12話 『決意』
灰色の混凝土じみた魔法建材が露出した壁に囲まれた部屋。
中央部には分厚い文机と美しいクリスタルランプが置かれている。
外は既に暗く、小さな窓にはランプの光が漏れぬよう分厚い布がかけられていた。
ロドリグ家二階、リュミエラの部屋だ。
昨日夕方にルキエル火山から帰還し、村長とロドリグに簡単な報告を済ませた四人は、休息のため別行動していた。
もっとも、特に固定のチームというわけではないので当然といえば当然なのだが。
ともかくロドリグとリュミエラは、とある極めて重大かつ、個人的な問題について小声で情報交換を行っていた。
「はい? 父さん、もう一度言ってよ、信じらんないわ」
「こんな事で嘘なんか吐かねえぞ俺ァ」
「いやさ、嘘じゃないってのはわかるわよ、竜爪剣の気配が近くにないしさ。
でも盗まれた、ねえ。
なんにしたって母さんや村の人に怪我がなくてよかったけども、うむむ……」
「お前の言わんとしとることぐらい理解できる。
できるが、盗られた事実は変わらんわけでなあ」
ロドリグにとってもリュミエラにとっても竜爪剣はあくまでサブの武器であり、無くなったところで業務に支障があるわけではない。
問題は金や戦闘能力とは別のところにある。
大型魔物の、特にドラゴンの身体を使って作られた品は基本的に一品物であり、出所の特定が可能なのだ。
ロドリグ家にあるドラゴン製品は全て、過去にロドリグ率いる聖堂騎士部隊が討伐した老レッド・ドラゴン“大牙”の死体が材料である。
竜鱗や革、骨、歯などを使用したものはある程度市場に出回っているが、“大牙”の竜爪剣はロドリグの知る限り九振りしか存在しない。
さらに竜爪といえども用途が武器である以上、磨耗や破損の危険はある。
それを考慮すれば現存しているのは四か五振りといったところだろうか。
物自体から出所の特定が可能な数である。
故買品となるだけならともかく、何か邪悪な用途に使われてしまえば……。
「竜爪剣流出とかさ、信用問題よね、あたし達の。
絶対に取り戻す必要があるけど、目撃情報とか無いの?
あたしか父さんが近づくだけで所持してるか否かわかる以上、うちの村の連中の仕業ってことは有り得ない。
……それはともかく、父さん母さんが留守にしてても、村長の探知結界とギヨームじいちゃんの“目”が何か記録してるはずよね」
「村長曰く、結界に異常はなかったようだぜ。
ま、そっちはいい、あれは抜けも多いからな。
問題はこれよ、これ」
不機嫌そうなロドリグが、鞄から5インチほどの四角い物体を取り出した。
最近ルクスコリ首都で開発され、式典の記録などに使われる新型の映像媒体である“目”の再生機だ。
異世界の魂であるツチヤならばそれを小型テレビジョン、あるいは動画再生機能つき携帯電話とでも表現したであろうか?
ファルギ村で唯一の“目”の所持者であるギヨームは、それを個人的趣味のほか、自宅や知人宅の防犯と取引の記録のために使用している。
ともかく、ロドリグが再生機を操作するとクリスタルを特殊加工した液晶画面にやや粗い画像が浮かび上がった。
リュミエラが目を見開く。
「アあ!」
「……そうだ、こいつは“偵察者”に似ている。
正式名称はソリオンだったか? しかし何だろうな、妙な造形だぜ。
しかもたった一匹でここまで鮮やかに侵入してその上、爪を盗んでいくたあ」
小さな画面には、賊が凄まじい速度でロドリグ邸に滑り込んできて、即座に去っていくシーンがループ再生されている。
まるで最初から所在地が分かっていたような動きだ。
「違うわ父さん、違うのよ、これは、この野郎は……あの時、話したでしょう?」
「うぬ?!」
賊である高速移動物体はソリオンの雰囲気を残しつつ、それよりはやや小柄な女性的造形だった。
角付きヘルムの隙間から、髪じみた金属繊維が覗いている。
両腕が無く、その代わりとでも言おうか、肩口から禍々しい細身の触手マニピュレーターが生えていた。
そして、両脚の機械ブースターを使用した鋭角的高速機動。
リュミエラは“そいつ”を知っている!
