17話 『泥と雨の中で』
しとしと、しとしと。
時刻は昼過ぎだというのに空は鈍色で、バロメトルが示す数値もその天候に相応しい低さ。
砂色の迷彩布を被った男は、ただ冷たい雨に打たれていた。
雨に当たる前は黒く太く逞しかったであろう、濡れて萎びた顎鬚を水が流れ落ちてゆく。
衣類にも防具にも水が滲み、ブーツに至っては泥土で元の色すら定かでない。
だが岩で出来た低い椅子に座っている男の動きといえば、呼吸によるゆっくりとした腹部の揺れのみ。
他にまばたきぐらいはしているかもしれないが、両の瞳は色付きゴーグルにより覆い隠されていた。
そして男から十フィートほど離れた場所にも、同様にほとんど動かない女が一人。
此方も傘などは差しておらず、濡れた迷彩布がシルバーブロンドの髪にべったりと張り付いているさまは邪教の修道女のごとし。
布の下にある赤黒いマントとブーツは防水素材のようで重くなってこそいないが、泥土で汚れている。
さらに、地べたに直接座っているため白い脚が半分ほど濁った水に浸かっており、キュロットの中すらも無事でないと思われた。
しかし女は全く気にしていないようだ。
望遠レンズを固定した頭をごくゆっくりと、一定のペースで振りつつ、空いている方の目で時折周囲を窺う。
見れば、黒髭の男のゴーグルも片方からスコープが生えていた。
こちらは動かず、一点をじっと見つめたままだ。
…………いや、僅かに動いた!
親指で器用に小石を飛ばして女に合図を送った男が、ギリギリ雨音に負けない程度の声で低く呟く。
「ようよう出てきやがったぜ……あれがソリオンって奴か」
男が興味深そうに目を細める。
高性能スコープが映し出しているのは、まばらな森の間に張られているオリーブ色をした天幕だ。
天幕の隙間から、何やら黒い甲冑じみた人型が顔を覗かせた。
その光景は二人がいる場所から高さにして数百フィート下、距離にして半マイル以上先のものだ。
「昨晩も見たっしょ、バスチアンさん」
「確かに見はしたがリュミエラ氏、ほぼ影だけだったじゃねえか。
……しかし、何をしてやがる?」
「それを確認するためにこの雨の中半日以上も垂れ流しで監視してんじゃない。
せめて晴れてればねー」
「んだ、寝てえ食いてえ着替えてえ、さっさと殺って戻りてえ。
お? なんか妙なもん持ってんぞ」
二人、つまり上級水晶集めリュミエラとバスチアンだが……は、本来なら既に首都ルクスに戻っているはずであった。
元素狼の件を片付けた翌日に南一危険区域を一通り見回り、そして昨晩。
件の見通しの良い崖に戻り肉を焼きながらだらだら望遠レンズで夜景を見たり、あるいは暗視能力を競ったりと遊んでいた。
だがその時、見つけてしまったのだ。
それはこんなところに居る筈がないものであった。
歴戦といえども首都暮らしのドワーフであるバスチアンにとっては初見、そしてリュミエラにとってはルクスに来た原因の一つ。
“黒甲冑”“偵察者”“戦闘員”“ソリオン”
様々な呼び名のあるそいつ。
まごうことなきルクスコリ人の敵だ。
即殺でもよかったのだが、注意して周囲を見るとなにやら他にも数匹いるようで、少し離れた場所に真新しい天幕を発見した。
少々のミーティングの結果、高台から一部始終を監視し、それから考えようという事になったのである。
……そこまでは問題がなかったのだが、監視を始めてしばらく後、厄介な事態が発生した。
夜半過ぎ、突然天候が崩れたのだ。
その結果として二人は、冷たい雨に打たれながら遠くを見つめ続ける修行をするはめになっている。
「結構でかい、クリスタルと……んん……発信機?
