第26話 全力の
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ええ……」
道中。私はふらつく足をこらえながら歩いていた。
心配そうに声をかけてきたツララに、大丈夫と答えたものの、実際はもう限界だった。
(もう、無理……どんだけ、歩くんですか! み、水……っ‼)
前を歩くユリウスのペースが速い。あと歩幅もデカい。
しかし今の私は「滅びの魔女」アビスマリー。疲れましたなんて言えないのだ。
スルトがいれば違ったかもしれないが、今はいない。さらに悪いことに、彼に預けていた水筒も今はない。
その時、ユリウスが足を止めて振り返った。
「魔女さま、大丈夫か? 悪い悪い……どうやら体力は普通の女の子らしいな。まあちょうどいいだろ、少し休憩するか」
「気遣い、どうも……感謝するわ」
演技を保つのも一苦労で、地べたにへたり込むように座り込む。
すると、どこかに走っていったツララが、すぐに何かを手に戻って来た。
「はい。お姉ちゃん。これ飲んで、喉渇いたでしょ」
「ええと、これは」
「水キノコ。こうやって、ぎゅってするとね」
ツララは彼女の腕ぐらいの太さの、エリンギのようなキノコを持ってきて、その先端部分を握りしめた。すると小さな指の間から、透明な水の雫がぼたぼたとあふれ始めた。
「中に浸み込んでる水が出てくるの。飲めるよ」
「…………ありがとう」
私は生理的に死ぬほど飲みたくねえなと思いつつも、より生理的に切迫した喉の渇きには抗えなかった。
手のひらにキノコの雫を受け取って飲む。ややぬるぬるした喉越しだが、飲めないことはなかった。
ふと足音がした。先の様子を見てきたユリウスが戻ってくるなり、ため息をつく。
「どうかしたの」
「ああ。問題発生だ」
私が訊ねると、彼はもう一度ため息をついた。
「ここから先の道がぜんぶ崩落してる。多分、誰かが手当たり次第にデカい魔法をぶっ放したんだろ。遠くで、なんつうか、雷みたいな音も聞こえたしな……。
おそらく、あの二人が誰かとやり合ってるぜ」
「そう」
なにか、強い敵でも出てきたのだろうか。
まあ、スルトなら心配はない。心配なのはカーラに正体がバレることぐらいだが、その辺は上手く誤魔化してくれるよう信じるしかない。
「随分あっさりしてるな? 心配じゃないのかい」
「スルトは、その……ヤワな鍛え方はしてないもの。大丈夫よ」
ユリウスはあの兄ちゃん、そうなのか? と釈然としない様子だった。
「ところで、このままじゃ進めないなら私たちはどうすべきかしら」
ユリウスはしばし考えてから言った。
「……いっそ、俺たちは最終目的地に行くべきだろうな。あの二人も合流できないと知れば、下を目指すしかないと結論するはずだ。多分」
つまり。
「先に行くか。ダンジョン深層、ハッピーフラワー栽培地に」
※ ※ ※ ※ ※
そして、私はまた一時間と少々の道のりを経て、そこにたどり着いた。
下りるだけなら簡単だとユリウスは風の魔法で私を持ち上げ、崩れた崖から安全に降下させてくれた。
そして今、私の目の前に広がるダンジョン最深層の景色とは。
「ここだ」
「……え」
そこには、全く予想もしない光景が広がっていた。
ひまわり。
広大な地底の一面を覆い尽くす真っ黒いひまわり畑が、狭隘な空洞の天井に張り付いた緑色の苔の光を浴びながら咲き乱れていた。
発光苔の光で生育される、日光に当たると枯れてしまう闇のひまわり。
それがハッピーフラワーだと、ユリウスは言った。
私は岩陰に身を潜めながら、その幻想的な光景に思わず息をのむ。
その時、ふと隣から、苦しそうなうめき声を聞いた。
「ユリウス?」
「ぐっ……! なんでも、ねえよ。ちょっと、な……」
苦しげにうめきながらふらふらと膝をつくユリウス、その顔には滝のような汗が流れていた。ただの体調不良とは違う、何か不吉な気配を私はそこに感じた。
「おじさん……」
心配そうなツララの声に、しかし私は手をこまねくことしかできないでいると。
その時だった。
「――あらら、ハッピーが切れたんですか? ボス」
「!」
いつの間にか、岩陰にいた私たちを囲むようにガラの悪い男たち、マフィアの構成員たちが立ち並んでいた。
そのうちの一人がとても気安い調子でユリウスに話しかける。
「例の冒険者ども、ここに連れてきてくれたんですね。いや、ご苦労様です」
