第16話 生涯の
ずるずると。
俺たちが乗って来た馬車の下から一人の成人女性が、まるでそういう種類の魔物のように這い出してきた。
一体いつからそんなトコロに張り付いていたのだろうか。しかし流れるような桜色の髪には土埃一つなく、白黒のメイド服も――なぜそれを着ているのかはともかく――汚れ一つない綺麗なものだ。
「そのお方は、あなたたち盗賊如きがお手を煩わせてもよい方ではありません」
そよ風に揺れる鈴のように、柔らかでいてよく通る声だった。
すらりと立ち上がった彼女は、とても先ほどまで爬虫類のような生態をしていたとは思えないほどの美人だった。
すらりと伸びた手足、フリルの襟を押し上げる豊かな胸元、そして澄んだ湖面の満月のような金色の瞳。
盗賊たちがごくりと息をのむ。沈黙を破るように、彼女は名乗った。
「よってこのわたくし、アビスマリー様大好き親衛隊(※自称)。
カーラ=カラミットが相手です」
……誰?
俺はマリーに、知ってる人? と目くばせした。あとマリー親衛隊ってなんだよ。
いや、知りませんよ。あと親衛隊ってなんですか、と彼女は目線で答えた。
「な、なんだか知らねえが、お前も金出せぇ!」
ともかく、盗賊たちは標的をカーラと名乗ったメイド服の女性に変えた。
雑多な武器を手に、追い込むように詰め寄っていく。
危ない!とは思わなかった。
俺は見たからだ。彼女の手元に魔力が歪むのを。
そして彼女の指先から、魔力の光線が放たれる。
「わたくしの魔力は、触れた物体の――」
光線が盗賊たちの手元の武器に当たる。次の瞬間、それらは黒ずんだ土塊のようにぼろぼろと崩れ、朽ちたように砕け散った。
「時間を操作します――終点到来」
盗賊たちが呆気にとられる。その一人の前に、すでにカーラは立っていた。
足元の地面の時間を、多分、停止したのだろうか。時の止まった地面は踏まれた力を吸収しないでそのまま返す。よって通常の何倍もの反発力で一気に距離を詰めたのだ。
カーラは一人の盗賊の頭に無造作に手をかざした。その瞬間、彼の頭髪はみるみるうちに白く染まって抜け落ち、数秒で完全に干上がってしまった。
カーラは手鏡を取り出し、本人にその惨状を見せつけた。
絶叫、そう言って差し支えない悲鳴が上がる。頭髪をおさえて震え上がる盗賊たちに、カーラは冷たい声で告げた。
「警告です。もしこれ以上やる気ならば、次は毛根だけでなく全身の寿命を使い果たして差し上げますので、悪しからず」
脅し文句の効果については、最早言うまでもないだろう。
盗賊たちは、悲鳴を上げながらクモの子を散らすように逃げて行った。
そして残された俺たちの前に、カーラという女がつかつかと歩み寄る。
彼女は俺を無視して、マリーの前にひざまずいた。
「お初にお目にかかります。アビスマリー様。わたくし、元王国宮廷魔術師第一位、カーラ=カラミットと申します」
「そう」
アビスマリーの役に入り込んだマリーは、まさに傲岸不遜な女王のようにカーラを見下ろした。しかし、その瞳にはよく見ると、なんだコイツみたいな戸惑いが浮かんでいた。
すると顔を上げたカーラは、熱っぽく濡れた瞳と真っ赤な頬でこう言った。
「突然ですがわたくし、貴女に恋をしております。アビスマリー様。
ゆえに――どうかわたくしを、貴女の生涯のメス豚奴隷にさせてくださいませ」
「――は?」
マリーが固まる。
俺も固まる。
多分俺たちは同じことを思っていただろう。
なに言ってんだこの人。
俺たちの無言、その理由を気にした素振りもなく、カーラは上ずった声で続けた。
「わたくしこの度、あなた様が危険なダンジョンの調査に赴かれると宮廷で耳にしまして――その場で辞職して、勝手ながら同行させていただきました」
「同行? 馬車の下に張り付いて……?」
「申し訳ありません。最初は普通にご挨拶しようと思ったのですが、いざとなると恥ずかしくて、つい」
カーラは頬を赤らめながら、胸を抑えてなんども深呼吸する。
「……ですが、結果的にこうしてお目にかかる事が出来て光栄です。それでは改めて、どうかわたくしを、あなた様に生涯お仕えする所有物にしていただけないでしょうか」
とんでもないことを言いながら、カーラは深々と頭を下げた。
マリーは戦々恐々とした様子で、俺に素早く目配せした。
(スルトさん、あの……私、どうすればいいんですか……)
(ついてきてもらうしかないんじゃない)
(嫌ですよ! 急に変な告白されたし、なんかこの人怖いし! そ、それにスルトさんも初対面の人苦手なはずじゃ……)
(うん、嫌だけど。でも、どうせ断っても勝手についてくるだろこの人)
ということをアイコンタクトで伝えあった結果。
マリーは頷き、投げやりに言った。
「いいわ。勝手にしなさい」
「――! ありがとうございます」
カーラは嬉しそうに何度もマリーに頭を下げる。
「では、その……アビスマリー様、恐れ入りますが一つだけ、よろしいでしょうか?」
「なに」
「御主人さま……いえ、お姉さまと、お呼びしてもいいでしょうか」
「あなた、年はいくつ?」
「24です」
「…………私、17よ」
「? それが何か」
マリーは極めて複雑な感情を込めたような長い沈黙を挟んで、ぽつりと言った。
「………………………勝手にしなさい」
そういえば、俺は今更ながら思った
宮廷魔術師って、確かすごいエリートなんじゃなかっただろうか
そんな人間がおかしくなるとは、いや、カーラが元からおかしいという可能性も大いにあるが
マリーの雰囲気は改めて凄まじいなと思う
※ ※ ※ ※ ※
道端に丸太をどけて、額の汗を袖で拭う。馬車は再び通行可能になった。
俺はため息をついた。まさか初対面の同行者が追加されるなんて。人見知りにとっては辛い展開だが、また馬車の下に張り付かれるのも嫌なので仕方ない。
……そういえば張り付いてる間、車内の会話を聞かれていなかったのは幸いだった。おそらくカーラは自分の時間を止めていたのだろうか、耳が聞こえない状態だったのかもしれない。まあ車輪の音のせいで普通に聞こえていなかった線も十分ありうる。
ところで、そんなことよりも。
あのおかしな盗賊たちが口にしていたポーション、そしてハッピーとは何だったのだろう?