埋めた?」
「また出てきたぞ、一……二……三……全部で六匹、少人数だな。
しかしリュミエラ氏、ソリオンってのは睡眠やらは必要なのか?
魔法生物なんだろう」
「同じ個体が何日もずっと見張りしてるなんてこともあるみたいだし、少なくとも重要ではないんじゃないかしら。
完全に不眠不休で動けるかは知らないけどね」
「うぬ、やはり天幕の必要性がわからんぞ」
疑問はもっともだ。
人工知能系の魂なき魔法生物は基本的に眠らない。
ソリオンはベースこそ生き物であるが、そのエネルギー補給システムからしても休息の必要は少なそうだ。
そうなると……。
「錆びるとか? ないわねさすがに、天幕の下に地下基地……もないわね、わざわざ怪しくするわけもなし。
ベルトラン本人が居る……有り得ないな、うん。
うーん、必要性、必要性…………ああ!!」
「オイ声がでかいぞ、どうした」
「いるわ、あの天幕の中には高い確率で“怪人”が居る。
連中には休息の必要がある、脳と魂が残ってるから。
処理すべきか、一旦逃げるべきか……聖堂騎士団用通信機は……メルド、範囲外」
そう、リュミエラは怪人が睡眠することを実体験として知っている。
当然だ、他ならぬサンカントがそうなのだから。
「……ほう、それで“怪人”とやらはどの程度強いんだ」
「かなり幅広い、あたし一人で余裕な程度から“勇者”チームが居ても結構大変だった奴まで。
ただこんな場所にお使いに来るぐらいだし、三下の可能性の方がだいぶ高いと思う」
「成程、ふうむ……うむ、こっちにゃ距離のアドバンテージがあるぜ。
それにほれ、あれよ、ここは危険区域内で、俺たちゃ上級水晶集めだ」
バスチアンは低く笑うと、台座に据え付けられたままの大型ドワーフ銃“バスタードベルガー”から迷彩布を剥がした。
同時に、後方の物陰で雨宿りをしていた荷運び機キャリーが静かに歩き、バスチアンの横までやってくる。
彼はその中から“強爆”と書かれた赤いカートリッジを複数個取り出した。
キャリーは再び物陰へと戻っていった。
カートリッジは“バスタードベルガー”付属の自動装填機に次々と吸い込まれてゆく。
「了解、攻撃ね。“赤弾”はいくつある」
わずかに遅れて、リュミエラが立ち上がる。
泥や汚物を払い落とし、迷彩布も排熱時に燃えるのを防ぐため、丸めてキャリーの中に投げ入れる。
赤黒いマントも開いて後ろへと流し、肩まで露出させた。
“偽りの聖女”は素肌が外気に触れていると出力と操作性が多少上がるのだ。
少しばかり目立つようになるが、今は精密操作の方が重要である。
幸いにして空は暗く、雨足も強いためこの距離ならばそこまでデメリットにはなるまい。
「赤は九、黒はそれなりに。
他にもないこともないが、そっちはできれば使いたくねえ」
「うい、んならあたしが周りのソリオンを潰したら、即座に赤弾を天幕に全部ぶち込んでちょうだい」
「経費は」
「折半で」
かくして、先制攻撃は決定した。
指や顔をはじめとしたリュミエラの体の各所から合計七本の普段より少し太い照準光が伸び、半マイル先へと向かう。
いつもの極細い照準では雨に耐えられないし、いま必要とされているのは速度だ。
雨水に浸かり落ちていたリュミエラの体温が上昇を始める。
しかし温度は体内で留められる。
今あたりの水を沸騰させるわけにはいかないからだ。
バスチアンと荷物キャリーはある程度リュミエラの発する高熱への対策をしているが、そういう問題ではない。
そして。
ZZZZZZZAAAAPPPPPPP!!!!
