その5
マリーナとは入れ違いに、トレスの病室を出た空とフローラは長廊下を帰っていく。
「今日は有り難うございました」
「礼には及ばんよ。私もトレスの様子が知りたかったし」
ひとまず、トレスの無事な姿を確認できた空の足取りは軽かった。重傷だが、命に別条がないのはなによりである。
-私も看護師だったらトレスの役に立てたのに。
窓に映った赤と白のナース服の自分に溜息をついた。
「歩けるようになったら、面会もできるだろう」
やるせない心情を察してくれたのか、そう言ってフローラは空の肩に手を置いた。
任務があるからと深紅のコートを翻して戻って行くフローラを見送りながら、多忙だったろうに自分の為に時間を割いてくれたことに感謝する。
-フローラさんは、いざとなればトレスと一緒に戦えるんだよね……。
女性でありながら上級位の剣士になるには素質も大事だが、それ以上に並大抵の努力が必要だと厨房の人達が教えてくれた。
トレスを追い掛けて敢えて苦難の道を選んだフローラと、全てを捨ててこの世界へ飛び込んだ空。
愛する者の為なら、大胆な決断と底知れぬ行動力が女性の特権なのかも知れない。
-トレス、フローラさんをどう想っているんだろう。
二度の告白の返事も保留、額にキスされたその意味も不明、部屋を訪ねてきたトレスに抱き締められたがそれも訳ありだった。肝心な彼の口からそれらしき台詞も聞いていない状況は、何もかも中途半端なのである。
全てはこのペンダントにある気がして、胸に提げている『奇跡の石』を服の上からぎゅっと握りしめた。
フローラもまた、長廊下を歩きながら空のことを考えていた。
-ソラか……、いい友人になれそうだな。
明るく、純粋で何事にも一生懸命の空は、たとえ恋のライバルでも憎めない。
消息を絶ってからのトレスの雰囲気が変わったのは、空の存在が大きいとフローラは感じていた。口が悪いとか仏頂面とか基本的なものは変わらないが、彼を包む空気が柔らかくなっている。
闘技場でも一方的にトレスが攻撃を受けていた時、止めに入ろうとしたが足が動かなかった。
彼の剣士としての誇り、名誉が頭をよぎり竦んだところへ空が現れて、躊躇いもなく己の身を晒した行動に衝撃を受けた。
剣士の精神『正義を信じて己を貫く』である。
-トレスの為には死も厭わず……か。
自分もトレスへの想いは相当なものだと思っていたが、空の覚悟を間近で見るとその自信も揺らいでくる。
女王直々の尋問が終わり、外務大臣達と謁見の間から出てきたメイルは念書を作成すると客室へ帰された。
ソファに座った彼は、側近が淹れた紅茶のカップに手を伸ばす。
「全ては順調に進んでおりますが、次はどのように?」
「暫く様子を見よう。思っていたより、連中も馬鹿ではなかったな」
口の端を上げて嘲笑するとカップに口を付けた。
「オバジーン側も警戒を強めるでしょう。長引けば、我が王も今回の件を勘付いてしまうのでは」
側近の杞憂を鼻で笑い飛ばすと、またカップをテーブルへ戻して言う。
「私にいらぬ気を使う暇があったら、さっさと王の機嫌でも取ってこい」
これ以上の議論は無用とばかりに、一方的に話を畳むとメイルは側近達に背を向けた。
闘技場でトレスが剣士に滅多打ちに遭う光景は、実に愉快だった。腕の骨が折れてたまらず上げた彼の悲鳴は、どの歌より美しい旋律を奏でた。あの栗色の髪の少女が現れなければ、命の保証はあったかどうか。
-命が助かっただけでも有り難いと思うんだな、ティエラ・トレス。
目を閉じれば瞼に、あの出来事がありありと浮かんでくる。
雷鳴轟く豪雨の夜、全身血だらけで斬殺された両親の傍らで蹲り、涙しか流さない幼い頃の自分。滴り落ちる剣先の血が点々と床を飾っていく。
稲光で一瞬浮かび上がった剣士の顔と、鞘に刻まれた向かい合う大鷲の紋章をその目に焼き付けた。
剣士はこちらを一瞥して歩み寄り剣を振り上げたが、躊躇して腕を下ろした。
恐怖のあまりガタガタが身体が震えて、声も出せない自分に同情したのかも知れない。
一振して剣を鞘に納めるその姿は、今でもはっきりと思い出す。精悍な顔立ち、堅く結んだ口、そして藍色の髪と同色の鋭い瞳。
紫紺のロングコートの裾を翻して去っていく剣士を、震える声で力の限り叫んだ。
「い、いつか同じ目に遭わせてやる!! それまで待っていろ!!」
一瞬足を止めたがまた歩を進める剣士の広い背中を、涙で歪む視界で睨みつけたのだった。
「因縁とは恐ろしいものだな」
せせら笑うメイルが、持っていたカップを壁に叩きつけると破片が砕け散った。
トータム・メイルは何者なのかー
彼の正体を調べるのが先決だが、マリーナにはトレスの態度も気になっている。二人は面識があるのか、少なくともメイルはトレスを知っている口ぶりだ。
当時、最年少の近衛隊入りは同盟国のグランブルーでも話題になり、宰相が知っていたのも当然だが、何故彼一人に執着するのか疑問が残る。
トレスは、現在オバジーンの近衛隊に代々属する由緒あるティエラ家の若き当主である。
最高位の剣士ライラックを父に持ち、幼少の頃から武術、剣術をその身体に叩きこまれたのは『奇跡の石』を守る為だとは、王族のマリーナでも知られていない事実だ。
少年時代に両親を惨殺されて、父親の親友であるモンソウに育てられた後もその精神は受け継がれていく。
このトレスとメイルとの接点を探るべき、マリーナは王族だけが出入りを許されている考古室へと出向いた。
城の離れにあるこの部屋には、オバジーンが建国してからの貴重な文献や古文書が保管されており、中には忌まわしい歴史の記録も残されているので門外不出とされている。
公務の合間を縫ってなるべく足を運ぼうと思うが、これだけ膨大な文献に目を通すのは困難だ。トレスも来れればいいのだが、見つかれば死罪なのでさすがにマリーナも心得ている。
机に数冊の本を置き、椅子に腰掛けてランプの灯りを頼りに一心に読み更けった。彼が回復したら出来るだけ詳細に伝えられるように、自分なりに整理しながら解釈していくと、やがて小窓から茜色の光が差し込み夕暮れ時と知る。
分厚い扉に鍵を掛けて外に出ると、夕焼けが眩しかった。
この日の夕焼けは見事だった。景色が茜色に染まり、見る者をうっとりとさせる。
病室のベッドに横たわり、窓からその様子を眺めていたトレスもまた感嘆を漏らした。
-向こうの世界の夕焼けも、綺麗だったな……。
空が高校生でトレスが建設会社のバイトをしている時に、待ち合わせて一緒に帰宅した時だった。偶然にも夕焼けに差し掛かり、二人の姿を夕陽が染める。
「見て見て!! 真っ赤だよ」
「ああ」
大きく見事なそれを指差して、空がはしゃいだ。瞳を輝かせて見つめている空がとても綺麗だったので、つい口に出た。
「空が綺麗だ」
「えっ!?」
聞き返す空に、照れ隠しに仏頂面で答える。
「お前じゃない。あれだ」
と、夕陽を指差すトレスに、空は頬を膨らませた。
「分かってるよ」
あの頃が懐かしく思うのは、今の境遇が苦しいせいだろうか。




