その3
醜い感情が払拭できぬまま、トレスと対面したマリーナは動悸が治まる気配がない。
「お呼びでしょうか?」
「トータル・メイル殿から、グランブルーとの親善試合を行なってはどうかと提案がありました」
あの男の名前が出て、トレスは思わず身を固くした。
「私としても近衛隊の実力を計るいい機会だと思いますが、あなたの意見を聞きたくて」
「異存はございません」
気が進まないが、ここで断ればオバジーンやマリーナの立場が危うくなり兼ねないので承諾した。
「では、詳細は追って知らせます」
一礼して背を向けたトレスをこのまま返したくない一心で、マリーナが呼び止める。
「トレス!!」
切羽詰まった声に、トレスが振り向いた。
「その……、ソラともう一度話がしたいのだけど」
何故、彼女と? そんな顔をしていたので必死に理由を探り言葉を繋ぐ。
「あなたを助けてくれた礼も兼ねて、ゆっくりと会ってみたくなりましたが叶いませんか?」
「私から、陛下のご都合のよい日を伝えておきます」
「やめて!!」
マリーナが今までになく大声で制したので、トレスは弾かれたようにこちらを見た。
「側近を通しますので、トレスは何もしないで」
「出過ぎた真似をして申し訳ございません」
深々と頭を下げる彼に、胸がとてつもなく痛くなる。
-違うの。二人が会う口実を与えたくないだけなの……。
下がるよう促してドアが閉まる音に、マリーナは椅子の背もたれに手を置いて脱力していく体を辛うじて支えた。
「親善試合の件、承知して頂き有難うございます」
「あなた、いつの間に!?」
気配を感じさせず部屋へ入ってきたメイルに、マリーナは謂れもない恐怖を覚えた。
艶やかな黒髪を靡かせてゆっくりと、しかし威圧的に近付いてくる彼に思わずトレスを呼び戻そうと口を開き掛けた時だ。
「ティエラ・トレスをお呼びになりますか」
「!!」
心が読まれたとマリーナは信じ難い目で、メイルを凝視する。
「……あなた、読心術を会得しているの?」
「はい。あなたの思いは全て分かります、マリーナ・エバンローズ陛下」
全て分かると聞いたマリーナの顔が一気に上気した。
女王としての苦悩もさることながら、トレスへの秘めた恋心まで勝手に覗かれて辱められた感が拭えないマリーナは、小刻みに震えてメイルを睨んだ。
「無礼な!!」
平手打ちしようとしたマリーナの小さな手は、メイルが掴み阻まれる。
「放して!!」
振りほどこうと対抗したが、彼の細い体から想像出来ない力強さにマリーナは焦った。
「あなたは彼をどうしたいのですか」
「えっ?」
ダークグリーンの瞳が、また心に直接語り掛けてくる。この男が来てから妙に感情が定まらず乱されていた。
「彼って……」
「近衛隊にいる限り、陛下のお傍にいるでしょう。ですが、所詮は番犬だ。一度離れればまた違う者に飼われる」
想い人への酷い言われように怒りを感じたが、それよりもあの《ソラ》という異民族の顔がちらついて苛立つ。
-私は女王、彼は配下。ソラに奪われてしまう……。
長いまつげを伏せたマリーナの耳元で、そっと小声で言った。まるで悪魔の囁きのように。
「私にお任せを」
魂を抜かれたかのように、マリーナは無表情で頷いた。
野菜園での真相はまだ解明されていないが、空は厨房の片隅で粉まみれになりながら何やら作っていた。
「今度は何を始める気だい?」
異民族の彼女の奇抜な発想は、さすがのマーサも読めないらしい。
「お菓子です。ここにはないみたいだから」
向こうの世界で、トレスが気に入っていたドーナツをここで再現しようというのだ。
確かに飴やクッキーなどは見掛けるが、ドーナツの類はないのでトレスが残念がっていたのを思い出したのである。
