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第28話 幸せ

「……というわけで、幸せビーム!」


 ツララ――正体を現したツァドキララは微笑みとともに指先から光線を放った。

 驚きで固まった私は、無防備のままその光に飲み込まれそうになって。


「危ない!」


 とっさにカーラが私を突き飛ばした。そして彼女の魔法、時間停止の防壁を展開するが。


「残念、人間の魔力で防げるわけないんだよね」

「……っ‼」


 ガラスのように防壁を打ち砕いた白い光が、カーラの体を直撃して通り抜けた。

 しかし意外にも、カーラは一切負傷していなかった。にもかかわらず、彼女は魂が抜けたようにその場に膝をつき、小刻みにけいれんしながら昏倒する。


「え……! ちょ、ちょ……カーラっ! どうしたんですか、ねえっ⁉」

「無駄だよ。僕の魔力ビームを受けた生物は、魂を溶かすような幸福の絶頂から決して戻ってこれなくなる」


 六枚羽の小さな天使はそう言って、小さな指先をくるくるとまわした。

 私は倒れたカーラの背に手を置いたまま、へたり込んでしまって動けない。

 もうダメだと、本能が告げていた。

 目の前のあどけない少女の姿は、しかし一目見ただけで絶対的な存在感に満ち溢れていた。だから、否応なく分かってしまうのだ。

 人間は決して、この生き物と対等に設計されていないのだと。

 ツァドキララは私を見下ろしながら、小さくため息をついた。


「お姉ちゃん、魔女アビスマリー、魔王を倒した人間……どんなものかと思ってたけど、まさか嘘だったなんてね。ちょっと意外だな。見た目からしてすごい強そうに思ってたのに」

「それ、は……」

「ああ。別に怒ってるわけじゃないよ。ただ、意外だなって思っただけ。それで、本当に強いのはあの荷物持ちのお兄ちゃんの方なんだっけ」


 さっきまでのツララとは似ても似つかぬその言動に、私は思わず震える声で訊かずにはいられなかった。


「あなたは、なんなんですか……? ツララを、どこにやったの!」

「あの子なら、最初からいないよ」


 ツァドキララはあっさりと答えた。


「ツララという幼女の人格はね、僕があの男、ユリウスの記憶を読んで亡くした娘に似たものを作ったんだ。ハッピーフラワーは僕の魔力を入れて栽培しやすいように品種改良してあるから、そのつながりで僕は中毒者の記憶が読めるんだよ。

 だから隠れ蓑として、彼をマフィアのボスとして身近で操るために、ツララとしてふるまっていたのさ。あの男の自我が壊れないように適度に癒してあげながらね」


 なでなで、と何もない虚空を甘やかすようにジェスチャーしながら、ツァドキララは続けた。


「もちろん僕の正体にユリウスは気付いていないよ。彼はずっと思い込みの中で、本当にツララという少女を大切に思っていた。

 僕は慈愛司る七大天使。だから優しいでしょ? あのどうしようもない男に、最後にいい夢を見せてあげてたんだから」


 それを聞いて、私は愕然とした。頭の後ろから、何かが抜け落ちていくような気がした。あらゆる期待と希望が容赦のない事実によって根こそぎにされて、残ったのはただどうしようもないほどの怒りと悲しみだった。


「そんな……そんな、こと。だったら、だったら……! ユリウスは何のためにっ‼ あんなに苦しんでたんですかっ‼」

「何でもないんじゃないかな。彼の人生は無駄だった。それだけのことだよ」

「――――」

「でも、彼は十分に幸せだったと思うよ? たくさん薬をキメてたし」


 天使が、そんなことを言ってのけた直後。

 私は見た。

 その頭上に飛び上がり、青白い半透明の剣を振り下ろす彼の姿を。


「スルトさん‼‼」

「――!」


 ツァドキララが振り返る。でももう遅い、彼の剣は真っすぐその顔面に――。


「はい。全自動迎撃幸せビーム!」

「っ……!?」


 六枚の白い翼。そこから乱反射のように放たれた光線たちが、文字通り光の速さでスルトの体を幾筋にも貫いた。

 彼の右手から魔力の剣が消える。膝が折れてその場に崩れ落ちる。


「そん、な……スルトさん……っ‼‼」

「大丈夫大丈夫死んだりしないよ」


 ツァドキララは無造作にスルトを持ち上げると、私の方に投げ寄越した。

 

