新天地 その1
あれから数日が経って、空は多忙を極めていた。
マーサ達が担当している食堂は、兵士と下級位の剣士達の三食を賄っている。人数が半端なく多いので、厨房は常に戦場である。
「煮物の味見したかい?」
「おい、皿の追加頼む!!」
怒号のような指示が飛び交うなか、見習いの空も慣れない環境にてんやわんやだ。
マーサの料理は量もさることながら味もいいと評判で、トレス達も時々個別に注文する場合もあるくらいだ。
早朝の仕込みに始まって片付けが終わるのが夜の十時だが、夜食を依頼される場合もあるので二交代のシフトが組まれている。
大鍋を巨大な杓子で黙々とかき回していると、その大変さに給食のおばちゃんへしみじみと感謝する。
疲労が蓄積された重い体を引きずって、与えられた部屋に戻るとベッドにバタンキュー。
空の部屋は厨房に近い所にあり、既婚者は城の外に住んでいるので独身者が主に利用している。
人数が多いので相部屋となるが激務の為人の出入りも激しく、たまたま空が割り当てられた部屋は一人となった。
幸い虚しさや孤独感も感じる間もない。そして、トレスに逢えない寂しさやも……。
ここに働き始めて、彼とはすれ違いすらなかった。これだけ広大な敷地と人数に加え、近衛隊は女王と行動を共にしなくてはならないので自由はないと厨房の人達が教えてくれた。
-女王様か……。どんな人だろう。
話によれば、歳は十六で神秘的な美人だという。
雲の上の存在なので庶民はおろか城の者達も頻繁に見掛けるわけではないらしいが、そのお方にトレスは毎日会っているのかと思うと、空の心中も穏やかではない。
「ソラ、ちょっと来てくれ」
名前を呼ばれて空は急いで向かった。フットワークの軽い彼女は、何かと雑用を頼まれ易いのだ。
また大鍋に入ったスープを巨大杓子でかき回していると、マーサと若い調理師との会話が耳に入ってきた。
「カランカの肉は堅くて火が通りにくいから、焼き加減に気を付けるんだよ」
カランカとは大型の鳥の肉で堅く、焼けば柔らかくて美味だが微妙な火加減が要求される高級食材だ。
この食堂ではあまり扱わないのだが、今回は腕のいいマーサに最高位担当から依頼が来たのである。
「最高位の剣士方にお出しするから、失敗は出来ないよ」
最高位と聞いてトレスの顔が浮ぶ。
「大丈夫ですよ。任せておいて下さい。焼ける音が細かくなったら取り上げるんですよね?」
「頼んだよ」
と、言いつつ内心マーサは心配だった。この調理師はスレッダといって、腕はいいのだが少々横着な所があるので、忠告の意味も込めて扱いが難しいカランカの肉を任せたのである。
だが、案の定フライパンにカランカの肉を置くと、近くにいた調理師と雑談を始めた。
「おい、火を見ていなくていいのか?」
「なあに、音が変わるまで暫くかかるって」
二、三分経つと目安となる細かくなる肉の音に、空は気付きスレッダの姿を探す。
-音が変わってきたけどいいのかな……。お肉、堅くなっちゃうよ。
スープを混ぜながらも、空は気が気じゃない。
もう一人、気が気じゃない人物がいた。別の料理を作っているマーサだ。
-あいつ、何処へ行ったんだい!? あれほど目を離すなって言っておいたのに。
そして、フライパンをしきりに気にする空にも気付いた。
-あの子、音の変化に気付いたのかい?
微妙な音加減は素人ではなかなか判断できないのだが、異民族の空がこの騒がしい場所できっちりと聞き分けられたと知り感心する。
実は、空は絶対音感を持っている上に耳がいい。美紗子もその才能に気付いて、海外で住んでいる頃は常に音楽がある環境下で育ってきた。
-どうしよう……。
視線がちらちらとフライパンと鍋を行ったり来たりして、悩んだ末に空がコンロに向かった。
俺が美味かったと言えば、自信になるか?
