3.令嬢は最強戦士?
それから数日後──
エレノアはなぜか、最高級の漆黒の馬車に揺られて、アルカディア帝国の王宮へと向かっていた。
ルミナス王国から国外追放を言い渡された夜、エレノアは意気揚々と国境付近の魔獣が棲まう深い森へと入った。
「さて、どこの山賊を返り討ちにしてアジトを乗っ取ろうか。それとも凶暴な魔獣を素手で狩って生計を立てようか」と、月光の下でサバイバルナイフを嬉々として研いでいたところを、セドリックの部下であるハリスに包囲されたのだ。
ハリスは、ナイフを構えるエレノアの野生の覇気に冷や汗を流しながら、セドリックから預かった条件を提示した。
『我がアルカディア帝国で、第一皇子の身の回りの世話をする特別な侍女として働かないか? 給与は言い値、有給休暇は完全消化。そして──三食、最高級の霜降り肉付きだ』
その言葉に、エレノアは「行きます!!!!」と食い気味に即答した。
肉に釣られたわけではない。断じて。ただ、自由で実力主義の国で、正当な労働をしたいと願っただけである(ということにしておいた)
◇
こうして彼女は、アルカディア帝国の象徴である、黒大理石で造られた堅牢かつ美しい皇宮、その最奥にあるセドリック皇子の執務室へと通された。
「今日からここで働いてもらう、エレノア・ヴァレンタイン。お前の仕事は、俺の身の回りの世話と──」
デスクに座るセドリックは、相変わらず息を呑むほどに美しく、そして冷徹だった。
彼は、机の上に鈍器のような厚みを持つ書類の山をドン、と置いた。
「俺に近づこうとする、国内外の目障りな令嬢たちの魔の手から、俺の空間を防衛することだ。お前のあの……並外れた『肉体言語』なら、すべて物理的に解決できそうだからな」
「殿下、それはあまりにも酷い誤解でございますわ」
エレノアは、スカートを軽く持ち上げ、完璧な淑女のお辞儀をして可憐に微笑んだ。
「私は刺繍と詩を愛し、虫一匹殺せない、そんな繊細なガラス細工のような儚い女でございます。肉体言語だなんて、そんな野蛮な概念、私の中には存在いたしませんわ……」
──その時だった。
執務室の開け放たれた窓の外から、「ブゥゥゥン……」という、大気を震わせる不穏で重苦しい羽音が聞こえた。
体長5センチはあろうかという、一刺しで大の大人や牛をも即死させる凶暴な魔獣『殺人蜂キラービー』が、真っ直ぐにセドリックの首筋を狙って侵入してきたのだ。
「あ、危ない、殿下! 殺人蜂ですわ!」
エレノアが叫ぶ。
セドリックが即座に腰の宝剣に手を掛け、その超人的な反射神経で抜き放とうとした、まさにその瞬間──
「しゃおらぁぁぁあああーーーッッ!!!」
突如、神聖なる執務室に、エレノアの地の底から響くようなドスの利いた咆哮が炸裂した。
彼女はセドリックの机の脇にあった、分厚い『帝国法典(全800ページ、総重量約5キロ、ほぼ完全なる鈍器)』を、凄まじいトップスピードでひったくった。
そして、強打者も真っ青の、軸が一切ぶれない完璧な美しさのフルスイングを披露したのだ。
──パコォォォォオオオンッッ!!!
執務室に、信じられないほどの快音が響き渡る。
殺人蜂は木っ端微塵になり、凄まじい弾道を描いて壁に激突。そのまま魔力となって消滅した。
エレノアは、見事なフォロースルーの姿勢のまま、ピタッと静止している。その視線は、しっかりと打球(蜂)の行方を追っていた。
「…………」
セドリックは、剣を半分抜いた姿勢のまま、ぽかんと美しい口を開けていた。
冷血無慈悲、感情を失ったはずの死神皇子の顔が、驚愕と、それを遥かに上回る「爆笑」を堪えるために激しく引き攣っている。
ハッと我に返ったエレノアは、慌てて『帝国法典』を机にそっと戻し、何事もなかったかのように両手を頬に当てて、小さく可憐に悲鳴をあげた。
「きゃっ、怖かったですわぁ……! 手が滑って、本が勝手に飛んでいってしまいましたの。おーほほほ、本当に、虫一匹殺せないか弱い私ですのに、神様が私をお守りくださったのですわね!」
セドリックはゆっくりと剣を鞘に収め、椅子の背もたれに深く寄りかかった。
そして、その切れ長の青い瞳に、妖しいほどに甘く、危険な光を灯してエレノアを見つめた。
「……おい。今、完全に『しゃおらぁ』という戦士の咆哮が聞こえたが。我が国の最高法典は、いつから打撃用のバットになったんだ?」
「空耳ですわ、殿下。私の中にそんな野蛮な言語とスイングの軌道は組み込まれておりません」
「……そうか? あと、その重さ5キロある法典を、ドレスを着たまま片手で、かつ最速のヘッドスピードで振り抜くには、お前の腕のインナーマッスルはどうなっている? 繊細なガラス細工はどこへ行った?」
「すべては、殿下をお守りしたいという、私の純粋な『愛の力』でございますわ。おーほほほほっ」
エレノアは、10年間培った経験と鍛錬による成果で、極上の「完璧な令嬢スマイル(※ただし目が全く笑っていない)」をセドリックに向けた。
普通の本物の淑女なら、セドリックの冷徹な追及と、放たれる圧倒的な威圧感(覇気)の前に、恐怖で涙を流してひざまずくところだろう。
だが、エレノアは違った。
セドリックは、エレノアの姿に驚きよりも興味が湧いた。
(真っ直ぐに俺の目を見つめ返し、あろうことか「愛の力」などという嘘を堂々と言ってのけた。面白い──)
セドリックは思わず額を手で覆い、それから、低く、深く笑った。
「……ふっ、くくく、ははははは! 面白い、やはりお前は最高だ、エレノア!」
「殿下? 大丈夫ですか? 脳の血管でも切れましたの?」
「お前を俺の専属侍女として、正式に任命する。これからの日々、退屈とは無縁になりそうだ」
セドリックの顔に、これまでにない「愉悦」の笑みが浮かんだ。
だが、セドリックはただ面白がっているだけではなかった。彼は、エレノアが『帝国法典』を振り抜いた瞬間の身のこなし、そして蜂が迫った時の彼女の目を見ていた。
彼女は、口では「手が滑った」と言いながら、その身体は完璧にセドリックを庇う位置に入っていたのだ。
(口では出鱈目を言いながら、その行動は傲慢なほどに真っ直ぐだ。この俺を守ろうとしたか……)
女嫌いだった彼の心の奥底で、何かが静かに、だが確実に溶け始めていた──
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