リュミエラが目を見開くと同時に照準光が緑に色づき、七筋の強力な光が発生した。
ZZ! ZZZ! ZZZZ! ZZZZZZ!
天幕の周囲でなにやら細かい作業を行っていた六体のソリオンが同時に核をぶち抜かれ、同時に煙を吹いて機能停止。
残りの一筋は他より出力こそ低いものの、天幕に当たり炎を発生させた。
天幕内部にいるはずの相手への撹乱、兼バスチアンへの目印だ。
光を視認したバスチアンが即座に動く!
ガチン、ガチャコン、バスタードベルガーの動作音が聞こえる。
熱戦照射を終えたリュミエラは荒い息を吐いた。
「っしゃ、喰らいやがれ」
BOOM!
バスタードベルガーが爆音を発し、砲口から弾を、脇からはカートリッジの残骸を吐き出す。
わずかに遅れて半マイル先、敵の天幕に着弾。
KABOOM! 轟音とともに白い炎が巻き起こる。
だが、まだだ。
ガチャコン、BOOM!
KABOOOM!
ガチャコン、BOOM!
KABOOOOM!
緑の光を目印に、バスチアンが無認可改造炸裂弾“赤弾”を撃ちまくる!
狩りには適さない破壊のための弾だ。
厳しい顔のまま固まったリュミエラが、歯を軋ませながら発射音を数える。
ガチャコン、BOOM! KABOOOOM! ガチャコン、BOOM! KABOOOM! ガチャコン、BOOM! KABOOOOOOM!
ガチャコン、BOOM! KABOOOM! ガチャコン、BOOM! KABOOOOM! ガチャコン、BOOM!
「っつ、ぐ、うは、あ、はああああああ!!」
九発目の発射音と共に、何かに耐えていたリュミエラが絶叫する。
直後、“元”天幕でも最後の赤弾が爆発。KABOOM!
同時にバスチアンが台座から愛銃を引っこ抜き、丸みを帯びたスクエアな体型にしては異常な速度で後ろに跳ねて、鞠のように宙を舞う。
リュミエラはどうなった?
よろめく白熱した人型が、一瞬だけバスチアンの視界の端に映り込んだ。
雨が弱まり、辺りから、いやリュミエラの周囲からジュウジュウ不吉な音が響く。
BOOOOM!
周囲が、白く爆発した。
砂の粒子が混ざった猛烈な蒸気が噴き出し、高温のつむじ風で拡散してゆく。
周辺の視認距離はほぼゼロに等しい。
……当然、向こうに生き残りが居たとしても視認は不可能だろう。
汚れた雲の中にいるようなものだ。
無論これはリュミエラの仕業である。
バスチアンの砲撃を邪魔しないためと、砲撃後に周囲の泥水を爆発的に沸騰させて煙幕を張るために、熱線照射直後に発生する排熱欲求を押さえていたのだ。
楽になったリュミエラは、前もって示し合わせていた別の見晴らしがいい場所へ向かった。
その先には当然バスチアンが待機している。
「うむ、やったか」
「はぁー、だといいんだけどねえ……」
二人は半マイル先で噴き上がっている煙と蒸気と炎を眺めている。
全ての赤弾は問題なく効果を発揮し、周囲に動くものはない。
リュミエラは念のため細い収束光を動かして警戒しつつ、エリクに提出するレポートをどうするか考えていた。
砂洗いの術で体を清め一息ついたバスチアンが、バックパックから携帯食料を取り出し、齧り始めた。
なお、リュミエラの汚れは先ほどの排熱で焼失済みだ。
リュミエラも何か食べようと視線を半マイル先の煙から外し、バスチアンのバックパックに手を。
「……おい」
「ん、あたしも胃袋に、う?!」
破壊しつくしたはずの場所から、燃える弾丸が放たれた。
リュミエラが慌ててフードマントの下から得物、威圧的な三角形の“牙”を取り出す。竜牙剣!
