51話 『消失』
ルクスコリ共和国首都ルクスの空を一人の男が飛ぶ。
もっとも、単独ではない。不可能ではないが、地元素との高い親和性を持つ彼にとって空は畑違いであるし、姿も不可思議な影状物質により隠蔽され、不明瞭だ。
彼を運ぶのは半透明な霊的肉体を影で覆った不定形の飛行物体、幽体ドレイク……いや、大量の瘴気とクリスタルを吸収して成長したその姿は、見る人が見れば“ドレイク”ではなく“ワイアーム”と呼ぶやもしれぬ。
それは彼直属の部下のひとりが所有する強力な使い魔で、各種の維持費を分担する代わりに使用権の一部を譲渡されているのだ。
いずれにせよ彼、つまり聖堂騎士団工作部隊長“勇者”エリクは首都から離れすぎない範囲で駆け回っていた。
と、懐からビープ音が響く。取り出した通信機の小画面に、見知った番号。
「隊長、定時連絡が遅いです。 何? いや、ジョークとして受け取っていただければ。
……まあ今はいいです、それで例の件ですが、やはり水晶集めの仕事とは無関係なようで。
ファルギ村のロドリグ様にも失礼を承知で通話いたしましたが、心当たりはないそうです。
そもそも、長距離列車や船便の履歴が確認できずクロマクも置いたままである以上…………」
「うん、そうだな、忙しいところすまんマリエット。にしても一体どういうことだ?」
「該当の質問はむしろ此方のものではありませんかね」
「僕がもっと忙しい事がようやく判ってくれたようで嬉しい」
「いいえ、相対的な忙しさについての議論は魅力的ですが後にすべきかと。
はぁ、こほん、それでですね、率直に聞きますが隊長、いえ、隊長ではなく私の友人のエリクとして答えて欲しい。
特別な幸運に恵まれたケースを除外して、あの二人を痕跡も残さず拉致することなど現実的に可能だろうか?
私の感覚では、処理ならばまだしも確保ミッションを想定した場合、兵装付きの独立大隊を使い潰す許可があったとしても気が進まんぞ」
通信機の向こう、聖堂騎士団工作部事務室でマリエットが首をひねっている絵面がありありと想像できた。
エリクとしてもその意見には賛成である。
珍しく仕事以外で空を飛んでまで痕跡を追っているのは、しばらく前から行方不明となっている彼直属の部下、リュミエラとサンカントだ。
恐るべき二人は全く前触れなく、まるで煙のように消えてしまった……重要な戦力であるというのに。
「そこなんだよ、肉体的には怪人のサンカントが裏切った可能性も無いわけじゃないけれど、研究所で定期的に精神チェックしている以上ゼロに限りなく近い。
第一、行方不明に際してリュミエラの使い魔であるクロマクが全く反応していないというのが解せん。
とりあえず僕はこれから自宅の方に踏み込んでみる、昨日は留守を確認しただけだったし。
ううむ、ルクスがこんな状況でなければジョゼに手伝ってもらうんだが、あいつも多忙だからなあ」
「しかし反応が無い、つまり魔力回路の切断が起こっていないならば、少なくともリュミエラの方は現存なのでは」
「生存確実はそりゃプラス要素に決まってるが、リンクがあるのにクロマクが方角を追えないわけで、相当に遠いか妨害機構のある場所だぞ。
ルクス外周を回らせて無理だった以上、下手したら日帰り不可能な距離だ。
拉致か能動的な移動か今の段階で判断しない方がいいとは思う、が、まあ、何かあったんだろうなあ」
「専門の機材を持たせた調査員を出すか?
