69話 『さがすみちゆき』
「帰ってきたよ!」
リュミエラはフードマントの隙間から出した右腕を、大きく振った。
数人の部下、あるいは同僚を連れたロドリグが娘に手を振り返す。
手紙は相互に出していたし、たまには聖堂騎士団の通信機を借りて(リュミエラやサンカントのものはファルギのような辺境との通信にまで対応していなかったせいだ)会話もしていたため、極端に疎遠というわけではない。
だが、故郷ファルギを二年近く離れていたのもまた事実であり、懐かしいものは懐かしい。
しばらくぶりに会う父は、やや遠目とはいえ、少なくともリュミエラの目からはあまり変わっていないように見える。
ぼさぼさの茶髪、奇麗に刈り揃えられた顎鬚、加齢によるいくらかの皺が刻まれ、濃く日焼けした肌、鍛え上げられた筋骨隆々の肉体を包む鈍い赤色の竜鱗の鎧。
理想の戦士の姿は、戦闘の昂揚と破壊された故郷を見たショックで苛立ち気味の彼女を安心させた。
無事を喜び合ったリュミエラとロドリグは、聖堂騎士フィリップスを交えたいくらかの事務的なやり取りの後、細い林道を超えて避難区画へと移動した。
ロドリグによると開戦以降、一部施設に常駐する必要がある者以外が避難区画で寝起きしていたおかげで、爆撃による犠牲者は少数にとどまったということだった。
もっとも、基地局と回線の破壊による通信の断絶、村に一体しか居ない飛行型乗用魔物が喪われた等、家屋や畑を別にしても被害額はとてつもない。
命あっての物種とは言うが、金が無くては首が回らないのもまた事実なのだ。
その深夜、避難区画地下のリュミエラに宛がわれた(本来、客人用の)小部屋にて。
「確かに、戦闘で失った左腕の代わりに取り戻した竜爪剣を使っている事は聞いた、聞いとったたがなリュミエラ。
ぬう、まあ、義手義足だって技術が進んだ今、大して珍しくもねえし、お前が竜爪剣を使うのも問題ねえ。
俺の娘である前に、成人したファルギの戦士だものな、俺が口を出す事じゃねえ、わかる、ああわかるさ。
だが、だがよ、なんだその腕と足は!」
「うん、仕方ないわ、戦闘だし。それに、勝手に適応しただけだから不可抗力。
あたしは身体改造マニアックじゃない」
シャリン! 長さにして三インチ以上もある、薄い桜色をした四本の鉤爪が涼やかな音を立てた。
玻璃か、あるいは粘液じみて異様に滑らかな真紅の鱗に包まれた肌と、鋭い爪とのコントラストが美しい。
リュミエラは鋭い貌を得意げに歪ませ、微笑んだ。艶やかな異形の左腕。
色々な意味で渋い顔になったロドリグが溜め息をつく。
「自己改造じゃねえ事ぐらい言われんでもわかる。お前は俺と母さんの娘だぞ。
が、流石にそこまで変わっちまうと婚期が遠のくだろうに、心配だ。
つっても今は培養槽使やあ、百歳だろうと二百歳だろうと子供作れるんだったか?
俺は詳しくねえが」
「問題なし、だってサンカントが居るから。
ね、聞いてよ父さん、あの子ってあたしと寝ても焼け死なないの!」
「オイ、まさか、いやいや、種族がだいぶん違えだろ」
「ずっと一緒に暮らしてるしね、それに拾った時も言ったでしょ?
