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居候の剣士と高校生のわたし  作者: 芳賀さこ
それぞれの分岐点
29/70

その4

 東の空が白々と明るくなった頃、彼女は目を覚まして見慣れた天井をぼんやり眺めていた。

 襲い掛かる男。助けに来たトレス。

 あれは夢だったのだろうか。否、転んで擦り剥いた膝がひりひりと痛んで無情にも現実と知る。

 隣にはトレスが座ったままベッドに寄り掛かって眠っていた。

 そして、互いの手は堅く握られている。

 

 -トレスの寝顔、見るの久し振りだ……。


 朝早く起床して夜遅く就寝する彼の寝顔は、最初に出逢った頃以来だと気付いた。

 どんなに遠くにいても自分がピンチになると必ず駆け付けてくれる異世界の剣士をこんなにも愛しいと思ったことはない。


 -やっぱり、私はトレスが好き。たとえ叶わない恋だとしても……。


 もう恐れない。怖がらない。自分の気持ちを貫くのみ、とつい握った手に力が入り気付いたトレスがおもむろに目を開けた。

「お早う」

「お早う」

 いつものように他愛のない挨拶を交わして互いに見つめ合う。

「お帰り」と空が言うとトレスは照れ臭そうに「ただ今」と呟いた。

「私も隠し事はしない。だから、トレスも私にだけは何でも言ってね」

 もう彼への気持ちを隠したりしない。これからはちゃんと向き合って生きていく……。

 全てを察したわけではないが強い光が瞳に宿るとトレスが笑みを浮かべた。

 頬を少し緩めるだけのものだったが空にはそれで充分だった。



「ごめんなさい!!」

 ディスカウントショップのバイトに来た空は柳井の元へ駆け寄ると、開口一番に謝罪して勢いよく頭を下げた。

「どうしたの?」

 柳井の穏やかな口調に胸が痛む。

「あの……、せっかく告白してもらったんですが私には好きな人がいます」

「クロスバイクの彼?」

 今更隠しても仕方がないと空が頷くと、柳井は大きな溜息をついた。

「いいよ、分かっていたから」

「えっ?」

「分かっていたけど、ひょっとしたら俺にも可能性があるんじゃないかってね」

 きっぱり断られてよかったと柳井は言う。

「変に期待するよりは全然いいよ」

 好きな人の為に、強引に気持ちを手繰るのではなく手を離す優しさを持っている柳井は本当に素敵な人だと空はしみじみ感じた。

「きっと私より素敵な人が現れます!!」

「そうだといいね。フラれたけどこれまで通りよろしく」

 柳井が差し出した手を空も自然に握り返した。初めてトレス以外の男の人と握手したが彼のは温かい。

 頭を下げてレジへ向かう空を柳井はつくづく自身の人の良さに苦笑しながら見送った。



 仕事が終わったトレスは社員寮にある青山の部屋で荷物の整理をしていた。

「トレスさん、帰っちゃうんですか!?」

 慌てて駆け付けたのか青山が息を切らせてやって来た。

「世話になった」

「そんな……。寂しくなるなあ」

「いや、別に金輪際の別れじゃないし会社には来るから」

 スポーツバックを肩に掛けたトレスが涙目で鼻をすする青山を宥める。格闘家とアイドルと相反する趣味を除けば結構いい若者だった。

「結局、なんで家出なんかしたんですか?」

 前言撤回!!

 自分の未熟さを思い出したトレスは憮然として寮を後にした。



「ただ今」

「お帰り!!」

 久し振りに聞く空の台詞にトレスはほっとする。それは空も同様でトレスの声に安堵する。

「初めてのお泊まりはどうでしたか?」

 スポーツバックの中身を衣装ケースに移し替えていると空が悪戯っぽく訊いてきた。

「悪くはなかったが良くもなかった」

 一体どっちなんだろうと空が悩んでいると重大なことを思い出して声を上げる。

「勿論男の人の所だよね……?」

 怪訝な顔でトレスがこちらを見た。

「男子寮だからな」


 -なんだ、男子寮か……。そうだよね、よかった!! 


