その3
朝日が小窓から漏れて空の顔を照らすと、パチッと瞳が開いた。
「遅刻だー!!」
ベッドから飛び起きてラフな部屋着を脱ぎ捨てて、仕事着に袖を通す途中ではたと気づく。
-今日はお休みだったんだ……。
この世界へ来て厨房の仕事に明け暮れて二週間、初めての丸一日休みをもらったのである。
取り敢えず洗濯をしようと共同の洗い場に行くと、既に先客がいた。
「お早う。今日は休みなの?」
同じ厨房で働く二十代の女性が挨拶をしてくれた。
「はい。ここで洗ってもいいですか?」
「ええ。どうぞ」
向こうでは洗濯機に投げ込んでおけば洗い、すすぎ、脱水まで全自動でやってくれていたがここは違う。全て手洗いである。
プレタが買い揃えてくれた盥と洗濯板を使って、ごしごしと洗う姿はまるで江戸時代の光景だ。
-これって皆やっているのかなあ。トレスも?
最高位のロングコートを仏頂面で洗っている様子を想像して、思わず吹き出した。
「あら、楽しそうね。彼氏のことでも思い出した?」
「えっ!?」
「あなた、可愛いから彼氏の一人や二人いるんでしょう?」
「い、いません!! というか、私全然モテないんです!!」
力説する空を女性はくすくすと笑って、洗濯物を盥に入れると立ち上がった。
「今日は天気がいいから、外に干すといいわ」
「有り難うございます」
オバジーンの人々は皆親切だ。トレスに言わせれば、やはりいい人ばかりではないそうだが、少なくとも今まで出会った人達は優しい。
下着、仕事着、シーツなど洗える物は全て洗い終わり、外へ干した頃には朝食の時間はとっくに過ぎてしまっていた。
-どうしよう……。お腹空いたなあ。
部屋のベッドでゴロゴロ寝転がっていると、ドアをノックする音がした。
-誰だろう? マーサさんかな?
この部屋に、尋ねて来る者などいないはずでは……と首を傾げて、そっとドアを開けてみる。
「意外と元気そうね」
「プレタ!!」
この世界へ来て、初めて友達になったのが城下町に住む十五歳のプレタだ。突然の訪問に、空の顔が輝いた。
「どうして、ここに!?」
「侍女さん達にアクセサリーを売ってきた帰りなの。マーサさんに訊いたらここだって言うから遊びに来たわ」
「嬉しい!! 今日ね、休みなんだ」
空の熱烈な歓迎に、プレタの方が照れてわざと無愛想に言う。
「市場を案内してやってもいいわよ。どうせ、あれから外に出ていないんでしょ?」
「わあ、ほんと!? 有り難う!!」
「ちょ、ちょっと抱きつかないでよ。厚苦しいから」
と、文句を言うプレタも嬉しそうである。実は、彼女に兄弟はいないので空の存在が気になって仕方がなかったのだ。
部屋を出ようとした時、空のお腹の虫が豪快に鳴った。
「……」
「まずは朝ご飯ね」
プレタの案内で、市場へ来ると真っ先に屋台へ向かう。
「ここ、安くて美味しいのよ」
「ふうん」
野菜やハムを焼きたてのパンに載せて食べるプレタの真似をして、空も大きく口を開けて食べた。
「美味しい!!」
「でしょう!? トッピングは自由だからお得よ」
欲張って盛り過ぎた野菜がパンから零れて、慌てるプレタを空は微笑ましく見ていた。
-玲奈や智美にも教えてあげたいなあ……。
異世界の厨房で働いていると聞いたら、彼女達はどんな顔をするだろうか。
空ったら、異世界でも働いているの!?
