56話 『リバイバル』
ガコン、シュー、ガコン、ガシャン。
油とクリスタルと金属の匂いが漂い、ケミカルな照明が大量の金属コンテナを照らす大広間はシルヴェストル地下基地、第二倉庫。
忙しく駆け回るソリオンにより、コンテナ類に囲まれて寝そべった、メタリックで四角い棒状人間の横に次々と武器が積み上げられてゆく。
作業を開始した時点では子供の腕と変わらないほど貧弱であったそのボディは、いまや単に追加武装による強化だけではなく、仮想肉体そのものが巨大建造物の四角柱のごとくに成長して禍々しく力強い。
彼の名は機巧悪魔レクタニカ。
怪人セジエムの下働きを勤めていた精密作業用小型ソリオンに“大魔王”アンドレアスが、仮想肉体を生成することすらできない下級悪魔の出来損ないを、実験的に憑依させて誕生した半怪人半悪魔である。
予想外の結果にベルトラン博士とアンドレアスは機巧悪魔の量産を試みたが、第一号のレクタニカ以外はベースとなったソリオンの能力が僅かに上昇するのみで、まるで採算が取れないため中止になったという曰く付きだ。
口は悪いが上の命令を良く聞く性格と、機械類との親和性の高さで現在は倉庫の管理や敵性存在処理班の一員として運用されている。
ともかく、出撃指令を受けたレクタニカはセジエムより受け取ったフォルティ森地下保管庫のデータを確認しながら、ミッション実行に必要な各種兵装を取り込んでいる最中だ。
……と、突然倉庫のシャッターが開き、バックパックを背負いスーツ状戦闘服を着込んだ怪人が現れた。
身長十フィートはある巨体の闇魂族で、スーツの胸部には“四”の意匠。
見るからに治安を乱しそうな、極めて凶悪な面相だ。
玩具のような白い瞳を不審そうに細めたレクタニカが、ギシギシ金属音を立てながら上半身を起こす。
ソリオンから複合金属装甲を受け取る。
「アア? 何ダ、サー・加藤カ。……アレ? オ前フォルティ砦ニ居タハズジャネーノ、森の廃棄繋リカ?」
「何がカトゥだ、ポンコツ野郎。カトリエムと呼べ、カトリエムと。
む、待て、廃棄とはいったい何の話じゃい、俺は“博士”の指令でシルヴェストルに遣された、それだけなのだ」
「説明ガ必要ッテヨー、アンタニ?」
「正確なものなら、という条件がつくがの」
呆れたように首を振ったカトリエムが作業台にバックパックを降ろし、中身のチェックを始める。
レクタニカは兵装取り込み前よりずいぶんと大きくなったトラバサミ状の牙をカチカチ鳴らして笑った。
カシャン、ガシャキン、ガコン。
ソリオンから元素ロケット砲を受け取る。
「信用ネェーナア、オイ。マ、イイゼイイゼ、説明シタル。
フォルティ森地下倉庫ハ、戦力不明エネミーニ制圧ヲ受ケ魔力リンク、連絡手段共ニ消滅、ショーメツダ、カタカタカタ!
ンデ、調査ト制圧スルニャメンバー足リネーカラ、オレ様ニ破壊指令ガ出チマッタッテワケ、OKDK?