穀物を挽いた粉と卵、得体の知れない動物から絞った乳、砂糖などなど、材料はどうにか似た物を揃えたので、勘と舌を頼りにいざ作り始めた。
実は空も初めて作るので、せめてレシピくらいは覚えておけばよかったと後悔する。
生地はパンと同じでこの過程が成功すれば問題はない。試行錯誤して、ようやく形になってきた。
恐る恐る出来上がった作品を一口かじってみる。
「やったー!! 出来た!!」
無邪気にはしゃぐ空の周りに、マーサがやってきた。
どれどれ、と差し出された未知のお菓子を一つ手に取って口へ放る。
「……、へえ!! パンでもないしお菓子でもない不思議な食感だね」
「ドーナツっていうんです。粉砂糖をかけたりジャムを付けたら、もっと美味しいですよ」
我ながら会心の出来に心躍らせていると、何処からともなく数本の手が伸びてドーナツが入っていたであろうバスケットは、たちまちカラとなった。
「ちょっとあんた達!!」
恐らくトレスの為に作ったと思われるだけに、無粋な彼等にマーサの怒号が響いた。
「また作るからいいんです。それより甘過ぎなかったですか?」
口をもごもごさせて頷くスレッダに、空は満足気に笑った。
グランブルー国との親善試合は既に城内の知る処となり、選出する剣士について近衛隊で議論が交わされた。
「やはり、ラヌギ・ノーサとティエラ・トレス両名には参加してもらいたい」
「トータム殿の護衛の者達も、かなりの実力者と見受けられるからな」
腕組みをして目を閉じ、各々の意見を黙って聞いている男がいる。近衛隊長ケルカス・イレックスは、トレスの父親やモンソウとも親交がある百戦錬磨の偉丈夫だ。五十歳を過ぎているが、全身を纏っている隆々とした筋肉は少しも年齢を感じさせない。
「隊長のご意見は?」
話を振られて、ケルカスがおもむろに目を開けた。
今から数十分前、マリーナの私室の前でトレスとケルカスは入れ違いになっていた。
親善試合の件はケルカスには事後報告となったしまったが、彼は格段気にせず代わりに、先に部屋から出てきたトレスの硬い表情がどうも引っ掛かってならない。
幼い頃から彼を知っているが、仏頂面で感情に乏しい面もあるにしても、あんなに強張った表情は珍しかった。
ぎこちなくケルカスに一礼して、通り過ぎて行ったトレスの様子を思い浮かべている最中、に他の剣士から意見を求められたいうわけである。
「五人で各々と対戦になる。向こうから直々のご指名だから、外すわけにはいかんだろう」
若手二人の名前は、メイルの方から挙がった。確かにトレスとノーサの実力なら問題はないが、本命はトレスだとケルカスの剣士としての勘が告げている。
-どうもあの男はいけ好かん。特に、あの目は薄気味悪い……。
ダークグリーンの瞳は、妖しく光り見る者の心を掴んで離さない。そのまま魂まで吸い込まれていくような錯覚にさえ陥る。
二人を呼ぶよう指示すると、またケルカスは腕を組み目を閉じた。
やがて、トレスとノーサはケルカスの正面に立っていた。
「グランブルーとの親善試合で、お前達二人も参戦することになった」
仏頂面のトレスの眉が僅かに動く。
「それはメイル殿の意向ですか?」
打診するノーサに、ケルカスの低く唸った声が答えとなった。
「他国との実力の差を知っておくのも大切な任務と思うが、トレスはどうだ?」
「……本心を申し上げてよろしいでしょうか」
親友と尊敬する上司しかいなかったから、つい本音が出たかも知れない。そんな彼の動揺が見て取れたのか、ケルカスが浅く頷いた。
「この試合、参加したくありません」
意外な一言に弾かれたように、ノーサがこちらを見た。
「何を言っている……」
信じられない表情で呟く彼に、ケルカスが目で制して言葉を遮る。
「理由を聞いてもいいか」
トレスが震える拳を握りしめて、低い声で言った。
「理由は……ありません」




