4.告白
それからの日々は、セドリックにとっても、皇宮の人間にとっても、天変地異のような騒がしくも鮮やかなものとなった。
ある日は、庭園でセドリックを待ち伏せし、無理やり既成事実を作ろうと企んでいた帝国一高慢な侯爵令嬢たちが、セドリックに色目を使おうとした瞬間──
背後の巨木から「ズサァァァーッ!」と激しい音を立てて、ドレス姿のエレノアが降ってきた。その手には、なぜか巨大な剪定用のハサミが握られている。
「あら、ごめんあそばせ。この季節のアルカディア皇宮は、変な害虫(令嬢)と一緒に、私も木から落ちてくる仕様になっておりますの」
頭に葉っぱや小枝をたくさんつけたエレノアが真顔で言い放つと、令嬢たちは「ひぃーっ! ゴリラ! 野生のドレスを着たゴリラが出たわーー!!」と悲鳴を上げて逃げ出した。
その後ろ姿を見送りながら、セドリックは呆れつつも「次はあのアカシアの木に登るといい。あそこが一番死角になる」と、的確なアドバイスを送っていた。
またある日は、セドリックの食事に敵対派閥の暗殺者による猛毒が盛られた。
セドリックが異変に気づく前に、毒見役としてスープを口にしたエレノアが、一口飲んで「ふむ」と小首を傾げた。
「これは『アコニティン系』の魔猛毒ですわね。ピリピリとした不快な辛味が、このカボチャの素材本来の甘みを完全に殺しています。料理長に言って、塩加減と毒の抜き方をやり直させなければ」
「待て!!」
セドリックはいつも崩さない冷静さをかなぐり捨てて立ち上がり、エレノアの肩を激しく掴んだ。
その顔は見たこともないほど青ざめ、瞳には怒りと、それを遥かに凌駕する「恐怖」が宿っていた。
「お前、毒を平然と飲んで批評している場合か!? なぜ平気なんだ! すぐに医師を──」
「あ、大丈夫ですわ、殿下。私、幼少期から実家のクソ親父に放置されて、裏山で怪しい光るキノコとか毒草とかたくさん食べてサバイバルしてたので、完全な耐性がありますの。お腹がちょっとキュルルって鳴るくらいで済みますわ」
「どんな幼少期だ! お前、本当に侯爵令嬢か!?」
セドリックは冷酷な王子としての威厳を完全に失い、キレのあるツッコミ役へと変貌していたが、その胸の奥は激しく締め付けられていた。
裏山で毒草を食べて生き延びた? ヴァレンタイン侯爵家は、この小さな少女にどれほどの地獄を強いてきたのだ。
◇
──その夜。セドリックは側近のハリスを呼び出し、氷点下の声で命じた。
「あのスープに毒を盛った連中、および我が国に潜むその組織を、今夜中にすべて根絶やしにしろ。灰一つ残すな。……俺のエレノアに手を出す者は、神であれ許さん」
翌朝、帝国の裏社会を牛耳っていた巨大組織が、一晩で文字通り「消滅」していたことを、エレノアは知らない。
◇
それから数日後の夜。激しい嵐が皇宮を叩く中、執務室で二人きりになり書類仕事の手を休めた際、セドリックはふと真剣な眼差しでエレノアを見つめ、静かに尋ねた。
「エレノア」
「はい、殿下。次の、大胸筋を効率よく育てるための特製プロテインの調合の時間でしょうか?」
「違う。……お前は、前の国で……あのヴァレンタイン侯爵家で、本当に幸せではなかったのか?」
エレノアは少し驚いたように丸い瞳を瞬かせた。
それから、いつものお転婆な笑みをすっと消し、悲しいほどに静かに微笑んだ。
その表情は、稲光に照らされて、セドリックが息を呑むほどに儚く、美しかった。
「……そうですね。あそこでは、私は『エレノア』という一人の人間ではなく、家名を輝かせるための『都合の良いお人形』でいなければなりませんでした。一言でも自分の意見を喋れば『生意気だ、ヴァレンタインの恥晒しめ』と実父に平手打ちされ、ただ楽しくて笑えば『淑やかでない、下品な女だ』とジュリアンになじられ……。私の心も、身体も、あそこでは死んでいたのです」
彼女は自らの白い細い手を見つめた。
「でも……ここでは、殿下の前では、私は私でいられます。こんな野蛮で、変な私を……殿下は呆れながらも、笑って、受け入れてくださる。私の存在を、認めてくださる。それが……どれほど救いか」
その瞳には、一切の嘘偽りのない、心からの深い感謝と、微かな震えが宿っていた。
セドリックの胸に、激しい感情の嵐が吹き荒れる。
