その2
中総体の熱い夏が終わりました……。毎日のように更新していたんですが応援にぐったりでPCに向かうと睡魔が襲ってきてままなりませんでした。
楽しみにして下さっている皆様にこの場を借りてお詫び申し上げます。
『居候~』も熱く書こうと思いますので今後ともご愛読して頂ければ嬉しいです。
顔を拭くトレスの手が止まり、額に何かが触れた感触に空がうっすらと目を開けると喉元が見えた。やがて、視界が開けてトレスのそれと知る。
体を離した無表情のトレスは、茫然としている空の頭に軽く手を置いて背中を向けて城へ戻っていった。
-えっ? ひょっとしておでこにキスされた?
先程の場面を思い起こしてみたが、自惚れでもなく願望でもなく間違いなく額に口づけされた事実に空の頭は真っ白になる。
口でなく額とは硬派な彼らしいが、問題は場所ではない。この行為は果たして前向きに取っていいのか悩むよりも速く、全身の力が抜けてへなへなとその場に座り込んでしまった。
「おーい、ソラ」
野菜園に行ったきり、なかなか厨房へ戻ってこない彼女を心配したスレッダが駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「へっ?」
「倒れているのかと心配したんだぞ」
空の身も心配だったが、実は、血相を変えて空の元へ向かったトレスの方も気が気じゃなかったのは伏せておく。
「ごめんなさい。今行きます」
「立てるかい?」
ここぞとばかりに差し延べたスレッダの手を躊躇なく握る空に、思わず心の中でガッツポーズをした。
-おお!! 俺にも、チャンスが巡って来たぞ!!
トレスと空の想いに、そしてつい数分前に起きた出来事をスレッダは知らない。
取り敢えず厨房へ戻った空だが、まだ夢心地である。
体がふわふわして足が地に着かない感覚に、何度も転びそうになった。そんな彼女の様子に働き過ぎでは、と周りが心配してマーサまで気になって暫く休憩するよう勧めるほどだ。
こくりと頷いて精気が抜けた空は、ふらふらと外に置いてあるベンチへ腰掛けた。
すうっと爽やかな風が吹き、のぼせ上がった頭に心地よい。
ぼーっと天を仰いで自分の姓名と同じアオイソラを眺めていると、やはり脳裏に浮かぶのは野菜園でのトレスだった。
あの時、ふわっとトレスの体温を感じると同時に額に生温かい感触につい目を開けた。
告白にも触れない彼が、露骨に行動してくると却って狼狽する。
-空、早合点はダメだよ。オバジーンとうちらの捉え方が違うかも知れない。
自分に言い聞かせて伏線を張っていると、休憩時間なのか丁度若い女性が外へやってきた。休みの日に洗濯場で会った人物に、気付かないうちに駆け寄っていた。
「こんにちは」
「あら、あなたあの時の」
「はい。ソラです」
立ち上がってベンチを譲ると、女性はにこやかに笑って一緒に座ろうと促した。
気さくな人柄で色々と話しているうちに、あの意味を確かめたくておずおずと尋ねる。
「あの……、訊いてもいいでしょうか?」
「何かしら?」
「おでこにキスされるのって、ここではどういう意味があるんでしょうか?」
すると、女性は目を丸くしてこちらを見た。
「わ、私じゃなくて、と、友達です!!」
咄嗟についた嘘は、彼女にはバレていたがそれ以上は突っ込んでこなかった。
「そうね。恋人だったら一番はやっぱり唇ね。額は、控え目な愛情表現っていったところかしら」
「恋人じゃなかったらどうなるんですか?」
「親愛とかそっち系かな?」
「友達以上恋人未満だったら?」
あまりにも真剣な目でだんだん迫ってくる空に、女性は吹き出した。
「友達の話じゃなかったの?」
「あっ!!」
すっかり嘘がばれて観念した空は答えを求めると、女性が優しく笑った。
「どちらにせよ、好きでもない相手にするものではないから安心していいわよ」