想像すると、目に熱いものがこみ上げてくる。
「やだ!! どうしたの?」
頬を伝う涙を慌ててハンカチで拭いて、無理に明るい声で言い訳をする。
「これ、意外と辛いね。鼻に来ちゃった」
「ちゃんと説明聞かなきゃ。替えてもらう?」
「ううん。大丈夫」
鼻をすすりながらパンにかぶりつくと、物凄い勢いで食べ始めた空をプレタは呆気に取られていた。
お腹も満たされた二人は、大勢の客で賑わっている市場へ繰り出す。
「今日は安売りしているから、逸れないでよ」
頷いてみたものの、気を抜けば人波に流されてしまいそうな混雑に逆らって、必死にプレタを追い掛けた。
「今日も市場は賑わっていますね」
「そうだな。結構なことだ」
馬に跨る二人は、警らをしている近衛隊の者達だった。
純白のロングコートに肩まである見事な銀色の髪を靡かせているノーサと、上級位の剣士が二人一組で城下町を見回っている。
ふと馬上のノーサの目に、一人の娘が映った。
栗色の髪にふっくらとした唇、大きな瞳は何処か不安げで、誰かを探している素振りに異民族だと直感する。
やがて、若い男二人が彼女に声を掛けて路地裏へ連れ込んでいくのが見えたノーサは、急いで馬から降りて人ごみをかき分けて行った。
「プレタ!!」
この土地に慣れていない空は、案の定プレタと逸れてしまった。彼女の名を叫んでも、すぐにかき消される状況に焦りを感じる。
「どうしたんだい、お嬢さん」
へらへらと笑いながら若い男が二人、空を囲むように立ってきた。
「人と逸れて……」
「俺達が送ってやるよ」
幾ら空がお人好しでもこの雰囲気はさすがにまずいと、無視して通り過ぎようとした。
「待てよ」
「離して!!」
腕を掴まれた空の脳裏に、暴行未遂の出来事がフラッシュバックして体が硬直する。
男の力に敵う筈もなく、引き摺られるように路地裏へ入って行った。
-トレス!! 助けて!!
あの日の夜も、藍色の髪の剣士は必死に助けに来てくれた。
「何をしている!!」
鋭い声に、空の心臓が跳ね上がる。
-トレス……?
逆光で顔は解らないが、長身でロングコートを着ている剣士がこちらへゆっくりと歩いてくる。
「女王陛下のお膝元で、このような不埒な輩がいるとはな」
「お、おい。こいつ最高位の剣士だぞ」
相手が悪いと踏んだのか、男達は奇声を上げて剣士の横をすり抜けると、大通りへ姿を消していった。
「怪我はないかい?」
剣士が跪いて空の顔を覗き見た。
色は違うが形はトレスと同じロングコートに、さらさらと美しい銀色の髪が流れて蒼い瞳が優しく微笑んでいるその容姿に見覚え、否聞き覚えがある。
襲われた夜、トレスがずっと語ってくれたオバジーンの話で出てきた親友の名前。確か……。
「ノーサさん!?」
ノーサは怪訝そうな顔をして頷いた。
「いかにもラヌギ・ノーサだが君は?」
「私は蒼井空です。トレスの……」
「あっ!! ソラ!!」
プレタが二人を見つけて叫んだ。彼女も必死に探していたのか息が荒い。
「何処に行ってたのよ!! ノーサ様!!」
やっとノーサの存在に気付いたプレタが、かしこまって頭を下げた。
「プレタの友人か。可愛い子が一人だと危険だから、一緒にいてあげて」
「有り難うございました」
優しく微笑むノーサに、空も笑顔で一礼する。
「もう!!心配したんだからね」
プレタの瞳が涙で潤んできたので、空が彼女の髪を撫でた。
「ごめんね。あの人が助けてくれたの」
「ノーサ様? あなた、彼とも知り合いなの?」
「ううん。知らないけど聞いたことあるの」
口数の少ない彼が、自分の為に一生懸命語ってくれたあの言葉が耳に甦ってくる。
俺の親友、でラヌギ・ノーサという最高位の剣士がいる。
光を浴びて銀色の髪が輝く姿が羨ましいと何度も思ったよ。
何もかも俺と正反対でいつも笑顔でいるし、ロングコートも純白だ。
あいつが陽なら、俺は影といったところかもな。
女にも人気があって、侍女達がいつも騒いでいる。
……俺はどうかって? 気にしたことがない。
とてもいいやつだ。俺はノーサの為なら命を掛けられる。
そして、お前にも……。




