6.華麗なる大円舞曲(2)
「死ねぇーーーっ!」
「危ない、エレノア!」
セドリックが動く。だが、エレノアの「野生の格闘本能」が動く方が、ほんのわずかに速かった。
(あ、隙だらけ。右足の踏み込みが甘いし、体幹ブレブレ!)
エレノアは神速のステップでマーガレットの懐に潜り込もうとした──
が、それを上回る速度で、セドリックの長い腕がエレノアの腰を優しく、かつ完璧な力加減でホールドした。
「エレノア、言っただろう。お前を汚す泥仕事は、すべて俺がやると」
低く重厚な、だがどこまでも甘い声がエレノアの耳元を揺らす。
セドリックはエレノアを抱いたまま、まるで宮廷舞踊を踊るかのような華麗なステップで、マーガレットの突撃を紙一重でかわした。
それだけでなく、すれ違いざま──セドリックはマーガレットの手首を、エレノアにしか見えないほどの神速の指裁きで「ツン」と突いた。
「あ、あらぁぁぁーーーっ!?」
手首の神経を正確に突かれたマーガレットは、自分が持っていた真っ黒なインクを、自らの顔面へと見事に直撃させた。
さらに勢い余って、後ろにいたジュリアン王子を巻き込み、二人で豪快に床をローリングした。
しかも、その転がった先には、この夜会のために用意されていた「特大のチョコレートファウンテン」があった。
──ドッボォォォォオオオンッッ!!!
「ぶふぉっ!?」
「ごほっ、甘い! 苦い! 目が、目がァァァ!」
ジュリアンとマーガレットは、頭からチョコレートとインクをこれでもかと被り、文字通り「泥のようなもの」を全身で喰らって、床でのたうち回った。
「お、おほほほほ! まあ、大変! お二人とも、チョコレートの泥パックがお好きなのですね。それにしても、実にお美しくない転び方ですわ!」
エレノアは扇で口元を隠し、高らかに高笑いを決めた。積もりに積もったストレスが一気に吹き飛ぶ瞬間だった。
「き、貴様ぁぁぁ!」
ジュリアンがチョコまみれの顔でドロドロになりながら立ち上がろうとしたが──その瞬間、会場の空気が凍りついた。
セドリックの静かな手振りひとつで、側近のハリスが大量の「国家機密書類」を床へ叩きつけたのだ。
「ジュリアン殿下。およびヴァレンタイン侯爵。これは、あなた方がこれまで行ってきた、国家予算の横領、他国との不正交易、さらにはマーガレット男爵令嬢と共謀したエレノア様への冤罪陥れの、すべての証拠一式です。我が帝国の情報部を舐めないでいただきたい」
「な、何だと……!?」
ヴァレンタイン侯爵が、その場に顔を真っ青にしてへたり込んだ。
セドリックは、冷酷な死神の微笑みを浮かべ彼らを見下ろした。その瞳に宿るのは圧倒的な覇道と無慈悲な氷光。会場中の令嬢たちがその美しさに息を呑む。
「この証拠は、すでに貴国の国王陛下へ提出済みだ。お前たちの不敬、および我が帝国への宣戦布告行為──その破滅は、今この瞬間から始まる」
◇
バンッ! と巨大な扉が開き、ルミナス国王直属の近衛兵たちが雪崩れ込んできた。
「ジュリアン殿下、およびマーガレット男爵令嬢、ヴァレンタイン侯爵! 国家反逆および横領の容疑で連行する!」
「待て! 私は王子だぞ! エレノア! お前、私を助けろ! 婚約破棄はなしだ! お前を王妃にしてやるからぁぁぁ! 助けろォォ!」
見苦しく叫び、引きずられていくジュリアンに、エレノアはこれ以上ないほど冷ややかな、そして最高にスッキリとした笑顔を向けた。
「お断りいたしますわ、ジュリアン『元』殿下。私、お人形のフリをするのはもう飽きましたの。これからは──私を、私として愛してくれる、世界一格好良いお方の傍で、全力で生きていきますわ!」
「エレノアぁぁぁぁーーーっ!」
情けなく叫ぶ馬鹿どもが去っていく。
会場の貴族たちは、アルカディア帝国の「覇王王子」と「美しき最強令嬢」の、あまりの格好良さと圧倒的な格の違いに、ブルブルと震え上がりながらも、羨望と憧れの眼差しを向けていた。
「素晴らしいわ……なんて圧倒的なの……」
「セドリック殿下のあの冷徹なお顔……痺れる……!」
