31話 『踏んだり蹴ったり』
鉄と潮と煙の匂いが漂い、蒸気とクリスタルの燃焼で蒸し暑い朝のモーリス駅構内は、凄まじい混沌に包まれていた。
光神ソレイエルの瞳がもたらす太陽光も、首都ルクスに輪をかけて濁っている。
船と列車からそれぞれ身勝手に荷物が降ろされては積み込まれ、労働者と観光客が行き来し、怪我人や迷子が頻繁に発生し、怒号が飛び交う。
利用人数の割りに狭い上、モーリス第一港と奇怪に絡み合う通路で不恰好に融合している(ふざけたことに、港と駅の運営会社がそれぞれ勝手に増築している)からだ。
しかも通常の職員以外に、フレンドリア王国やサーディアン共和国等、別大陸からの貿易業者が入国手続きもそこそこに駆け回っているため、相手によっては言葉すら通じない。
ともかく、リュミエラ達は人と荷物を掻き分け、怪しげな連中を突き飛ばしてある種異空間めいた建造物から脱出した。
皆腹は減っていたが、少なくともリュミエラとしては観光地へと遊びに来て第一の食事を、下層労務者対象の立ち食いで摂取する気にはならない。
上級水晶集めのリュミエラ、同じくバスチアン、下級水晶集めにして怪人のサンカント、バスチアンの妻である赤毛の大柄ドワーフ、マドロス。
いずれもカネと腕力と人脈はまあそれなりに持っているものの、知識は不足している。
ともかく、四人は駅の電子魔力認証ロッカーに貴重品と許可タグのついた武器(バスチアンの銃だ)以外の荷物を詰め込み、宿に到着の知らせとチェックイン予定時刻の連絡を入れて一息ついた。
時間が時間のためか、行き交う人々は殺伐としている。
四人は潮風のもたらす解放感を感じつつ、コミカルな絵が描かれたモーリス観光パンフレットを開いた。
「ううん、どこから見ればいいものやら……ナイトクラブ行きたいけどまだ朝だし……あ、えー……と……バスチアンさん、お腹すいた?」
「リュミエラ氏よ、俺は確かにモーリスには何度か来とるが、流石にお勧めの飯屋なんざねえよ」
「あー、マドロス……係長……」
「なんだいリュミエラちゃん、私がそんなただ食事するだけの店なんざ調べてるとでも思ってるのかい、遊びにきたんだよ。
別に立ち食いでもいいだろ?」
「ああもう、サンカント!」
「ん、えーとな、そこの角を曲がって海沿いの通りをに半マイルほど歩くと港で一番人気の食堂が。
漁師も山師も大満足の鮮魚と海魔肉に名物ソースで食べる大盛り蒸し野菜! テイクアウトもあります!」
「うへへ、えらいえらい」
自分も全く調べていなかった事を棚に上げてバスチアンとマドロスを睨んだリュミエラは、溜め息をついたサンカントに軽くはたかれた。
殺気立って行き交う労働者や観光客相手の詐欺師の様な連中、朝帰りの享楽者を押しのけ、ごみごみとした港町を歩く事しばし。
「らっしゃいませええええええ!」
食堂というには少しばかり派手で大きな建物に四人が入った途端、引いてしまうほどに巨大な歓迎の挨拶が響く。
モーリス市を表す言葉の一つ、“眠らない街”は伊達ではないようで、朝早いにもかかわらず酒精の匂いが漂っている。
リュミエラは妙に体格のいいウェイターに案内されながら、様々な種族や年齢層の客でごった返す店内を赤黒いフードマントの下から観察した。
服装や雰囲気などから推測するに、二百ほどの客のうちモーリス住民が半分、残りのうち他国人あるいは船乗りと旅行客がそれぞれ半々ずつといったところだろうか?