マーマ、ドウセ物資アラカタ移動済ッショ、問題ネーデ」
「ほお、トレジエムが外に連絡を入れる間もなく殺られるとは。
戦士とは程遠いが、腕が二本やそこら飛んでも放置で再生する奴だぞ?」
興味深そうに問い返したカトリエムが手を止めてレクタニカの傍まで移動し、金属柱のような腕に乗ったファイルを覗き込んだ。
大型怪人の顔にはいくらかの補修跡があり、スーツの下に至っては明らかに生身でない。
過去のミッションで下手をこき、瀕死の状態で回収されて身体の何割かが魔力サイバネティクス機関に置き換わっているのだ。
暑苦しい重量に寄りかかられたレクタニカは意外にも怒ることなく、見やすいようにファイルを傾けた。
指の太さですら二インチはありそうな巨掌が器用にファイルをめくる。
ソリオンから五百ポンド爆弾を受け取る。
「…………勇者試験体050?」
「ンダ、ソイツガトレジエム殺シタンダッテヨ、細ケーデータモ有ルゼ、コッチニ。見ルカネ、加藤」
針金のようなサブアームを肘から展開したレクタニカは、薄い鞄を開き、別のクリアファイルを無造作に取り出す。
皿回しじみてクルクル回転するファイルが開き、勢いよく飛び出した中の小冊子がカトリエムの指に挟まった。
なんという器用さ。
しかし、カトリエムは直ちにそれを突き返した。
ソリオンから四連装機関銃を受け取る。
「要らん、俺はフォルティ勤務だったろうが。それどころか、外で見かけたことすらあらあ。
なんなら説明してやろうか?
素体は竈の商人族、製造地ルキエル山脈、勇者コード“神聖武器”、肉体変容度Aa2、特殊機能として超高密度骨格、魔力圧縮筋、試製勇者コード統合回収ストレージ搭載。
最終調整中にルキエル山脈地下より逃走したため、魂洗浄未完了。クールポルト・システムを使用して捕獲に成功し、現在セジエムの管轄下にある。
うむ、遠隔操作に不具合でも起こったか、やはり研究者というのは信用ならぬ」
「ヘイヘイ、オ詳シイオ詳シイ、ダガヨ、足リネェーナ、ケタケタケタ。
050ヲ操ッテル、ヤベー奴ガイル、005、サンキエム」
「……三年近く前に死んでいるはず、だが」
「シラネーケド、ダカラヨ、フォルティ森地下倉庫ハゼンブ破壊セニャーナラネエノサ、ゼンブ。
怪シイカラナァ、アー、アー、ソウダ、ソウダ加藤、アンタモ来イヨ、詳シインダロ、アノヘン。
戦力モ多イ方ガイイイイイ」
「よかろう、戦いは俺の生」
「クケケケケケ! 装備調整終ワリ次第、Scrambleダゼェー! 火ノ海!」
頷き、立ち上がったカトリエムが拳を打ち鳴らした。
レクタニカの金属柱ボディは武器や鉄板を取り込み続ける。
ソリオンからGBUを受け取る。
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その頃、フォルティ森地下保管庫。
ジィジィと不気味な機械振動音にくぐもった呻き声が反響して、不気味なハーモニーを奏でている。
部屋は壁どころか床の存在も怪しいほどに暗く、よほど夜目が利くのでもない限り具体的な様子はわかるまい。
だが、今この場にいる二人は闇の中まで見通す強力な瞳を持っており、陽光の中にでもいるかのごとく、互いの僅かな表情の変化すらも視認可能だった。
もっとも、それが良い事かどうかは立場によるだろう。
「うう゛ぁ、ぐっ、も、もお、いっぱいだ、ってば、んぶ……おぅぅ」
禍々しい機械台座の上で肌を晒すリュミエラが濁った声を発した。
不自由な身体は何かから逃げるようにかくかくと身悶えし、苦しげに震える口元から、脈動するチューブと粘度のある液体が垂れている。
施設の主トレジエムはもはや存在しないが、相変わらず大型怪人保持装置に拘束されており、左脚も傷こそ塞がっているとはいえ機能喪失……つまり、上腿の途中から先が欠けたままだ。
透けるような肌に直で貼られた無数の有線粘着パッドは今も強力な妨害パルスでもって魂を掻き乱し、固有形質の正常な作動や筋肉と魔力回路の戦闘準備動作を許さない。
以前との差といえば、危険すぎる竜爪剣の左腕を除く部位の拘束がいくらか緩み、台座も磔状態ではなく一息つける角度に調整されていることと、コロノスコープじみたチューブが新たに数本挿入されていることだろうか。
……つまり、俎上の魚であること自体はまったく変わっていない。
観客が一人しかおらず、敵でもないことが救いといえば救いか。
