その1
トレスが働き出してから二週間が経ったが、仕事も今のところ順調にいっているらしく彼の口から不平不満は出なかった。
飯尾は、タイマン勝負に負けたにも関わらずトレスをいたく気に入ってよく面倒を看てくれる。
社会人として地球人として何とかやっていける目途が立ったので空も一安心だ。いや、心配事がもう一つあった。
「あー!! どうしよう……」
中間テスト実施まで二週間をきり、空と玲奈は頭を抱えている。
「今度の土日、勉強会をしない?」
万年学年一位の智美の提案に、成績が中の上の空と中の下の玲奈は喰い付いた。
「するする!! 教えて下さい、智美様!!」
玲奈がおどけて言うと「よろしい」と智美は胸を張る。
「空もするでしょう?」
「うん。バイトも休むしやるよ」
「そうと決まれば私の家でしよう。参考書もあるし」
「じゃあ、よろしく!!」
二人が声を揃えてお願いしたが、その約束は翌日に早速破られた。
「ごめん! 妹が誕生会するらしくて家使えなくなっちゃった……」
智美が登校するや否や二人の前にやって来て頭を勢いよく下げた。
「あちゃー。うちでやろうって言いたいけど、バカ兄貴のサークル仲間が来るんだよ。しかも、十人!!」
うんざり顔の玲奈が髪をぐしゃぐしゃに掻き毟ると、空はちくりと胸が痛む。
ーいつも二人にはお世話になってるし。日曜日なら、トレスにはちょっとの間出掛けてもらえば大丈夫だよね。
彼は、人の繋がりを大切にする方なので嫌な顔はしないだろうと踏んで挙手をした。
「狭いけどうちでよければどうぞ」
「ほんと!? めっちゃ助かる!!」
玲奈が手放しで喜んだ。
「日曜日ならね。土曜日に部屋、片付けておくから」
その日の夜、勉強会の件をトレスに話すと思った通り快諾してくれた。
「ごめんね。夕方には終わると思うから」
「気にするな。図書館にでも行って暇を潰すよ」
図書館で暇を潰すなど空には考えつかないことである。
「そう言えば金曜日の夜は、飯尾さんに呼ばれているから帰りは遅くなる」
「へえ。仲いいんだね」
「ああ見えていい人だよ。独身者を集めて飯尾さんの家で宴会をするらしい」
トレスの口から『宴会』の二文字が出ると一気に社会人さが増してくる。
「……女の人も来るの?」
自分の知らない所でトレスが人気者になるのは少々妬ける。
「男だけだ。しかもむさ苦しい連中ばかり」
空の気持ちを察したのかトレスが苦笑すると彼女の口元が綻んだ。
よく晴れた週末、空のマンションの前に玲奈と智美の姿があった。
「ほんとに連絡なしに行っていいのかなあ」
手土産のお菓子袋を片手に智美が不安げに訊くと、玲奈は自信たっぷりに答える。
「大丈夫だって! 空も土日はバイトが休みって言ってたじゃん」
「そうだけど、今日は都合悪いから明日にしようって言ってたんじゃないの?」
そう、今日は土曜日なのだ。
暇を持て余した玲奈が智美に連絡して、空の部屋に突撃することになったのである。
「たまにはサプライズも必要だよ」
「ただの迷惑でしょうに」
呆れつつも結局智美もついてきてしまった。
「もし、留守だったら?」
「その時は帰ってくるまで近くで勉強しとこうよ」
「彼氏がいたりして」
「それはないない!」
などど話していたら空の部屋の玄関に辿り着いた。
ピンポーン♪
呼び鈴を鳴らすとまもなく、鍵の音がしてドアが開いた。
「わっ!! びっくりした!! 勉強会、今日だっけ!?」
と驚く空を想像した二人だが、実際に目に飛び込んできたのは藍色の髪の青年だった。
「えっ!?」
「はっ!?」
トレスは女子二人が目の前にいる状況を咄嗟に把握出来なかったが、反射的にドアを閉めようとした。
「させるか!!」
さすがバスケ部のエース、瞬時の間を縫って玲奈が足を差し込んでそれを阻止した。
「ちょっとあんた誰よ!?」
トレスはドアを閉めようと、玲奈はこじ開けようと激しい攻防が始まる。
ーなんだ、こいつ!? 女のくせに力あるな!!
