32話 『眠らない街』
ジジジ、ジジジジ、ジジジジジ。
四角いシルエットの通信機が乱れたベッドの枕元、薄暗いクリスタルランプの下で震えている。
時刻は夜半過ぎであり、どうせろくでもない緊急要件に違いない。さもなくば野蛮人、あるいは酒か薬をやっている奴だ。
ルクスコリ共和国中央神殿所属の生きた偶像にして特別秘密工作員、“光の聖女”ジョゼはだるそうに身を起こして掌サイズの機械へと手を伸ばした。
ダブルベッドがごくわずかに軋み、滑らかなシルバーブロンドの長髪と、汗でほんのり湿ったベッドシーツに包まれた豊かな胸が弾む。
聖女の紅色の虹彩が向けられた小さな画面には、ここ一年で見慣れた番号。
……つまり内容は確実にろくでもないし、発信者は年下の友人で、野蛮人で、樹脂葉巻もやっている。
軽く嘆息したのちベッドから這い出したジョゼは、白い裸身にバスローブを羽織って立ち上がった。
「ふ……わ……まったくもう……はい、もしもし。こんな夜更けにどうしたのリュミエラ。
そう、こちらジョゼ。エリクはいま取り込んでて、え? 失礼な、違いますわ、汗流したからお湯浴びてるだけ、なに、急ぐ?
ああはいはい、その先は言わなくても、通話そのままで。
…………エリク、エリク!」
パタパタと軽い足音、そしてドアの開閉音と水音。
狼狽するエリクと、からから笑うジョゼの声がバスルーム内で反響した。
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「どうしたリュミエラさん、不機嫌そうな顔して」
カジノホテル“ウィンモーリス”九階のベランダの手すりに腰かけ、何やら黄色い柑橘を齧っていたサンカントが、口をへの字に曲げて通信機を放り出したリュミエラを見た。
機嫌が一定以上に悪化したリュミエラは体温が乱高下するため、物理的に危険だ。
「……大丈夫、機嫌のほうは問題ない。ちょっと格差ってもんを噛み締めただけで。
そう、別にあたしがナイトクラブに入れなくてがっかりしてる所に隊長とジョゼさんの愛を通信機越しに見せつけられて切れてるとかそんなことは、断じて、断じてない……わけでもない……けど大したことないから。
まあでも、困ってるのは間違いない……どうすべきやら」
リュミエラはグラスに入ったお茶を一気に飲み干し、モーリスの濁った星空を仰ぎ見た。
問題ない、と言ったものの、実際は問題だらけである。
ご機嫌が斜めな理由も、複数あった。
彼女は今しがたサンカントが偶然に拾ってきた怪人、つまりベルトラン案件情報を首都ルクスにいるはずの聖堂騎士団工作部隊長こと“勇者”エリクに伝えて判断を仰いだところ。
はっきり言ってエリクの回答だけでもリュミエラがげんなりとするに十分だ。
まず、半自治区であるモーリス市周辺の聖堂騎士団アウトポストには転移門が設置されていない。
現在のモーリス市長にしてカジノグループの元締めである老長魂族のドミニクとモーリス議会の方針により、軍に限らずルクスコリの公権力は色々と制限されているのだ。
つまり、エリクとジョゼ、あるいは他の工作員は普通に列車か空の便でやってくるしかなく、応援は確実に明日以降。
同様の理由で、モーリス在住の現地情報員もあまり大っぴらに動けないのだ。
エリクによると、こちらから夜に会いに行くことすらもあまり得策ではないらしい。
「本当かよ、まあいいならいいんだけど……で、隊長はなんて?」
「ここじゃあれだから、外に出よっか、暗い方に」
「うん」
「あんたって空中制御できたっけか」
「できる」
「上着着て靴履いたら、ええと……怪人反応があったのは北の方だっけ?
