02
次の日。
「…………。」
私は自室の執務机に、盛大に顔面から突っ伏していた。
「…………暇。」
何もない。 本当に、何っっっにもない。
「…………あーーーっ!!」
ガバッと顔を上げる。
前髪はぐしゃぐしゃ、侯爵令嬢としてあるまじき惨状だが、今の私にはそんなことを気にする余裕すらなかった。
「情報が……! 情報が圧倒的に足りん……!!」
私は己の人生において絶望的な事実に気づいてしまったのだ
ここにはインターネットがない。
当然、スマートフォンもない。
SNSも、まとめサイトも、15秒で脳汁が出るショート動画も、検索エンジンすら存在しない。
「なんでもええから……なんでもええから活字か映像を貪りたい……! 脳ミソに直接ドーパミンを流し込ませて!!」
己の重度なドパガキっぷりを爆発させた私は、飢えた野獣のような目つきで屋敷の巨大な図書室へと突撃した。
そして――片っ端から本棚の歴史の解説書、心理学の本や推理小説や恋愛小説などなどを引っ張り出し、凄まじい勢いでページをめくり始めたのだ。
「ふむふむ……ん? なんやこのすれ違い展開、ベタやな。 うわっ、ここで身分差の障害!? ほーん。まあまあ読めるやん……!」
ズザーッ、パラパラパラッ! と凄まじい速度で本を読破していく私のもとへ、ワゴンを押した侍女がやってくる。
お茶を淹れながら、彼女は感極まったような声を上げた。
「お嬢様が恋愛小説をお読みになるなんて珍しいですわ……! いつもは歴史書や政治の専門書ばかりでしたのに……はっ!」
侍女は両手を口元に当て、目をキラキラと輝かせた。
「もしや……昨日のあの地味……いえ、黒髪の爽やかな男性に想いを馳せておられるのですかっ!?」
「えっ。あー……まあ、そんなトコね。ちょっとこの時代の恋愛観を学んでおきたかったの……。」
(ぶっちゃけ単なる情報中毒の穴埋めやけど、まあそう思わせておいた方が都合ええやろ。)
「まあっ! なんて健気な……!」
「でもデートとかあるのね。カフェで茶……お茶したり?街で……散歩とか?」
呟いた私に、侍女がぐっと身を乗り出してきた。
「お嬢様! では、その子爵令息様とおデートなさいますか!?」
「え? あー……まあ、保留になったけど、レオ様を落とせば婚約出来る……。ちょっとデートに誘ってみようかしら。」
こうして、私と地味男くんによる「交流」という名のお試しデートが開催されることとなった。
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デート当日。
場所は王都の賑やかな街並みと、城の広大な庭園。
私は密かに着飾った、貴族を隠しきれないお忍びデート服である。
「セレスティア様、本日はお招きいただきありがとうございます。」
目の前に現れたのは、相変わらず地味な服に黒ぶち眼鏡をかけた子爵令息――レオ・ティスデイル様。
「ううん、気にしないでレオ様。……ふぅ。」
私は彼の前で、大きなため息をついて肩の力を抜いた。
(よし。王太子の前やったら『完璧な侯爵令嬢』を演じ続けなあかんけど、この地味男くんの前なら気取らんでええやろ! 素の私でいられるわ〜最高!)
「……セレスティア様? どうかされましたか?」
「ん? ううん、なんでもない! さ、行こ行こ!」
テンションが上がった私は、前触れもなく歩き出した。
しかし――ポンコツな前世の運動神経がここで火を吹く。
「あ。」
ガツッ。
「きゃっ!?」
何もない平坦な石畳で盛大につまずき、盛大に宙を舞う私。
(終わった! 顔面から石畳にダイブ!!)
目をギュッと瞑った瞬間――ガシッと力強い腕に抱きとめられた。
「っと……危ない。大丈夫ですか、セレスティア様?」
ふわりと、上質な石鹸のような心地よい香りが鼻腔をくすぐる。
見上げると、眼鏡の奥にあるレオくんの瞳が、至近距離で私を見つめていた。
「え……あ、うん。ありがと……。」
(え、なにこれ。抱き止め方、無駄にスマートすぎん……?)