あたしが責任持つって。
たぶん孫の顔は見せてあげらんないけど、どうせ普通のヒトじゃ同じベッドに入れないんだし、変わらないよね。
母さんは当然として、竜鱗の鎧着た父さんですら、今よりずっと低出力だった子供時代のあたしと添い寝できなかったのに」
言い返しながら、リュミエラは昔を思い出す。
少し、少しだけ、人肌に飢えていた。
今現在以上に暴走しがちの偽りの聖女を抱えた幼少期の彼女にとって、肉と肌は狩りと戦いによってのみ補給可能だったのだ。
それを認めてくれた父母と、流血を是とするファルギ村の風習には、感謝してもしきれぬ。
実に懐かしい。
「ぐぬ……だが、ぬう、しかしなリュミエラ……」
「うん、あたしを心配してくれてんのはわかってるし、嬉しい。
だからって素直に聞いたりはしないけど。
そもそも忙しすぎるの、父さんほどじゃないとはいえ。
エリク隊長も今しばらく手伝わなきゃだし、戦争はファルギにまで及んでるし、竜爪剣は取り返したけど、盗った奴はまだ処理できてないし。
だもんで父さん、今は仕舞っといてよ。母さんやギヨームじいちゃんには、状況が落ち着いてからゆっくり話すわ。
もちろん、サンカントも一緒に」
父娘は互いに視線を外し、卓上クリスタルランプの光をじっと見つめた。
しばらくの間、蟻の巣じみた小部屋を沈黙が支配したが、双方にとって決して不快なものではない。
単に落ち着くための時間だ。
それは、岩の壁にもたれかかったリュミエラが欠伸をし、ロドリグが一パイント瓶の水を飲み終える頃まで続いた。
「……………………まあ、よかろう。
実際、んなことで騒げる状況でもねえし、お前が本気なら、俺ではもう止められん。
ただよ、なるべく早いうちに頼むぞ、母さんに隠すのも限界があるからなあ」
「ありがと、善処する。
んー……ああ、父さんは隠し事苦手だったもんね。今でも思い出すさ、じいちゃんの家でー」
「オイ」
「あ、はい。ごめん、んうん、うん、この件はもういいわ、解決で。
んで本題だけど、ファルギに何があったのさ。
フィリップス副長に話してたの、完全に全部じゃないわよね?
書類も、どうせ母さんと村長が書いた奴でしょ」
オニキスよりも黒いリュミエラの虹彩が、ロドリグを刺し貫く。
比喩ではなく、偽りの聖女発する数種類の不可視光線があらゆる変化を見逃すまいとしているのだ。
決して疑っているわけではない。
だがリュミエラの心には、ファルギ村に戻る道中からずっと、ずっと何かが引っかかっていた。
到着し、“エレティック”と戦い、父に再会して、引っかかりは更に強まっている。
彼女にはそれが重要に思えて仕方がない。
きっと、偉大な父ですら報告書に書かないような不確定な、馬鹿馬鹿しい推測じみたものが鍵なのだ。
彼女は辛抱強く返答を待った。
「……二回聞いても、仕方ないと思うがな。
うむ、あの夜俺は、正確には俺とギヨームとアロイと、お前が知らんもう一人で巡回しとった。
山村がいくつも被害にあった話も既に聞いていたからな、首都ルクスと晩の通信をして、結界のメンテを終えた村長を避難区画に送って、村内に異常がないことも確認した。万全だ。
そこまでは良かった、後が問題だ、北から来るクリスタル燃料エンジン音に気づいたギヨームが対空砲を出しにいった直後、魂爆で結界の一部が破壊され、燃素弾も撒かれてこのざまよ。
確認できた七機、音のぶれからすると八機……のうち対空砲で一機、俺の圧縮水元素弾でもう一機落としたが、パイロットは確保できとらん。
機体もギヨームが照合したところ魔国の旧型爆撃機で、特に得られるものもなし、レコーダーも設置されてないのか、処理されたか……たぶん配置からすると最初から取り外されとったんだろう、通信機材や通信の痕跡もなし」
「父さん、その魔国の、シュバルドのパイロットには逃げられたの? それとも死んでた?」
「死亡だ、フィリップスの野郎……ごほ、本部副長によると疑似悪魔兵とかいう奴らしい。
コックピットを検めた時点では動いとるのも居ったが、溶け崩れちまった。
で、厩舎と通信塔がやられて連絡が取れず、北方の調査に行く余裕もなく今に至ると、もういいかリュミエラ?」
血縁であるリュミエラから見ても、ロドリグの波長に変化はない。
違和感は気のせいであったか? 違う。
やはり妙だ、何か忘れている。
おそらく、リュミエラの側に。
「んん、父さん、通信無し? 夜間爆撃で?
あたし達が昼に落とした三機のうち、原形を保ってた一機には魔力波式の通信機らしき部品がちゃんとあった、解析はフィリップス副長がルクスに戻ってからになりそうだけど」
「疑似悪魔兵は高い暗視能力を持つそうだし、厩舎はともかく通信塔は割に目立つ、そこまで不自然ではあるまい」
「いや、それは近距離の話でしょ、少なくとも山の向こうから来て精密には」
「だがな、事実として」
「ああ!」
違和感の原因に思い至ったリュミエラが、跳ね起きた。
ガシャン!