「注入完了、さ、口開けて…………あー……もう、何度も何度も懲りないですね、無駄だから我慢せずに吐きなさいって。
この回復洗浄液は逆流しても胃や喉を痛めないようしてありますから何の心配もありませんよ」
「ひぃ、うう゛、やだ、つってるのにいい゛ぃ」
舌を出して喘ぐリュミエラの喉から細いチューブをそっと引き抜いて垂れ落ちた涎を拭い、ついでに振り乱されたシルバーブロンドを整える“サンキエム”は心底善意です、といった調子だ。
実際、囚われて絶体絶命のリュミエラとサンカントを見事な手際で救っており、少なくとも味方なのは確実。
今現在行われている怪人保持装置の機能を利用した怪しげな治療も、なんだかんだで二人に対する支援の一環で間違いない。
間違いないが、リュミエラに多大な精神ダメージを与えているのもまたサンキエムなのだ。
なにしろこのサンキエム、必要以上に口数が多いことに加えてやや性格が悪く、リュミエラの浄化回復処置も時間がないから急ぐなどと言いながら、明らかに無駄な行動を挟んだ上で反応を見ながら遊んでいる。
人体改造や機械操作を自在に行う魂記憶により、超常的な器用さを与えられている借り物の手が、今も暇潰し気味にリュミエラの腹や有線粘着パッドを弄り回していた。
特殊薬液を大量に流し込まれ、異常というほどではないが見てすぐわかる程度にラインが崩れて筋肉が浮き上がっている腹をだ。
無駄に繊細な力加減により、圧迫の苦しさと臓腑と筋肉が揺れる名状しがたい陶酔感が混ざり合って、認めたくはないが心地良い。
しかしリュミエラにとって最大の問題はサンキエムの行動そのものではなく、“彼女”が自己の肉体を持たず、サンカントの身体を借りて動いていることだ。
やたらと丁寧かつ挑発的な喋り方も含め、色々な意味で頭がおかしくなりそう……いや、既にだいぶおかしくなっていた。
「ぐ、四回、いや、入れられたのが四回で、吐いたのは、ええと、も、わっかんない、あんなに吐いて、上下から食わされてんのにきもち、ああもう、全然痛くないの、が、よけい気持ち悪い、ってんのお゛、ふっ、ううー」
「何度も言いますけど、遊離ビオス細胞と魔力汚染物質を吸着してくれてるんだから、吐かなきゃ意味ないですよ。
それに、たくさん出すの、気持ちいいでしょ?」
「いいとか、悪いとかじゃなく、嫌、それに、時間ないんで、しょお」
「諦めてください。質問の答えですが、通信と転送に関連するシステムに回路遮断あるいは破壊の措置を取りましたので、当初の予定よりは余裕ができています。
それにリュミエラさん、左脚切断跡の補強材が安定するのにもうしばらくかかりますから」
「う゛う、だから、嫌っての、そういうのじゃ、あ゛、あふ」
「……まだ慣れないなんて、もう少し催吐性と向精神性を上げておいた方がよかったですか」
「む、うう……へ、あがっ!? う、えぁ、あ゛え、んふ……え゛あー」
滑らかな手袋で覆われた“サンキエム”、いや、サンカントの長い指が、強くはないが無視もできないじくじくとした嘔気に悩むリュミエラの唇にねじ込まれた。
表面にはリュミエラの腹に入っている回復洗浄液と同じ、妙に爽やかな風味の粘液(初回の注入前に色々説明されたものの、専門用語が多く半分も理解できなかった)が塗ってある。
紙のような薄さとはいえ手袋越しでも硬さと弾力を感じられる力強い骨肉が歯を押しのけ、歯茎の内側を撫で、舌に絡み、硬口蓋を擽るように這い回った。
心地よい震えを誘発する刺激は元々あった嘔気と混ざり、繰り返し首から背筋を通って腹へと抜けてゆく。
その指使いは嫌になるほど巧妙で、抵抗するどころかより強く、とねだりたくなる心を抑えるのが精一杯だ。
こんな状況でさえなければ恍惚と身を任せているだろう。
もちろん、“サンキエム”本来の目的は他人の口で遊ぶことではない。
一通り口腔内を蹂躙した二本の指が奥へ伸びて咽喉蓋に到達し、優しく擦り扱いた。
リュミエラはおとがいを反らせて呻き、身体を捩って何度目だかもはや覚えていない無駄な抵抗を試みたが、物理的に満たされた胃袋と生理的反射の組み合わせに耐えられるわけがない。
敗北を喫した白い喉が痙攣と共に動物が潰れたような音を漏らし、いくつかの古傷が残る白い腹と、体格の割には薄い胸が細波を打つ。
「ぎゅ、あ、あ゛ア!? う゛お゛っお゛ぐえ゛え゛え、お゛げぇえ゛、っあ゛え゛っ!!