バスケ部で鍛えた玲奈の腕力にトレスは舌を巻いた。
ドアを挟んでの膠着状態に智美が助け舟を出す。
「あっ、空!!」
トレスが空の名前に反応して気を抜いた隙に、玲奈が一気にドアを開けて中へ傾れ込んだ。
「もう逃げられないよ。観念しな」
玲奈の鋭い視線に、トレスは観念して両手を高く上げて投降の仕草をした。
「あんた、何者!?」
「人に尋ねるならまず自分から名乗るのが礼儀だろう」
「何言ってんの!! この変態が!!」
ー確か、空にも言われたな。この世界の娘は事あるごとに人を変態呼ばわりしやがって。
『奇跡の石』の能力を使うため、空を抱き締めた後に言われた台詞を思い出して憮然とした。
トレスが親友二人に詰問されているとは露知らず、買い物を済ませて帰路に着く空は上機嫌だ。
ー駅前のドーナツショップがセールしてたからいっぱい買っちゃった。
この前、バイトの帰りに買ってきたドーナツが気に入ったのか、トレスが無心で幾つも平らげていたのが印象的だった。
「これ、美味いな」
「甘いの、大丈夫なんだ」
「あまり好きじゃないが、これならいけるぞ」
「オバジーンにはなかった?」
「そうだな……。菓子の類はあったがこんな美味いのはなかったよ」
子どものように目を輝かせてドーナツに手を伸ばす彼はなんだか可愛かったので、ついにやけてしまった。
だから、このドーナツを見せた時のトレスの反応が楽しみで玄関のドアを勢いよく開けた。
「ただ今ー!!」
「「お帰り……」」
「!!」
いるはずのない親友二人の姿に空は目を丸くした。
「あ、あれ……? 勉強会、今日だっけ……?」
「明日なんだけど、玲奈がサプライズで今日にしようって」
言わんこっちゃないと智美は溜息をついて肩をすぼめた。その玲奈は腕組みをしてある方向を睨みつけているので、その目線の先を追ってみると……。
「トレス!?」
ますます不機嫌な表情で同じく玲奈を睨み返しているトレスを発見して、空の顔が一気に青くなる。
「ふうん、トレスって名前なんだ」
「あ、あのう、これには深い事情があるんだけど聞く?」
恐る恐る玲奈に尋ねると頷いた。
「そうだね。納得がいくようにじっくりと話してもらおうか」
凄む玲奈に空と智美は慄く。
「なんでドア開けたのよ!?」
「お前が鍵を忘れたのかと思ったんだ」
トレスと空が小声で話していると「ドン!!」と、テーブルを叩く音に体が跳ねた。
「あっ! ドーナツ!!」
空気が読めない智美が空の横にあるドーナツの箱を見つけて無邪気に叫んだ。
「駅前のか?」
「うん。セールしてたからいっぱい買っちゃった」
またもや二人のこそこそ話が玲奈の怒りを買った。
「何が『駅前のか?』だよ!! あんたもドーナツみたいに穴開けるよ!!」
「上手いこと言うな」
妙に感心するトレスが可笑しく空と智美はこみ上げる笑いを抑えるのに必死だ。
「まあまあ。役者は揃ったんだし、ドーナツ食べながら話そうよ」
智美が催促したので、皿に色とりどりのドーナツが並べられると一斉に集まって来た。
「ドーナツパーティだ」
「これ、期間限定だって」
「あれ、あるか?」
「あるよ。プレーンでよかったよね?」
「そのシリーズのチョコ、美味しいって」
四人は険悪な状況を忘れて、暫くドーナツ談議に花を咲かせていた。
ドーナツ、恐るべし!!