また、一部の客と店員から注意深い視線を感じる。込められているのはいずれも警戒だ。
原因は元竜爪剣の左腕が放つオーラ紋だとわかってはいるが、取り外し不能な以上どうにもならない。
ともかく、今ひとつ質の悪い椅子につき注文をすると、凄まじい速度でドリンクと前菜代わりのスナックが出てきた。
大型の金属マグにたっぷりと注がれている、強い炭酸とフルーティな香りの効いた琥珀色の苦い飲み物は、モーリスという街が首都ルクスから文化的距離を置いている事を強く感じさせる。
大皿に入った揚げ芋を黙々と咀嚼するサンカントや、丸テーブルに四人で座っているにもかかわらず二人の世界に入りつつあるバスチアン夫妻を尻目に、リュミエラは軽く冷やされて爽やかに泡立つ苦い汁を呷った。
偽りの聖女の影響による高体温のせいで、口腔内での泡立ちが凄まじくやや飲み辛いが、悪くない。
リュミエラはテーブルナプキンで口元に溢れた白い泡を拭い、一息ついた。
「……もすこし落ち着こうか、サンカント。ほとんど全部あんたが食べてるじゃない。
ま、料理くるからいいけど」
「ん、もうそこまで来てるぜ」
サンカントが言った直後、湯気を立てる皿が件の筋肉質なウェイターにより運ばれてきた。
注文した料理は五人前だが、皿は三枚しかない。
この店のみなのか、モーリス全体がそういう文化圏なのかは判然としないが、各々で取り分けて食べるスタイルだ。
真っ赤に武装したような甲殻類(恐らく魔物だ)と一匹丸ごと香草焼きにされた魚が目立つが、どれもこれも見た目からして旨そうであり、この店が一番人気というのもあながち誇張ではなかろう。
リュミエラはフラクタル状の不思議な花野菜にフォークを突き刺し、スパイシーな香りがする桃色のディップソースをたっぷりとつけて頬張った。
葉野菜と根菜の中間じみた甘さと旨みを持つ花序が柔らかく解けて口の中でソースと馴染み、何とも言えない幸福感を感じる。
「これは、なかなかいい味。ところでその赤い奴はどうやって食えばいいのやら」
リュミエラの怪訝な視線は、一フィートほどもある棘だらけの甲殻類に向けられている。
ルクスやファルギではあまり食べる習慣のない、というか実物をまず見ない生き物だ。
サンカントは気にせず丸ごと齧りついているが、この怪人少年は魔物だろうが怪人だろうが骨や鱗ごと食べてしまう異常に頑強な顎と消化器官を持つため、全く参考にならぬ。
だが、マドロス夫人に魚を切り分けているバスチアンはどうやら既知らしい。
「そいつはバズソー蟹の若子のソテーだ。そのまま手でちぎっていけるぞ」
「え、殻っぽいのは?」
「殻も食べられる。生簀で養殖して、柔らかいタイミングで冷凍保存するわけだ。
ダメなのは鰓と爪の先ほどのクリスタルだけでな、それは既に抜いてあるはず」
「へえ、なるほど……お? う……うま……」
生まれて初めて食べた大きな赤い虫、つまり蟹は非常に美味だった。
なお、食用の蟹といえばソフトシェルという認識になったリュミエラが、後に普通の蟹を殻ごと食べようとして痛い目を見たのは言うまでもない。
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ジャンジャンパリパリ、シャンシャンバリバリとテンポのいい機械音楽が鳴り響き、周囲ではカラフルなクリスタル灯が点滅する。
巨大な電飾看板には店名の他に“モーリス市長公認店”“八割五分返し”の文字。
モーリスで最も大きく、最も有名なカジノホテル、“ウィンモーリス”のプレイ建物だ。
展望台と温水プール併設で、遊んだ後には美しい夜景が楽しめる……負けすぎていなければ。
その二階にある機械遊技場の片隅で、リュミエラは案外居心地のいい小さな背もたれのついたイスに座り、演出モニター付きの最新型スロットマシーンと睨み合っていた。
画面内ではデフォルメされたクラーケンの少女と、戦車を想起させる重武装に身を包んだ女戦士が軽金属鉱石を奪い合い、鎧が砕けてある種扇情的な姿を晒している。
六十%でスペシャルボーナスが入る演出だが……残念、ミス。
スロット画面は中央が7・7・コンパス、残りのラインも全て揃わず。戦士が海に沈んでゆき、マシンが新たなコインをせがむ。
彼女は大きな溜め息と共にコインを掴み、ガチャガチャ音を響かせて投入口へと叩き込んだ。
いくら休暇を取り観光でモーリスにやってきたといえど、なんという退廃的生活だろうか?