忘れもせぬあの夜の襲撃で出逢った奇怪なソリオン、彼女が油断から取り逃した個体に違いなかろう。
何より“そいつ”ならば、特有の存在感を発する竜爪剣のありかを一発で見抜いても不思議はない。
そいつの両腕を奪ったのは、まさにそれ、“大牙”の竜爪剣なのだから。
「仕方ないわね」
「どうする気だ、リュミエラ。
このソリオンがお前の知る個体だとして、それで?」
露骨に態度が変わったリュミエラを心配するかのように、ロドリグが口を挿む。
しかし、すげなく打ち払われた。
「それをあたしに言わせるのかしら、父さん。
己の不始末は己でつける。ファルギの戦士の誓いよね。
父さんは一家の責と思ってるかもしれないけど、絶対に違うわ。
こいつを討ちもらしたのはあたしとサンカント。
あたし達で探して、殺す。
だいたい、父さんとあたしが両方ファルギを離れたら母さんと警備隊の皆はどうすんの」
リュミエラが歯を剥き、攻撃的に笑う。
極めて気分屋な彼女だが、殺しの儀を通過した精鋭戦士のプライドと、家族や村を守ろうという意志はある。
実際問題、ファルギ村の重鎮として正論なのはリュミエラの側だ。
「うむ……しかし、竜爪剣ではなく“あのソリオン”を探して、取り戻すとなるとだな、“勇者”と競合するんじゃねえか?
火山の時はファルギとして戦う正当な理由があったが、今となっては“勇者”は、聖堂騎士団工作部隊は独立勢力の任務介入を渋るだろう」
「勇者はさ、あれあったでしょ、父さんが前話してたやつ。
個人の裁量で聖堂騎士団員以外からも選んで現場のチームを組める、だったかしら。
今ならエリクさんとジョゼさんはこっちに引け目があるし、ねじ込めると思うのよ、と。
んじゃ、父さんおやすみ」
「“勇者”の現地人員勧誘に関する法律か、そんなもんもあったな。
まあ、お前がそう言うならば俺から推薦を……おい、どこへ行く、夜だぞ」
おもむろに立ち上がり赤黒いワーム革のフードマントを羽織ったリュミエラは、文机の上に置かれている洒落たデザインの箱を山刀で撥ね上げ、掴み取った。
軽く伸びをし、音もなく歩いて扉代わりの耐熱布をめくる。
「……瞑想よ、最近忙しくて偽りの聖女と対話してなかったから」
「ならその左手の樹脂葉巻の箱は何だ」
「必要経費よ」
「人の事ぁ言えんが、程々にな」
「ええ」
美しいクリスタルランプが輝くリュミエラの部屋に、ロドリグ一人が残された。
彼は娘が出て行った後も動かず、じっと壁を見つめていた。
頭の中では、様々な思いが渦巻いている。
謎の基地、盗まれた竜爪剣、そして“勇者”と“聖女”。
いずれも、ロドリグが現役だった時代にはなかったものだ。
いや、基地ことベルトラン案件に関しては表沙汰になっていなかっただけで既にあったのかもしれないが。
「駄目だな、俺にゃあ、よくわからんぜ」
しばらくの間考え込んでいたロドリグは、大の字で床に倒れ込んだ。
慣れない複雑な思考で疲弊した彼の脳裏に浮かんだのは、妻アネットでも、中央神殿の光神ソレイエルでも、娘リュミエラの顔でもなく、彼と彼の部下達がかつて討伐した偉大なる悪辣レッド・ドラゴンの咆哮であった。
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さる謡い手曰く、ファルギの森は盗人であるという。
命を、光を、土地を、あらゆるものを盗み、貯め込む。
貯めたものを回収するのは魔物であり、またファルギ村の水晶集め達だ。
そんな盗人の臓腑をかき分け、移動する影が一つ。
とうに日は沈んでおり、周囲は全くの闇だ。
しかし影は暗闇など全く気にしていない。
影からは照準めいた赤く細い光が伸びており、それが行く先を決めているようだ。
踊るように優雅に動くその正体はもちろんリュミエラである。
じきに彼女は目的地に到達した。
小さな山の中腹、岩だらけの小さな空き地……しかし、修練場として使っている場所とは異なる。
ここは彼女の秘密の場所なのだ。
「えー……と」
リュミエラは転がっている岩のうちの一つに手をかけ、力を込めて横に押した。
ガコン、何とも言えない重い音とともに岩がずれて小さな入り口が現れる。
彼女はフードの下の顔から光を発しつつ中を覗き込み、石室内に何もいないことを確認した。
その後、左手を翳して熱線を発し、埃などを焼き払うとともに内部を乾燥させて空気を入れ替える。