迎えに来たトレスが馬上で言ってくれた言葉が、空の足を動かす。
フライパンを火から下ろした時だった。
「何をやっているんだ!!」
鋭い声に、空の体が強張った。
「スレッダさん……」
「下っ端が勝手なことをするな!!」
自分に任された仕事を新米の彼女が手を出したことに対して、スレッダの怒りは治まらない。
「すみません」
俯いた空は消えるような小声で謝罪すると、マーサがこちらへやってきた。
「謝る必要はないよ」
「マーサさん!?」
スレッダは意外な顔でマーサを見たが、当人は腰に手を当てて険しい表情だ。
「今まで何処にいたんだい?」
「何処って、向こうを手伝っていました」
「私は、カランカの肉を調理しろって言わなかったかね?」
剣士も圧倒しそうなマーサの睨みに、スレッダの背中から汗が流れ始めた。
「音が変わるまで、五分はかかります。その間に……」
スレッダは以前、この肉を料理した際に時間を計っていた。だが、肉質や火の温度など条件が違えば、時間も変わることを彼は見落としていた。
その貴重な食材を、彼の浅はかな知恵で無駄にするところだったのだ。
「あんたは腕がいいけど、その怠慢さが邪魔をしているのが分からなかったようだね」
抑揚のない声が、余計にマーサの失望が大きいことを物語っている。
「すみません!! もう一度チャンスを下さい!!」
彼女に見放されたら、もうこの厨房では働けなくなる。スレッダは懇願した。
間が空き、マーサは口を開いた。
「ソラに謝るんだ。あんたの失態を救ってくれたんだからね」
なんで俺が……、という表情のスレッダにマーサは一喝する。
「料理は心なんだよ!! 美味しく食べてもらおうという気持ちがないなら出て行っておくれ!!」
項垂れたスレッダが渋々と空に向き直って小声で謝罪すると、彼女も慌てて頭を下げた。
「出しゃばってすみません」
「ここはわたしからするから、あんたは盛りつけを手伝っておくれ」
スレッダがいなくなると、気落ちした空の肩にマーサの厚い掌が乗る。
「あんたが気にすることはないよ。むしろ感謝しなきゃいけないんだから」
「でも、呼びに行けばよかったと思います」
「行っている間に火は通り過ぎて、肉が堅くなっていたよ。そうしたら、やり直す時間も食材もないんだ。ソラは、私の信用も救ってくれたんだよ」
「スレッダさんを辞めさせないで下さい。あの人の作るソースは、とても美味しいんです」
理不尽に怒鳴った相手を必死に庇う空に、マーサの頬が緩む。
-成程、トレス坊ちゃんが気に入る訳だ。
「ちょっとお灸を据えただけで、明日からまたこき使うから安心しな」
その台詞に、空は胸に手を当ててほっと息を吐いた。
「ソラ、その肉を容器に詰めて私と来ておくれ」
迷路のような城の内部を大股で歩いて行くマーサの後ろを、空が小走りでついていくこと十五分、辿り着いたのは立派な食堂の厨房だった。
「あの、ここは?」
空の質問が聞こえていなかったのか、マーサはここの調理師に先程のカランカの肉を手渡している。
少しやり取りがあって、彼女が空を手招きした。
厨房と食堂と繋がっている扉を少し開けて、「見てごらん」と促されたので空が覗いてみると……。
「あっ!!」
藍色の髪の剣士が目に飛び込んできた。
「ここは最高位の剣士が使う食堂だよ。今日のご褒美さ」
久々に見るトレスは相変わらずの仏頂面だが、凛々しくもあるその姿に空の瞳は輝く。
頬をほんのりピンクに染めて彼に見入る空に、マーサは思わず呟いた。
「若いっていいねえ」




