34話 『管轄』
“ウィンモーリス”九階、客室フロア。
無数にある部屋のうちの一つで、ドアベルが鳴らされている。
ツインにしてはゆったりとした室内には誰も……いや、注意して見れば居た。
二つあるベッドの隙間に少年が一人、陽光降り注ぐベランダに置かれた白いリクライニングパイプ椅子に女が一人。
どちらもすやすやと眠っているが、まったく無防備というわけではない。
熟練した戦士であり、異変には寝ていても反応できる。
それを裏付けるかのように、鋭敏な聴覚でベル音を拾った少年の目が見開かれた。
ベルトラン怪人特有の真っ黒い強膜と、金色に輝く虹彩。
「んむー……誰だよ、眠いし首も痛……あ゛? 今、何時だ?!」
瞬時に覚醒し、直角に跳ね起きたサンカントが時計を見る。昼前だ!
しかも客? 何故、直接部屋に? 非常にまずい。
彼は慌てて寝室から飛び出してドアに向かって叫んだ。
「あーはい、ちょっと待ってくれ、ください!」
サンカントが客室備え付けのガウンを脱ぎ、興行拳闘士さながらのハーフパンツ一丁になる。
高密度の筋肉を包む浅黒い肌が露になるが、もちろんそのまま応対するわけではない。
単にガウンも下着同様の扱いというだけだ。
新しいシャツを被り、ジャケットを羽織り、転がるように洗面所に突入して口を濯ぐとともに逆立つ髪の汚れを払う。
最後にスリッパを履くのとほぼ同時、投げ捨てたガウンが床に落ちる。
怪人の身体能力をフル活用した恐るべき速度の身支度だ。
軽く溜め息をついた彼がドアスコープを覗くと、そこには見慣れた髭面のドワーフが居た。
ガチャリ。
「あれ、バスチアンさんじゃん。
急いで損したぜ」
「急ぐ? のんびりしてたのはあんたらだろう? でだ、朝食ビュッフェの時間はとうに終わっちまったぞ。
いやまあ、全然起きて来んから心配になっただけで特に用はねえが」
「あ、ああ、ごめん、ちょっと色々」
「何だっつんだ一体」
「サンカント何やってんの。入ってちょうだい、あたしが説明する」
「むぐー!」
少し遅れて出てきた赤黒いフードマント女ことリュミエラが、要領を得ないサンカントを押し退けてバスチアンを室内に引っ張り込んだ。
体質上一切の化粧ができない上、汚れを一瞬で焼き落とせるリュミエラの身支度も通常の女性に比べると相当早い。
せいぜい体毛の処理ぐらいのもので、それにしたって毎日のことではなかった。
……しばらく後。
「…………まあ、難儀な話だな。
悪いが手伝わんぞ、巻き込まれたら今度こそうちのカミさんが訴状を持ち出す」
ある種の暗号じみた具体的用語無しの概略説明を受けたバスチアンが、眉間に皺を寄せた。
細かい説明をしないのは、シャドウ・ドラゴンの件でマドロス夫人の逆鱗に触れたリュミエラと“勇者”エリクが、余計な揉め事を避けるためバスチアンと相談して決めたことだ。
どうしても協力体制を取る必要があるとき以外は、全て事後説明となる。
「わかってる。だからええとねバスチアンさん、その、マドロスさんに説明を、別に遊びたくないわけじゃないー、って。
んで、可能なら今日中に撤収してもらった方が良いかも?
たぶん夜には隊長が来る」
「そりゃ構わんけどよ」
「ありがと、生きて帰ったら酒奢る」
「縁起でもねえな?!」
「冗談。それでさ、あの」
「了解だ……こっちだって気が重いぜ、だが謝るなよ」
「それじゃまたルクスでね」
「ああ」
渋面のバスチアンが低身長ながらに四角く逞しい身体をゆすり、一人去ってゆく。
マッドなドワーフ技術者にして上級水晶集めの彼なりに、リュミエラとサンカントのことを気にかけている。
単にというべきか当然というべきか、己の妻よりは優先順位が低いというだけだ。
色々と調子の出ないリュミエラは、横でしょげているサンカントの剛毛を白い指で軽く梳きながら昼以降の予定を組み立て始めた。
「本当、面倒ばかり」
「くすぐんなって……俺だって遊びたかったけど、仕方ねえよ」
「んー、おなかすいたけど、もうちょっと日光浴しとこうかな」
「やっぱ地下になんのかなあ。じゃ、俺は飯食ってくる」
「テイクアウトよろしく」
“時間”まではもうしばらくある。
バスチアンの来訪は、なんだかんだでベストなタイミングであった。
各々が、目的に向かって動き出す。
バスチアン夫妻も、リュミエラとサンカントも、そろそろ移動を開始しているであろうエリク達も皆。
……そして、いまだよくわからぬ敵も。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「相席失礼しますね、と。それにしましても、かなりお待たせしてしまったようで申し訳ない。
私がモーリス担当のティボーです、こっちが同じくメリザン」
ややカジュアル寄りのスーツ姿をした竈の商人族の壮年男性が軽く会釈をし、六人がけのボックス席に座った。
彼の部下らしき闇魂族の女性(ただし、種族的差異により身長五割増し、体重三倍はあろう)がそれに続く。
多少くたびれているが、種族の異なるリュミエラから見てもなかなかの美人だ。
「メリザンです。リュミエラ氏にサンカント氏、で合っていますよね?