厨房の奥から呼ばれた女性が立ち上がると、「せいぜい悩みなさい」と片目を瞑って行ってしまった。
少なくとも嫌われてはいない事実に、また締まりのない顔で《空》を見上げるのだった。
野菜園を足早に去ったトレスの頬は上気していた。
自分でも思い掛けない行動で、額だったのは辛うじて剣士としての理性が歯止めを掛けた結果だと思う。
空の告白は二回。
いずれも明確な返事はしていないが、『奇跡の石』の問題がある限り彼女の想いに応えられず、かといって放っておくことも出来ず中途半端な気持ちの表れと自らを嘲笑した。
結局は、空が感じた『奇跡の石』の異変も確認出来ず心の中で自身に毒づいていると、ノーサとフローラが近くまで迎えに来ていた。
「ソラちゃんには会えたのかい?」
「ソラちゃん!?」
友人の呼び方に、トレスが異常に反応する。
「名前、間違えてるか?」
「いや、合っているがさっきはそんな呼び方していなかっただろう」
「では、呼び捨てでいいか?」
銀髪で穏やかな容姿を持つこの青年が、優しい笑みで名前を呼んだらたちまち恋に落ちてしまう話は有名である。
空に限って心変わりしないとは、トレスの思い込みで油断ならない。
「……最初の呼び方で構わん」
「許可して頂き光栄だね」
二人の関係を薄々勘付いているのか、意地悪な笑顔を浮かべている。
この剣士の会話に割り込む隙を狙っていたフローラが、ここぞとばかりに口を開いた。
「異民族に助けられたと言っていたが、あんな若い子とは聞いていないぞ」
話の流れで、中年の割腹のいい女性をフローラが勝手に想像していただけに、美少女の出現に心中穏やかではない。
「どういう関係だ?」
「どういうって……」
以前のトレスなら「命の恩人」と即答できたが、それだけは片付けられない感情に口ごもる。
そこへ別の剣士が現れて、トレスに何やら小声で伝えていた。
「了解した」
「急用か?」
「ああ。陛下にお会いせねば」
マリーナもトレスの命の恩人が空と知って、深く傷ついた一人であるのを対面した時点で見抜いてしまったノーサとしても複雑な心境である。
女王マリーナとの謁見を済ませたメイルと側近の者達は、用意されたそれぞれの客室に滞在することになった。
グラスを目の高さまで掲げたメイルがゆっくりと回すと、まるで酒に未来が投影されているが如く冷淡な黒い瞳で凝視している。
「ティエラ・トレス……」
そう呟いてグラスに口を付けた。
一瞥すると大抵の人間は顔をそむけるかその場に居尽くすのだが、彼だけは慄きつつも気丈にもこちらを見据えてきた。
メイルもこの国の情勢は詳しく、トレスの情報も知り得ている。若くして最高位の肩書を持ち、最年少で近衛隊に任命された藍色の髪の剣士。
一度は会ってみたいと思っていただけに、今回の謁見で叶った喜びに口角を上げる。
「次はその剣の実力を試してみたいものだな」
薄笑いを浮かべてメイルは、またグラスに見入った。
トレスの登場を、私室で待つマリーナはいつもより表情が暗い。
-あの人がアオイソラ……。トレスを助けた異民族。
空と目が合った瞬間、この人物もトレスが好きなのだと直感した。
そして、自分に対する空の無礼な言動に気付いたトレスが列中を外れたのも、視界の一部で分かっていた。
今までは心身共に、自分に捧げてくれていたトレスの心の優先順位が入れ替わった気がして胸が痛い。
純粋無垢なマリーナが、初めて知った『嫉妬』である。
結婚する相手すら自分で決められないマリーナと違って、トレスと空は自由に恋が出来るのだ。
これまで大事に守ってきた初恋を、空によって踏みにじられた気持ちになり、権力を利用してトレスを束縛したいとさえ思う自分にはっとする。
-私、今何を考えていたの!?
それは絶対にしてはならない禁断の思考に、マリーナは身震いをした。




