想い
グランブルーとの親善試合が中止になって二週間、トレスは歩けるまでに回復した。左腕はまだ首から布で吊るしている状態だが、驚異的な治癒力に医師団も舌を巻いているほどだ。
ベッドで寝ている生活が長かったので動けるとあって早速、鍛錬を始めるも看護師に見つかり厳重注意を受ける始末だ。
「いいですか!! せっかく快方に向かっているのに、またベッドで逆戻りですよ!!」
烈火の如く叱る看護師を前に、小さくなっているトレスが可笑しく、ノーサが笑いを必死に堪えていた。ようやく解放されてこちらを睨むトレスに、ノーサは咳払いをする。
「少しは、大人しく休んでいたらどうだ」
「冗談じゃない!! こんな退屈な所、早く出たいものだ」
「ほんとに任務の虫だな」
半ば呆れてノーサは壁に寄りかかると、ふと花瓶の花に目がいった。ここ二、三日任務で見舞いに来なかった間に、随分と華やかになっているではないか。
「フローラが見舞いに来たのか」
「右がフローラで中央が陛下、左が空だ」
「そ、そうか……」
-全員女性とは恐れ入ったな。
所狭しと花瓶に挿さっている花は、まるでトレスに愛でてもらおうと、場所の取り合いをしているように思えて、またノーサの笑いを誘う。
「そう言えば、陛下は最近考古室に籠っているそうだ」
多忙のなか、入院中の自分の代わりにメイルについて調べてくれていると思うと恐縮する。
「トータム・メイルは自国へ戻ったのか」
「ラグドールの譲渡量について意見の相違があったらしく、ただ今調整中だ」
それならまだ油断は禁物と、天を仰いで息を吐いた。
「メイルが、直接お前に会って釈明したいと申し出ているがどうする?」
「釈明か……」
明らかに自分にも向けられた殺意を、どう言い訳しようとするのかと嘲笑する。
「考えておくよ」
「陛下には俺から伝えておく。お前は養生するんだな」
立ち上がろうと腰を浮かせる友に、トレスが尋ねた。
「空と連絡取りたいのだが」
「分かった。厨房へ行ってみるよ」
快く引き受けてくれたノーサが、今度こそ立ち上がり部屋を出て行った。
実は、先程から胸騒ぎがして落ち着かない。メイルの狙いは『奇跡の石』を持っている空に違いないのだから。
仕事が終わった空は庭園にやって来ていた。トレスの見舞いに持っていく花束を作るためである。
ささやかな物しか作れないが、好きな人の喜ぶ顔を想像しながら心を込めて選ぶ作業は幸せに尽きる。
-トレスって、意外と淡い色が好きなんだよね。
空がいた世界で洋服を選んだ頃を思い出して、一本一本丁寧に摘み取っているとふと影が差したので顔を上げて絶句する。
「こんにちは」
そこに立っていたのは、艶やかな黒髪を靡かせて口の端を上げて静かに笑うメイルだった。
「あ、あなたは……?」
「これは失礼。私は、グランブルー宰相トータム・メイル」
「そんな偉い方が、私に何の用でしょうか?」
「親善試合では、大変怖い思いをさせて済まなかった」
口調こそ穏やかで物静かだが、その奥に秘められた不気味さは素人の空でも分かるほど表情が異様だ。
「ご心配してもらってありがとうございます」
一礼して逃げるように走り去ろうとする空を、鋭い声で呼び止める。
「異世界の生活には慣れましたか? 蒼井空さん」
ぎこちなく振り向く空の顔は青冷めていた。
聞き間違いではない。彼は確かに『異世界』とはっきり言い放ったのだ。
-どうして知っているの……!?