……あまりにも隊長が言ったままの姿だったので驚いてしまいました」
「こちらこそよろしく。
けど名前、それでよかったんです?」
「だぜ、もっとこっそり会うのかと思ってたよ俺」
「注文は以上でございますか」
「はい」
音もなくやってきたウェイターが、二人分のドリンクを置いて足早に去ってゆく。
リュミエラとサンカントは、昨日の件でモーリス市担当の聖堂騎士団工作員と会うことになっていた。
一般的な感覚では、今集っている四人は裏の仕事に携わっているといってよい。
しかし、少なくともモーリス市ではは異なるようだ。
エリクからの通信を受け呼び出された工作員、ティボーとメリザンが返しの連絡で指定したのは少しばかり寂れてはいるが一般的軽食屋である。
過剰装飾のスイーツをつまんで待つことしばし、現れた二人は普通に名乗るどころか写真つきの名刺すらよこしたのだ。
リュミエラの工作員経験は戦闘のみ、なおかつ一年ほどでしかない。
その彼女をして、首都ルクスやその他地方都市では考えられないオープンさだ。
困惑するよそ者二人に、ティボーがにやりと笑って説明する。
「それはですね、モーリスだからです」
「……はあ」
「この街では、我々は表の住人なのですよ。
一部の戦闘行動を除き、全てがモーリス上層部の管理下にあります」
「なるほど。
本題ですが、隊長からどこまでお聞きに」
「およそ全て。ですので、実のところ話すことはあまり。
なお市長ドミニクには連絡済みです。幸い、“勇者”と“聖女”のモーリス内進入と特定戦闘行動の許可も降りました。
例の案件につきましてはモーリス側も苦労しているらしく、他より色々と緩いです」
「……ふむ。
ティボーさんとメリザンさんも実働に?」
「我々は非戦闘員寄りなので、隊長から特に指定がなければ後処理担当ですね。
後、こちらの小冊子にモーリス内特定戦闘行動の注意事項がまとめてありますので一読を」
「了解いたしました。急な仕事にもかかわらず、至れり尽くせり感謝いたします」
「いえ、こちらこそ。少々早いですが、お先に失礼いたしますね」
「失礼いたします。隊長とジョゼ様によろしく」
一通りの連絡を終えたティボーとメリザンは、伝票を掴むと足早に去っていった。
予想以上に、モーリスの内部事情は複雑なようだ。
何はともあれ、いくつかの懸念事項は解決した。
しかし。
「サンカント、ちょっとそこ座ってて、あとお茶をホットで三杯注文」
「へ?」
囁くように声を発し、すっくと立ち上がったリュミエラが凄まじい速度で外へと飛び出す!
風のように人々の間をすり抜けた彼女は、直前まで座っていたボックス席のすぐ横にある窓の下の植え込みへと降り立った。
竜爪剣を核とした真紅の左腕が、赤黒いフードマントの下から突き出される。
四本の鋭い鉤爪こそ鞘に包まれているとはいえ、並みの武器よりはるかに凶悪だ。
植え込みが蜃気楼さながらにゆらぎ、ぶれる。
「う゛、ぬおわ?!」
一瞬の後、太い男の声が響いた!
