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第19話 地下迷宮都市タルタロス

 ゴミとカビの匂い、薬を焚いた甘ったるい煙に混じる汗の匂い、そして強い酒と血の匂い。

 それらが入り混じった、なんとも退廃的な空気が充満していた。


「ここが迷宮地下都市……タルタロス。なんか不気味というよりは、今まで見たこともない感じですね。スルトさん」

「うん」


 隣を歩くマリーの言葉に頷きを返す。

 タルタロスは、巨大な地下空洞の中に作られていた。ドーム状の空間は発光する苔が覆い尽くし、ぼんやりとした緑色が日光のように降り注いでいる。

 そんな奇妙な天蓋の下に作られた街は、言うなればテントの集合体だった。

 きっと木材が手に入りにくいのだろう。布と紙を張り合わせ、魔物の骨を文字通り骨格にした大量のテントが密集している。地上と違って強風の影響などは考えなくていいためか、そのほとんどが大型かつ形も様々な上に、テント同士が連結して集合住宅みたくなっている。

 そうしてアンバランスに密集したテントが作る混沌とした街並みは、なんというか森のキノコの群生地を思わせる有様だ。


「はあ。ちょっと喉渇きました」

「はい水筒」

「どうも、スルトさん。……残り少ないですね。この街で補給出来たりしないかな」


 引き続き、俺たちは(主にマリーの)正体を隠すためにフードを被っている。

 なおかつ、マリーは素の口調で喋っていた。

 カーラは驚いたような顔で、フードの下からマリーを見つめている。

 というのも少し前。


「私たちの目的は、街でマフィアの構成員を見つけて、彼らから深層の麻薬畑へのルートを聞き出すことよね」

「はい。その通りです、お姉さま」

「だとしたら、その前に私の正体がバレて騒ぎになったら面倒ね。――だからちょっとキャラ変えますね」

「え」


 というやり取りがあったのだ。

 フードで顔隠してるんだからキャラまで変える必要ないだろ、というツッコミを入れてくるかと思ったが、カーラはさきほどから無言を保っていた。

 気持ちは分かる。マリーの豹変ぶりは、初めて見ると確かに声が出ないかもしれない。


 ともかくとしてタルタロスの街中は、辛気臭い場所を想像していたわりには、ずっと多くの人で賑わっていた。

 カラフルな布を張った露天商がそこら中に看板を立て、通りかかる子供から大人まで多くの人間に呼び込みをしている。目につく売り物は食品らしキノコや魔物の肉、さらによくわからない草や石、刃物や武具などだが、やはり。

 群を抜いて数が多いのは、ポーション売りだった。

 そこら中に座り込んで、ガラス瓶に入った液体を売っている。それを道行く人々が、市場のリンゴを買うような気軽さで買っていく。

 手持ちの在庫が切れたら近くにいる同業者から分けてもらったりしているあたり、同じ店子が担当する区画とかが決まっているものなのかもしれない。

 ふと、無言だったカーラが口を開いた。


「……このまま歩き回っているわけにはいきません。そろそろ動きましょう。まずは例の「ボトムズ」とかいうマフィアと接触するため、住民に聞き込みをしましょうか」

「ここの住民に?」

「ええ。犯罪組織とは多くの場合地域と癒着しているものです。地元民から得られる情報は多いはずです――そう、冒険者の手引きに書いてありました」

「ですってスルトさん。頑張りましょうか」

「……無理」


 わざとらしく微笑んでくるマリーに、俺はぽつりと呟きを返した。できるわけないだろ。初対面の人に話しかけるなんて。想像するだけで心臓が口から飛び出そうになる。

 そんな俺を余所に、カーラは飲食店らしきテントの一つを指さした。


「では早速、あのお店に入ってみましょう。ちょうど飲食店のようですね……ロクなものが出てくるとは限りませんが。そうですね、荷物持ち、毒見ぐらいは役に立っていただけますか?」

