その6
あの事故以来トレスの様子がおかしい。
『ふくちゃん』のバイトが終わると迎えに来てくれるのがその前後は何処かへ行っているようだ。
それに黙って何かを考え込んでいる時間も多くなった。元々口数は少ない方だが余計に物静かになっている。
会話も生返事ばかりで、しまいには空が一方的にしゃべる展開が続いたある日、ついに空の我慢の糸が切れた。
頬杖をついてぼんやりしているトレスに身を乗り出す。
「隠し事しないって約束したよね?」
おもむろにトレスの瞳が空に流れてそのまま止まった。見慣れるのに藍色のそれにどきっとして空は体を離す。
「隠し事はしていない。現段階で話せないだけだ」
-だから、それを隠しているっていうんじゃない!!
ものは言いようである。
「現段階ってことは継続中?」
意外と鋭い、とトレスは心中で驚いた。普段はお人好しでふんわりした雰囲気を持っているが物事の視点はいい所を突いてくる。
「私でよければ聞くよ?」
そう。今回のことは空でないと話が通じない。軽く息を吐いてトレスが口を開く。
「この間の件で人を探している」
「この間の……? 怪我した時の?」
トレスがこくりと頷いた。
「ひょっとして、あれはわざと? 犯人を知っているの?」
明言は避けたが彼の険しい表情で心当たりがあるのだと確信した。
「会社の人なら飯尾さんに相談しないと」
「いや、違う」
「トレスの知っている人?」
空の不安げな瞳にやはり黙っておくべきだったと後悔したが、ここで話を畳んでも余計彼女の気持ちを掻き立て兼ねないと意を決した。
「……俺を追っていた男がそうだ」
空は状況を理解しようと試みたが結果的には瞬きを二、三回したのみだ。
「追ってって何やらかしたの!? だから、あれほど隠し事はなしって……」
「待て。俺は何もやってはいない」
早合点して曲解しそうになる空にトレスが片手を顔の前に上げて制した。
「ここに来る前の話だ」
トレスがこの世界に来る前、つまりオバジーンの人間が彼に怪我をさせた事実に空は解せない。
「だって、この世界に来る方法なんてないんでしょう?」
「一つだけある」
その方法とは……。トレスの間に空があることに気付いた。
「『時の泉』!!」
トレスは静かに頷く。
「あれは時空を超えるから、自分が生きてここに来れたのも奇跡だって言ってたよね?」
『時の泉』とは、オバジーンの森の奥にある神秘的な輝きを放つ泉である。
古よりこの泉に身を沈めた者は時空を超えて生死すら不明な禁断の場所なので儀式以外は何人も立ち入りを許されていない。
では、何故あの夜トレスはあの泉にいたのかー
あの日の夜、いつもの通りトレスとノーサは馬に乗って城外を警らしていた。
「今夜は三日月だな」
トレスの藍色の髪は夕闇に同化しているのに対してノーサの銀の髪はわずかな月明かりさえ吸収して輝きを放っている。肩まである髪は一本一本が細く絹のような滑らかさに女性達は羨望の目で見ている。物腰が柔らかいのと爽やかな笑顔で城の内外問わず女性達の憧れの的だ。
穏やかな笑顔のノーサと眉間に皺を寄せているトレスが並ぶと対照的だが戦いになるとこの二人は息が合う。
「異常はないな」
そろそろ城門に到着しようとした時に複数の蹄の音にトレス達は表情を固くした。音が近づきたちまち十数人の男達に囲まれる。
いずれも剣士らしいが顔は覆面で隠している。
「何者だ」
トレスの低く鋭い声が静寂に響いた。
一人の男が連中の前へ出るとトレスは細めて凝視する。歳は四十後半、少し細い体で背はそんなに高くない。
夜も更けて視界が悪いが、訓練された彼の目は暗闇でもはっきりと男の顔と特徴を捉える。
「用があるのはティエラ・トレスだけだ。命が惜しければ去れ」
ノーサは自分に向けられた男の台詞に嘲笑した。
「友を見捨てて生き残れとは俺も軽く見られたものだな」
「お前達の目的は『あれ』か?」
黙して語らない相手にトレスの手は剣に伸びると、男が剣を抜いて他の者達もそれに倣う。
二人は自然に互いの背を合わせて迎え撃つ体勢を取って身構えると、それが合図となり一同は一斉に襲い掛かった。
最高位の二人を襲撃するだけに、優秀な剣士を集めておりトレス達は苦戦を強いられた。
夜の闇のなか、嘶く馬とぶつかり合う金属音が混ざり合う混沌とした状況を打破すべくトレスがノーサに叫んだ。
「俺が連中を引き付ける。お前は女王様に報告を!!」
「待て!! 一人は危険だ!!」
だが、既に馬を駆って漆黒の闇へ吸い込まれる彼にノーサの叫びは届かなかった。
男が言った通り、連中の目的は自分だけだと追ってくる連中の数の多さで皮肉にも知る。
とにかく遠くに逃げなければ、と馬を走らせて辿り着いたのが『時の泉』だった。
馬から降りたトレスが泉に近付くと、僅かだが水面に波紋が起きて胸元がほのかに熱を帯びている。
首に提がっている紐を手繰り寄せると石のペンダントが姿を現した。
恐らく連中の狙いは自分ではなくこのペンダントだろう。先程、男に問うた時わずかに眉が動いたのを見逃さなかった。
先祖から受け継がれてきた『奇跡の石』と呼ばれる物で、存在は王族の間でもごくわずかな者しか知られていない。
トレスはこの石を継ぐ者として幼い頃から父に剣士としての知識と技能を叩きこまれて育ってきた。そして、その父が母と共に惨殺された後、親友だったモンソウに引き取られて今日まで生きていたのだ。
-何故、この石のことを知っている!?
石の存在もそうだが、何故自分が持っているのが分かったのか考えようにもすぐそこまで追手が迫って来ている。
『奇跡の石』の効力は、相手に触れ合うだけで異民族の言語と習慣が瞬時で理解出来るらしいが実際にトレス自身も試したことはないので定かではない。
-この力を利用して他の国々を攻めるつもりか……。
いずれにせよ、この石の存在が他に知れたとあってはトレスが取るべき道は一つしかない。
意を決して一歩ずつ不気味に輝く泉に歩み寄る。
「止まれ!!」
男の声にトレスはおもむろに振り向いた。
「その石を渡せば命まで取らない。優秀な剣士を無駄に死なせたくないからな」
やはりそうか、と唇を噛んだ。
幼い頃から、万が一の場合は石と運命を共にしろと父の低い声が耳に甦る。
-お前と酒を飲む約束、守れそうにないな。
親友でもありライバルでもあるノーサと先日酒を飲む約束をしていたがそれが果たせないのが悔いが残る。
トレスは息を静かに吐いて目を閉じた。
彼の行動を察知したのか男が駆け寄ったが、それよりも速く『時の泉』に身を投じる。
もうこの石を巡って争いが起きぬようにと……。
この世界に慣れてきたが、目を閉じればあの頃の光景が鮮やかに甦る。
「もし、それが本当ならトレスはオバジーンに帰れるの?」
空の言葉にトレスの心臓が激しく弾んだ。振り向くのも怖いほど想像できる空の哀しい瞳がそこにあると思うと顔が向けられない。
この話をすれば必ず結論はそうなる自分の思慮の無さを嘆いた。
「今は分からない」
これが精一杯の返事だった。
「よかったじゃない!! あっ、トレスの命を狙っているんだからよくはないか」
空は明るく笑った。その表情とは裏腹に声がかすかに震えているのを知りながらトレスは黙って俯くしかなかった。




