと、サンキエム、それと、ええと、なんか、なんだろ、ちくしょうめ」
実際は、大したことではないのかもしれない。
「どうしました、考え事ですか?」
おそらく、まだ判断基準がないのだろう。
しばらく時間が必要だ。
空白の二年半については、思考の脇にどけておいた方がいい。今はそれがいい。
精神に棚を設けた瞬間、すうっと周囲に色が戻ってくる。
そして、音と雰囲気に危険を感じた。
「んー、実感が、あと、んんと、サンカントや父さん母さんに何て言えばいいのか、とか、ねえ、なあって……む?
まずいわサンカ、じゃないサンキエム」
「わかってますよ、勇者コードの反響定位なめてもらっちゃ困ります」
ザッザッザッザッザッ、混乱じみていた喧騒が、いつの間にやら統一された足音に変わり、接近しつつある。
ルクス中央神殿区画ならば、警備のメインは陸軍ではなく聖堂騎士団。
やってきているのが研究所職員の可能性もないわけではないが、その場合ほとんどが顔見知りであり、問題ない。
“サンキエム”はサンカントの持つ知識の一部を引っ張り出し、言い訳を考え始めた。
リュミエラはとりあえず上半身を隠すものを探した。
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「どったの、リュミエラさん」
「父さんがなかなか出ない」
てんやわんやのあった翌日、聖堂騎士団工作部建物のある一室に、二人はいた。
リルリルリル……リルリルリル……
新型通信機の不愉快な呼び出し音がリュミエラの耳を掻き乱す。
どうにも好きになれない音だが、この型でないとロドリグ、というよりファルギで運用されている携帯型通信機に繋がらないというのだから仕方がない。
だいいち、部屋も機材も借りているのだ。我慢しなければならない。
リルリルリル、カチャリ。
「あ、あたしあたし、起きたよ! ん、何? あれ……っわ、あ、母さん!?」
インカムから聞こえてきたのは、喜怒哀楽入り混じった大音量の罵声。
耳を塞いでボリュームを落としたリュミエラが、嬉しそうに笑う。
もっとも、当然とはいえ延々と話が続き、財布に詰め込んであったコインの残量が寂しくなってきた頃には、サンカント共々微妙な表情になっていたのだが。




