第27話 ZHD003b
俺は、虚勢を張りつつ膝が震えているマリーを後ろに下がらせた。
「ツララは?」
「逃がしたわ」
マリーの返答を聞いて、良かったと俺は安心した。どうやらかなり勇気を振り絞ってくれたらしい。だから、というのも違う気がするが、とにかく。
「えと、じゃあ、あと俺やるから」
「ええ、任せるわ……あ、でも」
「?」
「ユリウスが、敵に回ったの。だから……殺さないように気を付けて」
そう言うと、マリーは背後の岩陰へそそくさと立ち去ろうとした。
その背中に、俺は言わなきゃいけないことを思い出して呼び止めた。
「あの、ちょっと待って」
「?」
「カーラさんに、俺、色々あって……その、問い詰められて、つい」
「ついって……まさ、か」
「ええ。もう全部知ってます。――お姉さま」
無言を保っていたカーラが、マリーの肩にぽんと手を置いた。
ぎこちなく振り返ったマリーが、己を見下ろす意味深な微笑と見つめ合って。
「では、行きましょうかお姉さま――少々、話し合いをする必要がありますので」
「ちょ、ちょっと全部って、うそぉっ! スルトさん‼⁉ な、なんで――」
カーラに引きずられるように、マリーが奥に引っ込んでいく。
それと入れ替わりに土煙の中から出てきたのは、ボロ服を着替えて、雰囲気の変わったユリウスだった。
「援軍到着、ついでに選手交代か……と思えば、荷物持ちの兄ちゃんじゃないか。魔女様はどうした? まさかお前が俺とやる気か」
「ええと、はい」
正直、俺は状況がよく分からない。
なんでユリウスは敵に回ってるんだろう。最初から俺たちを騙していたのだろうか。でも、そういう質問をどう切り出していいか分からなかったから。
「あの、敵に回ったんですよね」
「……気が抜けるな、お前と話すと。ああ、そうだよ」
「じゃあ、倒します」
俺は右手に魔力の剣を出さないまま、素手の拳を構えた。そして、前に一歩。
事情が分からない、だから後でちゃんと聞かなければいけない。それにマリーにも言われたから。万が一にも殺さないよう加減するために拳を握る。
そして踏み込みと同時に音を置き去りにした俺の拳を、ユリウスは間一髪で回避した。
一瞬で切り替わったその真顔に、汗が浮かぶ。
「兄ちゃん……! お前っ⁉ 嘘だろ、強ォッ!?」
そのまま、俺は蹴りと拳を連続させた。ユリウスは風の魔力で盾を形成し、あるいは自身の体を高速移動させて紙一重で回避する。
が、防戦一方。
このまま押し込めば、ほどなく俺の勝ちだろう。
俺は地獄で一時期、千年か万年か、剣に飽きた期間があった。その間は、素手で戦っていた。
空を打った拳が衝撃を放つ。蹴りの旋風で周囲を吹き飛ばす。
剣に比べれば弱いが、俺は素手でも大抵の相手は倒せる。
「なんだよ、滅茶苦茶強いじゃ、ねえか……っ、ぐっ‼」
そんな事をぼんやりと思い出している間に、ついに風の防御を突き破った俺の拳はユリウスを黒いひまわり畑を突っ切って吹き飛ばし、反対側の洞窟の壁にたたきつけていた。
黒い花弁が舞い上がる最中、俺は彼の前に着地した。
もう戦闘不能だろう。だから降伏してくださいと、なんとか言葉にしようとしたその時。
「予想外だぜ……じゃあ、しょうがねえか」
ユリウスは懐から小瓶を取り出した。
ハッピーポーションだろうか。しかし、色が違う。
どす黒い。まるで暗闇の底のような色をした液体を、ユリウスは口に含み、喉を鳴らした。その瞬間。
「こいつは……特別性でな。普通のハッピーはただ恐怖や痛みを消して快楽を与えるだけだが、ハッピーをベースにマンドレイクの根、ドラゴンの胆汁、マンティコアの尾脂線その他、強力な薬効を持つ魔物の素材を大量に混ぜて作ったこいつは……人間の肉体を大幅に作り変えて強化する」
その肉体が変貌する。
めきりめきりと、筋肉が膨張し、木の根のように太くなった血管が黒々とした体表に浮き出て、全身から気化した血液が赤い蒸気となって立ちのぼる。