「なんだ……何を言ってる? ……お前ら、は」
「ああ、まだ夢の中ですか」
そう言うと、マフィアの男は懐から革の水筒を取り出して、ユリウスに放った。
ぽとりと、湿った音が彼の目の前に転がり落ちる。
「気付けがわりです。飲んでください。そうすれば全部思い出しますよ」
「……」
ユリウスは、投げ寄越されたポーションの水筒を凝視した。
蒼白な顔面に脂汗を流しながら、震える指先が水筒に向かう。
私が止める。ツララもその肩を揺さぶる。
しかし彼はもう、何も視界に入っていない様子でそれを拾い上げた。
「……どういうことよ。一体何が」
「この事はよ。マフィアの中でもごく一部、畑を管理する俺ら幹部しか知らねえ秘密だ。――この人は、病気で家族を亡くしたんじゃないんだよ」
マフィアの一人が、にやにやと笑いながらそう言った。
「自分の手で斬り殺しちまったのさ。ハッピーをキメ過ぎておかしくなってな」
「――」
その言葉に最も驚いたのは私でもツララでもなく、ユリウス自身のようだった。
「嘘だ……違う、俺は……」
「そんで、その事実に耐えかねてさらにハッピーキメてるうちに、頭の中に別の人生を作っちまったんだ。病気で妻と娘を失くして人生を踏み外した哀れな男っていう物語を。そして今でもたまに、ポーションに頼ってそこに逃げ込み、街のガキと家族ごっこをする。けどその正体は俺たちのボス、この畑を作って、ポーションを量産し、この最低の穴倉でがっぽり儲ける術を生み出した、偉大なリーダー様だよ」
信じられない。信じたくない言葉だった。けれどそれを否定できるものを、私は何も持ち合わせていなくて。
ただただ言葉を失う私を余所に、ユリウスは水筒を口に含み。
そして、飲み干すとともに目を見開いて、深い、とても深いため息をついて立ち上がった。
「ああ、そう、だったな……」
立ち上がった男は別人のように、着ていたボロボロの上着を脱ぎ捨てた。
手下から渡された、上等な黒い上着を羽織る。
そして髪を後ろに撫でつけ、私たちを見下ろすその顔は、まるで別物のようにのっぺりとした冷たい質感をしていた。
「一応、はじめまして……とでも言おうか。俺が、このダンジョンマフィア、「ボトムズ」の首領」
何年もの間、流れのない水底でよどみ腐ったような瞳が私を見る。
「ユリウス=ベルナドットだ」
……私は、凍り付いていた。ツララが、不安そうに身を寄せてくるのを抱きしめる、私のその手はどうしようもなく震えていた。
辛うじて、魔女の役にすがるように、私は喉を動かした。
「どういうこと……初めから、私たちを騙していたの」
「結果的にはその通りだが、違うよ」
寒々しいほどに悲しげな声で、ユリウスは言う。
「紛れもない本心さ。お前らを助けたのも、マフィアもポーションもクソくらえだってのも、その子にまともな暮らしをさせてやってほしいと思うのも全部本心さ」
でもな。
「俺はもう、これがないと耐えきれないんだよ」
どうしようもない過ちも、取り返せない過去も、壊れてしまった人生も、ポーションをキメれば忘れられる。
記憶を飛ばして、偽物の思い込みを信じぬくことができるのだと。
「マフィアのボスをやりながら、たまに俺は自分のやってることや、何もかもに耐えられなくなる。だからその度にポーションをキメて、偽物の思い込みで自分を騙して、あのボロい洞窟で暮らす。
妻子が死んだのは病気。マフィアはもうやめたって、自分に言い聞かせて、世捨て人を気取って現実逃避する。
でも、ポーションが切れるとまた思い出すんだ……自分がどうしようもない、救いようのない存在だって現実をな……それをまた受け入れて、俺はマフィアのボスに戻る」
だから。
「お前たちを騙してたわけじゃない。騙してたのは、俺自身さ」
くつくつと、何がおかしいのかユリウスは笑った。
しかし泣いているようにも思えるその笑みは一瞬で消えて。
「そして悪いが。この畑を見た奴はここで肥料になってもらう。俺たちは、いや俺は、これがないともう生きていけないんだからな」
「待ちなさい! じゃあ、あなたはツララも……!」
「ああ。全部忘れて、ここまでのこのこ連れてきてしまった俺自身の愚かさを、心底憎むよ」
でも殺す。立ち上がった気配が何よりも雄弁に語る。
ユリウスは、部下から渡された騎士長剣をするりと抜いた。
鈍い凶器の輝きが、私の喉をピタリと刺す。