「うぬおおおお!」
熱気を巻き起こして燃える弾丸を待ち構えるリュミエラを尻目に、バスチアンが気合いと共に地面に両手を叩きつける。
岩石腕の魔法だ。
バスチアン本人の胴体より太い腕が地面から生え、射出された。
BOOM!
岩の腕と炎が激突し、小さく爆発する。
しかし、勝ったのは炎だ!
威力を弱めたものの、直径十フィートを超える炎の塊が不機嫌そうな顔で“牙”を構えたリュミエラに迫る。
バスチアンは動かない。
時間的に取れるアクションは少ないし、炎に対してはリュミエラの背後こそが最高の安全地帯であると知っているのだ。
「カーッ!」
“牙”に高熱を通すと、クリーム色の刃は禍々しい赤みがかった光を発し始めた。
そして炎が着弾。
ゴウ! 炎がリュミエラを呑み込もうと燃え盛る!
しかし、無駄だ。
彼女の完全なる光熱免疫と、レッド・ドラゴンの力の源であった“牙”が一瞬で火炎弾の力を吸い取った。
刃は炎と推進力を失った弾丸を斬り飛ばす。
リュミエラが華麗に着地する。
しかし。
KABOOOM!!
「う?!」
「ぐああ!」
破壊されて地に堕ちた弾丸が爆発!
二段構えの炸裂弾だ!
二人が転がりながら逃れる。
さしものリュミエラも爆発で飛ぶ破片などではまったくの無ダメージとはいかない。
地元素と鋼の筋肉で身を守るバスチアンとて同様だ。
「あいたた……背中打ったわ……」
「ゲッホ、ごほ、大丈夫だ、髭と肩が焦げただけだぜ、髭以外はすぐに治る、ん?
ああ、糞、ベルガーがああ!」
どうやら互いに軽傷で済んだようだが、荷物の一部が焦げてドワーフ銃の砲身が曲がっている。
バスチアンは砲身を取り外して魔力を通し、簡易の手斧を作成した。
メイン部分も後で修理する必要があるが、今はどうしようもない。
リュミエラは戦闘体勢を維持し、周囲を窺う。
不思議なことに、半マイル先の砲撃跡はいつの間にか鎮火されていた。
ガリガリガリガリ、どこからか謎の地響きが聞こえてくる。
ドワーフの特性で周辺の地中を認識できるバスチアンの顔が歪む。
「来るぜ、なんてこった……いや、かなり弱ってんな。
地元素を機械的に操作して地下を進んでるみてえだが、移動速度が不安定だ。
逃げて砲撃を食らうよりここで破壊するべきだ」
「同感ね」
不吉な音を聞きつつ、大慌てで迎撃準備を行う。
上の斜面に退避したキャリーが、合金製の脚部を器用に使ってバスチアンにいくつかの武装を投げ渡した。
リュミエラは特に攻撃手段を失っていないので警戒役だ。
しばらくというには短すぎる待機時間の後、やや下の斜面が爆発した。
土煙の中からギリギリ、バチバチと奇怪でメカニカルな駆動音が聞こえてくる。
そして、砂利を跳ね散らしながら奇怪なシルエットの怪人が現れた。
どうやらバスチアンの“赤弾”はかなり効いていたと見え、体の各所にひびが入り、スパークが散っている。
だが問題はそこではない。
あまりにも異常なその姿、十二フィートはあろうか?
全身が白銀のパイプ触手で構成されていた、かのサンキエム所長と比較してもより正気からかけ離れていると言えよう。
ああ、何たることか、見よ!
崩れた顔は二つあり、腕は三本、足は四本だが、うち一本は膝から下が無い。
胴は妙に丸く太い。
背中からはキャノンじみた砲身が、両肩からはねじれた金属棒が数本突出している。
降りしきる雨の中をガシャリ、ガシャリと進んできた怪人……いや、怪物が二つの頭で同時に叫んだ。