植え込みの揺らぎは大きくなり、いまやパリパリと点滅している。
リュミエラは確信めいて左腕に力を込め、締め上げた。
なかなか迷彩が解けない。
偽りの聖女を少しずつ解放する。
白い肌がぼうっと輝きはじめ、体温と活力がぐんぐんと上がってゆく。
パシ、パシ、パシ。
点滅が激しく、呻きが大きく。
リュミエラが熱による器物破損を心配し始めたところで、ようやく正体が露見する。
この手の薄い防御膜はサンカントに砕かせれば一瞬なのだが、逃げられる可能性を少しでも減らしたかったのだ。
身長こそ大したことはないものの、がっちりとした体格に太い顎の中年男。
昨日と色は違うがトレンチコートを着ており、顔は帽子で判然としない。
リュミエラが締め上げを解くと、男は咳き込みながらばつが悪そうに帽子を脱いだ。
「お、おう……久しぶりだなァ、昨日のねえちゃん」
「やっぱりあんたか!」
「偶然、奇遇じゃのう、と言ったら?」
「“レファルド”に不法侵入、さらに別の店で食い逃げ、たった今ピーピング」
「おう、待て、話せばわかる、俺ァ敵じゃねえ、本当だぜ」
「今度こそ逃げないでしょうね」
「勿論だ、光神ソレイエルの瞳にかけて」
「悪魔が陽の光に誓う、ねえ」
「……なら大地のレンファにでどうだ」
「はぁ、別に言い直せとは……ちゃんと話をするならどっちでも良いけど」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ごく簡単なピーピング防止結界に包まれたテーブルは、なんとも言いがたい雰囲気に包まれていた。
リュミエラの漆黒の虹彩と中年悪魔の黄水晶の虹彩が交錯しては外される。
サンカントの瞳に関しては濃い色眼鏡で隠されているため定かでないが、似たようなものだろう。
一応、この中年悪魔は今回の案件においては工作部の味方のようだ。
あくまで、今回に限り。
「……今度こそ正しい偽名、というか肉体名なんでしょうね、ラマモンさん」
「俺達は二度騙しはしねェ、悪魔としても、仕事でも、どっちでもだ」
「本当かなぁリュミエラさん」
「さあ? とにかく昨日あの店で食った分を払ってもらってからかな」
「仕方ねえな、そこはまあ、俺の落ち度か。
つうかよォ、昨日といい何故に光学迷彩結界が素通りなんだ、まったく自信無くしちまうぜ」
「あたしは、光に強いからね」
ラマモンが渋々、といった様子でリュミエラにコインを投げ渡す。
各々通信機を用いて簡易的に相手の身分を確認したが、どちらも内心で頭を抱えている。
結論から言うと、悪魔ラマモンはベルトラン案件疑惑のある店舗を追っていた……ただし、モーリス市長ドミニク管轄で。
つまり、昨晩のバッティングは完全に偶然の産物だ。
そして今回のピーピング対象はリュミエラとサンカントではなく、モーリス滞在聖堂騎士団工作部員の二人であった。
活動連絡が市長を通して伝わったため、情報収集の足しにすべく追跡していたというわけである。
露骨に不機嫌なサンカントがカップのお茶を一気に飲み干した。
「それでどうすりゃいい、というかどうしてほしいんだ。
夜には隊長が来るのも知ってんだよな?」
「結局、戦闘能力はともかく権限としちゃこっちは下っ端なわけで。
むしろラマモンさんの方から便宜を図って欲しいぐらいなのですが」
「……俺もなァ、市直轄っちゃ直轄なんだがよ、んなに特殊な権限あるわけじゃねェから。
そんで例の店に関しちゃ俺の仕事で……いや、主人が特定戦闘行動の許可を出しとるつうことは、ぬう」
唸る三人。
無駄な心配に過ぎないことも多いが、決して楽観はできない。
指揮系統が二つあるために解決後に面倒が起こる可能性が高いのだ。
もちろん、解決まで至らなければ問題はよりいっそう増える。
「すぱっと共同戦線、ってわけにはいかないの?」
「うちからも誰か出せと? だから俺ァ指揮権とかはねえっての」
「いやそうじゃないわよ、ラマモンさん自体が隊長の指揮下に、とかさ」
「俺個人としちゃいい案だと思う、だがなァ」
「ううん……やっぱり、あたし達じゃどうにもならんわ。
決行が晩か明日か、それとももっといいタイミングを探すことになるかは知らないけれど、今晩もう一度会えない?
その時なら隊長がモーリス入りしてると思うから。
場所は駅か“ウィンモーリス”かどっちかで」
ある種苦し紛れの提案を受けたラマモンはしばらく考え込んでいるようであったが、じきに顔を上げた。
同様に、今この場では解決不能と判断したのだろう。
「仕方ねェ、そうするか。場所はその二択ならウィンモーリスだ。
あそこはうちの完全支配下だからよ、ご利用ありがとうごぜえます、ってなモンだ。
もし、夜半までに来なかったなら主人からの指令かなんかで別行動確定と思っといてくれ。
恐らく止められはしねェと思うんだが」
「ありがとラマモンさん、助かるわ。ご馳走様。
お先に失礼いたします、ってね。行こサンカント」
「はい」
「じゃあな。……ん、おい、ちと待て、俺が払うのかァ?」
「当たり前でしょ、もう昨日の事……」
「ァ…………」
どっしりとした見た目にそぐわぬ子供じみた表情(原因もまた子供じみていた)を浮かべたラマモンを尻目に、リュミエラとサンカントが店を脱出する。
夜までに準備しておくことは多い。