「エレノア様も最高に格好いいわ!」
ひそひそと聞こえる称賛の声に包まれながら、二人は堂々と夜会会場をあとにしたのだった。
◇
夜会からの帰り道、アルカディア帝国の豪華な走る宮殿のような馬車の中で、エレノアとセドリックは二人きりだった。
「ふぅ……! すっきりしましたわ! やっぱり、悪党は派手に転がって特大チョコレートにダイブしてこそ華ですわね!」
エレノアはドレスのコルセットを少し緩め、ふいーっ、とシートにもたれかかった。淑女の仮面を脱ぎ捨てた、いつものお転婆モード全開である。
セドリックは、そんな彼女を隣でじっと見つめていた。
その氷河のように冷たかった瞳には、いつもの冷徹さは一切ない。底なしの愛おしさと、男としての熱い情熱だけが渦巻いていた。
「……エレノア」
「はい? なんです、殿下。あ、もしかして、私の最後の高笑い、ちょっと淑女らしくなかったですか? 」
「いや、素晴らしかった。お前のあの笑顔が、俺の胸をどれだけ狂わせるか……お前は本当に分かっていないな」
「え……?」
セドリックはすっと手を伸ばし、エレノアの手をそっと、だが絶対に逃がさない力強さで握りしめた。
そして身体を寄せ、彼女を自分の膝の上に引き上げるように抱き寄せた。
「で、殿下!? 近いです……っ!」
「先ほどの夜会での言葉……『我が婚約者』と言ったのは、お前を助けるための方便でも、外交上の戦略でもない。俺の、心の底からの本心だ」
セドリックの熱い吐息が、エレノアの耳元をくすぐる。男らしい低い声が、直接心臓に響くように震えた。
「俺は、人間が……特に女が嫌いだった。誰も彼も、俺の地位や容姿、帝国という力しか見ず、お世辞と計算で固めた仮面を被って近づいてくるからだ。世界は退屈で、胸が吐き気で満たされていた。……だが、お前は違った」
「私、は……」
「お前の、そのハキハキとした太陽のような笑顔も。お転婆で豪快なところも。お前の、その傷だらけで、それでもなお気高く気丈に輝く魂のすべてが……狂おしいほどに愛おしい」
セドリックの指先が、エレノアの頬を優しく撫でる。
いつも冷血で完璧だった帝国の死神王子が、いまや一人の男として、切ないほどに彼女を求めていた。
そのギャップと色気に、エレノアの心臓は破裂しそうなほどバックバクと鳴り響いた。
「エレノア。俺の、本当の妻になってほしい」
「っ……!」
「お前が木に登りたければ、俺が世界一高い木を用意しよう。お前が肉を食べたければ、毎日最高の獲物を俺自ら狩ってこよう。お前が、お前らしく、ありのままの笑顔でいられる場所を……俺が一生、この命と帝国のすべてを懸けて守り抜く。だから──俺の傍にいてくれ」
それは「冷血無慈悲の死神」と呼ばれた男が、一人の気高き令嬢に完全に魂を奪われ、全てを捧げた極上のプロポーズだった。
エレノアの目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
今度の涙は、悲しみの涙でも、嘘の涙でも、猫かぶりでもない。
10年間「お人形」として抑圧され、誰にも認められなかった本当の自分……
それを、世界で一番格好良くて、世界で一番愛する人が、そのまま愛してくれると言ってくれた。
その、魂の底からの溢れ出るような喜びの涙だった。
「……はい! 喜んで! どこまでもお供いたします、私の旦那様!」
エレノアは、セドリックの胸に全力で飛び込んだ。並の男なら肋骨が折れんばかりの勢いだったが、セドリックはそれを、がっしりと、心から幸せそうに抱きとめた。
「可愛い……俺の、いとおしい妃だ……」
セドリックは愛おしさに満ちた表情で彼女の顎をすっと上げ、熟した果実を味わうように、彼女の唇に優しく、そして狂おしいほどに深く甘いキスを落とした。
緩やかに揺れる馬車の中、熱い吐息と永遠の愛の誓いが深く絡み合いながら、夜の静寂に甘く溶けていった──
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