「え、あ、はい……いいですけど」


 俺に毒は効かないので意味ないですよ、と言っておこうか迷っていると。


「――ぁ、あの……お姉さん!」

「私?」


 横合いからかけられた声にマリーが振り返った。

 俺とカーラもつられるようにそちらを見る。そこには、バスケットに花を入れた小さな女の子がいた。

 花売りをしているのだろうか。マリーよりも二回りは年かさの低い少女は、おずおずと声を出した。


「お花……買いませんか 少し下の階層で咲いてる、きれいなお花なんです」


 そう言って、小さな手がバスケットから一輪を抜きとり、差し出すようにこちらに見せた。ちんまりとした黄色い花だった。

 マリーはその花をまじまじと眺めるようにしゃがみ込むと、魔女口調で、しかし柔らかく言った。


「ホントだ。きれいね……」

「だよね! えと、だからお姉ちゃん、きれいなお花、どうですか?」

「ええ。いいわよ、折角だから――」


 花を買おうとしたマリーを、しかし、新たな声が邪魔をした。


「おいおい姉ちゃん、まさかそのガキから花なんて買うつもりか?」


 その声は、少し離れたところにいる露天商からだった。

 彼が売っているのは路上に広げた液体入りの小瓶――ハッピーポーションだ。


「やめときな。需要と供給も理解してねえ馬鹿なガキに同情心で餌付けすんのはよ。市場淘汰が正常に完了されねえじゃねえか。経済の原理に反するぜ。……そんなもんより、ウチでハッピー買ってけよ。初回割引するぜぇ?」


 そんな露天商の男を、マリーはフードの下から目だけをのぞかせて鋭く睨んだ。


「黙ってて」

「――っひ‼」


 その眼光に射すくめられた路上ハッピー売人は、何も見なかったようにそっぽを向いて黙り込んだ。

 気を取り直したように、マリーは少女に向き直った。


「あなた、お名前は?」

「えと、ツララっていうの。8歳です」

「じゃあツララ。そのきれいなお花、私に売ってもらえる?」

「うん、ありがとうお姉ちゃん……はい、どうぞ」


 しかしマリーは差し出された花を受け取らなかった。


「違うわよ」

「え?」

「一輪じゃなくて、全部もらうわ」

「……うん!」


 こうしてバスケット一杯の花を抱えたマリーと俺たちは、テント造りの飲食店に入ったのだった。

 店の前の石板にはこうあった「酒と食事 石のテント亭」。

 使い古されたテーブルと椅子の並んだ店内は、多くの人間で込み合っていた。そのほとんどが、脛に傷のありそうな風体の男たちだった。

 表を歩けなくなった人間がダンジョンに住み着くといった、カーラの言葉を思い出す。


 とりあえず、空いていた端の座席に座る。

 隣のテーブルでは酔っ払いが居眠りをしていた。そのいびきにカーラが少し顔をしかめる。

 花で満たされたバスケットをテーブルに置いて、マリーは困ったように言った。


 「冷静に考えたら、どうしましょうかこれ。つい……」

 「わたくしにお任せを、お姉さま」


 言うなり、カーラが花の詰まったバスケットに手をかざした。

 彼女の魔力が時間を止めて、花をそのままに保存する。


 「ふふ。これで、わたくしとお姉さまの旅の思い出は永久保存版です」

 「え? ああ、どうも。……はい、スルトさん。受け取ってください」


 俺はマリーの手が花を一輪、俺に渡してきた。所在に困って上着のポケットに入れると、カーラが冷たく睨んできた。

 隣の酔っ払いは、相変わらず寝息を立てていた。

 そこで注文を取りに店員がやって来た。水の入ったグラスを三つ、テーブルに置いてくれる。

 ご注文は? という文句に、カーラが口を開いた。


「すみません。わたくしたち、ここに来たばかりで仕事を探しているんです。どこに行けば紹介してもらえますか?」

「ウチは職安じゃないよ。メシ屋。で、注文は」

「失礼。おすすめ三つで」

「はいよ」


 カーラは、喉が渇いていたのだろうかグラスの水を半分ほど飲んで嘆息した。


「そう簡単にはいきませんか。まあいいでしょう、聞き込みは食事が終わってから――」

「ご注文お待たせしましたー」


 あれ、いくらなんでも早すぎないかと思った直後。

 俺たちの後ろに立った三人の店員が、その手に握った肉斬り包丁を振り下ろした。


 

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