01
「私には好きな人が居るんです! えーっと……あの人!」
私は後先など一切考えず、力任せに腕を伸ばして指を差した。
そこに立っていたのは――眼鏡をかけ、いかにも影が薄そうな、ごくごく地味な男だった。
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私は完璧だった。
侯爵令嬢として生を受けた私、セレスティア・グリムヴァルドは、淑女としてのあらゆる教育を極限まで叩き込まれている。
作法、勉強、ダンス、魔法、剣術。
どれを取っても並び立つ者のいない一流。
「侯爵令嬢として、これくらい当然のことですわ。」
今日も鏡の前で、完璧に計算し尽くされた美しく上品な笑みを浮かべる。
……いや、正確には浮かべていた。
十五歳の春――その日、前世の記憶を思い出すまでは。
「…………。」
絶句しながら、私はもう一度鏡の中の自分を凝視した。
艶やかに輝くプラチナブロンドの髪。
大きく、少し強気に吊り上がった紫水晶の瞳。
バサバサと長い睫毛に、陶器のように整った顔立ち。
「いや、待って、待って。これ……無理やろ。」
見た目は完璧な美少女ご令嬢。
しかし、その中身はすっかり様変わりしていた。
前世、二十代中半。
大阪の街で毎日揉まれて働いていた、ごく普通……以下の会社員だった。
朝は平気で寝坊するし、忘れ物は日常茶飯事。
仕事なんてだいたい勢いとノリだけで乗り切っていた。
部屋は片付かず散らかり放題、休日は一日中パジャマでゴロゴロ。
暇さえあればスマホを片手にショート動画を永遠にスクロールし、漫画を読み、アニメを見、Web小説を貪り読む。
次々と新しい情報を摂取しては、その端からスッカスカに忘れていく。
――そんな「どんくさい」「抜けている」という言葉が似合う、救いようのないポンコツだった。
「ババァの前世を持ってキラキラ十代のご令嬢とか、キツすぎるやろ……!雑念!雑念がすごすぎるんや!! 」
淑女らしからぬ姿勢で頭を抱え、一瞬にして淑女の作法をかなぐり捨てた悲鳴を上げる。
「平民の居酒屋とかなら、まだなんとか馴染めるのに……! 生ビール両手いっぱいにもって『いらっさいやせー!』とか言ってる方がよっぽど性に合ってるわ!!」
侯爵令嬢って。
貴族の中でもトップクラスの最高位じゃないか。
怖すぎる。
無理無理無理!
「それにネット! インターネットがない世界なんて正気で生きていけるわけないやん! おすすめ欄を無限スクロールしたい! ショート動画見たい! 情報を! ドパドパ脳内物質が出る情報を垂れ流させてくれぇぇぇ!!」
そう、前世の私は完全なるドーパミン中毒者――重度のドパガキだった。
そんな脳内パニックを起こしているところへ、静かに扉を叩く音が響く。
コンコン。
「っ!」
大阪のドパガキOLは、コンマ一秒で完璧な淑女の背筋を取り戻した。
すっと口元に優雅な笑みを刻み、声を整える。
「…入って良いわよ。」
「お嬢様、おはようございます。朝の準備に参りました 。」
「そう。………今日は簡単な髪型で良いわ。」
入ってきた侍女に、私は落ち着き払った声で応じた。
よし、完璧。
どこからどう見ても高貴な侯爵令嬢だ。
だが、侍女は目を丸くして首を振る。
「えっ。それはいけませんわ! 本日は王太子様とのご面談ではありませんか!」
「……はいぃ?」
完璧な淑女の仮面がメリメリと剥がれそうになる。
「お嬢様もずっと楽しみにしておられましたものね! 今日はとびきり可愛らしく仕立て上げましょう! 我がお嬢様なら、王太子様とのご婚約は間違いありませんわ!」
侍女は自分のことのように嬉しそうに目を輝かせている。
対照的に、私の額からは嫌な汗がじわじわと吹き出し目が泳ぐ。
「きょ、今日は……少し体調が優れないから、面談はなしにしてもらおうかしら……。」
「まあっ!」
侍女がぱっと顔を輝かせた。
「お嬢様、緊張されているのですね! 可愛らしい! 大丈夫です、私にお任せください! 腕によりをかけていつも以上の素晴らしいお嬢様にしてみせますわ!」
「は、はは……。よろしくお願いするわ……。」
中身がポンコツ化した淑女に、押し強い侍女の勢いを断る術はなかった。
押し切られるまま着飾られ、鏡の前に完成したのは――いつも以上に豪華で、繊細で、圧倒的な存在感を放つ完璧な侯爵令嬢だった。
(……なんかさぁ。私、ちょっと悪役令嬢っぽくない?)