っお゛う゛うう゛ううぅー……ぼっ、ごぼ、う゛げえぇぁあ、あ゛っあ゛ァあ゛っあ゛っ、えあ゛ぁ、う゛げえええあぁえ゛っえ、う゛っ、うう゛……ごぼぼっ」
絶叫から少し遅れて、口から濁流が迸る。
ごぼごぼと粘着質の水音を立てて漏れ出した吐瀉物が、タイミングよく口元に当てられた広口の吸引器に吸い取られてゆく。
断続的に噴き出す崩れたゼリー状のそれに、不思議と不快な臭いは無い。
嘔吐と注入の繰り返しにより、構成成分のほとんどがサンキエムの調整した回復洗浄液となっているのだ。
そして、逆流の苦痛と排出の快楽のバランスは、本来のあり方と逆で吐けば吐くほど圧倒的なまでに楽が強まっている。
呼吸器へ入らないよう、入ってもすぐに除去できるよう“サンキエム”が監視している上、調整された魔力を含む薬液のおかげで粘膜や体力が磨り減るどころか回復するからだ。
いまやリュミエラは、喉を吐瀉物が通過するたびある種の歓喜を味わっていた。
しかし、そんなことは何の救いにもならない。
執拗に喉を擦り意識と呼吸を乱す粘液の流れが止まるわけでも、可愛い弟分(の身体)が目の前に居る事実が変わるわけでもないのだから。
「げぼっ、ぼっ……あ……も、い゛ぎゅ……ぎゅ、え゛っ……おごぉ……っお、お゛ぼお゛ごぼっ、あアあ゛ぁあ゛ー……あ゛ー……っひゅ、う゛……あが、え゛、おっあ゛っう゛う……」
本来の鋭い美貌の面影がないほど表情筋を歪ませ、大量の唾液に加えて涙や洟まで流しながらえずくリュミエラを金と黒の瞳が見下ろす。
表情は嗜虐の悦びと技術者の冷静さに少しの慈愛が混ぜこまれた、なんとも奇妙なものだ。
“サンキエム”は、リュミエラが一通り胃の中身を戻し終えたことを確認して乱れきった顔を拭き、冷水で口を濯がせた。
その一方で台座の隙間に滑り込んだ手は背筋から肩甲骨にかけてを軽く按摩して、わずかに残る苦痛をリセットする。
判っていても本能が歓迎してしまう、飴と鞭じみた忌々しいアフターケア。
「だいぶ良くなったでしょう? 吐くのも、体調も」
「う、はぁ、あ゛、はぁ、うう、しつこい゛い゛、も……もっと、ああ゛、もういらなっい゛って……ってる、ずっと、いってるのにい゛……」
「そうですかね、私は満足してませんし。あー、次で作った分切れますから最後ですね、残念です」
不気味に微笑んだ“サンキエム”は、液体を胃に注入するためのチューブを再度呑ませた。
「回復液も予備、あったほ、う゛あ、指やめ゛、さんかんと、いや、違う、呑む、じぶっ、でのうっ、んぐ、あ゛、でてう、おなか、おなか、に、はいって、お゛ーっ! お゛ーっ! お゛ぶっ!」