そして闇に潜む獣のように、爛々と輝く赤黒い瞳が俺を見た。
「悪いな……兄ちゃん。もう、まともに殺してやれねえわ」
黒い風が、ユリウスの手元で剣を作った。
刹那、俺は直感に従って身をかわした。そして漆黒の風の刃が、音もなく俺のすぐ横に振り下ろされた。直撃された地面が、細かい砂になって砕け散る。
ユリウスの魔力の支配下に置かれた空気は、音という警告を最早発してくれない。震え一つなく絶殺の刃が次々と振り下ろされる。
ほどなく、俺は全方位から押し寄せる黒い旋風の刃群に囲まれた。
――うん。これはもうダメだ。
仕方ない。なんとか加減をしよう。
「‼」
右手の先に魔力を集中させる。魔力の剣を握る、と同時に俺はそれを振るった。
まるで数百本の細い氷柱にむかって思い切り鉄の棒を振りぬいたように、黒い風刃の群れは一瞬ですべて砕け散った。
そしてもう、俺は剣を腰だめに構え直して膝を曲げていた。
瞬発する。間合いを消し飛ばすように一瞬で距離を詰める。
黒い風の破片を振り切って、いまだ驚きの中にあるユリウスに肉薄し――。
俺は、剣を振り下ろした。
「なんだ、よ……兄ちゃん……お前、強すぎ、だろ」
全身から血を噴き出し、吹き飛んだユリウスが地面に仰向けに倒れている。
斬ってはいない。人体に俺の刃をモロに入れたりなんかしたら、切断とともに流し込まれる魔力によって原形をとどめないほど爆散してしまう。
だから薄皮一枚よりもさらに浅く、手足と胴体を切っ先でそっと撫でただけだ。
しかしそれだけで、彼の全身は重度の裂傷と火傷を負って戦闘不能になっていた。
血液に溶けていたポーションの効力も出血にともなってに終了したのか、ユリウスの体は急速にしぼむように元に戻っていた。
どうにか殺さずに済んで。俺はほっとした。
とはいえ、このまま放置すれば長くはない。俺は背負っていた荷物を下ろして、普通の回復用ポーションを取り出した。
原液の入ったガラス瓶のふたを開けて、ユリウスの頭から中身をドバドバとかける。これで命は助かるはず、だと思ったが。
「……っぐ、悪いが、もう無駄だぜ。兄ちゃん」
ユリウスは苦しそうに血を吐いた。おかしい。傷の治りが遅い。
「ダークハッピーの、副作用だ。一度使うと、助からない。でも、いいんだ。
薬中になって、妻と子をこの手で殺したあの日から、俺はずっと、死にたかった」
消えかけのロウソクのように呟く彼に、俺は何も言えなかった。
「ツララ、あの子のことが唯一、本心から気がかりだった……だがら、あの子だけは、約束してくれ、頼むよ」
いつの間にか、俺の手の中のポーションの瓶は空になっていた。
しかしもう、助からないほどに弱弱しい声でユリウスは言った。
「夢を、見てたんだ。ずっと長い間……腐った夢を。それが、覚める時間がきた。
でも、もう、俺は歩けない、から……だから、頼む」
いくら俺でも流石に分かる。
死にゆく彼に向けて、何を言わなければいけないかぐらい。
「わかりました」
※ ※ ※ ※ ※
カーラの魔法が、次々と暗黒のひまわり畑に突き刺さる。
即座に風化し、チリとなって消えていくハッピーフラワー。
逃げ惑うマフィアの手下が、涙を流して口々に嘆く。
「うわああ! 俺たちの畑がああ! 一生懸命育てた俺たちの花畑があああ!」
「な、なんでこんな、こんな……! ひどいことできるんだっ‼」
「たくさんの人を笑顔にするお花が……お花がぁっ……!」
なんだか、本当にひどいことしている気分になるから腹が立つ。
カーラは一切容赦なく、無表情のまま妨害に来るマフィアを返り討ちにしつつひまわり畑を不毛地帯へ変えていく。
その作業を、私は合流したツララを胸に抱きながら横で眺めていた。
数分後、ひと段落したカーラに私はおずおずと話しかけた。
「あ、あの……カーラ、さん」
「事情は、すべて聴きました」
カーラはくるりと振り返り、私の頬をぷにぷにと摘まんだ。そして言った。
「本当に……一般人の少女なのですね」