再度周囲を見まわして、魔物やらも近くに居ないことを確認すると、フードマントを脱いで折り畳み、そっと近くの岩の隙間に挟む。
続いて半袖とキュロットも同様にし、ブーツと山刀、飲み物の入ったフラスコも物陰に置く。
最後に箱を開け、中に入っている樹脂葉巻を一本残して掴み取り、箱はフラスコの横へ。
すべての準備を終わらせたリュミエラは岩の隙間に滑り込んだ。
内側には岩の一部を溶解させて生成した取っ手がある。
掴んで強く引くと、石室は外界から隔離された。
「うふ、ふふふふ、ふふふふふ……うふはあああ」
甘く濃厚な煙が漂う中、ぼんやりと発光するリュミエラが蕩けた笑みを浮かべ、石の床に足を投げ出して座っている。
三本まとめて銜えた樹脂葉巻から紫煙を吐き、足元には無数の吸い殻。
彼女が石室内で樹脂葉巻を吸い始めてからかなりの時間が経過している。
時間など確認してはいないが、減った葉巻の本数からすればとうに夜半は超えていよう。
薬効成分が回り上気した身体から様々な体液が漏れ出て滴り、高温により沸騰し、蒸気となって虚空に消える。
周囲は樹脂葉巻の効果で上気した彼女により加熱され、およそまともな生物が存在できる環境ではない。
そもそも、温度以前の問題である。
常人ならば充満した薬煙に耐えられず倒れてしまうに違いない。
だが、彼女にはこれぐらいが丁度いい。
大量の樹脂葉巻は、固有形質である偽りの聖女を深く理解する手段であると共に、最大の愉悦行為だ。
「ふわあ……もう無い、や……」
最後の葉巻を吸い終えたリュミエラが何かを探すように床と口元を撫で回す。
熱い白魚の指が名残惜しげに身体をまさぐった。
だが、まだだ。
まだ吸い殻が沢山残っている。
彼女は火照る身体でそれを拾い集めた。エコロジー。
「ふえへへ、いただきます、樹脂葉巻のカミサマ」
何たることか、リュミエラは着火しなおした吸い殻を火のついたまま口に放り込み、咀嚼し始めた。
パリパリ、パチパチ、軽い音と共に火花と煙が散り、口腔内に苦く甘い刺激が広がる。
熱と光に対する完全な免疫を持つ彼女だからこその無謀な吸引だ!
いや、吸引どころではない。
嚥下している。
燃える吸い殻を食べる度、興奮と薬効で体温が上がってゆく。
オーバードース。
肉は蛞蝓の様にぐだりぐだりと身悶えを繰り返すが、精神は逆に澄み渡っていった。
そうして、ようやく、彼女は己の魂と、偽りの聖女との邂逅を果たす。
その精神的悦楽はある意味、古代人にとってのスピリチュアル儀式にも似ていた。
一般的生物と逆向きの魔力回路により集積された熱と光の塊が、心の臓の更に奥、魂の中で力強く瞬く。
彼女の力の源だ。
そして。
「あああ゛、漲るううう!」
ゴウ! 凄まじい熱気と共に、リュミエラが目を見開く。
煙が吹き散らされ、桃色に染まっていた肌も元の透けるような白に戻る。
昂揚が限界を突破し、上昇を続ける体温が樹脂成分を焼却分解したのだ!
だが、まだ儀式の終了には早い。
彼女は気が抜けたように倒れ、震えた。
「……っおォ……ぐ、おごぁ、げぇ……」
這い蹲り、のたうち回るリュミエラから煮えたぎるマグマにも等しい高熱の吐瀉物と排泄物が漏出する。
先ほど食べた吸い殻と灰と、体内老廃物が混ざり合ったものだ。
汚物ではあるが溶鉱炉のごとき彼女の体内で分解溶融し、燃えているため生物的な臭いは無い。
だが当然に有害だ。
岩床の表面を熱で溶かし、火山性ガスめいた毒蒸気が発生し、岩の隙間から外へと流れ出て行く。
しばらくの後、全ての不要物を排出し終え、文字通りリフレッシュした彼女がゆらりと立ち上がった。
口元を拭い、髪を整え、体表と石室内に付着した焦げ汚れを力強い熱線で焼き清める。
片付けを終えて石室から出てきた彼女を、森の匂いがする冷たい風と美しい朝日が出迎えた。
深呼吸。
「はぁー! 最高!」
フードマントを含めた全ての衣類を装着してフラスコの中身を一気に呷ったリュミエラは、箱の底に残された最後の一本の樹脂葉巻を取り出した。
岩の上に座り、朝日を浴びながらその一本を優雅に吸引する。
久々のスピリチュアル瞑想の効果は上々だ。
心の調子も体の調子も昨晩とは比べ物にならぬ。
きっと竜爪剣も取り戻せるだろう。
最後の吸い殻を少しだけ名残惜しげに眺めた彼女は、今度は食べずに焼き尽くし、身を翻して森の中へと消えた。
第一章「狩人の村」終。