豪華なドレスに縦ロールの巻き髪。
まつ毛バサバサな吊り目。
どう見てもテンプレの悪役令嬢である。
(うーん。ってかこの世界、どっかの物語の中だったりするんかな……?)
前世の私は、あらゆる作品を大量消費するタイプのドパガキだった。
異世界転生モノも腐るほど読んだはずだ。
しかし――いかんせん、大量に摂取しては秒で忘れていくタイプである。
タイトルも、登場人物の名前も、ストーリー展開も何ひとつ思い出せない。
(セレスティア・グリムヴァルド……うーん、名前なんて覚えてない! タイトルも覚えてないし、キャラも見た目の絵柄でなんとなく覚えてる派だから、実際リアルで見ても絶対に分からんなぁ……。)
まじまじと鏡に映る自分を見つめるが、記憶の引き出しは空っぽだった。
(はぁ……王太子と会うとか無理。作法とか緊張で絶対弾け飛ぶわ。案内に付いていくフリして、このまま逃げちゃおうかな。)
見た目は若い美少女令嬢、中身は二十代。
そんな状態で十代の若い男の子と恋愛? 真実の愛だの婚約破棄だの ?
(無理無理無理!! ピチピチの若い子についていけるわけないやん! やっぱ逃げよう! 王太子は回避して、そこそこの爵位の人と目立たず平穏に暮らす! なんならガチ逃げして平民としても全然OK!)
そうと決まれば行動は早い。
私は逃走を決意し、王宮へと向かった。
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王宮に到着し、こそこそと隙を見て逃げ出そうとした――その瞬間。
「セレスティア様? どちらへ?」
「ひっ。」
見つかった。
王太子の側近にバッチリ捕捉された。
そのまま笑顔で王太子のもとへ案内されそうになる。
嫌だ。
嫌すぎる。
どうする? どうすればこの地獄の婚約ルートを回避できる!? 必死で知恵を絞り――私の脳内で、奇跡の電波が閃いた。
「わ、私には好きな人が居るんです! だから、私はその方と添い遂げたいのです!」
「……え?」
側近の動きがピタリと止まる。
周囲の空気がざわついた。
「好きな人……? 一体どなたですか?」
(ほーん。ですよね。そこまでは考えてなかったですよね……。)
適当についた嘘、尋ねられるのは当たり前である。
「えっと……いや、それは……。」
「口にできないほど秘めた恋なのですか? 身分違いなのでしょうか。貴族として婚姻が難しいお相手では?」
「う……い、いえ! 秘めた恋ではありません!」
「では、どなたなのです?」
追いつめられた私の視線が、泳ぐ。
誰でもいい! 誰か! そこらへんにいる誰か――!
(あ。)
いた。
遠くの回廊に、ぽつんと立っている青年。
地味な服、地味な髪型、黒ぶちの眼鏡。
いかにもモブ、その他大勢という風貌の男。
私は反射的にその男へ一直線に指を突きつけた。
「あ、あの人です!!」
「…………。」
全員の視線が一斉にその青年へ集まる。
青年も呆然とした様子で自分を指差した。
「……僕?」
「そう! あなたです!」
もう後に引けない。
私は死ぬ気で言い張った。
「あ、あの方は王宮におられるのですから、貴族の方でしょう!? なら身分違いの恋ではありませんわ!」
不自然すぎる私の主張に、側近が何かを言おうと口を開く。
「あの方は――。」
「待って。」
制したのは、指を差された地味な青年だった。
彼は静かな足取りでこちらへ歩み寄ってくる。
「初めまして……だよね? どうして僕のことが好きなの? その場を逃れようとして、嘘をついているだけじゃないの?」
「い、いえっ! 一目惚れです!」
「一目惚れ……。」
ここで引いたら王太子のもとへ一直線だ。
私は必死で言い募る。
「この機会を逃したら、私は王太子殿下と婚約することになってしまうんです! でも私は、一目惚れした貴方が良いんです!」
青年は少し考えるように眉をひそめ――それから、控えめに微笑んだ。
「僕は……そうだな。子爵令息だけど。君とは身分が離れているし、かなり低いけれど大丈夫?」
「子爵なら十分すぎますわ!!」
「十分……? 子爵が?」
「はい! 俄然、私は貴方様と婚約がしたいです! ですので、王太子様との婚約は……その……。」
チラッと側近に視線を送ると、地味な青年は「ふーん」と呟いて口を開いた。
「ご令嬢もこう言っていることですし、一旦保留にするのはどうかな?」
(味方してくれたー!!)