サンカントが関わっている以上、息のかかってない奴は使えんが、工作部から数人なら日程ずらして融通可能かと」
「ああ、処理しといてく……いや待てマリエット、手続きも僕が行うほうが良いだろう、現地人員勧誘法のあれがあれでさ。
そうだな、簡易機材は手元にあるんで先に視覚での確認と残存魔力データだけ取っとくわ、何もなければ日が沈む前には工作部に戻れるはず」
「了解」
エリクは通信を切って足元に視線を落とし、揺らめく影の塊を軽く叩いた。
不可思議な仮想物質で覆われた幽体ドレイクであるクロマクの肉体は何の音も返さないが、全く感覚が無いわけではないようで、長い首を曲げて口以外のパーツが存在しない流線形の頭部をエリクに向けた。
生物的な意味での視覚は無いはずだが、一応は頭であることに意味はあるようだ。
もっとも、曲げた、というより振り向いた状態で飛行速度が全く変化しないのだからそれほど重要ではなさそうだが。
「リュミエラさん家に降りてくれ、そうだな屋根がいい」
「クワー」
一本線じみた口を歪め、細く鳴いたクロマクがエリクの指示に反応して飛行スピードを上げた。
主人と全く連絡がつかないにもかかわらず、案外落ち着いている。
実際、半分死んで半分生きているクロマクにしてみれば、しばらく会えない程度大したことではないのかもしれない。
……だが、エリクの不安は目的地に近づくほどに増していった。
それは友人あるいは雇用主としての単純な責任感や心配などとはまた別のものだ。
都会の濁った空が今日はやけに忌々しい。
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BUZZZZ……ZZZZZZ……ZZZZ……
リュミエラ宅の屋根の上に座ったエリクを中心として糸状の魔力が流れ広がり、虫の羽音じみた振動音が響く。
よく見れば発生源はエリク本人ではなく、数本の鋼線が伸び出している一辺が一フィートほどの機械櫃だ。
ルクスコリ共和国の官憲が主に使用する携帯用の探査機材で、周囲の魔力的な痕跡を感知あるいは記録できる。
外から拾える分のデータを取り終えたエリクは、しばらく逡巡した後、屋根から飛び降りた。
できれば上から入りたかったが古い建築様式のこの家は窓が小さく、彼の体格ではぎりぎり通れない。
迷っていたのは屋根を破るかどうかであり、家主と住人(もちろん、リュミエラとサンカントだ)には幸いなことに、補償手続きが面倒という理由で中止された。
再度周囲をチェックし、工作部の長らしく見事な技術で鍵を破ったエリクは、主不在の家に踏み込んだ。
先行して二階の窓から侵入していた魂の同居人ツチヤの分身が情報を伝えてくる。
最近開発したこの分離は、せいぜい同じ建物レベルの距離までしか離れられないもののなかなか便利で、共鳴により本体とのテレパス通信が可能だ。
なにより、ゴーレムを用いた視界共有と違って本体の行動を阻害せず、また器用で狭い場所にも滑り込める。
(エリク、上の部屋は焦げたような跡がいくつかあるな、原因はわからんが。
家具は硬いベッドと金属製のクローゼット、同じく棚、クリスタルランプと空き缶が乗った文机、小型の水タンク。後はハチェットとマチェットが数本部屋の隅に立てかけてある)
(リュミエラさんの部屋だな、クローゼットと棚は開けてみたか?)
(今やっとる最中だ。にしても本当にこれが若い女の部屋かね、こっちの常識にそんなに詳しいわけじゃねえが、いくらなんでも殺風景すぎだ……ま、ジョゼの姉貴は物持ちすぎとしても)
(……ジョゼ本人に言うなよ。それと、焦げ跡があるのは異常事態じゃない。リュミエラさんの体質だ)
(なるほど、っと、ふむ、クローゼットの方は例の赤黒い革のフードマントとワンピース、それと鞄、ベルト、何か色々入った革袋、多分水晶集めの仕事道具かね?
棚は書類と本が少々に、結構な量の硬貨、ハンドタオルが数枚、マントと同じ革の服だか下着だかが数枚……ん、なんじゃこりゃ)
(どうした)
(アンモボックスみてえなのを開けたら十五、じゃねえ六インチ程の青茶色の棒が山ほど入っとる)
(あーそれは樹脂葉巻だ、ファルギ特産の薬煙草。吸ってるの直接見たことなかったっけ? 辛い上に変なトリップするから僕は嫌いだ)
(なんだそりゃ大丈夫なのか?)