非常に細くて柔らかく、何の物質が塗られているのか嘔吐反射すらほとんど起きない……だが、腹が重くなる感覚はやはり耐え難い。
回復自体は問題なく進んでいるせいで本気では怒れないリュミエラが、次が最後の無様だろうと何だろうととにかく嫌さを伝えるべく、ギシギシ音を立てて全身の拘束具を揺らす。
もちろん、無駄なことだ。
あっというまに腹が満たされ、口腔内と鳩尾に“サンキエム”操る指がぐにゅりとくい込む。
当然の結果として動かせる部位すべてががくがくと震え、体液と吐瀉物が再び噴き出した。
パワーソースが戻りつつあるため、吐く勢いも得る感覚もその分激しい。
「…………っお゛、まっ、た、まてえ゛……って、また、い゛、い゛やだあ゛あ゛っ! あ゛っ! あう゛っ! あう゛う゛っ! う゛、お゛ごげえええぇえ――――っ、げっぼ、ごぉ……お゛っ、おお゛お゛ェえ、お゛う゛っ、うーっ!」
内臓が脈動して絞り出される粘液に食道と喉を扱かれるたび、逆流の苦痛と、遥かに上回る何かが断続的にリュミエラを襲う。
認めたくはないが回復洗浄液の効果はすさまじく、抗い難い。
「もう少しですから全部出しなさい、ほら、まだまだ出ますよね。ここをこう、ぐりっとされるの、好きなんでしたっけ。それともこっちの下?」
「ゲホ、お゛っ、おえぇ……はァ、は、あ、もうい、いう、そこ、やめて、でる、すきだ、うう゛、ぜんぜん好きじゃな、っつ!? いっ、い゛、う゛っ! うあ゛っ! あ゛ーっ! あ゛あ゛ーっ! う゛あ゛ーっ! うう゛っ、う゛っ、う゛おっ、う゛げえええぇ、ごぼっ、お゛げぇ……ぐぅ、あ゛ーっ! げっ、う゛げぁっ!」
「ふむ、もう少し押し込みますね……あ、そうそう、終わったら腸と胎の回復液も抜きますから……む、おおっと」
勢いよく吐き戻し続けるリュミエラが、以前の全ての注入同様、排出の悦楽と臓器の振動に狂いかけたその時、空気に切れ目が入り、奇妙に軽い破壊音が鳴った。
“サンキエム”は、それが起こることが前から分かっていたかのように掌に力を漲らせ、怪人筋肉をフルに発揮して真紅の輝きを受け止めた。
もう一口二口吐いて咳き込んだリュミエラもようやく違和感に気づき、液体まみれの顔を肩の拘束具が許す範囲で持ち上げる。
紅い輝き。
「っぎゅ、けぽ……あ゛、ひ、いっぐ、ひ……あ゛? あ、あれ!?」
「うふふ、そろそろ来るとは思ってましたが、腕が先でしたか。
リュミエラさん、どうかしら?
