幕間03 『あくまとまおう』
彼女は走る、半壊した身体で。
逃げたのだ、敵と死から。
その過程で仮想肉体の全てと、実霊体の三割をデコイとして切り捨てた。
まだ勝てない、装備も足りない、だが情報を得た以上、消えるわけにはいかない。
頑強な黒塗りの甲虫じみた長方形ボディが軋む。
ロケット砲の直撃だろうと、大スレイバンの後蹴りだろうと問題なく耐えてしまう圧倒的強度を誇るその平べったい甲殻に大きな亀裂が走っている。
もちろん、先程の戦闘で受けた傷だ。予想以上に強力。
修復には相応の補給といくらかの休息を必要とするだろう。
カサカサカサカサ、四本の針金状脚がとてつもない速度で駆動し、岩場を、森を、沼地を疾走する。
急がなくては。
……と、細く伸ばしていた感覚器官が悪いニュースを運んできた。
シャドウ・ドラゴンの死である。
どうやら、部下はドラゴンの回収に失敗したようだ。忌々しい。
だが、運命はまだ彼女を見捨てていなかった。
偶然にも、ドラゴンの墜落地点が極めて近い。激しい光熱とともにドラゴンの身体のパーツ、オーラ紋が辺りにばら撒かれる。
彼女は素早く情報を読み取り、取るべき行動を模索した。
(シャドウ・ドラゴン活動完全停止、クリスタルと魂の転移あるいは消失を確認、残存オーラ十五%、別個体のオーラを感知、装備品と推測。
死体の使用可能部位が少なすぎる、不明な攻撃。回収可能部位……)
甲殻が軋み、煙を噴きながら亀裂が広がる。
奇妙に粘質な音と共に、暗い装甲の亀裂から桜色の舌が飛び出した。
舌は亀裂の縁を舐め回し、すぐに引っ込む。
ジュルリ、ジュルリ。
裂け目が泡立ち、皹が滑らかになり、そして!
「SHOOOO!」
ワイヤー状の二本の触手がうねり出た。
一気に数百フィート先まで伸長した触手は、眼が潰れるような閃光の中、まるで見えているかのように位置を精密調整して目標物に到達する。
巻きついたのは、焼け焦げたドラゴンの上顎と頭骨だ。ナイスキャッチ!
獲物を捕らえた触手が逆回しで彼女の裂け目に吸い込まれてゆく。
蛇の顎じみて異常に広がった亀裂口は、その暗い空間にドラゴンの頭部を呑み込んだ。
ゴギュル、ガシャン。嚥下終了。
どうにか滞りなく手土産を入手した彼女は、大地に身体を固定していた針金脚を抜き取り、再び駆け出す。
不運を幸運で一部相殺したが、長居はできぬ。敵が近い。
彼女は心の中で悪態をつきつつも冷静に物陰を進み、山を迂回して森の中へと消えていった。
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薄暗いドーム状広間が厳かな雰囲気に包まれている。
かなりの面積があり、天井も仮に三階建ての建物をそのまま収容したとしても十分余裕があるほどに高い。
壁には美しい文様による装飾と防御結界が張り巡らされ、中央部で大掛かりな装置が鎮座していた。
装置の横に立つ四人の人影は、全員が同じ方向を向いていた。彼らはある事象について、共同研究を行っているのだ。
中でも一際背が高く、異常長身といってよい威厳ある男が慎重に装置のレバーを押し込み、魔力を注ぐ。ゴウンゴウン、装置が駆動を始めた。
よく見れば、その男の体格と服装は尋常のものではない。
一見ラフに感じられる紺色の作務衣風の上下は様々な護法印が同色の霊糸で刺繍され、シュバルド王の紋章が浮かぶ。
そう、王である。
身長十フィート、体重五百ポンド超の長身巨体でありながら、肌はきめ細かな象牙、髪は淑女じみた艶やかな濡羽色。
堂々たる超魂族の彼こそは古いしきたりに則った会議と、戦闘力を含む秘密査定を乗り越えて任命されたシュバルド王国現首長、“大魔王”アンドレアス・エルネストその人だ!
在位四十七年目となり様々な後ろ暗い癒着を囁かれつつも、今なお十二分に高い権力を保持している。
この豪勢な広間を、ある目的のため秘密裏に建設したのもアンドレアス本人である。
王の隣には護衛だろうか、隣にシュバルド式ミリタリースーツを着込んだ身長六フィートほどの青年が待機していた。
ブラウンの髪を短く刈り揃え、虎目石状の虹彩をシャトヤンシー効果で煌かせるその男も当然、常人にあらず。
なにしろ彼は呼吸をしていないし、厳密な意味では血も通っていない。
仮想肉体の持ち主、つまり受肉した悪魔である彼が腹や喉を動かすのは、言葉を発する必要があるときだけだ。
どちらにせよ今はその時ではなく、彼は静かに立っている。
……と、大型装置がシュルシュル細い音を立て、パイプで繋がっている透明カプセル内に鈍い紫に光る何かが出現した。
ゆらめく塊を見つめるアンドレアスがやや濃い眉毛を歪めて装置を操作しデータ保存作業を行ったのち、残念そうに口を開く。
よく通る重低音が広間に響いた。なお防音と遠見の遮断は完璧であり、機密を心配する必要はない。
「……何度やってもこれだ。この程度の魂では燃料代を考えると、全く割に合わないとしか言いようがない。
やはり例の次元にチャンネルが合わんことにはどうにもならんな、ベルトラン。
ルクスコリの“勇者の儀式”装置は、本当に従者召喚ベースの次元ゲートを使用しておるのか?