「怪我はありませんか? ……ふふ、案外、お転婆なところがあるんですね。」
優しく微笑まれ、ドキンと胸が跳ね上がる。
気を取り直しておしゃれなカフェに入り、甘い焼きたてのタルトを頬張ることにした。
「ん〜〜〜っ! おいしい!」
「お口に合ってよかったです。……あ。」
「ん?」
レオ様がすっと手を伸ばし、私の頬に触れた。
指先が軽く肌を撫でる。
「クリームがついていましたよ。」
「……っ!?」
「可愛いですね。」
そう言って、彼は自分の指についたクリームをペロリと舐めた。
(はーーーーーっ!? 何やそれ!? 何その少女漫画のテンプレートみたいなやつ!! 地味男のくせに破壊力高すぎやろがい!!)
「やばぁ。…あっ。」
混乱のあまり、脳内の独り言が口から漏れ出す。
「……やば?」
「な、何でもないです!! あー、なんか……ネットが恋しいなぁ……じゃなくて……ショート動画……じゃなくてっ!!」
「ねっと……? しょーとどうが……?」
謎のうめき声を上げる私を、レオ様は不思議そうに、けれど慈しむような目で見つめていた。
その後も、私のポンコツ大暴走劇は止まらなかった。
動揺を隠そうと冷水を一気に煽って盛大に喉に詰まらせてむせ返り、レオ様に背中をトントンと優しく叩かれ、店を出て「あのお花屋さん可愛いですね!」と駆け出そうとしては自分のドレスの裾を自爆で踏み抜いて、倒れ込んだところを抱き留められるという醜態を晒しまくったのだ。
(終わった……一回のデートで至るポンコツを披露してしまった……。)
私が白目をむいて落ち込んでいた、その時だった。
「――きゃああああっ! 大変だわ、私の高級ドレスが……っ!」
カフェのテラス席で、一人の貴婦人が甲高い悲鳴を上げた。 店員が誤って運んでいた赤ワインと果汁のジュースを、彼女の純白のドレスへ盛大にこぼしてしまったらしい。
「申し訳ございません! 申し訳ございませんっ!」
「どうしてくれるの!? これ、今日下ろしたばかりの特注品なのよ! 布地に染み込んで……もう台無しじゃないの!」
真っ青になって平伏する店員と、激怒する貴婦人。
店内は一瞬でピリついた空気に包まれた。
(あーあ、こすったらあかんのに……あんなにゴシゴシ擦ったら余計奥に染み込破んで……。)
見かねた私の脳内で、前世にSNSで死ぬほど流れてきた「ライフハックショート動画」の記憶が爆速で再生された。
「……ちょっと、失礼。」
気づけば体は勝手に動いていた。私はすっと貴婦人の元へ歩み寄ると、店員から清潔なふきんを取り上げた。
「セレスティア様!?」
驚くレオを後ろに、私は貴婦人の前にしゃがみ込む。
「奥様、動いたらあきま……ゴホン、動いてはダメですわ! 擦ると糸の奥まで色素が定着してしまいますの!」
「な、なんですの貴女は……?」
「店員さん! 大至急、炭酸水と少量のお塩、それからお湯を持ってきてちょうだい! 大至急!」
「えっあっ、はいっ!」
店員が爆速で持ってきたアイテムを受け取ると、私は熟練の技を披露し始めた。
シミの裏側に乾いた布を当て、炭酸水とお塩を混ぜた特製液を汚れに染み込ませる。
そして、上から別の布でポンポンとリズミカルに叩き出し始めた。
(トントン、トントン! ゴシゴシはNG! 炭酸の泡で汚れを浮かせつつ、塩の脱水作用で叩き出すねん! ショート動画で観たやつー!!)
元のセレスティアが持つ「無駄に完璧な身体能力」と「指先の器用さ」がここで奇跡を起こす。私の超高速ポンポン叩きにより、みるみるうちに赤ワインの頑固なシミが裏当ての布へと移動していく。
仕上げにお湯を含ませた布で拭き上げると――純白のドレスは見事に元通りの白さを取り戻していた。
「……嘘でしょう? 跡形もなく消えているわ……!?」
貴婦人が目を見開いて絶句する。
店員は感動のあまり涙を流して感謝し、カフェの客たちからは「おおおっ!」と大きな拍手が巻き起こった。
「ふぅ……まあ、こんなところかしら。」
ドヤ顔で立ち上がったものの、ふと我に返る。
(やっば!! 淑女がカフェで腕捲りして染み抜きとか、またしてもお転婆どころの騒ぎじゃないポンコツやらかしたんとちゃう!?)