「私のビームは幸福概念そのもの。これを食らった魂は幸福のあまり二度と正常な精神状態に戻って来られなくなるだけ。誰も殺さないし殺せない、優しい慈愛のビームなんだ。……でも、だからこそ、相手がどんなに強くても関係ない」


 六枚の白翼が、大樹の枝のように広がる。あまりにも温かで優しい木漏れ日のような後光を放ちながら、天使は底知れぬ威圧感だけはそのままに超然と微笑む。

 

「たとえ恐怖に打ち勝つことはできても、幸福を乗り越えることのできる生き物なんて存在しないのだから」


 ……私は、どうすればいいのだろう。

 カーラも、スルトも、頼れる相手はもういない。

 それでも強がれる理由だったツララも、最初から存在していなかった。

 じゃあ、もう、諦めていいですよねこれ。

 だって私、普通の女の子なんだから。


「アビスマリー、いや、ただのマリーかな。折角だし教えてあげるよ。僕たち七大天使の目的は人間にとっての絶対的な脅威となること。

 そのための方法として、僕はこのハッピーポーションで人間社会を機能不全にすることを選んだ。だって僕は優しいから、君たちをできる限り不幸にはしたくないんだよ」


 何を言ってるのかよく分からない。そうだ、元々私は頭だってよくないから、幸せとか世界とか言われてもよく分からないんだった。

 ぼんやりとツァドキララの話を聞き流しながら、私の手は自然に動いていた。


「ハッピーポーションが世界中に広がれば、君たちは薬が切れるたびに幸福を求めて、常に激しい飢えと乾きを抱く。そうすれば僕たちの幸福を求める祈りを人間から効率よく生産するという目的は達成できるし、君たちだって薬キメてるだけで飲食睡眠必要なく幸福になれるんだから、幸せでしょ? ――って、なにしてるの? マリー」

「……え」


 無意識だった。指摘されるまで気づかなかった。

 私は昏睡するスルトの頬を、ぺちぺちと叩き続けていた。

 そんな自分に気が付くと同時に、私は言った。


「どうやったら、元に戻るんですか……」

「戻らないよ。永遠に。それにその方が、お兄ちゃんも幸せだよ」

 

