その2
トレスがいなくなって三日が過ぎた。
彼が来る前は一人で生活していたのだが以前と違う雰囲気に空は溜息をつく。
ロングコートと剣はクローゼットに仕舞ったままなので、異世界へ帰ったということは多分ないだろう。いずれはこの部屋に戻ってくると願いたいが携帯電話の電源は切れて音信不通だ。
突然降って湧いた『恋』という乙女心を持て余して結局はトレスを傷つけてしまった。
そして、彼のいない部屋はこんなにも静かで広く感じる。
落ち込んでいると、近所のディスカウントショップからバイトの応援の電話が掛かって来た。こんな時は部屋でうじうじ考えるよりも体を動かしていた方が気が紛れるので引き受けて部屋を出た。
バイオリズムが低下しているとトラブルが続出する、そう痛感させられる出来事がまさしく今日だった。
「急に呼び出して悪いね」
申し訳なさそうに謝罪する店長と入れ替わりに柳井がやって来た。
「空ちゃんに会えるなんて嬉しいな」
叔母との約束でバイトを制限しているので、土曜日しかシフトを組んでいない空と柳井が平日に顔を合わせるのは珍しい。
怒涛の数日を過ごしたせいか、穏やかな柳井と話していると心が休まる。
「なんか疲れているみたいだね」
「そうですか?」
と、から元気で答えたが本音は心身共に参っていた。
「クロスバイクの彼と喧嘩した?」
柳井は牽制球のつもりだったが今の空にとってはデッドボール並みのダメージで一瞬にして顔が強張った。
「……彼氏じゃありません」
この前は元気よく否定したのに今日は消えそうな声だ。
「空ちゃんって彼氏いなかったっけ?」
「はい……」
彼氏はいないが好きな人ならいる。
とてもじゃないが言える筈もなく俯いてしまった空に柳井は更に畳み掛ける。
「じゃあ、俺と付き合う?」
一緒にご飯食べる? くらいのさりげない台詞に空は聞き流すところだった。
「へっ?」
「彼氏いないなら俺と付き合わない?」
何度聞いてもそうとしか聞こえない柳井の台詞が頭を木霊する。
「わ、私とですか!?」
「そう、空ちゃんと」
穏やかな笑顔は崩さず、だが真剣な眼差しの柳井にひどく狼狽した空はすぐには言葉が出ずに立ち尽くしていた。
「返事は後でいいから考えてくれる?」
無言で頷くのが精いっぱいだった空の頭に手を置くと柳井は持ち場へ戻っていった。
その後は、空自身もどうやって過ごしたか解らない程舞い上がり、気が付けばふらふらと自宅に辿り着くから習性とは大したものである。
衝撃の告白から一夜明けても空の動揺は収まる気配がなく、それどころか昨夜は一睡もしていない有り様だ。
相談しようにも智美にはきついお灸を据えられたばかりで気が引ける。
誰にも相談できずに学校へ来た途端、茫然と座っている親友に玲奈と智美は眉をひそめた。
「ありゃ悪霊どころか死神背負っているよ……」
「薬が効き過ぎたかもね」
昨日今日でトレスは音信不通だわ突然柳井に告白されるわで、既に空の感情はオーバーヒートして前より一層負のオーラを纏っている。
「空、元気出しなよ」
玲奈が肩に手を置くと空が顔を向けた。
-うっ!! 目の下にクマが出来てる……。
「あのさ、智美はキツいこと言ったけどあんたの為を思って……」
「玲奈~!!」
泣きついてくるこのパターンはヤバいと玲奈は本能で察知して智美に目配せする。
「今度はなに?」
半分呆れた智美と玲奈に涙目の空は昨日の出来事を話した。ただ、話している間も感情が高ぶりかなり支離滅裂な内容となっていたのは本人は気付いていない。
「つまり、バイト先の大学生に告られたと?」
「その人知ってる。柳井さんでしょ? あの辺りじゃイケメンで優しいって結構有名だよ」