んじゃ、あたしを抱えて北に飛んで。なるべく他の窓や建物から見られないように。
そう、竜牙剣無いから、魔法辛い」
「せめて背負わせてよ、って今から?」
「大至急」
素早く戸締りをし、外出の準備を整えた二人は手すりを乗り越えて飛び出した。
熱く赤黒いフードマントに包まれたサンカントが仮想質量と大気の流れを調整し、少しずつ高度を落としながら滑るように闇夜を舞う。
リュミエラは怪人少年の硬い背に身体を預け、潮風を受けながら暫しの空中散歩を楽しんだ。
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モーリス北区の中でもさらに北側の暗い路地裏から、囁くような声が聞こえる。
眠らない繁華街の色彩豊かな光と喧騒も、奇妙な屋根や障害物に遮られ地表までは届かない。
狭い道の上に広がり、所々の隙間から安いランプの濁った灯りを漏らしている要塞じみた建造物は、非合法な建て増しで古い家が歪に多層融合し、巨大なスラム街と化した金の街の暗部だ。
あたりには瘴気とまではいかないが陰鬱な魔力と、不法投棄された廃棄物からくる不快な臭いが漂う。
「さてと、適当に空き部屋を占拠しよっか」
「ああ、道はダメだな、ってかこいつ起こして案内させればよくね?」
声の主はもちろん、“ウィンモーリス”九階の部屋から受付を通らず抜け出してきたリュミエラとサンカントである。
道は真っ暗だが、怪人の瞳による暗視と、偽りの聖女がもたらす強力な赤外線視力により不都合はなかった。
二人の足元には汚物を漏らして気絶した男(汚れた身体と纏う襤褸のせいで確信はできないが、おそらくヒト族だ)が転がっている。
音もなく路地裏に滑りこんできた二人に驚き、反射的に魔法を放とうとして殴り倒された不幸な男だ。
まともに息があり、目立った身体欠損もしていないのは、リュミエラが聖堂騎士団工作部平団員との手合わせで覚えた繊細な手加減のおかげであろう。
なんだかんだで彼女はファルギ村から出てきて以降も、ちゃんと成長しているのだ。
「うっかり叫んだりされたら困るじゃない」
「そっか」
「あとは、別に必要ないのに締め上げるのもちょっとだけかわいそうかなって」
「なんかリュミエラさんらしくねえな」
「失礼な、敵や邪魔者ならともかく偶然ぶつかっただけでしょ。
あたしは嗜虐趣味じゃない」
「ほんとかな?」
少しばかりの相談の後、男は放置していくことに決定された。
リュミエラは侘び賃として懐に数枚の高額コインを入れてやったが、最高に治安の悪い地区で気絶中の彼が、その金を守りきれるかはかなり分の悪い賭けかもしれない。
ともかく二人はするすると壁を登り、周囲に明かりや寝息、残存魔力などのない部屋を探して忍び込んだ。
ようやく警戒を解いたリュミエラが埃だらけの壁に寄りかかり、だらりと弛緩する。
「ふぅ……んじゃさっきの通話の中身からね」
「おう」
「まず一つ、エリク隊長とジョゼさんはモーリスに来る。
ただし、最速でも明日の晩、たぶん明後日……つまり、明後日の朝帰るバスチアンさんとマドロスさんは戦力としてカウントできない。
ま、いいことなのかもしんないけど。
んで次、工作部のモーリス市担当員には明日の昼会う。ただし、隊長に指令お願いして向こうから来て貰う予定。
あたしたちはルクスとファルギじゃ多少あれだけどモーリスでは顔割れてないからね、わざわざばらすこともない。
最後に、これからやる事……」
「え、眠いんだけど」
「あるでしょ、飴が。それに朝に戻れば昼まで眠れるし」
リュミエラは不満げな表情を浮かべたサンカントを無視して腰に手をやり、耐熱革袋を漁った。
取り出されたのは、何も書かれていない小さなネジ蓋の缶だ。
中にはルクスコリ共和国軍の支給品(聖堂騎士団も軍のいち部署だ)である茶色の錠剤が入っている。
非合法ではないが市井の薬屋では取り扱っていないその薬品は、一定時間の間眠気を軽減するとともに集中力を向上させる効果があるのだ!
なお、一缶分をまとめて服用することで痛覚を麻痺させ、精神不安を取り除くことが可能だが副作用が大きく推奨はされていない。
「飴使うほどは眠くね、っむぐ?!」
「まあ飲んどきなさい」
白い指先で弾かれた小指の爪より小さな錠剤が、弧を描いてサンカントの口内へ投入される。
喋る瞬間を狙った恐るべき早業。
「むう、んでどうすんの」
「今のうちにアタリをつけておこうかと。正確には、モーリスの工作員に会う前に、か。
明日の昼におそらくはウィンモーリス内で会う予定だけど、そうなるとあたし達が工作部関係者なのも高確率でモーリス市上層部にばれるわけ。
モーリスはカジノと自由港を運営する関係で裏情報網がすごいから、勝手に動けるのは朝まで。
わかったらサンカント、怪人の反応があったあたりまで案内して。
あとね、隊長によると怪人の反応を消したのは結界かもしれないけど、ベルトラン関連の施設があったとして、隠蔽と警備は魔力でなく物理的、光学的をメインにしている可能性が高い。
モーリス市は、というかドミニク市長の一派が頻繁に魔力建造物をチェックしてるから。
光の方は感知・迷彩どっちでもあたしが全部暴ける……ってわけでサンカントはそれ以外お願い、あとはね……それと…………」
再び周囲を警戒しはじめたリュミエラは、囁くような声で連絡事項を一気に伝えたのち錠剤を二つ服用した。
どうやら納得したサンカントも、感覚を研ぎ澄ませて任務モードに入る。
「……うん」
まずは街を立体的に把握するべく、二人は高層スラム街とでもいうべき怪物的建物を登っていった。
道中怪しげな、というかあからさまに犯罪者な連中は見受けられるが、無視だ。
リュミエラは少しばかり前に追い剥ぎの類を十人ほど破滅させている。
だが、それはあくまで合法的不満解消の一環だ。
彼女は別に正義感に溢れているわけではない(むしろアウトローな方だ)し、自分が住んでもいない地区の治安に口を出すほどお節介でもない。
全て回避し、上へ。
「さて、あれがウィンモーリス、あっちが駅方面……それにしてもこれ、天井低いといえ二十階近くあるとは」
建物というより丘、あるいはゴミの山と表現したほうが近い高層スラムの屋上から眺めるモーリスの街は、古代ドラゴンの巣さながらに煌いている。
……件のシャドウ・ドラゴンは光物などまったく蓄えていなかったが。
このスラム街の住民の瞳に、モーリス繁華街はどう映っているのだろう?