わざわざあの穴倉から貴様を呼び出した意味なのだぞ」
“大魔王”アンドレアスは、僅かに離れて装置を見守る男に目をやった。
骸骨じみた容貌で白衣を着たこちらもかなりの長身だが、さすがに超魂族のアンドレアスと比較するとずいぶん小さく見える。
彼の名はベルトラン。
常時秘密研究所に篭り非合法研究を行っている彼が、多少なりとも危険を冒したった一人の護衛と共に地上に出てきたのには無論理由がある。
いかに研究狂の彼でも、重要なパトロンにして現在所属国の支配者であるアンドレアスの要請、しかも目新しい装置を使用した実験の補助などという面白そうなものとなれば無視できない。
ベルトランは興味深そうに目をくるくると動かしながらも、真摯に返答した。
すぐ横では彼の護衛と思しき人物が佇んでいる。
中肉中背で虹彩が薄赤い以外は全く無個性、無表情の不思議な顔。
「勿論。それで質問の答えですが、少なくともワシが研究所で働いていた当時のゲートそのものは間違いなく帳をこじ開けるタイプで。
ただ、召喚装置本体は完全にブラックボックスで、何かチャンネルを固定するシステムがあるとは推測できますが。
フゥーム……しかしこのシステム、アンドレアス様個人でこれを?」
「うむ。もっとも我々ハイ・エルフの蓄積知識はこの手のものに事欠かぬが故、正確には個人ではないが。
だがの、それでもかの国の始祖が残したという“勇者の儀式”を再現する事はできぬ」
「可能なら解体検査を行いたいものですが、あそこを攻略のち安定確保するとなるとルクスコリ丸ごと潰すのと実際大差ない、非現実的でしょうな。
それはいいとしてアンドレアス様。確かに力ある魂を能動的に回収できるならば、戦力増強として申し分ない。
だが、この間の召喚実験ではもう一つの方の施設が消滅したのではありませんか?
勿論ワシも固有形質の増産はメリットが大きいと思っておりますし、実際に先代勇者ベース怪人のストックも切れそうだ。
とはいえ、ゲートの乱用は次元侵食を招きかねん……先程量産予定があると仰られていたが、お勧めいたしかねる。
いや、勿論アンドレアス様の、ハイ・エルフの力を疑うものではありませぬが」
ベルトランが極めて彼らしくない苦言を呈し、わずかに落ち窪んだ眼を瞬かせる。
彼は当然に命を命とも思わぬ狂人だが、別に破滅願望があるわけではないのだ。
知識と世界なら、一部の例外を除いてぎりぎりで世界を取る。
アンドレアスはそれには答えずに唇だけで笑い、ベルトランに分厚いファイルを差し出した。設計図だ!
王たるアンドレアスはこれ以上の実験を行うに地上では隠蔽しきれない、そう判断したのである。
ベルトランは大人しく受け取った。パトロンの意向だ。
「……申し訳ない、口を出さない約束でしたな。
それでは基地に戻りましたら可能な限り……ぬ? どうしたカピテーヌ!?」
ドウ! 圧縮空気が弾ける音と共に、ベルトランの隣に立っていた女が消えた。
一瞬の後、ベルトランとアンドレアスからみて後方に出現。
信じがたい速度のスライド移動だ!
そして、ギシャン。
空中へ向けた左掌がパラボラ状に展開、青白く光るネットが射出された。
周囲十五フィートほどまで伸び広がったネットは電磁場じみた超常的な力で空中に留まり、不思議なイオンの匂いを漂わせる。
アンドレアスは目を細め、カピテーヌ同様に主をカバーリングするべく動いていた男に声をかけた。
「問題無い、下がっておれガストルト」
「はい」
ミリタリースーツの青年が主の言葉を受け二歩下がったその直後、空中に歪な小型積層転送魔法陣が発生。
バチバチと不快な音を立てながら何か黒い鞄のようなものが出現した。
しかし。
「捕獲に成功しました、センサー、ネット共に正常機能しています」
「GYUOOOO?! ギガガー!」
黒い鞄が空中固定されたネットの中で、奇怪な叫び声をあげながら暴れている。
四本の針金じみた脚らしきものがばたつき、ひび割れたその中央部からはキバと舌が覗く。
ベルトランが眉を顰め、アンドレアスが溜め息をついた。
「……あれは味方だベルトラン、開放しろ」
「なんですと? カピテーヌ」
「了解」
命令を受けたカピテーヌは僅かばかり考えるような仕草をした後、ネットを消しつつ左手を下ろした。
ただし、素早く。
WHACK!