……しかし、彼女が深夜一人でこのような堕落遊戯と格闘しているのには理由があった。
バスチアン夫妻はきっと今頃、ドワーフらしい酒豪っぷりを発揮し飲み歩いているだろう。
サンカントは先程まで隣の席でスロットを回していたが、どうにも飽きたらしくふらりと去ってしまった。
「はぁー…………あたし何してるんだろ」
時はいくらか遡る。
ボリュームある朝食を終えたのち駅に取って返し、ロッカーから荷物を引っ張り出してカジノホテル“ウィンモーリス”へとチェックインした四人。
部屋割りと施設内部の確認をさっさと済ませて、ホテル付属の温水プールで寛ぎ……そこまではよかったし、プールでは新たな発見もあった。
顔のみを出していると“聖女”ジョゼとよく間違われるリュミエラだが、ドラゴンじみた左腕を別にしても体型がだいぶ違う(小柄でバスト大きめなジョゼと比較して、身長が高く筋肉質で胸が薄い)ため、軽装なら妙な因縁をつけられることがないのだ。
鱗の左腕も様々な種族で混沌としているモーリスでは首都ルクスほどは恐れられない。
リュミエラにとってこの街は天国だった。夜になるまでは。
彼女は、今回の旅行の目的そのものといっても過言でなかった、高級ナイトクラブのドレスコードを突破できなかったのだ。
曰く、フード付きのマント着用者は入店禁止、水着での入店禁止(ラヴァ・ワーム革のキュロットとミニキャミは水着ではないのだが、そう見えるらしい)等等。
彼女は一応ワンピースドレスも所持しているのだが、残念なことに持って来てはいなかった。
ようよう服装に寛容な店を見つけても、今度は左腕の鉤爪を咎められる有様。
かといって“なんでもいい”ような店で良さげなものも見つからず、いい加減バスチアン夫妻に申し訳なくなり、また明日という事で別行動と相成った。
……それが少し前の話。
リュミエラは量があれば何でも良いサンカントに付き合って荒くれ者で満ち溢れている食堂で腹を満たし、店を出たところで絡んできた(リュミエラ基準で)虚弱な、局部のみをやけに逞しく盛り上がらせた二人組みの男を腹立ち紛れに殴り飛ばした。
それでも全く気は晴れず、“絶対に入るべきでない”とパンフレットに書かれている地区をサンカントと共に囮罠じみて彷徨い十人ほど捕獲して官憲に引き渡し、ふらふらと“ウィンモーリス”に戻ったというわけだ。
そのまま不貞寝してもよかったが、いくらなんでも勿体無いとカジノで遊び始めた。
しかしリュミエラもサンカントも、ディーラーがいるような繊細な遊戯のルールなど知らないため、結果的にルクスで少し触った事のあるスロットマシーンの前に座るしかなくなり今に至る。
リサーチ不足と言ってしまえばそれまでだが、ともかく深い悲しみに包まれているのだ。
「おい嬢ちゃん、確定きとるぜ、押してやろうか」
「あ……ありがと、大丈夫、平気」
「ほんまかいな……ほう、巧いもんだ……」
隣で同じマシンを回していた闇魂族の男が、色々と上の空のリュミエラの方を向き、心配そうに声をかけてくる。
野太い声でようやく“アタリ”に気付いたリュミエラは漆黒の虹彩でリールを睨み、白魚の指をボタンの上に滑らせた。
タン、タン、タン。
上級水晶集めの素晴らしい反射神経と動体視力が、リールの並びなど全く知らないにもかかわらず見事な目押しを決めた。
爽快な爆発音と共に横一列に弾丸のマークが揃い、数百枚のコインが吐き出される。