まあ多少……こほん、結構遊びましたけど、あれは私の精神安定に必要でしたし。
ええ、結果オーライですね」
ベルトラン式の凶悪な機械式封印でもっとも厳重に固められ、微動だにすることすら叶わなかった、美しく、力強く、婀娜やかなオーラ紋を持つ左腕が、解放されている。
束縛は薄い硝子じみて粉々に砕け散っていた。
この装置は大掛かりとはいえ魔力や固有形質に対する対策が主であり、薬物が抜け、パワーソースが足りた状態でのシンプルな力押しには耐えられなかったのだ。
パワフルな老レッド・ドラゴンの爪の力、竜爪剣は、左腕と化した今でも相当な威力で振るうことができる。
紅色の粘液と見まごうほどに緻密な、真紅に輝く鱗。
自身の一部とは信じ難い、根源的な愛しさ。
真紅のオーラが下腹部に淀んでいた暗い愉悦と嘔吐感をしばしの間忘れさせた。
粘液で汚れた喉から歓喜の叫びが迸る。
「…………あ? あ、ああ、あ、あた、あたし、の、力あアあ!」
「美しいですね。でも、少し落ち着きましょう」
「あ、あ、うん。あはは……あたしの強い腕ぇ……」
「ちょっと、リュミエラさん! いま保持装置壊されるのは!」
「――っ、あ、はっ、ごめん」
慌てた“サンキエム”がリュミエラの腕を掴む掌に魔力を集中して、それ以上の破壊をどうにか止めた。
妨害パルスで固有形質と魔力操作が機能不全であるにもかかわらず、相当な怪力。
怪人の中でも指折りに強靭なサンカントの肉体でなければ、急には押さえきれなかった可能性が高い。
正気に戻ったリュミエラが嬉しそうに真紅の鱗を眺め、鉤爪をカチャカチャ鳴らす。
「大丈夫。ほんとに。
えーと、うん、ありがとう、ございます“サンキエム”」
「よろしい。ああ、しかし困りました。
鱗の方の腕が自由だと、下手なことしたら保持装置が……はあ、リュミエラさん、喜んでるところ悪いんですが残りの回復洗浄液を抜き取りますから、絶対暴れないでくださいね、頼みますよ。
まずはこれを呑んで、それと、下の方も動かしますけど痛くないですから」
「あ、はい、んあ゛、ぐっぎゅ」
差し出された細く柔らかいチューブを、今度は素直に飲み込むリュミエラ。
えずいたが、強い反射ではなく咳き込み苦しむまではいかない。
保持装置の破壊アクシデントが怖い“サンキエム”は、面倒がりながらも負荷をかけないよう細心の注意を払っているのだ。
チューブはすぐに胃まで達した。
“サンキエム”が操作パネルを叩くと装置がゴウゴウと音を発しながら機能を発揮し、吐き残した薬剤を中和しながら吸い取る。
同時に、下半身の少し太い管からも腸と胎に詰まっていた同様の液体が吸引されはじめた。
得体の知れない不要なものが、するすると漏れ抜ける妖しい心地良さが背骨を駆け昇り、身構えて硬直した全身の筋肉が緩んでゆく。
違う、緩むどころではない、筋も、骨もゾクゾクと痺れ、蕩けるようだ。樹脂葉巻のオーバードースに近いが、もっとずっと激しい恍惚感。
「ふ、ああ゛あ゛……っあ……っあ、ぜんぶ、から、色々抜けて、とけるう゛……う゛っ……これ、すご、すごいい゛……ほん、っとにい゛い゛……もっと吸う、とって……あ、あたし、軽く、かるいなってる、ふわふわぁ……いれて、だして、でる、へぁぁ……」
「そうそう、その調子で力抜いていてくださいね、もうすこしだけ。む、まだクリアでないのか、トレジエムの奴め。
あー、すいません、あと一度だけ軽く洗って抜きなおします」
「はあ、あー……あはぁー……なんでも、いい、これはいい……んんっ、お、おっ!? あ、何で、はいってき、お゛っ、おお゛う、お゛っ、おなかの奥っ、に゛、冷たいのがぁ、ああ゛っ! あたる、あっ! お゛っ! おあ゛っ! あ゛ーっ! う゛あ゛ーっ! お゛あ゛ーっ!