玲奈の兄と柳井は同じ大学に通っているのである程度は情報が入ってくる。
「へえ。で、なんて返事したの?」
「返事は後でいいからって……」
最近ようやく初恋を経験したばかりなのに、今度は身近な相手に告白されるとは彼女も災難だと友人二人は大きく溜息をついた。
「あの居候には言ってみた?」
ここで空の肩がぴくっと反応したのを見逃さない智美はすかさず口を挟む。
「言ったところで空の気持ちが整理されていないのに火に油を注ぐようなものよ」
-自分は油どころか爆弾を落としたくせによく言うよ。
原因を作った智美に玲奈は毒づく。
「……いないの」
「いないって誰が?」
まだ何か問題があるのかと玲奈が構えた。
「トレス、いなくなっちゃった」
「ええ!! なんでそれを早く言わないの!?」
玲奈が仰天したが、何度も言おうと試みるもそうさせない雰囲気だったのだ。
やっと自分の出番が来たと言わんばかりに智美が腕を組んですがる瞳の空を見やる。
「彼の捜索は私達に任せて空は自分の気持ちに専念しなさい」
「心当たりがあるの?」
「まあね。分かったらすぐメール入れるから」
こくこくと頷く空の頭を二人が撫でた。
社員寮の青山の部屋へ転がり込んで三日目だが正直トレスはうんざりしていた。
青山は面倒見がよくいい奴に違いないが、格闘家とアイドルと相反する両者の伝説を連日連夜聞かせれてはたまったものではない。おまけに共同風呂ではトレスのアスリート並みの肉体を興味津々で眺めてくるので落ち着いてゆっくりする余裕もない。
そろそろ空の笑顔が恋しくなり始めた頃に、そのきっかけが現れた。
風呂からあがると、同じ寮生からトレスに面会人が待っているというのだ。
「女子高生だぞ。お前もスミにおけないなあ」
女子高生と聞いて空かと思ったが長身のシルエットからして違うようだ。周囲を気にしながら立っている女子高生はこちらの気配に振り向いた。
ショートカットに強気な瞳、長身でいつぞやドーナツ論争を展開したその娘は空の友人だ。
「お前は確か……レオ」
「玲奈よ!! 私はウルトラマンか!?」
「どうしてここが分かった!?」
実は、トレスの行方は意外なところで判明した。
学校で空を慰めると玲奈は心配そうに智美に訊いた。
「あんな大見栄切っていいの?」
「うん? 私に掛れば問題ないって。大抵の推理物は読み漁っているから大丈夫」
そんなものかと単純な玲奈は納得する。
「まずは働いている場所を突き止めなきゃ。空の話によると『ふくちゃん』の常連さんが絡んでいるからそこから情報を集めよう。明日、学校の帰り道に寄ってみようよ」
事態をこじらせては元も子もないから慎重に進めようと智美は言っていたが玲奈は居ても経ってもいられず単身『ふくちゃん』を訪れた。
日が暮れ始めた店内は客の入りが五割といったところで、久恵が先に気が付いてくれた。
「あら、玲奈ちゃん、こんばんは」
玲奈もここには何度か来ているので杉本夫妻とは顔馴染みである。
「こんばんは。あの、ちょっとお話があるんですけど」
「なにかしら?」
「トレスって人の会社分かりますか?」
意外な質問に久恵が目を丸くした。
「ええ。どうしたの?」
「あいつ、急にいなくなっちゃってそれで空が心配しているんです」
「まあ、あの子ったら」
『あの子』がどちらを指しているのかは玲奈には分かり兼ねたが、久恵は早速飯尾に電話をしてトレスの所在を教えてくれた。
「会社の社員寮にいるらしいわ。これが住所ね。悪いけどお願い出来る?」
はい、と返事した玲奈はメモを受け取ると一礼して店を出た。
そして、玲奈は社員寮の前でついにトレスを捉えたのだ。