空が、異世界から来た事は誰も知らないはずである。そうトレス以外は……。
「どうして知っているのか。そんな顔だな」
ゆっくりと近づくメイルに、本能的に危険を察して後退した空はメイルとの距離を取る。
「『奇跡の石』は君が持っているのかね?」
無言で首を横に振る空を、大声で笑い飛ばした。
「彼と試合をしたあの剣士は鼻が効くんだよ。だから、君を襲った」
恐怖で体が震えて足が竦むが、空は気丈にも睨み返す。
-逃げるな、空。目を反らしたら終わりよ。
トレスも、この恐怖を独りで戦っていたに違いない。心の中で自分を叱咤する。
「私は知りません」
「ティエラ・トレスによく教育されているようだな。だが、その態度がいつまで続くかな?」
「それ以上近付くな」
メイルの首筋に、剣を突き立てたトレスが耳元で囁いた。
「気配を感じなかったよ。大した男だ」
せせら笑うメイルから目を離さず横から回り込むと、空を自分の背中で庇う。
「傷の具合はどうかね?」
首から布で吊るした左腕は痛々しいが、その動きに衰えはなかった。
「石は俺が持っている。空に手を出したらただでは済まないぞ」
何処からともなく側近達がメイルの傍に現れると、主を囲みトレスと対峙する。
「どちらでも構わないが、しっかり持っていてもらおう」
構えたトレスの剣を手の甲で押しのけたメイルは、そう言い残してその者達を従えて悠然と去っていった。
姿が見えなくなると、トレスは剣を鞘に納めて大きく息を吐いた。
緊張の糸が切れた空が足元から崩れるところを、トレスが右腕で支える。
「良く頑張ったな」
数えるほどの優しい笑みで見つめられた空の涙腺が緩んだ。
「怪我はいいの?」
「歩けるが鍛錬は禁止だ」
そんな体を圧して駆け付けてくれる彼に胸がときめく。
「空、ペンダントを渡すんだ」
「でも……」
「俺が持っていれば、お前に危害は及ばない」
暫く考えて、差し出したトレスの掌に首から外したペンダントを乗せようとしたが、また握り締めた。
「空?」
「渡したら、全部トレスが背負うんでしょ!?」
「それが『番人』としての役目だ」
いつもそうだ。独り悩んで傷ついて、ボロボロになっても戦い続ける彼を放ってはおけない。
「私にも半分頂戴。そしたらトレスも楽になるし……」
「駄目だ!!」
言葉を遮られて一瞬たじろいだが、藍色の瞳を正面から見据えた。
「ダメじゃない!! 絶対渡さない!!」
「渡せ」
「いや!!」
ペンダントを胸に抱いて、その場に蹲ってしまった空を見下ろすトレスの口から溜息が洩れる。
-オバジーンへ来る時もそうやって譲らなかったな。
傍にいたいから一緒に行く。
時空を超える危険も顧みず信じてついてくる彼女に、惹かれたのは自分なのだ。
「ほら、立て」
上目使いでこちらを見る空に、トレスが苦笑する。
「結構、頑固だな」
「トレスだって」
「石がないと、お前も言葉が理解出来ないだろうし、託すしかないか」
彼の決断に、空の顔が輝いた。
「何があっても守るね」
「一つだけ約束してくれ。命が危なくなったら、躊躇わず奴に渡すんだ」
真剣な表情で話すトレスに頷く。
「ちょっと、ペンダントを貸してくれないか」
そのまま持ち去る気では……と警戒する空だが、広げた手をいつまでも差し出している彼に負けてそれを手渡した。
巡るましく色が変わり神秘的な光を放つ『奇跡の石』に、トレスが目を閉じてそっと口づけをする。
その様子に、まるで自分がされたかのように上気した頬で空が見ていた。
-うわ……。見ているだけで照れる……。
だが、本人は照れるどころか真剣そのものだ。
病室を抜け出したトレスを心配して探していたノーサが現れたので、空の首に掛けてやる。
「頼んだぞ」
「うん」
短い会話だが、今はそれで互いの気持ちが充分に伝わってくる。
いつまでも剣士二人を見送る空に、ノーサが訊いた。
「直接会うなんて、俺を待てなかったのか?」
「ああ」
と、短く返事して口を閉ざしたので、それ以上は彼も聞かずに肩を並べて城へと戻って行った。