(薬剤師ではないから詳しくは知らないけど、死んだり依存するようなもんじゃないはず、合法だし)
(はず、っておい。まあ俺が気にする事でもねえか……んで目に付く物は以上だぜ、生活感ねえなあ)
(リュミエラさんはだいぶヒト離れしてるからなあ、下手したら僕やジョゼどころかサンカントよりも変異箇所が多い。
左腕がアレなのを別にしても、物理どころか魔力法則もおかしくなってるぐらい体温が上下するし、怪我してもほとんど出血せん。
着替えやらが少ないのは着られるものが少ない以上に、汚れないからだな。
殆どの汚れが焼け落ちるせいであの服は埃を払うだけで洗う必要が無く、本人に至っては垢どころか経血すらも一瞬で灰になって消えるらしい)
(…………固有形質ってのはすげえもんだ)
(いやあそこまで変化するのは早々無いぞ、僕やジョゼのも含めて基準にすべきじゃない)
(なるほど、まあもう少し細かく調べたら降りる)
(そうしてくれ)
「さて、こっちはどうしたもんか」
話を中断したエリクは、バックパックから蓄電式の灯りを取り出すと玄関口から台所へと繋がる廊下を調べ始めた。
一見何の変化も無い古びた床と壁だが、念のため慎重に魔力を操作し、苦手な浮遊移動を行う。
不定形で軽く、指紋もなければ魔力残留も起こさない分身ツチヤと違ってエリクの肉体には相応の重さもあれば血も通っている。
後から調査員を送る事を考えて余計な痕跡を残さないよう気を使っているのだ。
現状特に気になる箇所もなく、角を曲がって台所に行くもエリクには単に留守の家、としか感じられなかった。
シンクには洗い忘れだろうか、コップと数枚の皿が積んであるがそれだけだ。
生ゴミの類もないが、そちらは廃棄物が出るたびリュミエラが焼却していると思われるため、それを理由に異変が無いと判断する事はできなかろう。
冷蔵箱や棚を開けてみても残っている食材はいずれも長期保存が利くものばかりで、やはり異常なし。
さらに進んで、階段横の扉を開く。便所だ。不自然さはなし。
臭いが排泄物や洗剤、香料ではなく、火事の跡を想起させるスモーキーなものなのはリュミエラの影響だろうか。少し気になったが今は関係ない。
二階はツチヤに任せているので、ここで行き止まりだ。
玄関にとって返し、サンカントの部屋であろう扉に手をかけたエリクは。
「うぬ!?」
(どうした)
(なんでも……あるが、上を調べててくれ)
乾いた血と脂の臭いを認識し、顔が歪む。
……だが、幸いにして腐臭は感じられない。扉を開く。
エリクは部屋全体を照らすため、灯りの出力を強めた。
部屋の奥に二階にあるものと同一であろう金属製の小さなクローゼットと棚。その横には畳んだ布団一式。
ベッドでないのは、異様に比重が大きいサンカントの肉体がゆえだろう。
天井に灯りは無く、布団の横にクリスタルランプが一つ。
サンカントもリュミエラも強力な暗視能力を持つため、一般的なルクスの家庭にあるような照明は要らないのだ。
手前にやや大き目な卓袱台状の金属性机、ではなかった。机の上に鉄板が置かれている。
リュミエラの発する高熱対策なのだろうか? エリクは首をかしげた。
板の上にはコップが二個と皿が二枚、いずれも空のようだが綺麗ではなく、特に皿は汚れている。
どうやら脂の臭いの発生源は食器らしい。
そして、机の影にかなり大きな血痕。
腕を捥がれても目立つほどの流血を起こさないリュミエラの血でないのは間違いない。
サンカントか、あるいは第三者か、どちらにしても死ぬような量ではないとみえた。
そして血痕の形状からして少なくとも争いは無かったのだ。
どちらかといえば、吐血か何かと考える方がしっくり来る。
しばらくエリクが考え込んでいると、カサカサ軽い音とともに分身ツチヤが降りてきた。
「上は一通り終わったぜ、やはり生活感の欠如以外特におかしな事ないなエリ……うお、血じゃねえか」
「ああ、どう思う?」
「俺に聞かれても困る、やばい事があったんだろ、ぐらいしか判らんぞ、しがない一般市民だったんだ」
「それもそうか。が、僕からしてもこの状況は、ちょっと理解の外でだ。一旦戻るしかない」
懐から通信機を取り出したエリクは、忙しくしているであろうマリエットに内心謝りつつ再度の連絡を入れた。
第六章開始。