魔法建材塗りの岩石床に、白銀の骨じみたリュミエラの左足が叩きつけられる。
「どうした突然、一応機密事項だぞ、静かにしろ」
「そう、そうよ、精密攻撃、ルクスでもあった!
あ、ごめん父さん、声下げる、ええとね、中央神殿付属研究所が襲撃されてカルヴェさんが兼任してるの、知ってる?」
「当たり前だ、あまり会ってはねえが親友だぞ、あいつは。
巨大飛行輸送艇の存在も無論知っとる、こんなご時世だ、情報収集ぐらいするさ。それでどうした」
「あれからしばらくして、国境付近と北部沿岸で戦線が開かれた。
問題は戦争がどうこうじゃない、空からピンポイントに狙って、成功させたってところで。
北部山地の通信が断絶してるのもたぶん同じ、村とか居留地は、何か、その」
唸るリュミエラ。
精神世界では色々な仮定がせめぎあっている。
襲撃の、飛行機械の……
「父さん」
「どうした」
「爆撃があった日、不審者を見かけたりしなかった」
「ふむ、あの日は大混乱だったし、居ても不思議はねえ。
人的被害僅少つうても怪我人は出るわ、警備隊宿舎の若えの三人と、自宅に留まっとった老夫婦が亡くなるわで」
「昼にシュバルド機とやったときね、機体から直接兵士が投下されたの。
そんで思い出したんだけど、エリク隊長が爆撃ではありえない痕跡が残ってる村もあったって。
同じようにやってるんだとしたら、目的は通信の……」
「だが、ファルギに関して言うと厩舎も通信塔も間違いなく航空爆弾か準ずる魔力兵器の結果で、魔法や設置爆弾の可能性は極めて低い。
なんせギヨームとあいつの弟子が調査したからな?」
リュミエラは確信し、しかし父に、いや、ファルギ村警備隊長としてのロドリグに告げるべきか迷った。
そのままルクスに持ち帰った方がいいのかもしれない。
エリクやマリエットは気づいているだろう。立場や可能性的には、フィリップスも。
軍や政府が緘口令を敷いている可能性もある。
思考はそのまま深くに沈んでゆき、己が調べなくては……己にしか調べられない事にまで思い至った。
「う、んん」
「俺は、推測を他に伝える事はしねえ」
しばし思い悩んだ挙句、外の通路などに誰も居ないのを確認してから、リュミエラはゆっくりと口を開いた。
「あたし、知ってる」
「なぬ?」
「地上で航空兵器を扱える個人を、三人……三機……や、三匹? とにかく、知ってるの。
しかも、うち一匹はシュバルドの軍人で、もう一匹が家から竜爪剣を盗んだ奴」
「…………俺には、判断できねえ。
無論、再設置した簡易基地局の警備は厚くするが。
フィリップスにも、俺は言わん。もし伝えるなら、お前がやるべきだし、調べるにしても」
「やっぱ、そうなるか。あと父さん、フィリップス副長はもうルクスに向かう空の上だと思う。
近いうちに北部調査本隊が来るし、その時また会えるはず」
「ああ」
父ではなく、防衛責任者の顔になったロドリグがリュミエラを見つめ、頷き、立ち上がる。
リュミエラもそれ以上同じ話題を続けなかった。
「んじゃ、母さんとこでちょっとだけ話して、寝るね。
警備隊のみんなやじいちゃんには悪いけど、あたしとサンカントも明日には出発するわ」
「忙しいのは、良い……事だ」
「ちょっと父さん、泣かないでよ」
「気のせいだ」
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翌日、ファルギ高地の道なき道を行く二つの影。
岩場を、暗い森を、雪がまばらに残る危険な坂を、ものともせず北へ北へと向かってゆく。
それも当然だろう。恐るべき戦士であるリュミエラとサンカントにとって、ホームグラウンドとでも言うべき慣れ親しんだ区域なのだから。
水場、地形、気候……全て既知。
しかも、抜け目のないことに魔物避けの塗り薬と衣類の隠密処理までやっている。
……と、無言で移動していた二人が立ち止まった。
夕日を浴びて不気味な色を帯びた巨岩の脇に、小さな泉。
「ふー、食事にしよ」
「おう」
赤黒いフードマントをばさりと後ろに流したリュミエラが、同じく赤黒いラヴァ・ワーム革製の折り畳みバケツじみた耐熱袋を取り出した。