 精悍さと少年っぽさが同居する顔立ちに均整のとれたスタイル、おまけに手足も長いとくるとその気になれば女性など選り取り見取りだが当人は自覚なしだ。それが空にはせめてもの救いである。

 二人向き合うと空は堰を切ったようにこれまでのことを話し始めたが、当然ながら柳井に告白されたことは伏せておく。

 よほど話相手に不自由していたのかと感心を通り越して呆れているトレスに空が覗き込んだ。

「聞いてる?」

 顔を上げたトレスと空の顔が目と鼻の先にある。

 藍色の前髪の間から見える同色の瞳はその近さに驚いたのか大きく見開いて少年っぽさが勝っていた。

「あっ、ごめん!!」と、先に身を引いたのは空の方だった。

「何故謝る?」

「なんとなく……」

 そう言うと空は気まずさにテーブルに広げた宿題をやり始めた。その姿に少しだけがっかりした自分に気付いたトレスの頬がほんのりと赤かったのを空は知らない。



「ということで私はトレスが好きです!!」

 登校するなり親友二人の前で空は高らかに宣言した。宣言したもののその気恥かしさに耳まで真っ赤だ。

「それじゃ柳井さんって人は……」

「ちゃんと断りました」

「なんて言ってた?」

「変に期待するより全然いいって」

 

 -その柳井って人も相当なお人好しだわ……。


 玲奈と智美は同じことを思っていたのか同時に互いの顔を見合わせる。

「空の決意が固いなら何も言わないけどね。後で綺麗なお姉さんが現れても揺るがないのね?」

 智美の、トレスの鋭い視線にも似た瞳に空はつばを飲み込んだ。

 かつてトレスの口から出た女性の名前は確かフローラ……。もう少し詳しく訊こうとしたがトレスに話を強制終了されてそのままになっている。

 彼女がこの世界へ来ることはないと思うが、気持ちで繋がっていたならば空にはどうすることも出来ない。

「心当たりがあるんだ」

 玲奈の探るような眼差しから目を背けた。

「な、ないよ。いてもそれはそれでいいと思っているから」

「ならいいけどね」

 と二人が話を畳んだので空はほっと胸を撫で下ろした。



 この日は『ふくちゃん』のバイトだがこの間の暴行未遂事件をまだ気にしているらしく、トレスが帰りは迎えに来ると言い出した。

「大丈夫だよ。チャリも直ったしあの道は明るいから」

 だが、彼は頑として譲らない。暫く押し問答が続きついに根負けした空が「お願いします」と頼んだ。

 そして、仕事が終わる頃にトレスが店へやって来た。

 彼を見つけるや否や久恵が物凄い形相でつかつかと近付くといきなり怒鳴る。

「勝手に家出したらダメじゃない!! ちゃんと連絡くらいしなさい!!」

 女性にここまで叱られたことがないトレスは直立不動で項垂れていた。永遠と続く説教に辛うじて「すみません」と謝罪するとカウンターから「もういいだろう」と福太郎が助け船を出してくれた。

「それはそれは空ちゃんの心配ようったらなかったわ。茶碗は割るわ注文は間違えるわ、ほんと酷かったんだから!!」


 -あの……、それって秘かに私への不満も入っているんでしょうか……。


 耳が痛い空も久恵の言葉に俯いてしまう。

 二人して並んでしょげている姿は何処か可笑しくてついにやけてしまう。横にいるトレスの表情は真剣そのものでまたそれも笑いを誘うがぐっと堪えた。

 ようやく久恵から解放されて店を出ていく若い二人に福太郎が妻に声を掛ける。

「よほどの事情があったんだろう。そう怒ってやるな」

「そうじゃないのよ!!」

 一気に捲し立てる妻の話によると、最近の空はトレスのことばかり話すし彼ばかり構うと言うのだ。つまり、焼きもちである。

 福太郎も空を娘のように思っているので心中は穏やかではなかったが、仮にあの二人の仲が発展することがあればそれこそ嵐が来ると肩を竦めた。




 






 


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