とりあえずは今までの赤字が帳消しだ。
上画面では、新たな“アタリ”の可能性を告げる海戦が始まっている。
だが、リュミエラの気分は晴れなかった。
「はあ、戻って寝よ」
「おいおい、確変はいっとるぞ、勿体ねえ」
「……んー、元気ないの、席あげる」
「マジかよ嬢ちゃん、俺に惚れでもしたか」
「種族が違うでしょう……んじゃね、おじさま」
「お、おう……」
男は、死んだような目でコインを箱に詰め、よろよろ精算コーナーへ向かう謎の美女を呆然と見送った。
もっとも、素早く席を移って臨時収入を手に入れるあたりは彼もちゃっかりしている。
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「たっだいまサンカント、はー……あー」
部屋に戻るなりブーツとフードマントを脱ぎ捨ててベランダに飛び出したリュミエラが、へにゃりともたれるようにパイプ椅子に座って樹脂葉巻に着火する。
だらけた身体に潮風が心地よく、甘くスパイシーな煙が心の疲弊を軽減してゆく。
“ウィンモーリス”の九階から見下ろす夜景はカラフルな灯が地上の星のようで、実に美しい。
床に寝転がって本を読んでいたサンカントもベランダへと出て来た。
露骨にしょんぼりとしているリュミエラを、なんだかんだで心配しているのだ。
それに、サンカントには気になることがあった。
「元気ねえなリュミエラさん。まあ、そんなこともあるって」
「……ちょっとね、今後の身の振り方に」
「深く考えねえほうがいいと思うけど」
「ありがと、けどあんたにそんな顔されるほどは落ち込んでない」
ふう、と深く煙を吸って伸びをしたリュミエラが左腕を伸ばし、鉤爪を覆う鞘でサンカントの頬を撫でた。
弟分の気遣いは有り難いが、どうにも惨めである。
と、サンカントが妙に深刻な表情を浮かべ、口と鼻から紫煙を漏らすリュミエラの瞳を覗き込む。
「な、ちょっと聞いてくれ」
囁くような声。
「なに」
「さっき食い物探しに外に出たんだけどな、怪人の魂の反応があったんだよ」
「は?!」
「うわあ声がでかい、最後まで聞いてくれ!
えっと、んでそれが遠い、っていうかちょっと深い感じでさ。
こっちを誘ってたり気付いてたりする風でもなかったから距離開けて様子見てたんだけど、消えたんだ。
高速移動とか、転移門とかそんな感じじゃなくて、唐突に」
ナイトクラブを楽しめなかった落胆と、スロットマシーンの退廃的音楽と、樹脂葉巻の煙で混濁していたリュミエラの意識が唐突に覚醒する。
少なくともプロの戦闘者である彼女にとって危険な情報は、何よりも優先するものだ。
目が見開かれ、体温が上昇し、咥えていた樹脂葉巻が反対側から焦げる。
正気に戻ったリュミエラは決して安くはない葉巻を握り焼いて白い灰を吹き払うと、姿勢を正した。
「……結界?」
「たぶん。それでリュミエラさん、モーリス担当の工作員の連絡先って知ってるかなって」
「勿論知らない。でも、モーリスなら基地局いっぱいあるだろうし隊長に連絡して聞けば……でも、結界の性能によってはあたしたちの手に余るかも。
いや、そんなまどろっこしいのより最初から隊長自体を呼んだ方がいいか」
「折角遊びに来たのにな」
「あーあ、またマドロスさん怒っちゃう」
リュミエラは通信機を取り出した。
あっちの方に関しては近日。