ああ゛、もぉ……あふ、あ、きた、きたぁ、吸われるう゛、すぅって、すうってぬける……あう゛、う゛ーっ……うう゛、ひっ、吸うの、ぬくのこれぇ……」
しばらく後、役目を終えたチューブがちゅぽん、と小さな水音を立てて“サンキエム”の指に抜き取られた。
太いほうの管は自走式であり、カギムシの出産さながらにずるりずるりと勝手に這い出して保持装置本体に巻き上げられてゆく。
異物を一通り吸い取られ終えて綺麗な身体になったリュミエラは、しばらくの間余韻に身を任せてうっとりと脱力していた。
軽く溜め息をついた“サンキエム”が子供をあやすようにリュミエラの手を握り、正気に戻させる。
「はい、おしまい。少しだけ吐きたくなることがあるかもしれませんが、明日にはそれも消えるはずです」
気づけば、妨害パルス以外の刺激が消えている。
腹や喉どころか、失った左脚からくる熱ささえも。
「えほっ、へ、あれ? もう終わり、あれ?」
「もちろん。怪人保持装置自体は古いみたいですがオプションは新型でしたし、怪我や魔力汚染に関しては首都ルクスの病院よりずっと良いと思います」
「え、いやそういうことじゃ、なく、え、じゃあさっきまで延々とあたし」
「最初の一回は喉から吐くかだいぶ太い方のチューブを挿入する必要がありましたから、無駄ではないですよ。
そのまま逃げたら貴方は当分うちの子の足手まといですから、少し時間を食ってでも回復させておく必要がありましたし。
……それとも、やっぱりもっとたくさん吐いて出す方がお好みでしたか?
私は楽しいですけど、あの子はあんまり嗜虐癖とかなさそうですよ」
「だからそうじゃない、そうだけどそうじゃなくて!」
「変態さん」
「そっちじゃねーつってるでしょ!?
ふざけんな、やっぱり初めから楽にできたんじゃない、何よ、仮に、仮にあたしがちょっとだけそうだとするなら、あんたなんか弟狂いで嗜虐でバイで、しかもサンカントに憑いた怨霊。
なんでこんな奴、ああでも、助けてくれたし、でも……あ゛あ゛あ゛、メルドメルドメルド!」
「まあまあ、元気になったんですから。割と衰弱してたんですよ、本当に。
仮にあと数日遅れていたら、後遺症が残る可能性があったぐらいにはね」
「むー…………」
あまりにも自由なその言い分にリュミエラは顔をしかめたが、追加で罵声を飛ばすのは耐えた。
ほぼ回復したことで直前までの仕打ちや、サンカントの身体にずっと見られている羞恥がだいぶどうでもよくなってきているのは否めないし、助けてもらったことを除いても恨むような相手ではない、というよりもむしろこちらが恨まれる方であるのは事実なのだ。
なにしろ、怪人サンキエムを直接殺したのはリュミエラ達なのだから。(それに関してはあまり気にしていないようであったが)
沈黙を礼と受け取ったか、“サンキエム”はからからと笑った。サンカントのように。
「ふふ、さてと、リュミエラさん、保持装置が安定したら拘束も妨害パルスBも外しますから少々お待ちを。
後は去るだけですが、説明したこと覚えてますか」
「大丈夫よ、あたしは壁の地図を見てレンファニウム燃料から追加のパワーソースを得てから移動。サンカントは先行で。
あとは、あれ? クロマクが動いてるっぽい、ずっと回路不通だったのに」
「クロマクとは」
「あたしのしもべ」
「ほう、そういえばうちの子の話にも少しあったような気がします。
使い魔回路が通じるようになったのは、私がここの管理権を奪って色々弄ったからでしょう。
普段はフィルタリングされているはずですから」
「ふうん、なら消耗してて気づかなかっただけでだいぶ前から開いてたのかな」
「おそらくは。それで持っていく物ですが、データ類は私が回収して魂の記憶領域に突っ込みました。
ただし、うちの子と私は休眠や調整状態になければ精神会話はできますが、記憶が完全には共有できないので取り出せるのはかなり後になるかもしれません。
私が再び表に出る準備を終えるのに、どの程度かかるものかちょっと怪しくて。