女の涙など、すべて男を騙すための道具だと思っていた。
だが、彼女のこの真っ直ぐな瞳は、どれほど傷つけられても気高くあろうとする、本物の魂の輝きだ。
(──耐えられない。これほど愛おしく、これほど守りたいと思わせる存在が、かつていただろうか)
他人の前では冷徹な氷の王子と呼ばれた男の理性が、彼女の言葉一つで容易く崩壊していく。
セドリックはたまらず椅子から立ち上がると、長い脚で迷いなく距離を詰め、エレノアの華奢な身体を、引き寄せるように強く抱きしめた。
「で、殿下……!?」
突然のことにエレノアが息を呑み、身体を硬くする。
セドリックは彼女の細い腰をしっかりと腕で固定し、逃がさないと言わんばかりに抱きすくめた。
彼の身体から伝わる圧倒的な熱と、低い鼓動がエレノアの全身を包み込む。
「……もういい。もう、何も言うな」
セドリックの声は、耳元で微かに震えていた。
いつも完璧で、誰の前でも揺るがなかった彼が、今、自分を抱きしめる手に力を込め、必死に感情を抑え込もうとしている。
「お前は人形ではない。俺を笑わせ、俺を驚かせ、俺の心をこれほどまでに動かす……世界で唯一の、愛おしい女だ」
「……殿下……」
「ずっとここにしろ。お前がどれだけ奔放に暴れようと、木に登ろうと、我が国の法典を振り回そうと、すべて俺が許す。もう誰にも、お前に嘘の仮面を被らせはしない」
セドリックはゆっくりと腕の力を緩めると、エレノアの顎にすっと指をかけ、彼女の顔を上向かせた。
至近距離で交錯する視線。セドリックの深い双眸には、これまで隠し続けてきた甘く、そして恐ろしいほどに重い情熱が揺らめいていた。
息が止まるほどの格好良さと迫力に、エレノアの胸がドクンと激しく跳ね上がる。
「いいか、エレノア。お前の過去も、お前の傷も、その身に宿る破天荒さのすべてを、俺が丸ごと引き受ける。俺の腕の中だけがお前の世界のすべてだ。……俺が、お前を絶対に守る」
セドリックの指先が、エレノアの濡れた頬を優しく撫で下ろす。
その手に込められた慈しみと、溢れんばかりの独占欲が、エレノアの胸を締め付けた。
(殿下のこんな顔……見たことない……)
冷酷無慈悲と恐れられる氷の王子が、自分一人だけのために、これほどまでに熱い感情を剥き出しにしている。
セドリックの顔が顔に近づき、ふたりの唇が触れ合う寸前で、彼は一度動きを止めた。
エレノアの瞳に映る自分の影を確かめるように見つめると、彼は耐えかねたように、彼女の額に愛おしさを込めて深く、長くキスを落とした。
「……今はまだ、お前を驚かせたくはないからな。だが……覚悟しておけ。俺はお前を絶対に手放さない」
耳元で囁かれたその低く甘い声に、エレノアの全身に心地よい痺れが走る。
セドリックの胸の鼓動が、エレノアの耳にドクドクと優しく、力強く響く。
冷酷と言われた彼の瞳から溢れる、あまりにも深く、熱い情熱──
エレノアは、生まれて初めて、心が「本当の意味で満たされる」のを感じていた。
そして、気づけば涙が彼女の頬を静かに伝い、セドリックの軍服を濡らしていた。
初めて重なり合った二人の心──
だが、この温かな温もりを噛み締めるエレノアの背後で、更なる波乱の足音が着実に近づいていた。
◇
翌朝──
ヴァレンタイン侯爵家から皇宮へ、一通の緊急親書が届く。
『我が娘、エレノア・ヴァレンタインを不当に拘束しているアルカディア帝国に対し、即刻の返還を求める。応じぬ場合は──』
執務室でその書状を一読したセドリックは、冷酷な笑みをその端正な顔に浮かべ、迷うことなく書状を暖炉の炎の中へと放り投げた。
「ハリス」
「ハッ。すでに手配済で御座います」
ハリスが急ぎ部屋を出て行った。
◇
セドリックは椅子から立ち上がり、腰の剣に手を添えた。その瞳には、昨夜エレノアに見せた甘さは欠片もなく、一国の支配者たる覇気と、凄絶なまでの冷気が宿っている。
一人執務室に立つセドリックは、妖艶な笑みを浮かべた。
だが、その瞳は氷のように冷たく、まるで地の果てから聞こえるような声で呟いた。
「面白い……我が物を返せとな?……自分の置かれている立場がまだ分かっておらぬようだな」
その瞬間、室内の温度がどんどん下がり始め、空気が震撼し薄くなっていった。そして窓ガラスがガタガタと揺れていた──