「魔女アビスマリー……確か、杖がないと魔法が使えないんだったか。無力な女相手は気分が悪いが、まあ今更だ」
背後の手下たちがにやりと笑う、どこか浮ついたような勝ち誇った笑みを浮かべる彼らに、私を怖がるような素振りはなかった。
「気分なんて、今の俺にはどうでもいいことだ。誰を殺そうと、何を犯そうと、薬さえキメればどうでもよくなっちまう」
どうしようもなく、私は震えた。
おじさん……! とツララが叫んだ。呼びかけるようなその声は、きっと正気に戻ってという意味だったのかもしれないけれど。
私は悟っていた。もう、説得とかが通用する段階じゃないと。
奇妙にとろけたその瞳は一見すると焦点が合っていないようでいて、しかし、暗闇から狙うようにこちらをしっかりと見つめて離れない。
こんな目をした人間に、話が通じるわけないじゃないですかと、私は思わずにはいられなかった。
だから、私はツララの肩を叩いた。怯えたように私を見上げるその瞳に、真剣な声を落す。
「早く逃げなさい。私が、なんとかするから」
「でも、お姉ちゃん……」
「早く!」
私は叫んで、ツララを背後に逃がす。
そして立ち上がり、ユリウスと手下のマフィアたちと向かい合った。
こわい。こわくて仕方がない。何で私、逃げずにこんなことしてるんだろう。
本当は弱いのに。スルトさんがいなければ、何もできないのに。
でも、それでも。
ツララを、こんなヤバい場所で花を売るようなあの子を、見捨てられないと思ってしまったから。
……ああ、きっと私は馬鹿なんだ。けど、もう決めてしまったから。
やるしかない、と覚悟も決める。私に出来る一つだけを。
「ふふ……」
そう。演じることだ。
いつものように不敵に微笑み、私は最強の魔女なのだと己に言い聞かせる。
そういえばユリウスがさっき言っていた。自分を騙す――いい表現だ。私も使いましょう。
私は今から私自身を騙す。そして時間を稼ぐ。
もしかしたらこの土壇場にスルトとカーラが来てくれるかもしれない、そんな現実的にはあり得ない可能性を信じて。
一世一代のハッタリをかましてみせるぐらいしか、今の私にできることはないのだから。
「お笑い種ね。本当に杖がなければ、私は魔法が使えないと思ってたのかしら?」
そう言って、余裕たっぷりに肩をすくめた。
するとその場の全員が、私の気配に圧倒されたように息をのんだ。
「……なるほど、杖の言い訳はブラフってわけか。つまり俺の正体を感づいてたのか? お嬢さん」
「どうかしら。でも、そうやすやすと手の内を教えるわけがないでしょう?」
「なるほど……まあ、いいさ。滅びの魔女の極悪惨殺魔法だったか、俺の剣とどっちが早いか試してみるのも悪くない」
「本気なの? 死に急ぐ前に遺書でも書いておいたら? 待つわよ」
「ははっ……生憎と、読ませる相手がもういない」
いや、いやいやいやいや。何でやる気なんですかこの人。
私最強の魔女ですよ? 本気で威圧してるんですよ?
……自分の命なんて少しも惜しくないから、そんなこと関係ないんですか。
歯噛みする。だったら、私も自棄だ。
この瞬間だけは、死にたくないとか怖いとか全部忘れて、そういう本能から逃げるように全力で演技に集中する。
腕を前にかざして思いついた適当な呪文を呟きながら、なんかすごい魔法を使うフリをする。
「天は覆り、地は鳴動する。震える魂が示す先……」
目を細めたユリウスが剣を構え、膝を曲げた。
アレだ! スルトがやる奴と同じ、飛び込んでくる気だ。
まずい。でも、もう私はこれしかない。この役を最後まで演じ切るしかない。
「汝の滅びはここにあり!」
「‼」
意味のない呪文を、確信めいた盲信のままに叫ぶ。
その刹那。
魔法が、発動した。
ただし、私の後ろから。
轟音とともに、凄まじい衝撃波が横を通り過ぎる。
「ちぃっ……」
ユリウスが舌打ちとともに横に飛んで回避し、直後。
猛烈な勢いで飛んできた何かが地面にあたって爆裂させ、彼とその手下たちは爆風と粉塵に巻き込まれた。
そして私の左右に、二人の気配が立つのを感じた。
「ごめん、ちょっと遅れた……色々あって」
「お待たせしました――お姉さま」
泣きそうになる。その場にへたり込みそうになる。
でも、我慢する。だって、演じ切らないといけないから。
「……あら、来たのね。ちょうどいい所だったのに」
だから私は、いつもの顔で不敵に微笑んだのだった。