所詮、小金持ちの観光客に過ぎないリュミエラとサンカントにはわからない。
ごくわずかな感傷を振り払った二人は、“敵”が潜んでいるはずの宝石箱を睨んだ。
「とんでもねえ街だ、あ、えっとリュミエラさん、調べるのはいいとして、中はいるのどうすんのさ?
こう、かしこまったところは無理なんじゃ」
「後ろ暗いところと、あとはカジノ系なら大体平気でしょ。
ナイトクラブがだめだったのは……まあ、うん。あれは連れ出し可能だろうと、やっぱフォーマルなものらしいから。
どっちにしろ向こうから見れば観光に来てるわけで、立場としては“ぼれる客”よ、あたし達。
田舎者としての自信をもてばいける、はず」
「嫌な自信だ。ええっと、あれはやっぱ地下だったな。
ここに絶対居ないとは言わないけど、確率は低いと思う。だってよ、あいつらが地面より上に拠点作るか?
作らないだろ、実際一度も見たことないし」
「……副隊長とかジョゼさんなら“このメルドなスラムに火を放て”とか言いそうだけど」
「あ、すげー言いそう」
「ふふ、じゃ、一通り地形確認したし、行こうか」
「うん」
二人……正確には、一人と荷物が跳んだ。
光る闇夜に、影が沈んでゆく。
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世界が歪み、きらきらと点滅する。極彩色。
夜のモーリスにはソレイエルの視線である陽光を除く、ありとあらゆる色と波長と性質が混在する。
赤、青、黄色、偏光、超短、赤外、紫外、ネオン、アルゴン、X、コヒーレント。
感度を最大にしたリュミエラの皮膚と虹彩は、赤黒いフードマントに包まれていながら、それら全てを精密に認識していた。
強度そのものは陽光よりずっと劣るものの、刻一刻と変化する光の流れ、力の筋は混沌として美しく、気を抜けば快楽に飲まれそうである。
彼女は偽りの聖女のもたらす副次的効果により光と熱に対する完全な免疫を持つが、熱はともかく光の認識力が低いわけではない。
たんに許容量が無限かつ不要な波をシャットアウトできるだけであり、感覚自体は円偏光の回転方向や、光学機械が拾えないほどの弱い波も感知可能な鋭敏さだ。
やろうと思えば光の波長からエクスタシーを得ることすらできるほどに。
だらしなくニヤニヤ微笑みながら夜の街を歩くリュミエラの手を、サンカントはため息をつきながら引っ張っていった。
「大丈夫かよリュミエラさん……っと、このあたりだったはずなんだけど」
「んふふ、ちょっと久々に眼を全開放して楽しいだけ。平気。
うーん、そう特別に怪しい感じは今のところ、ん?」
さっと姿勢を正し、ついでになにやら飲み屋らしき呼び込みを威圧して追い払ったリュミエラが周囲を見回す。
その瞳に常人が想像もできないほどの情報量が吸い込まれ続けている。
もう少しばかり正確な位置を捉えるべく、赤黒いフードマントの下からアルビノよりも白い、あたかも新雪めいた右腕が伸びた。
白魚の指先は、道を挟んで反対側にある享楽的建物の地下入り口を向いている。
肌に光の波長を受けることでわかることもあるのだ。それに気持ちも良い。
リュミエラの変化に気づいたサンカントが振り向く。
リュミエラは口角を吊り上げた。
「見つけた。ふむむ、よく隠蔽されている」
「どうすんの? いまんとこ怪人反応は無いぜ」
「ベルトランかどうかはまだわかんないけど、光学的監視かなんかに加えて、妙な反応とかさ、後ろ暗いことやってんのは確実だし。
どっちにしても完全に証拠を押さえる必要は無い。怪しくて、権力者からの働きかけがあればモーリス市は動く。
なかなかぼったくりとかが減らないのは普通の客では動かないから。けどもあたしはともかく隊長達ならどうにでもなる。
……ま、ただの地元の人のシノギだったらご愁傷様。
なんにしたってこっちは遊んで、ボられて、ヤバそうなら暴れて、そんで無事に帰りさえすればとりあえずは目標達成ね。
明日からはたぶん体当たり捜査も厳しくなるし」
「そっか、ってかなんか楽しそう?
面倒とかさ、嫌いなんじゃなかったっけ」
「あ、えっとね、かっこいいホストがいればいいなって」
「……いつものリュミエラさんだ」
「冗談」
「ほんとかな」
「うっさい。さあて、何が出るやら」
“飴”により眠気が飛んでいるにもかかわらず、サンカントが大きな欠伸をかく。
リュミエラは深夜の観光客らしく脱力し、弟分の肩に手を回した。
隙は見せておくに限る。