突然足場を失った黒い鞄が、かなりの勢いで地面に叩きつけられた。
カピテーヌがそ知らぬ顔で掌を元に戻し、呻く鞄状存在を尻目にベルトランの横へと戻ってゆく。
「ギガガガ機械人形貴様! 主様、シュー……シュ、修繕」
「うむ」
微妙な表情で脚付き黒鞄とカピテーヌの顔を交互に見るベルトランを尻目に、アンドレアスがその大きな掌を翳す。
発生した綿菓子のような白い魔力塊を、鞄は舌を器用に使って受け取り飲み込んだ。
ミシミシ、ミシミシ。
みるみるうちに傷がやひびが塞がってゆく。
しばらく後。
「フー……ギュ、ギュ、ゲボーッ!」
新品同様、見事な黒塗りの硬質鞄(ただし妙な脚付き)へと戻ったそれが、異常な大口を開けて白っぽい巨大な何かを吐き出した。
広間の床に出現したのは、多少焦げてはいるがドラゴンの頭骨だ!
僅かに遅れて、いくらかの鱗と半フィートほどの歯が生えた上顎も落下する。
さらにバキバキと怪音が響き、鞄の口からふわりとカールしたブロンドが覗いた。主からの補給をうけて再生成された仮想肉体だ。
わずかにはねた毛がぴょこぴょこと揺れている。
続いて濁ったエメラルドの瞳、幼いながらにシャープな印象の慎ましい鼻と口、透けるように白い鎖骨のラインが覗き……ベルトランとカピテーヌを見て、再び鞄の中に引っ込んだ。
鞄の口から衣擦れの音が僅かに聞こえる。
「博士、プテロン・ソリオンが三機帰還しているようです。実質壊滅」
「まあ、ドラゴンの頭と六機の取り引きならプラスだ。落胆というほどではない……そうですなアンドレアス様」
「黙れガラクタァー!! っあ! ああ、主様、申し訳ない、大悪魔デグレニャ、ただいま帰還いたしました。
シャドウ・ドラゴンの件でルクスコリ勇者と戦闘になり敗北のち生け捕り失敗、しかしドラゴンの一部を回収する事には成功。
こちらが今回のレポートであります。
…………何故、機械人形と博士が」
今度こそシュバルド式ミリタリースーツをきっちり着込んだデグレニャの仮想肉体が、カピテーヌを罵倒しながら鞄の口から飛び出でた。
素早く黒い鞄をバックパックとして背負いなおしたデグレニャは、唸るようにカピテーヌとベルトランに牙を見せた後、アンドレアスに薄いファイルを渡す。
身長四フィート強しかないデグレニャと、十フィートのアンドレアスが並ぶと大人と子供どころの差ではない。
ハイ・エルフの逞しい掌がファイルを受け取り、器用にページを捲る。
どうやら主が怒ってはいないことと、少なくとも作戦における赤字を免れたことを確認したデグレニャは音もなく歩いてアンドレアスの半歩後、もう一人の悪魔であるガストルトの横に立った。
「アンドレアス様」
急な来訪者により会話を中断されていたベルトランが、どうやら事態が収集したと見てアンドレアスを呼ぶ。
アンドレアスはややばつが悪そうにファイルから顔を上げた。
ベルトランはほっとした顔で喋り始めた。
「む、どうしたベルトラン、実験データと設計図、帰りの転送陣は渡したであろう。
余もそろそろ戻らねば」
「この装置で実験を行うにあたって、拠点を用立てて貰えるとありがたいのですが。
こんなもの本部には置けませんよ、かといってルクスコリ側の既存基地を利用するのはリスクが高すぎます」
「……よかろう、資金調達のついでに候補地を探しておく。
連絡に関してはデグレニャで、ああ、それとこっちに怪人を一人、正常な奴を回してくれ」
「了解しました、それでは失礼いたします、ヒヒッ」
懸念を取り除いたベルトランは、霊糸で編まれた魔法陣を取り出した。
使用者のメモに対応する一方通行、使い捨ての転送陣である。
コストは極めて高いが、彼らのように重大な秘密とそれなり以上の資金を抱えているものにとっては必要だ。
糸が解け、積層魔法陣となってベルトランとカピテーヌを包み、亜空間へと消えてゆく。
「うむ」
“大魔王”アンドレアスは奇妙な協力者を見送りながら、二人の契約悪魔以外誰にも伝えていない己の計画と、最近とみに増えつつある政敵について考えをめぐらせはじめた。
もう少し、もう少しだ。