冷や汗を流しながら恐る恐るレオ様の方を振り返ると、彼は眼鏡の奥で、信じられないものを見るような目で私を見つめていた。
「果汁の酸性とアルカリの化学反応を利用し、物理的な叩き出しで繊維を痛めずに色素を移動させる……!? セレスティア嬢、宮廷の洗濯職人でも極秘とされている科学的技法ですが……一体どこでそんな知識を……?」
「え、あ……えーっと……!」
(ショート動画で観た、とは口が裂けても言われへんーーーっ!!)
「お、おばあちゃんの知恵袋……的な……? ほら、庶民の知恵ってやつですわ! オーホホホ!」
ぎこちなさすぎる高笑いを浮かべる私を、レオは「おばあちゃん……?」と首をかしげつつも、どこか深く魅了されたような、熱を帯びた眼差しで見つめ返してくるのだった。
୨୧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
自室へ戻り、豪暮な天蓋付きベッドに倒れ込んだ私は、天井を見つめながら急速に正気に戻っていった。
「いや、気抜きすぎてるやろ。」
静まり返った部屋に、私の虚しい独り言がぽつりと響く。
さっきまでの浮かれた気分が嘘のように冷め、冷や汗がじわじわと吹き出してきた。 脳内で、今日のデートのハイライトが最悪な走馬灯のように駆け巡る。
何もないところで盛大にずっこけ、抱き留められる。 あざとく口元にクリームをつけ、それを彼に指で拭われ、あろうことかペロリと舐め取られる。 果てはカフェの真ん中で腕を捲り上げ、職人レベルの超高速染み抜きを披露する……。
「令嬢としてどころか、人として惨敗やん……!!」
「あーーーっ! もう嫌っ!!」と叫びながら、私はベッドの上でゴロゴロと悶絶した。
(絶対引かれた!! 『おばあちゃんの知恵袋』とかいう苦しすぎる言い訳、怪しさしかなかったやろがい!! 地味男のレオくん、私のこと絶対『奇妙でポンコツな変な令嬢』って思ってるわ……!!)
両手で顔を覆いながら枕に突っ伏し、私は自分の前世知識の暴走とポンコツぶりに深く頭を抱えた。
「レオ様の前だと、素になりすぎんねん……。あの人、妙に落ち着くから『気取らんでええわ〜』って調子乗ってもうた……。」
がばっと起き上がり、乱れた前髪をかき上げる。
「待てよ? 私は王太子の婚約を回避するために、『あの地味な子爵令息に一目惚れしました!』って言い張ったんやろ? やったら、彼を本気で落として婚約まで持ち込まなきゃ意味ないやん! もっとこう、上目遣いで『レオ様ぁ♡』とか媚びなきゃいけなかったんちゃうの!?」
年下のあざとい女性社員の仕草を思い浮かべたが、自分がするには痛々しすぎるわ!と全力で拒絶反応を起こす。
「いや、恋愛わからんて……!!」
頭を抱えて叫んだ。
男女の高度な心理戦だの、駆け引きだの、枯れ果てた前世の脳ミソには難易度が高すぎる。
恋愛の「れ」の字も思い出せない。
「……はぁ。王太子以外なら誰とでもと思ってたけど、子爵令息との婚約すら雲行き怪しくなってきたんちゃう……? 今日の私のポンコツっぷり見て『この令嬢、頭大丈夫か?』って引きまくってる可能性大やん……。」
思考がどんどんネガティブな方向へとスパイラルしていく。
「でも、平民になったら本が読めんし……。この世界、紙も本も高級品やから、貴族の身分を捨てたら私の唯一の娯楽である『活字の摂取』が絶たれてまう……! ドパガキとしてそれだけは絶対に阻止せねば……!」
子爵令息にも見捨てられ、王太子との婚約も破談になり、路頭に迷う最悪の未来が頭をよぎる。
「……よし。現実逃避してる場合ちゃうわ。」
私は拳を強く握りしめた。
「最悪、貴族社会を追い出されたり、誰とも結婚できずに浮いたとしても、一人で生きていける盤石な基盤を作っておくべきや! 幸い、前世のヒット商品の知識とか、ノウハウはうっすら頭に残ってるし、私でも何とか出来るやろ……!」
暇つぶしも兼ねて、密かに商売を始めて独立資金を稼いでおく。 お金さえあれば、平民になっても本などの情報を買い漁ることもできるし、最悪どこかの田舎で隠居しても畑などで忙しなく生きていくことも出来るはずだ。
「何があっても生きていけるよう、裏でお金を貯めとくか……!!」
全てが不安になり、極限まで現実逃避を起こした私は、執務机に向かうと「異世界独立資金獲得計画(裏金作り)」のメモを真剣な目つきで書き始めるのだった。