それでも印刷したものを束ねて持っていくよりはずっと良いと思います。
貴方の義足は当然作る暇がありませんでしたので、戻ってから件の“聖女”にでも生きてる足を再生してもらってください。
切除して十日もたっていないですし、問題ないでしょう。それまでは、ええと、適当にそこの机の脚を剥がして杖にでも。
服はそこの棚に耐熱スーツがあるはず……なかったら、まあ適当で」
「了解」
「んでは、保持装置から外して身体拭いていきますね」
言うが早いか、“サンキエム”がサンカントの腕力を活かしバキバキと拘束具を破壊しはじめる。
幸い“保持装置”というだけあって、拘束されていた部分の肌が激しく傷付いていたり肉が萎えたりなどはない。
有害物質と汚染魔力、そして肺以外の管腔臓器を満杯にしていた回復洗浄液を主成分とする異物を全て抜き取られた身体は、左脚こそ無いもの艶やかで生命力に溢れ、少し崩れていたボディラインも、鍛え上げられたしなやかな筋肉により元の鋭角的な美しさと機能性が復活している。
“サンキエム”は真新しいクロスを滑らせ、薬液やら何やらでどろどろになっているリュミエラの身体を軽く清めていった。
最後に保持装置の開閉器を落として有線粘着パッドを剥がした“サンキエム”は、台座の上に寝転がったまま伸びをしているリュミエラの左脚切断面を再度確認すべく上腿に手を伸ばした。
「あ、まだ動かないでくださいな」
「ん、脚? 補強材のおかげであんま痛くないし、あたしは切断じゃほとんど出血しないから平気。
それに、腕とんだときはもっとずっとひどかったから」
「まあ、大怪我とはいえ傷口は塞がっていますし、問題ないと言い切れるんなら、いいですけ……う、ま、まずい、忘れてま、私としたこと、ああ時間が、コントロール、が、サンカントを、任せ…………」
突然の、硬直。
浅黒い上半身が時でも止まったかのように固まり、台座の上、つまりリュミエラの上に崩れ落ちた。
「え、ちょっと、あ、うがが、おも、重いサンカント、ちがう、“サンキエム”、どっちでもいいけど重い、どしたの一体!?」
時間、確かにサンキエムは、稼動時間がどうこうなどと言っていた。
千ポンドもある高密度の肉体を持つサンカントの身体は、偽りの聖女を使ってない状態のリュミエラには少しばかり重い。
いや、それ以前に肉体や記憶に異常が出ていたりはすまいか。
心配は心配でも重いものは重いリュミエラが重石を押し退けてから様子を見ようとしたその瞬間、ちょうど腸骨稜の辺りに熱い息を、次に下腹部全体に力強い筋肉の脈動を感じた。
怪人少年の肉体が復旧する。
「……うう゛、ここは、げっほ……俺あ゛、あれ動ける? そうだ、リュミエラさん助けなきゃ」
大きくはないが、明瞭で意味のある言葉。
呟きの内容が、直前と繋がっていない……つまり、“サンキエム”ではない。
当然、敵でもありえない。
それはここ数年で聞き慣れたイントネーション、父母の次ぐらいには安心できる声。
ガラガラと少しだけ普段より掠れて聞こえるのは、寄生者が妙に甲高い声で喋っていたせいであろう。
細かい理由は本人でなくては不明だろうが、パワーか時間か肉体の主の目覚めか、ともかく何かが切れて“サンキエム”は肉体支配権を失ったのだ。
激しく心を乱されたリュミエラにまともな思考はできなかったが、それでもサンカントの腕と頭を押し退けることだけは中止した。
起き上がったサンカントが目を開け、周囲の有様に困惑して首をひねり、最後に呆然とリュミエラを見た。
腹の上の重石がなくなったリュミエラも一息ついて上半身を起こし、怪人少年同様に固まった。
改造された金色の虹彩と、光を吸い込む漆黒の虹彩が絡み合う。
たかが十四日ぶり、しかもかなり不本意な有様での再会だというのに臓器が脈打ち、感情が抑えきれない。
気の効いた言葉も出てこない。
二人以外にはそうそう見通せない闇の中で、四つの瞳から歓喜の涙が溢れた。