そこでふと、靴先に何かが落ちているのを見つけた。
それは革の水筒だった。盗賊たちが逃げる時に落としたのだろうか。
それを拾って、少しだけ中身を口に拝借した。その途端。
痺れるような苦い味がして、頭が熱くとけるような快感に襲われた。
「……うお」
そんな酩酊から俺が一瞬で回復できたのは、あの地獄で似たような毒を数えきれないほど食らってできた耐毒性のおかげだろう。
ある種の魔物は、獲物を毒で苦しめるのではなくその逆、気持ちよくさせて動きを封じるのだ。
すなわち快楽毒。このポーションはそれをもっと純粋にした感じ。つまり。
「麻薬じゃん」
呟いたと同時。
「あなた、少しいいでしょうか」
いつの間にか白黒のメイド服が俺の隣にいた。てっきり、マリーと一緒に馬車の中にいるものと思っていたのに。
カーラは先ほどとは対照的な氷のような無表情で俺を見つめている。
初対面が近い、こわい。喉がきゅっと縮み、胃が軋んで吐きそうになる。
睨まれたネズミのように震えて後ずさった俺に、カーラは大蛇のような威圧感でにじり寄った。そして、氷を鳴らしたような冷たい声が言った。
「どうして、あなたのようなのが、お姉さまの荷物持ちをしているのですか?」
「え、いや、あの」
本人から泣いて頼まれたからです、とは言えなかった。むしろ今泣きそうなのは俺だ。
よく聞きなさい。とカーラは言った。
「見るからに冴えない見た目の一般人……一体どういう因果かは皆目見当が付きませんが、あなたのような男はお姉さまに相応しくありません。
よってここからは、このわたくしがあなたの仕事を替わります。ですので、さっさと消えなさい。さもなくば痛い目に合わせますよ」
いや、消えていいなら俺も消えたいのではあるが。
でも、そうしたらマリーが……しかし、何と言えばいいのだろう。
返答にまごつく俺に対して、カーラの目つきはますます鋭くなっていく。その視線が、ついに俺の喉元を斬り裂きそうなぐらいになった時。
「――何をしてるの。あなたたち」
現れたマリーが、咎めるような声を俺たちの間に投げかけた。
するとカーラは、スカートをふわりと優美にひるがえして、マリーに向かって目礼した。
「いえ、なんでもございません。お姉さま。少し世間話をしておりました」
そして去り際に俺をきっとにらみつけて、カーラは馬車の方へ去っていく。
助かった。とりあえずこの場は。
ほっとした俺も馬車の方へ歩き出すと、ぐいっと袖を引かれた。
「スルトさん、ちょっと」
今度は、マリーが俺に詰め寄って来た。
「あの人と、何話してたんですか」
「いや……別に」
お前は要らないから消えろと言われた、というのは簡単だ。
しかしそのせいで、マリーがカーラと揉めるのは嫌だった。話がこじれでもしたら絶対に俺では対処できないし。
それよりは俺一人が耐えている方が楽だ。物理的な嫌がらせなら正直いくらやられても平気だし。
だから俺は何でもないと言った。しかしマリーはなぜか不満そうに唇を尖らせた。
「へえ。そうですか、私には秘密ですか」
「……」
「ところであの人、すごい美人ですよね。私と違って背も高くてスタイル良いですよね。なんでメイド服なのかは知りませんけど、一部の男の人は好きそうですよね」
「そうだな」
言った途端、げしり、と膝を蹴られた。
「違うでしょぉっ⁉ そーこーは! 「でも俺はマリーの方が100倍可愛いと思うよ」って優しくフォローするとこでしょーがっ⁉ 一体なに食べて生きてたら、そんなデリカシーに欠けた返事が口からでてくるんですかっ⁉」
「ええ……」
そんな事言われても。
「もう、スルトさんは本当に馬鹿です……」
呟いて、マリーは俺を追い越して馬車に戻っていく。
俺はその後姿をやるせなく見つめながら、色々な意味でため息をついた。




