その2
ドーナツパーティーもお開きとなり、またトレスを囲んで取り調べさながらの尋問が再開された。
「名前は?」
「トレス」
「職業は?」
「飯尾さんの会社にバイトしてる」と、空。
「何処に住んでるの?」
「何処ってここだが」
「だから、その前は何処に住んでたのかって聞いてんのよ!!」
玲奈の苛立ちも最高潮に達したので、これはまずいと空が説明を引き継ぐ。
「実は記憶喪失で、アパートの前で倒れていたからそのまま連れて来て……」
「はあ? 犬や猫じゃあるまいし連れて来たって相手は男だよ!! しかも若い!!」
空のお人好しの度合いは玲奈達の範疇を超えていたのか大きく溜息をついて首を振った。
「でも、悪そうな人じゃないから……」
とても「この人は異世界から来た剣士です」とは口が裂けても言えない状況に空の旗色は段々悪くなってきた。
「あのねえ、こんな若い男が女子高生と一つ屋根の下で暮らして何も感じない訳がないって。きっとエロいこと考えているに違いないよ!!」
「エロいってなんだ?」
トレスが空に説明を求めたが、答えに困り智美に目で助けを請う。
「女性を性的対象で見たり行動したりすること」
智美が淡々と説明したのでトレスは怒るタイミングを計り損ねた。
「失礼なやつだな!! 俺がそんな人間に見えるか!?」
玲奈はここで初めてちゃんとトレスを見た。藍色の髪と瞳、精悍さと少年っぽさが共存する整った顔。
ーうっ、こいつイケメンだ……。
悔しいことに言葉に詰まった玲奈はまた智美に追究を請う。
「まあ、都合が良過ぎる気もするけど、番犬代わりに置いとけばいいんじゃない?」
と、含みを持たせた智美の意見に空の心臓は跳ね上がった。
ー智美、絶対嘘だと見破っているよね。
頭脳明晰で専門知識も豊富、おまけにオカルト好きの智美は、何処まで真実を分かっているのかその無表情な顔からは読み取れない。
「変な男に押し掛けるよりは彼の方が安全だと思うけど?」
智美に言われて不思議と納得してしまう玲奈はぶつぶつと呟きながら渋々この件から手を引いた。
「言っておくけど、空に何かしたら私がボコすからね」
「ボコす?」
「殴りまくるみたいな」
ーこの女、あいつに似て厄介だ。
『あいつ』とは、オバジーンにいる幼馴染の女剣士で気が強く負けず嫌いな性格でトレスと会うと「いつか倒す」が口癖だった。
「それより勉強会しないの? 早くしないと日が暮れちゃうよ」
智美の一言で二人は当初の目的を思い出すと慌てて勉強道具をテーブルに広げた。
辺りが暗くなる前に玲奈と智美は帰って行った。
急に静まり返った部屋で空とトレスはぐったりして暫く動かなかった。
「びっくりした。帰ってきたら二人がいるんだもん」
クッションに顔を埋めたまま空が呟く。
何故、トレスが疑いもなく玄関のドアを開けたのか。
金曜日の夜、トレス達独身者は仕事が終わるとそのまま飯尾のアパートで宴会となった。体格がいい男達は酒の量も半端なくあっという間にビールやチューハイの缶がうず高く積まれていく。トレスも酒は弱い方ではないが、この世界に来て一度も口にしていないので体質に合うかどうか不安だったが、やはり飯尾に捕まった。
「おい、全然飲んでいないな。飲めないのか?」
「はあ、まあ」
トレスにしては切れの悪い返事に飯尾の目が光る。
「よし! 俺が教えてやる!!」
断る間もなく缶ビールを持たせれて、本日六回目の乾杯をすると問答無用で飲まされた。
初めてこちらの酒を飲んだが、今まで味わったことのない弾ける喉越しについ飲み干す。
「なんだ、いけるクチじゃないか!! どんどん飲め!!」
結局、飯尾に最後まで付き合ったのはトレスだけで他の男達は酔い潰れてしまっていた。
やっと解放されて空の部屋へ戻ったのが今日の朝方で、それからシャワーを浴びて一休みしていたところに呼び鈴が鳴ったのである。
寝ぼけたつもりはなかったが、空以外の訪問者はいないと固定概念からついドアを開けてしまったのだ。
「悪かったな。バレないように色々苦労したんだろう?」
罰悪そうなトレスの口調に空は首を横に振った。
「本音言うとバレてすっきりした。やっぱり親友に隠し事はつらいから」
そのつらいことを空に強いていたトレスの心は痛む。
「すまない。俺のせいで……」
「やだ、トレスらしくないよ」
「じゃあ聞くが、俺らしいとはなんだ?」
「いつも堂々として誇り高くて背筋がぴんと伸びて、無愛想で……」
「無愛想は余計だ」
顔は不機嫌だが気分はそうでもない。空が自分をどんな風に思っていたのか分かったから。
「ねえねえ。私らしさってなんだと思う?」
大きな瞳を輝かせて空が身を乗り出してきたので、あまりの近さにトレスは身を引いた。
「そうだな、お人好しかな」
「他には?」
ねだられてもう少し考えてみると空の笑顔が浮かんだが、それは本人に伝えず胸に仕舞っておく。
「ない」
「ええ!? それだけ?」
「試験、あるんだろう? 早く勉強しろ」
頬を膨らませた空の頭をぽんとトレスが叩いたので、渋々胸に抱いたクッションを外して教科書を手に取った。
「トレスって勉強好きそうだよね」
「知識や情報を多く得た者が勝負を制するからな」
ーうわあ、正論をさらりと言ってきた。
こういう所は未だについていけない。
「お前は嫌いか?」
「好き嫌いが激しいんだ。古典は苦手で」
古典の教科書を覗くトレスの近さに昼間の玲奈を思い出す。
こんな若い男が女子高生と一つ屋根の下で暮らして何も感じないわけないって!!
ーあー!! 意識しないように頑張っていたのに!!
彼は異世界の人間であって男ではない、と無理矢理自分に納得させてなるべく意識しないで暮らせるようになったのに玲奈の言葉でまたぶり返した。
「自分の国の古い文化を知ることは大切だぞ」
顔を上げた空とトレスの顔は、息がかかるほど文字通り目と鼻の先だった。
柔らかい栗色の前髪が白い肌にかかり、大きな瞳には自分が映っている。そして、トレスの目線はふっくらした唇へと動いた。
無意識にトレスの指が空の唇に触れようとした時だった。
空に何かしたら私がボコすからね!!
玲奈の怒鳴り声が耳元に甦りはっと我に返る。
ー俺は、一体何をしようとしていたんだ!?
急にトレスが立ち上がり「ランニングへ行ってくる」と、一言残して部屋を出てしまった。
残された空は、先程の余韻で勉強どころではない。
ーダメだ……。今日は色々あり過ぎて集中出来ないよ。
空はまたクッションを胸に抱くと、今度は激しく顔を擦りつけた。
衝撃的だったのは親友二人も一緒だった。専ら、智美はそうでもないが玲奈の落ち込みようはひどい。
「空が同棲してたなんて……」
「同棲じゃなくて同居。」
智美の指摘にも反論する元気もないらしく表情は沈んでいる。
「まあ、最近様子がおかしかったからね」
「男だよ。しかもイケメンの若者!」
「妬いてんの? 空? あのトレスって人?」
空はお人好しだが可愛い親友である。その彼女を素性も分からない男に取られたかと考えただけでも怒りが増してくる。
「全く! あんたは空の彼氏か!?」
悔しがる玲奈を智美は呆れた。