そして金色の瞳に、大粒の涙が浮かんだ。
「う……う、うわあああん‼‼ わたくし、ずっと憧れてたのにぃいぃいいいっ‼」
「⁉」
急に大声で泣きだす成人女性24歳に、私17歳は驚きのあまり固まってしまった。
「仕事までやめたのに……憧れの推しが、ただの嘘で塗り固められたハリボテだったなんてぇ……うう、うっ、ぐす……びええ、ひっぐぅ……」
やばい。こわい。助けてスルトさん。
私自身も恐怖で泣きそうになりながら、すがりついてくるメイド服をどうにか受け止めて、私はその背中をポンポンと叩いた。
「え、えっとあの……よしよし。あ、謝るから泣きやんでくださーい……」
「うう、ひっぐ、ふぇぇえええ」
主に身長差のせいで、カーラはちょうど私の帽子にすがりつくように泣きじゃくりきっと色んな汁をつけていた、本気でやめてほしい。
しかもほとんど覆いかぶさられるような姿勢なせいで、私は彼女の豊満な胸に顔が埋まって呼吸が苦しい。
ツララはいつの間にか私の胸元から逃げるように脱出して、離れた場所で「なにあれ?」みたいな視線を投げかけていた。
結局、私が解放されたのは数分後だった。
「――すみません。もう落ち着きました」
切り替えたように、カーラは私から体を離した。そして彼女の魔法で、いろいろ汚された服も元に戻してもらった。
すっかりいつものクールなすまし顔に戻った桃色の髪のメイドは、気が付いたように顔を横に向けた。
「むこうも終わったようですね 戦闘の音が止んでいます。では私たちもスルト様に合流しましょうか、マリー」
「あのー……私のこと呼び捨て、なのは別にいいんですけど。なんでスルトさんに様付けなんですか」
「それは、その」
なぜか、そこでカーラは頬をほのかに赤らめた。
……んん? まさかこの人。
「あの時、わたくしの窮地を救ってくれた恩人だと分かりましたし、それにあの魔剣も実に興味深いですし、色々その……つまり今後の態度とお付き合いの仕方を、改めようと思ったのです」
「そう、ですか」
私はなぜか、チクチクとした危機感にも似た胸の痛みを感じた。
……なんか、気に食わない。私以外の女性にスルトさんの実力が知られたのが、何となく嫌で仕方がなかった。
「そうだマリー。スルト様の好きな物とかご存じです? 後日改めお礼をしたく」
「……教えません」
「な、どうしてです⁉」
「なんとなくです。でも絶対に断固として教えませんから」
我ながら子供っぽく顔を逸らして、そこで私はツララがずっとぼうっとした様子で、更地になったひまわり畑を眺めているのに気が付いた。
あ……もしかしなくても、彼女は今の会話を聞いていて、これで私の正体とか知られてしまっただろうか?
でもまあ、まだ小さい子供だし。そもそも最初からこの子は魔女アビスマリーとかピンと来てない様子だったし、大丈夫だろう。
そう結論付けて、どうしたの? と声をかけようとしたその瞬間。
「あーあ」
ツララが、ぽつりとため息をついた。
「お花畑、壊されちゃったか……まあいいや、また作り直せば」
その声色に、さっきまでの年端も行かない少女のものとは違う、まるで海の底のような恐ろしいほどの深さを感じた瞬間。
カーラが叫んだ。
「この魔力は……下がりなさいっ! マリー‼」
その刹那、ツララを中心としてとてつもない気配が吹き荒れた。
小さい手が指を鳴らす。そして左右三枚合計六枚の白い翼が、その小さな背中から出現して。
私とカーラは、そろって息をのんだ。
「でも、みんなが頑張って作った畑だから、やっぱり悲しいかな」
そしてツララ――いや、天使が振り返った。
「ああ、申し遅れてごめんね。僕は世界管理運営局所属・上級天使ZHD003b。
慈愛司る七大天使が一柱、ツァドキララ」
息をのんだ私たちの前で、名乗りを終えた天使はにっこりと微笑んだ。
まだあどけない子供とは似ても似つかぬ、超越者の微笑みで。
「改めてよろしくね。――魔女アビスマリー」