水を一ガロンほど汲み取り、偽りの聖女でマイクロ波を照射して煮沸。
そこにキューブ状に成型した粉末スープ数個と乾燥野菜、道中で狩り、歩きながら下処理した肉を投げ込んで再度煮沸すれば水晶集めが野営する際の定番料理、袋鍋の完成だ。
本来は火を起こすか、魔力を火元素化して少しずつ添加するのだが彼女には必要の無い手順だった。
煮えたぎる袋の内容物を大きなカップに掬い、熱を全く気にせず一気に啜り込む。
光熱に対する絶対的な耐性を持つ彼女だが、温度変化は認識できるし、暑さはともかく寒さは普通に不快と感じる。
料理は熱いものが良い。
雑味は多いが滋養あるスープの旨味成分が、口中に広がった。
空腹からあっという間に一杯目を空にし、油で艶かしくぎとつく口元を拭い一息つく。
二杯目を具沢山になるよう掬い、今度はスプーンを使って更に一口。
「やっぱ山といえば袋鍋よね。あ、サンカント、残り全部食べていいから」
「あんがと、でも俺、一人だとそのまま食っちゃうし、風情? だっけ、そういうのわかんねえや。美味いけど」
七割ほど中身が残った袋を受け取ったサンカントが、鋭い牙が生え揃った大きな口でがつがつ食べ始めた。
毛皮がついたままの魔物や、まだ生きている敵ですら美味そうに食べる怪人少年の味の好みは、だいぶ付き合いが長くなった今なお理解しがたい。
せいぜい甘味と肉が他より優先、という程度だ。
とはいえ、幸せそうな食事姿はリュミエラの安らげる光景の一つではある。
「いつも思うけど、なーんか料理しがいがないような気が」
「え、俺リュミエラさんのご飯好きだ」
「そういうことじゃないんだけど……でさ、どうして付いてきたの?
ルキエル火山自体にも登るんだから、特殊な装備でも用意しない限りあたししか調査できないわよ」
「なに言ってんだ、俺だけ先にルクス戻るなんて嫌だし。
しかもさあ、忘れたのかリュミエラさん、俺が一人でルキエル行くつったとき無理矢理付いてきたの」
「よく覚えてたわねんなこと」
「忘れるわけねえし!」
「ま、あたしも忘れてないよ。うん、あの時と立場が逆か」
「そだな」
そう、ファルギ村を出発した二人は、直接首都へ向かってはいなかったのだ。
発端はどうしても確認しておきたい事項を思い出したリュミエラで、それにサンカントがついていく形である。
復旧した通信を早速使い工作部から許可を取り、クロマクも地中に潜ませて準備は万端。
しもべに乗って飛ばず、山を歩いているのにも理由はある。
リュミエラの予測が正しければ、ルキエル火山の裏手には魔国シュバルドの小拠点が存在するはず。
ルクスコリ北部山地の周辺が複数回にわたる襲撃を受け、通信遮断が繰り返されていることを考慮すると、可能性は高い。
襲撃で破壊された村や居留地、そしてファルギ村を含む山地周辺で、大掛かりな整地を行わず一定以上の建築を行える土地は数少ないのだ。
なかでも普段誰も近寄らないルキエル火山、特に北面など怪しすぎる。
事実、(南側だが)斜面にかつてベルトランの基地が存在していた。記憶に新しい。
無論、マリエットとエリクには連絡済であり、追って詳細調査が行われる事にもなっている。
しかし、それでも、リュミエラは見に行かずにいられない。
拠点が存在した場合に推測される戦力から、余裕を持って逃げる自信があるというのも一つの要素だが、なにより彼女にとってルキエル火山が特別だからだ。
数少ないまともに着られる服の材料ことラヴァ・ワームの生息地であり、レッド・ドラゴン“大牙”が没した地であり、愛しい相棒因縁の地でもある。
本当に敵と出会ったとして、先走って突撃する気はない……当然、命は惜しい。
だが、山それ自体の、聖地の確認だけは。
「ごちそうさま、と。明日の深夜あたりに山の手前に着くよう、調整して動きましょ」
「んぐむ、ならもうここで寝ちゃう?」
とうに日は暮れ、美しい星空が広がっている。
「や、すこし進めば警備隊時代に使ってた洞があるから。
そこなら見張りの必要も多分ないし、寛げる」
「はーい」
食事を終え、ついでに泉で身を清めた二人は立ち上がり、森の中へと消えていった。
地に潜んだ幽体ドラゴンから漏れ出す、不吉な影状物質が後を追う。