私は心の中でガッツポーズを決めた。
「……それは……はぁ。」
側近は頭を抱えんばかりの顔で深々とため息を吐いた。
「分かりました。王太子殿下との婚約も、そちらの……子爵令息の方との婚約も、ひとまず保留といたします。」
(えっ……なしにならないと困るんだけど……。)
思わず声に出そうになった私に、青年が優しく語りかけてくる。
「僕も、君のことも何も知らないでしょう?僕の名前は…レオ……ティスデイルだよ。一旦、交流を深めてみるのはどうかな?」
「そ、そうですわね! 貴方様にも私のことを知っていただこうと思います! そしてぜひ、婚約を!レオ様!」
「うんうん。じゃあ、そういうことで。」
拍子抜けするほどあっさりと、その場は解散となったのだった。
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全員が去り、静まり返った王宮の一室。
「……殿下? 一体何をしているのですか?」
先ほどまで「地味な子爵令息」として振る舞っていた青年――レオ・ティスデイルは、すっと眼鏡を外した。
素顔の彼は、息をのむほど美しく整った、第一王子兼王太子レオナード・アシュフォードその人であった。
レオナードは眼鏡をハンカチで拭きながら、涼しい顔で答える。
「いや。婚約者になる侯爵令嬢を見極めようと思って見てたんだけど。」
「ご指名されてしまいましたね。……噂では随分とプライドが高く、高飛車なご令嬢だと聞いておりますが。」
「そうだね。」
レオはくすりと笑い、眼鏡をかけ直した。
「それにしても……もしかして、このもっさりした地味眼鏡姿でも一目惚れするくらい、僕は格好よかったりするのかな? オーラが隠せていなかった?」
「いいえ。いつもの格好の方が、女性には圧倒的に好まれるかと思いますが。」
「じゃあ、実は彼女……著しく美的感覚が鈍いとか?」
「『子爵でも十分』とおっしゃっていましたね。」
「ふむ……。どこがプライドの高い高飛車なんだろうね。」
側近は呆れ果てたように吐き捨てた。
「……では、婚約者候補は他の方に差し替えますか?」
「いや?」
レオは楽しそうに目を細めた。
「僕は――地味眼鏡のレオ・ティスデイルとして、あのご令嬢を落としてみせるよ。」
「……はい?」
「そして婚約。そして結婚。全て予定通りだ。」
レオが満足げに指を鳴らすと、側近は引きつった笑みを浮かべて頭を振った。
「じゃ、ティスデイル子爵に名前を借りるよと連絡しておいて。」
「うわぁ……。刺されないようにしてくださいね、殿下。」
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一方その頃。
自室に戻った私は、豪華な天蓋付きベッドの上に盛大にダイブしていた。
「あーーー!セーフ!多分!なんか勢いで変なこと言っちゃったけど……。」
天井を見上げながら、大きく息を吐き出す。
「まあでも!王太子との婚約は保留!予定通り……とはいかないまでも、結果オーライでしょ!」
本当は完全になしにしてほしかったけれど、保留なら儲けものだ。
このままズルズルと理由をつけて引き延ばしていけば、そのうち立ち消えになるに違いない。
「うん! 大丈夫!」
ベッドの上にガバッと起き上がる。
「王太子とは婚約しない!王妃教育もなし!あの地味な子爵令息と婚約することになっても、子爵家なら全然余裕!平和でそこそこ楽ちんな人生、確定やん!」
私は満面の笑みで拳を握りしめた。
この時の私は、まだ何も知らなかったのだ。
今日「一目惚れした」と指を差したあの地味な男こそが、私が何より回避たかった第一王子レオナードその人であるということも。
そして彼が今、地味男の皮を被ったまま、本気で私を口説き落とそうとノリノリで策を練っているということも――。