 それは、確かにそうかもしれなかった。

 だって彼はいつも仏頂面で、ニコニコしてるのを一度も見たことがない。

 人と話すのが苦手で、話しかけられるのはもっと嫌で、いつも他人を避けて隅で縮こまっている。


「そう、ですね。もしかしたらスルトさんにとっては、私と一緒にいるより、このまま眠ったまま夢を見ている方が、幸せかも」

「うんうん。そうでしょ」

「――でも、それは嫌です」


 だって。


「私は、私が、スルトさんと一緒にいたいから」


 そうじゃないと私が困るから――それも、もちろんある。でもそれ以上に止まらない気持ちがある。

 無愛想で鈍感な、スルトの笑顔が見たい。楽しいという気持ちを共有したい。

 だからダメなんだ。いくら幸せだとしても。

 ツァドキララの言う幸せは、一人きりのカタチでしかないんだから。


「だから、私はあなたの幸せじゃ嫌なんです。だって私は一人で幸せになりたいんじゃない……スルトさんと、一緒になりたいんだからっ‼」


 気づけば私は目に涙を浮かべて叫んでいた。

 天使は驚いたように目を丸くして、それから静かに言った。


「――生意気だね、やっぱり君だけは殺そうかな」


 言葉の重みは、誰の口から出るかで違う。

 法律や道徳に縛られない存在が口にする殺すは、まるでそれ自体が刃物のように私の背筋を凍らせた。


「抵抗は無駄だよ。僕は魔王の百倍以上は強いし。ああ、それにそもそも君、何の力もない一般人なんだよね。――大丈夫。苦しむ暇なんてないから」


 白い翼がめきめきと曲がり、その先端を武器のように私に向けた。

 目をつぶる暇もなく、叩き切られる。そう思った刹那。

 私の膝から立ち上がった一閃が、天使の翼を斬り落とした。



 ※ ※ ※ ※ ※



 マリーの顔が近い。

 目を覚ますと、なぜか俺は彼女に膝枕されていた。

 それを認識すると同時に何かが襲って来たので、反射的に斬り飛ばして立ち上がる。

 するとそこには、五枚の翼を背中から生やした天使がいた。

 その顔には、見覚えがある。ああ、そうだツララだ。

 マリーたちに合流しようとしていたら、たまたま彼女が正体を現すのを見かけて、とりあえず無力化しようと後ろから攻撃して――そこからの記憶がぼんやりと曖昧だ。どうやら気絶していたらしい。


「す、スルトさぁん゛っ‼」

「うわ」


 涙目のマリーが、縋りつくように抱き着いてきた。

 

「ぶ、無事でよかったです……私、もう、目を覚まさないかと思ってぇっ……‼」

「ああ、うん、ごめん」


 どうやら心配をかけてしまったらしい。

 俺は分かったから離れてくれという意味で彼女の肩をポンポンと叩き、すると目の前の天使が翼を再生させながら、あり得ないものを見るように俺をにらんだ。


「なぜ、僕を傷つけられる、この力は……それより、一体どうして‼!? 人間が僕の与える幸福から正気に戻ってこられるっ!?」


 そう言われても。

 どうやら天使が使ってきたのは、幸福な夢に閉じ込める催眠術のような魔法らしかった。似たようなのを使う魔物も地獄にいたから食らい慣れている。

 しかし多分、さっき俺が食らったのは魔物が使うものよりも遥かに根源的な、生きとし生けるものなら絶対に抗えないほど強力なものだったのだろう。

 だが。


「よく、分かんないんだよな」

「は」

「その、幸福ってさ、どういうのか」


 俺の人生のすべては、地獄での戦いだった。

 充実はしていた。しかし幸福かと言われれば大いに疑問符が付く。

 なぜなら当時の俺の精神状態は、幸せとか喜びとか楽しいとか、そうした全てを諦めて忘れ去った末の境地だったからだ。

 だから、多分、俺は。


「あり得ない! もう一度食らえ! 幸福ビーム!」


 俺はもう一度食らった。そして今度は瞬きするように、すぐに目を覚ました。

 天使は震えながら、信じられないという声で叫ぶ。


「まさか、君は……幸福を、幸せを知らないの……っっ‼⁉⁉」


 おそらく、そうなのだろう。俺は頷いた。


「ありえない! 生まれた時から路上に捨てられ野垂れ死ぬ子供でさえ、無意識に知っている概念。救われたいという純粋な本能。ここではないどこか、もっとましな場所という望み……それすら忘れ去るほどの、一体どんな人生を歩んで来たというんだ!?」


 どんなと言われても、主に天使(おまえ)らのせいですが、とは言わずに。

 俺は気絶したカーラと一緒に、マリーを下がらせた。

 そして背負っていた荷物を下ろす。流石に相手が相手だ、身軽になって戦いたい。


「……スルトさん。お願いです。あいつを、やっつけてください! 応援してますから!」

「分かった」


 魔力の剣を構えた俺に、天使が問うた。


「幸せが効かない……それに僕の翼を斬り落とすなんて……答えて。

 君は一体、何者だ」


 そうは言われても、俺はやはりこの一言しか持っていない。

 俺はマリーを背中に庇いながら、言った。


「ただの、荷物持ちです」


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